大麻の成分「THC」は悪なのか? 医師が考える本当の姿
サントリーHDの会長だった新浪剛史氏が辞任に追い込まれた大麻由来サプリメントの問題。大麻に含まれる陶酔成分、THCが話題になりましたが、危険な成分と決めつけていいのでしょうか?医師が解説します。

公開日:2025/09/10 08:03
サントリーHDの会長を辞めさせることになったTHC
2025年9月3日、サントリーホールディングスの会長だった新浪剛史氏が突然の辞任を発表しました。これは氏が日本の規格に適合しないCBD製品をアメリカから個人輸入した疑いで福岡県警の家宅捜索を受けたことの責任を問われた形となります。ワイドショーなどの報道ではCBDに加えて、大麻に含まれる陶酔成分である「THC」というワードに大きな注目が集まりました。
皆さんはTHCという言葉を聞いて、どんなイメージを持ちますか?
多くの方にとっては「違法」「危険」といったネガティブなイメージが浮かぶのではないでしょうか。ニュースや教育でも、THCは「悪」として語られることが一般的です。
しかし医師として研究や国際的な医療現場の動きを見ていると、THCを単純に「悪」と決めつけるのは正しくないように感じます。
日本の法律での扱い
日本の法律では、1948年に大麻取締法が制定されて以降、大麻とその主成分であるTHCは医療使用も含めて全面禁止とされてきました。
これは覚せい剤やモルヒネなどのオピオイド系鎮痛薬よりも厳しい扱いです。この厳格な規制は戦後アメリカの影響を強く受けた歴史的経緯によるものです。戦前の日本では大麻は繊維や薬として使われていましたが、戦後は「違法ドラッグ」として一律に排除され、“ダメ。ゼッタイ。“の対象として悪魔化されてきました。
その後、2023年の大麻取締法改正によりTHCは「麻薬」に分類されました。これにより、医療目的での使用は医薬品としての正規の承認プロセスを経た場合、医師の監督下で可能となりました(2025年時点で国内承認された大麻由来の医薬品は存在しません)。
ですので、THCや大麻は厳密には“本邦未承認の医薬品“ということになります。しかし残念ながら、メディアや人々の意識は従来のままのようです。
【参考】https://www.researchgate.net/publication/392531836_How_Has_Japan's_Cannabis_Control_Act_Been_Amended
医療的な効果
国際的にはTHCを含む処方箋医薬品(サティベックス・ドロナビノール等)が承認されています。病院で処方される適応症は以下の通りです。
- 吐き気を抑える(抗がん剤治療の副作用に有効)
- 食欲を増やす(がんやエイズに伴う体重減少を改善)
- 筋肉のこわばりを和らげる(多発性硬化症など)
また処方箋医薬品に加えて、THCを含有する大麻草そのもの(乾燥花やオイル抽出物)を医療用に使用する制度を整えている国が増えています。どのような病気や症状に大麻が使えるのかは国や地域毎に様々ですが、以下に代表的な適応症を挙げます。
- 慢性疼痛 がん性疼痛、神経障害性疼痛(帯状疱疹後神経痛、糖尿病性神経障害など)、線維筋痛症。
- がん治療関連症状 抗がん剤による悪心・嘔吐、悪液質(体重減少・食欲不振)。疼痛緩和。
- 神経疾患 てんかん(特にドラベ症候群、レノックス・ガストー症候群など難治性てんかん)、パーキンソン病、アルツハイマー型認知症。
- 精神症状 PTSD(心的外傷後ストレス障害)の悪夢・過覚醒、不安症状。
- 消化器疾患 クローン病や潰瘍性大腸炎など炎症性腸疾患による疼痛や下痢の緩和。過敏性腸症候群。
- 緩和ケア領域 末期がん患者や終末期疾患におけるQOL(生活の質)の改善。
このように、大麻草そのものを医療で活用している地域では、「痛み・吐き気・不安・食欲不振」といった患者の生活を大きく損なう症状の緩和を目的として使われています。大麻は「処方箋医薬品」だけでなく「植物そのもの」としても医療資源として認められているのです。その際の主成分はTHCであることを忘れてはなりません。
(2021年時点におけるアメリカの州別医療大麻適応疾患一覧)
依存性と乱用の問題
大麻やTHCに関して、「依存するから危険」という声は根強いですが、冷静にデータを見る必要があります。
アメリカの大規模調査では、大麻使用者の8.9%が依存に至るとされています。同じ調査におけるアルコールの最終依存率は22.7%、タバコは67.5%です。さらに、我々が実施した日本国内の調査でも「依存の可能性がある人」は9%未満であることが報告されています。
つまり、THCは「ゼロリスク」ではありませんが、アルコールやタバコに比べれば依存性は低いのです。医師として言えるのは、「逮捕して人生を壊すほど危険な物質ではない」ということです。むしろ科学的な知見に基づき、正しく管理しながら利用すべき対象だと考えます。
(薬物の依存性についての大規模試験であるNESARC Studyの結果。大麻、アルコール、ニコチンの依存率を同じ基準で比較したところ、大麻の依存性は低いことが示された)
【参考】https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/cannabis-online-survey-1
「ハイ」になることは本当に悪いことか?
