失敗してこそ、恥をかいてこそ仲間 生きる支えができた 「こわれ者の祭典」代表・月乃光司さん(下)
アルコール依存症の月乃光司さん(59)は、27歳のときに断酒を決意します。そして、依存症者の自助グループに通うことで、世界で一番嫌いだった自分のことを「ありのままでいいんだ」と受け入れられるようになりました。
公開日:2024/02/23 02:00
月乃光司さん(59)=新潟市在住=は27歳のとき、3回目の入院をした精神科病院で、知り合いのアルコール依存症者の死を目の当たりにした。「生きたい」という欲求に気づいた。
だが、支えになるものがなかった。どうすれば生きられるのかわからず、1人で途方に暮れていた。【朝日新聞記者・茂木克信】
共感し、自覚 そして決意
入院から1カ月ほど経った頃。病棟の掲示板の貼り紙が目に留まった。アルコール依存症者の自助グループの告知だった。こう書かれていた。
「生きることもできない、死ぬこともできない人は自助グループに来てください」
自分のことだと思った。
25歳の時、初めて精神科病院に入院したときも少し顔を出した。退院後もしばらく通った。それは友だちがおらず、行き場所がそこしかなかったからにすぎなかった。自分がアルコール依存症とは思っておらず、目的が違う人たちの集まりに思え、やがて行かなくなった。
2回目の26歳のときは、退院初日から酒を飲み、全く行かなかった。
今回は違った。禁断症状や奇行をあけすけに語る人たちの輪の中で、居心地の良さを感じていた。「病棟の中で酒が飲みたくて、アルコールが入ったヘアトニックを飲んでいました」。そんな告白に心が震えた。共感していた。自分と同じ苦しみを抱える人たちだ、と。
アルコール依存症であることを自覚した。そして、断酒を決意した。
仲間に包み隠さず話した。10代半ばから醜形恐怖症に苦しんだこと、アルコールにおぼれたきっかけ、そして自殺未遂を繰り返してきたこと。心が軽くなった。退院までの3カ月間に23回通い、主治医から「新記録だ」と言われた。
飲酒と入院の負のサイクルをもう繰り返さないため、仲間の言葉に従うと決めた。相談相手や助言役となる「スポンサー」を初めて、50代の男性に頼んだ。
仲間の言葉を生きる指針に
退院後、ハローワークで見つけた補聴器販売会社に採用された。勤務は朝から夕方まで。残業や休日出勤も時々ある。両親は喜んだが、スポンサーは反対した。
「あなたは長い間働いていないから、絶対に挫折する。そうしたら酒を飲んでしまう。社会復帰を兼ねて1日1、2時間のアルバイトから始めた方がいい」
27歳の身としては不満だったが助言を受け入れ、街で見かけた眼鏡販売店で短時間のアルバイトを始めた。始めは大量の眼鏡を拭くだけだったが、次第に接客などを求められるようになるとつらくなり、半年ほどで辞めた。自信を失いかけた。
スポンサーに相談すると、接客のない仕事を勧められた。そこでビル清掃の仕事に就いた。朝から晩までのフルタイムの仕事だったが1年半ほど続けられ、上をめざす気持ちが芽生えた。職業訓練所に通った後、30歳でビルメンテナンス会社に就職。翌年、同業他社に移り、今に至るまで28年間勤めている。
会社では管理職になり、仕事で自助グループに出られないことが増えた。それでも週2回出るよう心がけている。3回目の退院直後は週5回通っていた。自分の体験を語り、記憶の確認をする。仲間の話に耳を傾ける。先のことは考えず、1日ずつ酒を飲まない日を積み重ねてきた。
生きるためのヒントは、ほかの仲間たちの言葉にもあった。
「恨みを持ち続けると再飲酒につながる。許すことが必要だ。許して、許して、許して、許しまくらなくてはいけない」。そんな話も聞いた。その通りだと思った。変えられない過去を受け入れ、ありのままの自分で生きようと思った。
つながろう「全員集合~!」
ダメな自分を許そう。1999年、キリスト教の教会で洗礼を受けた。そして自分の使命について考えるようになった。
今、生きづらさを抱える人たちに自己肯定のメッセージを送りたい。教会で仲良くなった強迫神経症の20代男性と、そんな話で意気投合した。引きこもり経験が長かった男性は、こもっていた部屋で趣味のギターのテクニックを上達させていた。ギターを弾く姿を見たとき、「これはいける」と思った。自分は自作の詩を朗読し、伴奏としてギターを演奏してもらう。そんなパフォーマンスとトークを通して、メッセージを届けることにした。
