賭博が犯罪とされている日本で、ギャンブル依存症の啓発動画はどうあるべきか?
オンラインギャンブル啓発動画「ギャン太郎」が、SNSなどで批判を浴び、結局大阪府はこの動画を公開停止にしました。ギャンブルが基本的に犯罪とされている中、啓発動画はどうあるべきなのでしょうか?

公開日:2026/01/30 03:32
先日から問題となっているオンラインギャンブル啓発動画「ギャン太郎」が、SNSなどで批判を浴び、結局大阪府はこの動画を公開停止にした。そこにはギャンブル依存症に対する理解そのものが問題とされたが、わが国では賭博行為そのものは犯罪である。ギャンブルが基本的に犯罪とされている中での啓発動画の在り方について検討した。
「ギャン太郎」が犯した過ち
わが国では、賭博が刑法上の犯罪(第185条、第186条)として規定されている。したがって、(特に違法なオンラインギャンブルを念頭に置いた)ギャンブル依存症の啓発動画はいかにあるべきかを考えた場合、「犯罪者としての刑法的評価」と医学・公衆衛生的な「回復支援を要する者」という、しばしば対立する二つの要請をいかに調和させるかという困難な課題に直面する。
わが国では賭博が犯罪であるため、依存症者は「法を犯した者」という評価を受け、そのことがギャンブル依存症患者を「自制心のない道徳的逸脱者」として描きやすくしている。しかし、こうしたスティグマ(烙印)こそが、当事者を孤立させ、回復を阻害する最大の要因である。
先日来問題になった大阪府の啓発動画「ギャン太郎」が専門家から批判を浴びたのは、ギャンブル依存症に陥った主人公を出発点として「楽して生きたい」人物として描いた点にある。すなわち、これは「依存症になるのは道徳的に怠惰な者である」という誤った偏見を助長するものであった。
あるべき啓発動画は、依存症を「性格の欠陥」や「意志の弱さ」としてではなく、脳機能の変化を伴う「病気」、あるいは環境への適応不全から生じた「学習障害」として描写すべきである。当事者が直面しているのは快楽の追求ではなく、仕事上のストレスや人間関係のもつれなど、生きづらさからの「逃避」や「緩和」であり、その苦悩に共感的に寄り添う視点が不可欠である。
「精神論」から「科学的メカニズム」へ
また、「ギャン太郎」は、最終的に「自分の中の鬼」に打ち勝って依存症から抜け出すのであるが、しかし、「自分の中の鬼に勝つ」といった精神論や根性論に基づく解決策の提示は、医学的に不適切であるだけでなく有害でさえある。病的な依存とは、止めたいと後悔しながらも、それを続けてしまう状態であり、本質はコントロール障害だと言われている。それを個人の意志の力で克服することは非常に困難だからである。
特にオンラインカジノや近年の電子遊技機は、利用者を「ゾーン」と呼ばれる没入状態に引き込み、依存を形成するように工学的に「デザイン」されているのである。
したがって、啓発動画は、次のような科学的事実を視覚的かつ分かりやすく伝達する媒体であるべきである。
まず、病的な依存は脳の報酬系を変化させている。薬物摂取と同様に、過度のギャンブル行為が、大脳の(快感や意欲、学習などに関係する)ドーパミン系に作用し、脳の回路を物理的に変化させているのである。
さらに、過度のギャンブルは、認知の歪みにもつながるおそれがある。 たとえば、「負け」を「あと少しで勝ち」と誤認するニアミス効果や、つぎ込んだ負けを取り返してやるといった「サンクコスト(埋没費用)」への固執など、要するにこれらは、脳がアルゴリズム(計算)によって騙されている状態なのである。
また、環境要因の重要性もいうまでもない。孤独やストレス、貧困といった社会的要因が依存のリスクを高める可能性が高く、そのような背景についても言及すべきである。
以上のような点から啓発動画は、個人の行動を道徳的に戒めるものでなく、アルゴリズムや演出がいかにして人間の脳をハックし、搾取しているかという構造的な罠を暴く内容を含むべきである。これにより、当事者の自責の念を和らげると同時に、現代における機械化されたギャンブルそのものの危険性を論理的に理解させることが可能となるだろう。
処罰への恐怖ではなく「回復への希望」の提示
2025年のギャンブル等依存症対策基本法改正によってオンラインカジノへの規制が強化され、違法性が明確化された。しかし、単に「違法だからダメ」といった脅しに訴えるような手法では、すでに依存状態にある人びとを追い詰め、地下に潜らせるおそれがある。
依存症は行政窓口への相談ですぐに軽くなるような安易なものではないが、自助グループへの参加や専門医療機関での治療、そしてスリップ(再発)を繰り返しながらも回復していくという、リアリティのあるプロセスを啓発動画では提示すべきである。法的なリスクを警告しながらも、それ以上に「回復が可能であること」と「孤立せずに助けを求める先があること」を強調するハーム・リダクション(危害低減)の視点が具可決である。
依存症者を排除すべき「犯罪者予備軍」として描くのではなく、高度に発達したテクノロジーと社会環境の犠牲となった「支援を必要とする人」として再定義するものでなければならない。科学的知見に基づき、スティグマを解体し、具体的な社会資源(自助グループ、専門医療機関、行政の相談窓口など)への接続を促す内容こそが、真に求められる啓発のあり方である。
なお蛇足ながら、賭博の機会の違法な提供はともかく、私は「賭博そのものがなぜ犯罪なのか」というテーマは、もっと議論されてもよいテーマだと思っている。
【参考記事】
大阪府、オンラインギャンブル啓発動画「ギャン太郎」を公開停止に「当事者の言葉が一番大きかった」
