Addiction Report (アディクションレポート)

名匠カウリスマキ監督が描くラブストーリー『枯れ葉』。依存症者は、孤独を抱えながら静かに酒を飲む。

アキ・カウリスマキ監督による2023年公開作『枯れ葉』は、ヘルシンキの街の片隅で、孤独を抱えながら生きるミドルエイジの男女の姿を描いた作品だ。

酒瓶をいつも隠し持っている男の姿に、「飲みたくて飲んでいるだけではない」アルコール依存症者のかなしみ、苦しさが見える気がした。

(ライター・青山ゆみこ)

名匠カウリスマキ監督が描くラブストーリー『枯れ葉』。依存症者は、孤独を抱えながら静かに酒を飲む。
「枯れ葉」 © Sputnik

公開日:2025/03/14 02:00

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フィンランドの首都ヘルシンキという街が、とりわけ「かわいい」「素敵な」といった形容詞で「暮らし」系雑誌に特集されるようになったのは、2006年に上映された映画『かもめ食堂』のヒット以降と記憶している。

日本人の中年女性が、ヘルシンキで日本食の食堂をひとりで開店させるところから物語が始まる『かもめ食堂』。主演の小林聡美をはじめ、片桐はいり、もたいまさこといった、どちらかといえば「ちょっと変わったおばさん」たちの交流(女優としての彼女たちは思い切りカッコいいと思っているが)が味わい深い作品だ。

ギラついた広告ネオンや看板の類いがほとんど目に入らない、素っ気ないほどシンプルな街の風景が、資本主義ばりばりの社会で暮らすわたしたちには、ゆったり心地良く目に映ったのもあると思う。

劇中の「食堂」で使われるイッタラのホーロー鍋やカップ&ソーサ——、シンプルなのにフォルムの美しいカルティオのグラスやピッチャー。ただのおにぎりが「お洒落♡」に映えるアラビアのお皿といった、洗練されたデザインの北欧デザイン、インテリア……「素敵すぎる」とハートを鷲づかまれたのは、わたしだけではないですよね(きっと)。

今では「ていねいな暮らし」としてシンボリックな北欧スタイルの街、ヘルシンキだが、ここは「フィンランド社会主義労働者共和国」という正式国名のとおり、「労働者の暮らし」が営まれる社会主義国家の首都なのだ。

なんてこといわれてもピンとこないかもしれないが、映画を見れば一目で伝わってくるのがフィンランドの名匠、アキ・カウリスマキ監督の作品である。

「北欧型の福祉国家」として評価の高かったフィンランドだが、1990年代前半、重要な貿易相手国だったソ連の崩壊によって深刻な経済危機に陥った。街には職を失ったホームレス、社会から疎外される人たちがあふれた。そんな労働者を描いてきたのがカウリスマキだ。

例えば、『浮き雲』(1996)、『過去のない男』(2002)、『街のあかり』(2006)はカウリスマキ「敗者三部作」と呼ばれている。グローバル化が進む世界になんとか乗っかったものの、そのせいで資本主義社会と同様に格差が広がったフィンランド。しわ寄せをくらうのはどんな社会でも底辺を支える労働者だ。働けど働けど楽にならざり。そして雇用主の都合で、職さえも簡単に奪われてしまう……。そんなブルーワーカーをカウリスマキは描き続けてきた。

2023公開の『枯れ葉』は、「敗者三部作の四作目」とでも言いたくなる作品だ。

「枯れ葉」 © Sputnik ヘルシンキのブルーワーカー、主人公のホラッパ(右)

カウリスマキ作品では珍しく、ストレートに描かれる依存症の問題

 実はカウリスマキは、2017年『希望のかなた』のプロモーション中に監督引退を宣言して、世界中のファンに衝撃を与えた(わたしもその一人)。だが、それから6年を経てこの『枯れ葉』で復帰(ファンとして快哉を叫んだ)。

しかも中年男女のラブ・ストーリー。見る前からうら悲しさが満載で、でもきっと独特のユーモアで人生の悲哀を見せてくれるのだろう。楽しみすぎる。

公開されてすぐに映画館に走ったところ、「ザ・カウリスマキ」といった作品だった。

個性的な俳優陣の配布、独特の抑制の効いた「引き算」演出、研ぎ澄まされたセリフの面白さ、計算され尽くした精緻な画面構図、絵画のように美しい映像、相変わらずのテンポの良さ、展開の意外さ……。

ロシアによるウクライナ侵攻、医療機関が爆撃されるシリアといったずっしり重たい社会情勢も、これ以上ないさり気ない演出で劇中に組み込まれている。カウリスマキの手にかかると痛ましい現実も、かくも美しくファンタジックに届いてくるのか……唸る。

カウリスマキファンのわたしが、予想すらせず、かなり驚いたのは、物語の主軸にがっつり「アルコール依存症」があったことだ。カウリスマキ作品でも、ここまでお酒の問題をストレートに描いた作品はなかった気がする。

 とはいえ、のっけから酒場のシーンが出てきて「飲む」シーンが多い。なのに最初はすっと流してしまっていた。公式サイトのあらすじ紹介にも「ホラッパは酒に溺れている」と書かれているのに。

