依存症の家族会に参加したら、自分の会を立ち上げてしまった話
依存症の問題を考える、当事者や家族が集まる「家族会」。たまたま参加してみたら、想像とは全然違ったことに驚いたわたし(ライターの青山ゆみこ)。
それをきっかけに、自分が主宰する自助グループのような会まで立ち上げてしまったのでした。
公開日:2024/08/09 02:00
わたしは現在、「ゲンナイ会」という「気になることがある人が集まって、話を聞き合う場」を月一で主宰している。
「ゲンナイ」というのは、自著『元気じゃないけど、悪くない』の略称だ。
今年の春に上梓したゲンナイ本は、わたしが50を迎える頃から、親の介護や看取り、愛猫との別れ、お酒とよくない関係、夫婦の問題……。
人生のあれこれがどかんどかんとやってきて、心身の絶不調に陥ったことから、試行錯誤していろんなことが変化していった3年の記録を書いた一冊だ。
発売当初、本屋さんで読書会のようなものを開いてもらった。
すると、参加してくれる人の多くは、わたしと似たような、あるいはもっと大変な、いや、あまり較べるものじゃないんだけど、本当にさまざまな体験を語ってくださって、わたしはいつも強く励まされるような気持ちになった。
参加した皆さんからも、同じような声が届いた。
そんな「悪くない」読書会から派生して、特定のテーマを定めずに、それぞれの困りごとを話す、聞くという、いわば自助グループのような、とりとめないおしゃべり会のような場が「ゲンナイ会」なのです。
きっかけとなった依存症の家族会
実はこの会を立ち上げたきっかけには、2つの依存症の家族会の参加体験があった。
最初は「ギャンブル依存症家族の会」。
今年の春先、ドジャースの大谷翔平選手の元通訳、水原一平氏が関与したとされる違法ギャンブル問題が発覚し、「ギャンブル依存症」という単語がいろんな場所で目に入った。
わたし自身は、お酒との付きあい方に悩んでいたので、「アルコール依存症」に関してはそれなりに関心をもってきたけれど、「ギャンブル依存症」についてはほとんど知らなかった。
約62億円ともいわれる水原氏の損失金額にも衝撃を受け、単純に好奇心がむくむく膨らんでいたのだろう。
ある日、たまたまSNSで「ギャンブル依存症家族の会 兵庫」という情報が流れてきた。
見れば会場はうちから自転車で10分ほどの場所だ。申込みも不要で、「ギャンブル依存症について詳しく知りたい方」「どなたでも参加できる会です」とある。
ギャンブル依存症の家族が集まる場所って、どんなのだろう。やはり好奇心がわたしの背中をばーんと押して、今思い出すと恥ずかしいような問題意識の低さで自転車を漕いでいた。
到着してみたら、「あれれ、場所を間違えた?」と、思わず引き返しそうになった。想像とはまるで異なる会場の雰囲気に面食らったからだ。
わたしが「依存症の家族会」という文字列でイメージにしていたのは、眉間にしわをよせ、苦労のせいで目の下にクマをつくった人たちが、お互いに目をあわせないようにうつむき加減で集まっている場だった。まるでお通夜のような(どんな妄想なのだ)。
だって、依存症の家族でしょ。大変な苦労を背負って、向き合う現実が重たいよね。気分も表情も空気も暗くないわけがないよね。
そんな思い込みが一瞬で崩れるような光景が目の前に広がっていた。
明るく広い会議室のような空間に、何十人もの老若男女がわさわさ(女性の方が多いようにも見えた)。
後から聞くと80名近くの方が参加されていたそうで、その人数にもわたしは圧倒されていた。
あちこちで「元気だった〜」「ひさしぶり!」などという声がきゃっきゃ飛び交ってもいる。
ここはバザー会場かなんかですか?
とでも聞きたくなるような活気。
えー!?