2002年5月、新潟市で始めたイベントが「こわれ者の祭典」だった。
統合失調症やうつ病を発症した人も出演者に加えた第1回は、80人収容の会場に170人が来場し、入れない人も出た。一度きりで終える予定だったが、反響の大きさから続けることにした。
03年の初の東京公演には、作家の故中島らもさんがゲストで出演。04年には作家の雨宮処凛さんが名誉会長に就任し、10年には精神科医の香山リカさんが「不名誉顧問医師」に就任した。ほかにも、漫画家の西原理恵子さん、タレントの東ちづるさんや田代まさしさん、作家の田口ランディさんら多彩なゲストが、新潟市や東京などでのイベントに出演してくれた。
「失敗してこそ、俺。恥をかいてこそ、俺だ」
そして、昨年のクリスマスイブ。「依存症を考えよう」をテーマに開いた祭典で、「これこそが俺」と題する詩を朗読した。人生を凝縮した約10分間の詩の中に、かつてスポンサーがかけてくれた言葉を盛り込んだ。
3回目の退院までまともに働いたことがなかったのに、プライドだけは高かった。アルバイト先で同僚に笑われている気がして、勝手に傷ついていた。恥をかくのが怖くて、酒を飲むことに逃げ込みたかった。思いを打ち明けると、スポンサーは言った。
「光司、それでこそあなただよ。笑われてこそあなただ。失敗してこそあなただ。うまくできたら仲間じゃないよ。恥をかいてこそ、俺たち仲間だ」
今も会社でつらいことがあると、こう自分を励ます。
「笑われてこそ、俺。失敗してこそ、俺。恥をかいてこそ、俺だ」
10代半ばで生きづらさを感じ始めてから、病気のせいで孤独なのだと思っていた。逆だった。病気でなければ仲間じゃない。そう言ってくれる人たちに出会えた。
かつての自分にとって、孤独が最大の痛みだった。
「孤独を解消できれば、人は生きられると思う。どの自助グループでもいい。仲間とつながってほしい。それまで死なないでほしい」。そう強く願っている。
4月27日には、東京都新宿区のトークライブハウス「ロフトプラスワン」で今年最初の祭典を開く。テーマは「生きづらさを持つあなたへのメッセージ」だ。
お約束の、あのかけ声が待っている。
「病気だョ!」
「全員集合~!」
(終わり)
【月乃光司(つきの・こうじ)】心身障害者の表現イベント「こわれ者の祭典」代表
1965年、富山県生まれ。父親の転勤とともに長野県を経て幼少期に新潟市に移り住む。高校入学後、醜形恐怖症と対人恐怖症で不登校になる。大学を中退し、漫画家の道を歩んでいた24歳のとき、連続飲酒に陥ってアルコール依存症になる。自殺未遂を繰り返し、精神科病院に3回入院。27歳から酒を飲まない生活を続ける。2010年に新潟弁護士会人権賞と「第5回安吾賞」新潟市特別賞を受賞。14~16年に内閣府「アルコール健康障害関係者会議」委員を務める。著書に「窓の外は青」(新潟日報事業社)、「心晴れたり曇ったり」(同)、「人生は終わったと思っていた」(朱鷺新書)など。
【月乃光司さんインタビュー】
- 寂しさに耐えきれず、アルコールにおぼれた 「こわれ者の祭典」代表・月乃光司さん(上)
- 「何で助けたんだ」 搬送された病院で母親をなじった 「こわれ者の祭典」代表・月乃光司さん(中)
- 失敗してこそ、恥をかいてこそ仲間 生きる支えができた 「こわれ者の祭典」代表・月乃光司さん(下)
コメント
娘が摂食障害です。今 バリバラを視聴しました。
祭典には おととし初参加し、月乃さんの叫びに感激しました。昨年12月、三条から会場へむかいましたが駐車場が見つけられず、引き返してしまいました。
今回 放送がみられて嬉しかったです。次回こそ会場に行きますね!
プライドが高くて、いつも周りに出来る人と見られたくて頑張ってしまう。上手くいかないと自己憐憫になる。そんな私でした…
でも、今は周りにどう思われようと、実は、大したこと出来ないし、それが私と思える様になって、本当に楽になりました。
匿名さん
コメントありがとうございます。
駄目自慢なら、私は自信があります!
病気だったから、今の仲間と出会えた。
仲間と出会えたから今の自分がある。
自分の弱さを人に見せられないプライドだけが高い息子に、読んでもらいたいと思いました。
弱くて、ダメでいいんだよ…と