断酒8年目。「臆病な弱さ」が、僕をお酒から引き離してくれる(後編)
断酒8年目の文芸評論家・宮崎智之さん。二度の急性膵炎を経て、「お酒はやめるしか選択がなかった」という経緯、アルコール依存症についての思い。
同じく「大酒飲みだった過去」をもち、断酒5年目となるライターの青山ゆみこが聞いてみました。(後編)
公開日:2024/11/01 02:00
仕事終わりに飲み始めたお酒が、フリーランスになり、一人暮らしを始めると、朝起きてから気絶するように寝るまで手放せなくなった宮崎智之さん。
2014年の春、32歳のときに急性膵炎で入院。ひとまずお酒をやめたものの、次第にまた飲むようになってしまったという。エッセイ集『平熱のまま、この世界に熱狂したい』でも綴られる断酒の背景とは……(後編)。
前編はこちら↓
断酒のはじまりは、2度目の急性膵炎
——最初の急性膵炎でそこまでの痛みを経験したら、お酒が怖くなるとか、もう飲みたくないとはならなかったのでしょうか。
最初はもちろん飲まなかった。でも、退院からひと月も過ぎて入院のつらさを忘れた頃には、すっかり元の飲み方に戻っていました。いや、ダイエットのリバウンドみたいなもので、以前より酒量が増えたかもしれません。
週に1回なら飲んでいい、週に2回なら……ってだんだんと意識がゆるくなって。
そのうち「たまに休肝日があればいい」とか、最後は「焼酎はダメだけど、赤ワインなら飲んでもオッケー」というよくわからない理屈までつけ始めて、結局、また膵炎になってしまったんですよ。
最初の膵炎から2年後、2016年5月のことでした。
2度目は自分でわかったんです。これは完全に膵炎だなって。
入院準備一式を揃えてタクシーで病院に行って、「先生、僕はたぶん膵炎です」って自己申告すると、やっぱりまた即入院。
臓器はもちろん悲鳴をあげていましたが、この頃は精神的にもボロボロになっていて、急に汗が吹き出したり、パニック発作的なものが起きたり、謎の症状があれこれ出ていました。
先生から、「このまま飲んでいたら40歳までもたないかもしれない」と告げられました。
急性膵炎はアルコール性のものが多いらしく、二度も経験した僕の場合は十中八九、アルコールに起因する症状とのことでした。
医師にはっきりと引導を渡されたとき、僕は初めて自分のアルコール依存を認めたように思います。
アルコール依存は「否認の病」だと言われますが、医師の言葉にどこかほっとした自分がいたのは、ようやく「認める」ことができたからなのかもしれません。
——「アルコール依存症」であることを受け入れたということでしょうか?
認めたのは自分の「弱さ」だったんです。
僕は弱い人間で、強くなろうとするたびに、酒量が増えたり、むしろ事態は悪化して、どんどん自分が追い込まれていきました。
僕はもう二度と飲まないつもりでいますが、それは意志が強くなったわけではなく、まったく逆で、相変わらず弱い。とことん弱い。そのことを認められたから、二度と飲まないつもりでいます。
お酒に手が伸びそうになったとき、僕を寸前で止めてくれるのは、むしろ「弱さ」のほうなんです。
弱いままでいい、強くなろうとしなくてもいい。強くなろうとすると再び敗北する。
そのことを恐れる「臆病な弱さ」が、自分は酒に溺れることなくコントロールできるという思い込みから、僕を引き離してくれる。
僕は30歳で離婚を経験するまで、自分は心が強い人間だと思っていました。どんなことも理性や知性で乗り越えられる、そうできない人は努力が足りないのだと、人に対しても考えていました。「自己責任」のような考えを、押しつける側だったと思います。
でも、離婚により「心が壊れる」ということを知ったとき、僕は体だけでなく、心も弱いと悟りました。
なのに、むしろお酒が自分の心の弱い部分、壊れた部分を隠してくれると思い込んでしまって、アルコールにすがった。「魔法の水」の前で、僕は徹底的に弱くて無力な存在だった。
アルコール依存症の生涯経験者は100万人以上いて、疑いや問題飲酒のある人も含めたら1000万人近くになるといいます。
自分がそうだったからという言い訳だけでなく、一定数、アルコールとうまく付き合えない人が必ずいるように思うんです。頭でわかっていてもなお、そうなってしまう「弱さ」がもともと人間にはあるんじゃないかと。
「弱くある贅沢」とは
——よくいわれる「意思が弱い」というものではなく、人間はそもそも「弱い」ものであるという意味でしょうか?