参加者が着席し、定刻となり会が始まると、もちろんすうっと場は静かになったのだが、それは暗くて重たい静けさではなく、穏やかな安心感に包まれるような静けさだった。
かわいそうな人たちが、肩を寄せ合っている、なんて集まりじゃなかった。
というか、ほんと、わたしのイメージが貧しすぎる……(汗)。
ギャンブル依存症の家族による体験談
ざっくり説明すると、会は二部進行。
前半は、「当事者家族による体験談」。後半は、家族同士が話を共有する「家族会」。並行して、別室で当事者だけのミーティングも開催されていた。
前半のご家族がギャンブラーという方の体験談は、具体的にどんな出来事があったのか、時系列で語られるので、とてもわかりやすかった。
完全に過去というよりも、現在進行形の回復途中であったりもするので、よりリアルにこちらにも届いてくる。
でも、家族である自分が、いわば「恥ずかしい話」をこうしてたくさんの人の前で話すのは、大変じゃないのかな、とも気になった。
そのことについては話の終盤で言及されていた。
自分は、依存症の家族であるいわば先輩の体験を聞くことで救われた。だから今度は「誰かを助けるために、自分も話す」のだ。
また、こうして「誰かの助けになること」が、同時に「自分を助けることにもなる」と。
誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送る、「恩送り」のようなもの。
とても繊細な、隠しておきたい心の深部に触れるのは、やっぱり似たような経験をした誰かの切実な言葉だったりする。
わたし自身、不調の最中に似たような経験をしていた。すごくわかる。
いい場だなあ。わたしはあたたかさと切なさと、希望のようなもので胸がいっぱいになっていた。
依存症の家族による「家族会」
後半は、20名ほどが5つのサークルにわかれて行われる家族会に参加した。簡単な自己紹介(本名を名乗らなくてもいい)の後は、サークルの進行役の人が、てきぱきとその場を取り仕切っていく。
継続して参加している人も多いが、新しく参加した人を優先的に困りごとを聞いて、例えば過去似たような状況だった人に話を振って体験を共有したり、どこの誰になにを相談すると早いかを伝えたり。
てきぱき! という音が鳴り響きそうなテンポで、問題解決への提案がとにかく早い。どこか曇った顔で話し始めた人の表情も、次第に、灰色のベールが一枚剥がれたようにトーンが上がっていく。
きっと今まであまり人に言えず、抱えていたんだろうなあ。苦しかっただろうなあ。
参加者の方の変化を見ているだけで、わたしまで気が晴れるような気持ちになった。ギャンブル依存症の家族でもないのに、人生の同志のような気がして、そこにいる人たちがすっかり好きになっていた。仲間がここにもいるんだなって。
※ちなみにこの兵庫の家族会では、子どもを預かってくれる「保育」もあるので、小さなお子さんがおられて参加に迷っている人もご相談ください。
薬物問題の家族会にも行ってみた
そんなよき感触の体験があったから、次は薬物問題を考える家族会にも参加してみたというわけだ。
行ってみたのは、たまたま運営メンバーに知り合いがいた「ARTS(Addiction Recovery Total Support)」の大阪家族会。
ARTSは、アルコール、薬物、ギャンブル、ゲームなどの依存症問題に取り組んでいる団体で、中でも薬物の問題を抱える家族が中心となって、週に1度はオンラインでの自助グループ的な場を、月に一度大阪や徳島で対面型の家族会を開いている。
本当に恥ずかしいが、ギャンブル依存症の家族会にも歪んだイメージがあったわたしは、「薬物」となればさすがに……と、正直なところまたしても先入観ごりごりだった。
会場となるレンタルオフィスの一室に着いて見ると、またまた驚いた(驚いてばかりだよ……)。
窓からは燦々と光がさし込んで、参加者の皆さんはシックな雰囲気で穏やかそうな人ばかり。
「薬物依存」という、声に出して発音すると、ともすればハードさに落ち込みそうな単語からは想像できない、からりとした空気感。
本当にこの人たちが、家族に薬物の問題なんてあるの???
会が始まっても、わたしは信じられない思いでそこにいた。人の思い込みってなんて強力なのだろう……。
80名ほどの大所帯だった「ギャンブル依存症家族の会 兵庫」とは異なり、ARTSの大阪家族会は10名ほどでこぢんまりとした集まり。
薬物といっても、風邪薬や鎮痛剤といった一般的な市販薬の乱用や、ドラッグのようなものなど、いろんな種類がある。家族の困りごともさまざまで、回復の仕方、支援方法も一人ひとり違う。
ということも、少人数の参加者が、安心できる環境で親密に言葉が交わす中で、わたしは少しずつ知っていった。
自分の困りごとでもあるアルコールの問題に置き換えて届いてくる話も多く、参考になったり、共感したり、気づきを得ることが多々あった。
また、少人数のせいか、言葉になるもの、ならないもの、そのどちらも共有しながら、みんなで問題を一つずつ一緒に眺めているような感覚もあった。
わたしまで、いろんなものを持ち帰らせてもらうような厚い時間で、一瞬で二時間が過ぎていた。
うわあ、なんかめっちゃいい。
