パチンコにハマって膨らみ続けた借金…六角精児が主演映画撮影中も「家なし生活」を続けていたワケ
ギャンブル好きとして知られている俳優の六角精児さん。実は六角さんは主演映画撮影中も「家なし生活」を続けていました。

公開日:2025/03/06 03:43
小学生時代から「ギャンブル好きの素質」あり
ーーギャンブル好きとして知られる六角さんですが、初めてギャンブルをやったのはいつ頃のことでしたか?
小学校2年生か3年生の頃じゃないですか(笑)。駄菓子屋さんで、くじ引きみたいなものがあるでしょう?それを引くのがもう本当に楽しくてね。厳密にはあれをギャンブルとは呼ばないとは思うのですが、やっぱりギャンブル好きの素質は持っていたのだと思います。
当時は親の財布からお金をちょろまかしたこともあります。「依存していたのか」は分かりませんが、我慢できませんでしたね。
その後もお小遣いの範囲内でコインゲームをやるようになりました。当時は数字が揃うとコインが大量に出てくるスロットマシンのようなものがあって、とてもドキドキしたのを鮮明に覚えています。

ーーパチンコを始めたきっかけは。
友達に連れられて、近所のパチンコ屋へ入ったのがはじまりでした。
そこで景品をいただくと、偶然その景品を買ってくれる店が近くにあるーー。そこへ景品を持ち込んだら、本当にお金に換えてくれたんで、これはすごいなと(笑)。
ーービギナーズラックで大当たりといったことではないのですね。
僕の場合はそこまで勝つこともなかったんです。だけど、玉が入ると鬼の金棒が3回動くといった仕組みに魅了されましたね。
そのゲーム性しかり、景品を買ってくれる店が近くにあるという「幸運」しかり、徐々にハマっていきました。
ーーパチンコ以外の競馬や競輪といった公営ギャンブルもお好きですよね。
はい。ただ、やっぱり僕の場合「依存しているな」と思うほどにハマってしまったのはパチンコなんです。もちろん競馬や競輪も好きだけど、街中を歩いていてフラッと入ることができる、その気軽さが自分にとっては一番危ない。
競馬や競輪も今ではオンラインで賭けることができますが、ハマりはじめた当時はありませんでしたし、場外馬券場なども身近な場所にはありませんでした。だから、競馬や競輪で遊ぶ時は「ギャンブルとして」やっていたのですが、パチンコはちょっと違ったんです。

たしかに賭けている金額だけを見れば、競馬や競輪もそれなりです。とはいえ、競馬や競輪については「今日は行かないぞ」「今日はやらないぞ」と決めれば、距離を置くことができる。でも、パチンコは違う。「今日は行かない」「今日はやらない」と決めても、街を歩いていればそこら中にパチンコ屋があって、僕のことを誘惑してくる。
「絶対にやらない」「もうやめよう」という自分との約束を、何度破ったか…やっぱりやめられない。だからね、これは完全な依存だと思っています。
借金膨らみ立ち行かない生活、それでもパチンコ屋へ
ーーこれまでで一番多くの時間を費やしているのは、やはりパチンコですか?
はい、日数で換算すれば、やっぱりパチンコが一番だと思います。
ーー最もハマっていた時は1回あたりどれくらいの金額をパチンコで使っていましたか?
あればあるだけ使っていました。そしてお金がなくなれば、誰かから借りてやっていた。自分の身の回りの物を売ってお金を用意したこともありました。
パチンコではありませんが、妻の祖母の簡保の積立金を全部競輪に使ったこともありました。結局2日くらいで使い切りましたね。本当に一瞬でなくなりました。

ーー消費者金融などからの借金もあったのでしょうか?
消費者金融からお金を借りることになった直接的なきっかけは、パチンコというよりは他のギャンブルでした。とはいえ、もう誰からも借りれなくなっていたのはパチンコの影響もあったので、無関係だとは言い切れません。
ーー色々なギャンブルをやる中で、借金が膨れ上がっていった。
当時は全国の競輪場や競艇場に行って賭ける「旅打ち」をやっていました。全国ほとんどの競輪場や競艇場に行ったんじゃないかな。
ーー最も辛かったのはいつ頃でしたか?
パチスロの4号機という機械がリリースされた頃が、一番大変だった気がします。当時はちょうどドラマ「相棒」の仕事が始まった頃でした。人から借りたお金や消費者金融などから借りた借金が膨らんでいって、返済もかなり自転車操業でした。そんな状況でもパチンコ屋に行ってはパチンコをやって、少しだけ残っていた生活費すら失ってしまう。だから、もう生活が立ち行かない。
ある時、もうこれ以上お金を借りられないようにしたんです。でも、そこからが大変でした。どこからも借りられない中、借金は返し続けなければならない。そんな状況でもパチンコにお金を使ってしまっていましたから。
でも、これって僕だけじゃないと思うんです。どれだけギリギリの状況になっていても、パチンコをやってしまう。お金が失くなっても、どうにかして手に入れて、さらに突っ込んでしまう。次第に家族や友人に迷惑をかけ始めると、「ダメ人間」というレッテルを貼られてしまう。パチンコ屋に行けば、僕と同じような状態の人がいっぱいいるんですよね。

4年続いた「家なし生活」
ーー40歳を過ぎた頃、家がなかった時期もあったそうですね。
はい。新しい所帯を持ったけど、すぐに離婚して。当時は横浜に住んでいたのですが、そこから東京の撮影所には通いづらい。知り合いの家によく泊まらせてもらっていたので、横浜に住んでいた家を思い切って引き払って、行きつけの飲み屋の親父さんの家の2階に間借りをしたんです。
ーー居候生活ですね。
結局4年くらい、そうやって居候をしていましたね。
俳優の仕事が忙しくなった時期とも重なっていたので、6畳1間の間借り暮らしはなかなかに大変でした。
主演映画の撮影をしているのに、主演俳優の自分には家もないーー。そんな状態でしたね。
ーー周囲の方々は、六角さんが居候生活をしていたことをご存知だったのですか。
知っていた人もいますが、知らない人の方が多かったと思います。別に隠す必要もないけど、自分から周りに話すようなことでもないですから。
部屋を貸してくれた飲み屋の親父さんには、感謝してもしきれませんね。本当に辛い時期に助けてもらいました。
(続く)