現代は、例えば「強さ」や頼もしさばかりをアイデンティティにしようとする男性がいる。でも、そうやって「強さ」を誇示することにより、生きづらさを抱えてしまう。
僕は、みっともない自分を少しでも「強いやつ」だと思えるよう、酒を浴びるように飲み続けました。つまるところ「弱さ」を受け入れられなかったことに僕のアルコール依存症の原因があったんじゃないかと思っています。
断酒を始めてから、アルコール依存症はれっきとした病気であり、心の弱さや根性のなさのせいにしてはいけないと、どこかの本にかいてあるのを読みました。
なにかのきっかけがあれば誰でのなり得る病気なのだと、僕自身の体験でも理解しました。
強くあろうとすれば、もともと人間は弱いから、無理が出る。
「強さ」に固執せず、「弱くありつづける」ことこそ、実は「本当の贅沢」なのではないかと思うんです。
自分の美しいと思うものを踏みにじらないでも生きていけること。「強い」「弱い」の二項対立を超えて、人間の弱さに敏感で、それについて常に思考し続けること。それが「弱くある贅沢」ではないかと。
「弱さ」への自覚は、弱い立場に置かれた者の気持ちに敏感になろうとする第一歩ともなるのではないでしょうか。
——少し話がずれてしまうのですが、わたしはお酒をやめたあと、心身ともに「ポキン」と折れたメンタル不調で、正直なところ「飲めない」状態でした。宮崎さんはお酒をやめたあとの不調や苦しさはなかったのでしょうか。
うちの父方の家系の、とくに祖母の家はアルコールの問題がある人が多くて、40代で重症化して亡くなってしまった身内が多い。
それを知っているから、父は節制して週に1回しか飲んでいなかったのに、やっぱり膵臓の病気が疑われる症状で亡くなってしまうんです。
僕が2度目の膵炎になった頃、父はまだ存命でしたが、ちょうど体を壊し始めた時期で、父のことでも「死の恐怖」があった。
僕は次に膵炎になったら命が危ない。今後膵臓がんになる可能性があるかもしれない。もしそうなったら治る見込みが少ない、かなりの確率で死ぬ。
生き延びるためには「飲む」という選択は基本的にない。諦めですね。
それでも、自分がまた飲んじゃったらどうしようと、アルコール外来に行ったことがあります。
お酒を飲みたい気持ちを抑える薬を処方されたのですが、副作用もあって、自己判断だけど3カ月ほどで飲むのをやめてしまって。
AAや断酒会に通うことも考えたものの、自分にその場が合うのかわからない。ひとまずやめられている間は、行かなくてもいいかなと保留にしていたら、自力でやめられた。やっぱり「諦め」がいちばん大きかったですね。
——たとえば「死の怖さ」から逃げたくなって、逆に自ら死を選んでしまうようなこともあるように思います。宮崎さんはそれはなかったですか?