わたしも、こんな会をやりたいなあ。
という高ぶりのような衝動に突き動かされて、わたしはARTSの大阪家族会に参加した翌日、自分の主宰する「ゲンナイ会」を立ち上げたという訳なのである(長い説明になってしまいました)。
家族会に辿り着く人は「幸運だ」
それ以降もARTSやギャンブル依存症の家族会に時々参加させてもらっている。
そんな中で、いつも思うことがある。
こういう場に参加できた人は幸運だということだ。
一人で困りごとを抱えるって苦しい。でも、簡単に誰かと共有するのは難しい。誰にも言えないような、自分で自分を閉じ込めるようなしんどさがある。
自分がそうだったからなんだけど、そこから脱けるのは、やっぱり一人では難しいんじゃないかと、つくづく実感として感じている。
でも、誰かを頼るのも難しい。ただでさえ追い詰められた気持ちなのに、知らない人に会って、怒られたり、嫌なことを言われたら……怖い。
わたしが「ゲンナイ会」でもっとも気をつけているのも、参加した人が「責められた気持ちにならない」ということだ。
少なくとも、わたしが参加したギャンブル依存症の家族会もARTSも、怒られたりはしません。もしアドバイスが欲しいなら、残念な経験豊富な先輩たちが、親身になにかしらのヒントを話してくれるはず。
その人のタイミングや、人との相性もあるので、なんだか合わなかったという人もいるかもしれない。でも、きっと自分にとってよき場所があると思う。
なので、思い立ったその時に、ものは試しで行ってみるってありじゃないかな。軽い気持ちでも大丈夫。わたしのように、会の趣旨とは異なるきっかけをもらう人もいるかもしれないし。
そうそう、依存症の家族会もそうだし、「ゲンナイ会」でも前提としていることがある。「その場で見聞きした話は、その場だけのものにする」という秘密保持のようなこと。
きっと安心して参加できると思います。
つい最近、こんなSNS投稿を見かけた。
ギャンブル依存症家族の会、全国にこんなにあるのか!
「これで助かる人も増えるはず」という田中紀子さんの言葉に深くうなずく。
同時に、あなたが「誰かを助ける人になるかもしれない」って、わたしは強く思う。
コメント
ギャンブル依存症者の家族です。
ここはバザー会場なのか?!のくだりにクスッと笑みがこぼれました。私も初めて繋がった時にそう思いました!
元気な方が多いこと、でも話をが聞いたら自分と同じ経験をしていて共感があること。家族会や自助グループの良い所だなぁと思います。
こうやって率直な感想を書いてくださり嬉しいです!
ギャンブル依存症家族の会に私も参加しています。
とかゆいところにてが届くような表現で、なんだか優しくてすっと入ってくる素敵な文章をありがとうございます!読みながらあー分かるーー私もそう思ってたなーと初めて参加した日のことを思い出しました。ありがとうございます!
青山ゆみこさん
とても読みやすくスーと引き込まれそうに読ませて頂きました。
家族会を良く理解されこういう感覚で受け入れて頂ければ、家族会の一員として大変うれしいです。
ギャンブル依存症という偏ったイメージを持ってた方が青山さんの言葉で、救われたかと思います。
本当に有難うございます。
家族の会のこと、取り上げてくださりありがとうございます。
誰にも言えない悩みだったのに、言うことができ、気持ちが楽になったことを覚えています。
誰にも相談できずに抱えて苦しんでいる方がこの記事を読んで、勇気を出して相談に来てくださることを願っています。
青山さん、
明確に表現してくださって、頷きながら読みました。
こんなふうに取り上げていただき感謝です。ありがとうございます。
青山ゆみこさんのご著書の一ファンだった。
「ほんのちょっと当事者」を読み、あれ?なんか仲間の匂いがする。おまけに、相談先や支援先の情報まで記載されてる。ほんのちょっと当事者でほんのちょっと支援者の視点。
な、なに者なんだ、青山ゆみこさん。
そんなこんなでそれまでとはひと味違う意味でますますファンになった。
「元気じゃないけど、悪くない」がこんなにも多くの人に読まれているのは、あかんねん、自分ではどうにもできへん、という正直さと、じゃあこれをやってみたらどうかな、という行動力と、めっちゃ優しいんだけれど、凛としたクールな眼差し、冷静さを併せ持った青山ゆみこさんがそこにいるからだと思う。
そんな青山ゆみこさんの見た家族会。家族会に参加する者として、運営する者として、これほどうれしいことはない。そうか、もっとこうしたらいいよね、ということにも気づかされる記事。
ありがとうございます。
青山さん〜!
ありがとうございます😭
とても嬉しい記事…。
涙ぐんじゃう。
私たちの経験や取り組んでいることを、青山さんの気持ちを乗せた素晴らしい文字の形に表現してくださって宝物みたいに感じます。
本当にありがとうございます!
的確で わかりやすい表現
家族の会へのあたたかい応援のお気持ちを感じました。
先日家族の会兵庫で青山さんをお見かけしました。時間を共にして、あの日の仲間の声と体験談をまた思い返しています。
助けてといっていい!
私も発信し続けます
まだ苦しむ誰かと心の奥底にある自分自身に。