THCは気分を変える作用を持つため、「ハイになる=危険」とされがちです。
しかし、実際にはその精神作用を「治療的な癒し」として捉えている人も少なくありません。強い痛みや不安に苦しむ患者さんにとっては、リラックスや気分の高まりが「生活の質(QOL)」を改善する効果を持つことがあります。緩和ケアの現場でも、THCによって「最後まで食欲を取り戻せた」「音楽や散歩を楽しめるようになった」という報告が存在します。
さらに、日本で行われた大麻使用者64人への質的インタビュー研究(Drug Science, Policy and Law誌に2024年掲載)では、「ハイになる」ことが必ずしも快楽追求だけではないという実態が明らかになりました。
インタビューで見えてきた実態を挙げてみましょう。
- 生きづらさからの自己治療
いじめや職場での孤立、精神疾患などで苦しんでいた人が、大麻をきっかけに気分の改善や安心感を得ていた事例が複数報告されています。ある女性は「精神薬では効かなかった症状が大麻で和らぎ、生きていける気がした」と語っています。
- 創造性や集中力の向上
音楽や食べ物の感覚が研ぎ澄まされる、映像編集の仕事でより細部に気づける、といった声もありました。「ハイ」な状態を通して、創造性や感受性を高め、日常生活や仕事に役立てている人もいたのです。
- 処方薬やアルコールの代替
精神安定剤や睡眠薬を乱用していた人が、大麻を使うことで薬の使用をやめられた、という証言もありました。アルコールに頼るよりも副作用が少なく、生活が改善したと述べる人もいました。
- コミュニケーションやリラックス
内気で人との会話が苦手な人が「自然体で話せるようになった」と感じたり、育児や生活のストレスを和らげるために使用している例もありました。
この研究は、日本社会で根強い「大麻使用者=意思が弱い・反社会的」というイメージと大きく異なる実像を示しました。多くの使用者にとって「ハイになる」ことは、単なる娯楽ではなく、生きづらさを乗り越えるための手段、自己治療の一形態であることが浮き彫りになったのです。
また、研究参加者の多くは「大麻で最も大きなリスクは違法性そのものであり、健康被害ではない」と答えていました。逮捕や社会的制裁こそが、彼らを追い込む最大の要因であるというのです。
世界の流れ
先進諸国を中心に医療大麻の解禁は広がり、およそ50の国で使用可能となっています。これらの国の意向を追認する形で2020年、国連は大麻とTHCを「最も危険な薬物リスト」から外しました。さらに一部の国では嗜好用まで合法化する流れが広がっています。
- カナダ:2018年に国全体で合法
- ドイツ:2024年に嗜好用を一部合法化
- アメリカ:州ごとに合法化が進み、連邦レベルでも規制緩和の議論中
一方、日本やロシア、中国、アフリカ諸国では「THCは悪」という固定観念にとどまっています。大麻に対してどのような姿勢を取るかというのは先進諸国と後進国を区分する一つのリトマス試験紙となっているのが現状です。
(2020年の国連麻薬委員会に参加した53カ国のうち、どの国が大麻の規制緩和に賛成・反対したかの一覧。いわゆる先進諸国のうち見直しに反対したのは日本だけであることがわかる)
https://drive.google.com/file/d/1Vdq8HsBx6cQLWmoaArI4SQ-tJ_gZiawy/view
https://www.greenzonejapan.com/2020/12/05/cnd_vote/
微量THCを排除する現行法の問題点
2023年の大麻取締法改正の際に、CBD製品に微量含有されるTHCの上限値が政令で規定されました。この値は製品の剤型毎に3区分に細分化され、ドリンクが0.1ppm、粉末原料やオイルが10ppm、その他は全て1ppmとされました。
これは諸外国で流通する製品全般が抵触する厳しい値です(2000-3000ppmが欧州やUSの基準です)。
法改正以前には200ppm前後の製品が輸入可能であったことを考慮すると、規制強化と言えるでしょう。海外からのCBD製品の並行輸入が実質的に禁止され、日本独自の製品製造が必要となりました。
厳しいTHC閾値はCBDを始めとしたカンナビノイド製品の薬効に関しても負の影響を与えます。大麻にはCBDとTHC以外にも100種類以上の微量成分が含有されており、CBD製品の薬効というのは実は、THCを含むこれらの様々な成分のハーモニーとして成り立っているからです。これは専門用語でアントラージュ効果と呼ばれています。
厳しすぎるTHC基準値に適合させるためにCBDを精製すると、それ以外の微量成分も失われてしまいます。基準値の設定に際してはパブリックオピニオンの公募が行われ、同時期に有志の患者さん達から55000件を超える署名が集まりましたが、結局民意は政策に反映されませんでした。
この諸外国とのギャップが、今回のサントリー会長退任事件の原因となっているのです。
(Change.org上の署名サイト)
https://www.mdpi.com/1424-8247/17/11/1543?utm_source=chatgpt.com
https://change.org/490103344tw
おわりに —— THCをどう見るべきか
THCには依存性や副作用といったリスクが存在することは事実です。
しかし、それはアルコールやタバコと同等かそれ以下です。むしろ、「逮捕に値するほどの危険性は科学的に乏しい」というのが現実です。
医師として言いたいのは、THCを「悪」と決めつけて排除するのではなく、「人を助ける可能性を持つ薬」として正しく向き合うべきだということです。社会全体で科学的な視点に立ち、恐怖ではなくデータで議論できるようになることを願っています。