エンドロールの最後まで見て映画館を出ると、すぐにSNSで感想を検索したのだが、「アルコール依存症」について強く言及される呟きはそう多くはなかった。なぜだろう……。

「枯れ葉」 © Sputnik 同僚と行くのはもっぱら酒場

真夜中に降り積もる雪のように、静かに静かに酒を流し込む姿のリアル

例えば、酒乱のような人物が飲んで暴れる悲惨なシーンが描かれるバイオレンス要素の強い映画だと、当然のように酒に嫌悪感を抱き、生理的に批判したい気持ちが出る。だが、『枯れ葉』では酒絡みの暴力的な演出がほとんどない。

カウリスマキ特有の「引き算演出」が、アルコール依存症の描き方にも反映されているのかもしれない。

同時に、初めて腑に落ちた気がしたのだ。依存症になるほど飲んでしまう、お酒が片時も離せないような人は、こうして真夜中にしんしんと降り積もる雪のように、静かに静かにひっそりと飲むのかもしれないということが。

快楽を求めてお酒を飲むのではない、痛みを忘れるため、苦しさや痛みの感覚を鈍麻させるために飲む。人知れず、こっそりと流し込むように。お酒を楽しむのではない、飲まなければ生きていられない。だからアルコール依存症者になってしまう。

ホラッパが同僚に「なぜ酒を飲み過ぎるのか」と尋ねられるシーンがある。

「ウツなんだ」

「なぜウツなんだ」

「酒を飲み過ぎるからだ」

人によっては笑ってしまうような、禅問答のようなやり取りだが、アルコール依存症者のリアルを見るようでもあった。多くの当事者が「そのとおりだ」と共感したのではないだろうか。

垣間見える「孤独」。かつて30年間毎晩飲んできたわたし自身もその「孤独」には覚えがある。誰にもわかってもらえないような、自分でもわからないようなさみしさ、絶望感。当事者の気持ち。

対して、アダルトチルドレン的な告白、自助グループといった言葉も出てくるし、共依存に対するカウリスマキの見解がビシッと伝わってくるような場面もある。アルコール依存を、当事者と支援者の双方から描いた作品とも感じた。

近しい人間として、どう関わるか、関わらないのか。とてもむずかしいところだが、参考になるエピソードが描かれている。「待つ」ことについては、その静けさに心が揺さぶられた。

ミドルエイジのシングル、非正規雇用の男女が主人公 

簡単にあらすじを添えておきたい。主人公は中年男女、ホラッパとアンサ。

「枯れ葉」 © Sputnik アンサ(左)もホラッパもシングルの非正規雇用労働者

ゼロ時間雇用契約で働くアンサは、ある日、理不尽な理由から仕事を失う。質素に暮らす、ごくごく普通の一市民なのに、すぐに職を探さねば食べるものにも事欠くという状況で、職を得るためには女性とはいえ肉体労働も厭わない。かなりグレーな酒場の皿洗いだってやる。それぐらい職がない。

ホラッパは、工事現場で職人として真面目に働いているが、仕事中にも酒を飲んでいて、何度か失態を犯す。バレては失職。場当たりで職を得るという暮らしぶり。前述したようにお酒の問題が人生に大きく関わっている。

ホラッパもアンサもミドルエイジのシングルで、非正規雇用。日本で暮らすフリーランスのわたしも、どこか共感を抱いてしまう不安定な生活だ。

そんなふたりが、ヘルシンキのカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないまま惹かれ合う。

おお、きたきた。胸がぽっとなるラブストーリーが展開するのかと、のぞき見でもするように見守っていると、序盤から伏線が張られていた深刻な問題が二人の恋路に立ちはだかり、さらには不運な偶然が彼らを引き離してしまう。運命やいかに……。

犬好きの人は今作も必見です。音楽もカウリスマキ好きのツボをつきまくって、じわる。

「枯れ葉」 © Sputnik

主演のホラッパ(ユッシ・バタネン)とアンサ(アルマ・ポウスティ)は、国内で大きな役を数多く演じるフィンランドの観客なら誰もが知る俳優なのだそうだ。

ユッシさんは長身で寡黙なタイプ。アルマさんは小柄で芯が強そう。日本だと松重豊さんと小林聡美さんのようなイメージだろうか(やっぱりヘルシンキには小林さんがよく似合う)。

カウリスマキ特有の、リアルなのかファンタジーなのか、絶妙の境界を行き来する映像と内容のラブ・ストーリーは、第76回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。「ル・アーヴルの靴みがき」(2011)に次いで、カウリスマキ監督のキャリア史上2番目の大ヒットとなった。

そうそう、ヘルシンキといえばシナモンロール!

『かめも食堂』で登場して以来、北欧風カフェの定番にもなっているけれど、『枯れ葉』でも出てきます。

お酒をやめてすっかり甘党になったわたしは、『枯れ葉』を見ながらもれなくシナモンロールが食べたくなった。「シナモンロール」という響きがもう素敵じゃないですか。

アルコール依存症のホラッパが、いつかシナモンロールを求めてカフェに行くことがあるのだろうか。そんなことも楽しみにご覧ください。
(おわり)

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