僕は40前にまだ死にたくないと単純に思ったんです。これが高齢だったら違う選択もあったのかもしれません。
でも、自分にはまだできることがいっぱいあるんじゃないかって。
変な話ですが、僕は365日浴びるようにお酒を飲んでいたのに、物書きとして、同世代の人に較べてお金を稼げていた。もし飲まなかったら、「自分はもっとすごくなっちゃうんじゃないか」って変な楽観性があったんです。
——文学青年だったときは、「お酒が、何者でもない自分にしてくれるかもしれない」と考えていたけれど、「飲まないほうが、実は自分はすごいかもしれない」と思われたんですね。
アルコール依存症の人は、自分がそうだったからという個人的な理解もあるかもしれないけど、周りの人を見ていても、だらしない人ではなくて、真面目で、理屈でがんじがらめになっている人が多いんですよ。
飲んじゃいけないのに飲む時点で、「飲む理由」を考えついて、1週間やめられたらアルコール依存症じゃないとか、謎の理屈をつける。僕が赤ワインは大丈夫なんて思っていたのもそうなのかもしれません。
今はあんまり理屈で物事を捉えていなくて、むしろ豊かな人間性になったように自分では思っているんです。とくに物書きは、理屈だけで考えて勝負すると、失敗するんじゃないかな。
凪(なぎ)の状態の穏やかな静寂
——宮崎さんが本のなかで書かれていた、「凪(なぎ)の状態で生きる」という話がとても印象的でした。
僕が断酒してからまず取り組んだのは、目の前にある生活を見つめ直すことでした。
なにもしなくても自分の感受性がコミットしてくれて、見えていた美しい世界。それはもう以前のようにクリアに見ることはないのかもしれません。
でも、感性を鈍磨するためにお酒を飲んで、自分にフタをして、いわば自分以外の「何者か」になろうとするよりも、すでにあるもの、あったものを見て、感じることのほうが、自分の人生を豊かにできるのではないかと、考えるようになったんです。
子どもの頃、父の故郷で、祖父母が住んでいた愛媛に毎年遊びに行き、海辺の民宿が定宿でした。そこで耳にしたのが「なぎがきたね」「海がないでいるね」という言葉です。
意味はわからないけど、穏やかで静かな情景はずっと鮮明に覚えています。
凪(なぎ)とは沿岸地域で発生する自然現象で、一種の無風状態のことで、海風から陸風、陸風から海風と、それぞれの前後で切り替わる風が違うという特徴があるのですが、ただの無風というより、「風が切り替わる瞬間に訪れるしばしの静寂」ともいえます。
そんな静寂のなかでは、軒下の猫の寝息や、どこかの家のテレビから漏れ聞こえる高校野球の声援とか、むしろ「そこにあった豊かなもの」に気がつく。
変化の激しい世の中で、自分を、「凪の状態」におけたらいいなと思ったんです。
なにもない退屈な人生を意味しているのではなく、むしろ日常にくまなく目をこらして、感じられるものの純度を高めるような状態で生きることの豊かさを感じたい。
お酒をやめた後、僕が日常に退屈して絶望することが少なくなってきたのは、そんな凪の状態の穏やかな静寂に、人生の豊かさを感じられると信じているからかもしれません。
——再婚して、いまはお子さんがおられるそうですね。
妻は、僕が2度目の膵炎で入院する少し前に付き合い始めた人なんです。めちゃくちゃ飲んでる末期に知り合って、2、3カ月しか付き合ってないのに、病院で車いすを押してくれて。お酒をやめると決意して、妻も支えてくれました。
でも、妻はお酒が好きなんです。仕事も同じようなクリエイターだからなのか、僕がお酒にハマっていた頃の気持ちも、いまは飲まないで暮らしている気持ちも、理解して話を聞いてくれています。
彼女がおいしそうに飲んでいても、嫌な感覚もありません。楽しく飲める人は、できるだけ飲み続けられたらいいなって思います。
そのために無茶な飲み方はしないでいられたらいいねって、友達にも話していますよ。
(おわり)
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コメント
私は弱い自分が嫌で、強くなりたい、強くなりたいと思いなから生きて来たような…。
今思うとそんなに肩肘張らなくても良かったかなと。
ありのままの自分を認めてもっと自然に楽にいていいんだと。
考えすぎずにシンプルに人生を楽しみたいな。
「弱くある贅沢」とは、新しい気づきです。強い事が良い事!と、思われがちですが、この依存症の世界にいたら(私は夫がギャンブル依存症、父がアルコール依存症)弱い事をそのまま認め受け入れる方が良い事なんだと、教えてもらえますね。弱くてもそれが自分だと認められると強いですよね。
私も弱い自分はダメなんじゃないかとか、その弱さを知られてはいけないとか、勝手に思い込んでた。
読んでて、弱いのはカッコ悪いと思ってたけど弱い自分を受け入れて生きていくことがカッコ良く感じたし、そうしたいと思えた。
私は今、自分の弱さに気づいて、ショックを受けています。
弱くてもいいのかな…。
お話してくださってありがとうございます。
弱い自分でも良い人生を生きたいな。