Addiction Report (アディクションレポート)

「ストロング系」缶チューハイを1日30本 アルコール依存症を認めたラッパーが伝えたい思い

新潟市を拠点に活動するラッパーUSUさんは4年前まで、アルコール度数が9%ある「ストロング系」の缶チューハイを1日30本前後飲んでいました。連続飲酒に陥る中、妻子に去られ、音楽を失い、孤独の中で死すら頭をよぎりました。そんなUSUさんが、アルコール依存症に向き合うきっかけとなる出来事がありました。

「ストロング系」缶チューハイを1日30本 アルコール依存症を認めたラッパーが伝えたい思い
新潟市を拠点に活動するラッパーのUSUさん=USUさん提供

公開日:2024/06/26 02:00

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4年前まで連続飲酒の日々が続き、水すら体が受けつけなくなっていた。それでも果物風味の「ストロング系」の缶チューハイだけはのどを通った。コンビニエンスストアで1日数回、まとめ買いして痛飲する。それがラッパーのUSUさん(43)の日課だった。当時はすべてを何かのせいにしていた。音楽のせい、人間関係のせい…。アルコール依存症であることを認め、酒を断つ決意をした今、同じ苦しみと闘う仲間たちに届けようと音楽を作り続けている。(朝日新聞記者・茂木克信)

自己顕示欲で曲を作り続ける

20歳の頃に新潟市で本格的に音楽を始め、間もなくヒップホップグループでデビューした。初のシングルは地元テレビ局の音楽番組のランキングで、同じ週にリリースされた平井堅の「大きな古時計」を抑えて1位に輝いた。05年に自身がリーダーとなって新たなグループを結成したのに続き、07年にはソロでもデビューし、新潟のヒップホップシーンの顔的な存在へと上っていった。

ステージに立つUSUさん=USUさん提供

それでも心は満たされなかった。仲間の中から、ヒット曲「春夏秋冬」で知られる「Hilcrhyme(ヒルクライム)」らが全国的に売れていった。「お前、ラッパーとして負けてるじゃん」「USUさん、Hilcrhymeに負けてますね」。音楽関係者や地元の先輩、後輩に散々言われた。その度に心の中で叫んだ。

「うるせえよ。音楽は勝ち負けじゃないだろ。大事なのは売り上げじゃないだろ」

「そもそも、闘っているのは俺だぜ」

でも、今はわかる。「やっぱり自分もどこかでうらやましさとか、嫉妬心とか、そういうのがあった。負けないようにしようとなったときに、メジャーで活躍している人たちに負けないくらい曲を作ろうと思ったんですね」

自分をけしかけるかのように、毎年のようにアルバムを出した。15年には3枚出し、初のワンマンライブを新潟と東京・渋谷で開催した。

「どうだ、俺はこんなにやってんだよ。何でお前ら、評価してくれないんだよ」

そんな無理は長く続かなかった。心が壊れてしまった。

増える酒量、壊れる人間関係

酒は元々好きだったが、時とともに量が増えていった。

土曜の夜は仲間のアーティストとクラブイベントをやっていた。会場で酔っ払って、後輩に絡むようになった。

「おいお前、調子に乗るなよ。酒を飲めよ」。仲間から敬遠されて出番が減ると、出演予定のないイベントにも顔を出した。「何だよ、こんなイベント。俺がいないからつまんねえんだよ」。そんな暴言まで吐いた。

先輩からは「何でお前、そんなダサくなったんだ」と怒られた。でも「何がダサいんですか。こんだけ頑張ってきたじゃないですか」と突っ張った。

スポットライトを浴びて歌うUSUさん=USUさん提供

ひとしきり暴れた後、日曜の早朝にアパートで目を覚ますと、全く記憶が無い。後ろめたさをごまかすかのように、また酒を飲んだ。

土曜の振る舞いは、後から聞かされた。「USUさん、あの人に絡んでましたよ」「ぶん殴ってましたよ。やばいっすよ」。そんな言葉にも罪悪感は感じなかった。「いや、しょうがねえよ。酔っていたんだし。大目に見ろよ」。そうして人間関係が壊れていった。

「お前、アルコール依存症だよ」「酒をやめなよ」。心配してくれる人が敵に見えた。怒りすら覚えた。「お前だって飲んでいるだろ。なんで俺だけやめなきゃいけないんだよ」。

次第に酒が最優先になった。生活費まで酒に使うようになった。

「誰かが金を貸してくれるんじゃないか」「パチンコに行けば当たるかも」「コンビニのトイレにお金が落ちているかもしれない」…。都合のいい妄想をしては飲んだくれた。自分でもおかしいことに気づいていたが、どうにも止められなかった。

妻は幼い息子を連れて出ていき、離婚した。家賃を滞納してアパートを追い出された。新潟市内の実家の離れに転がり込み、親に隠れて1人で飲み続けた。

泥酔した勢いで引退を宣言

酒の味を楽しみたいので、目が覚めるとまずビール。続いてハイボールを4本くらい空ける。酔ってくると酒の味はどうでもよくなるので、「ストロング系」を8本くらい空ける。酔って寝落ちしても、2、3時間して酒が抜けてくると吐き気に襲われて目が覚める。再び酒を飲むと吐き気が収まるので、楽しくなってまた飲んで寝落ちした。それを何度も繰り返した。歩いて3分ほどのコンビニエンスストアに一日4、5回行き、酒を買い求めた。

18年5月、別れた息子の誕生日に会う約束をしていた。だが、前日まで飲んでいて、「具合が悪い」と断ってしまった。別れた妻には「どうせ酒を飲んでいるんでしょ」とあきれられ、それから連絡が取れなくなった。

あれほど作っていた音楽も湧いてこなくなった。酔っ払った頭で思った。

「未練を抱えていても、上にはいけないよ。毎日飲んで、吐いて、倒れて。もう音楽なんてできないよ」

同年9月17日午後6時29分。数カ月前から用意していた文面を、ついにツイッター(現X)に投稿した。

アルコール依存症と向き合うラッパーのUSUさん=USUさん提供

「USUは引退させていただきます。死にものぐるいで突っ走ってきた音楽。誰かのためにやってきたわけでもなく。この街のためにやってきたわけでもなく。自分がヒップホップだし、自分が好きだから。

ただそれだけのために。自分が好きな自分になれない。全力で走れなくなってしまった。ありがとう。そして、さよなら」

寝落ちして目を覚ますと、2千件もの反応があった。投稿したのを覚えていなくて、まずは「ああ俺、引退したんだ」と思った。次に、多くの人が反応してくれたことがうれしくて、「俺って忘れられなかったんだ」と喜んだ。そして、また飲んでいた。

その後、色んな人から「何でやめたんだ」と言われた。相談せずに勝手にやめたことを責める電話もきた。

「何でやめたんだろう」と後悔が始まった。でも、引退を撤回するのは「くそダサえな」と思ってできなかった。

本気の「別れるよ」で観念

さらに酒におぼれた。ソファに腰掛け、キュウリの漬物やわずかな柿の種以外はほとんど何も口にせず、酒を飲み続けた。腹水がたまり、お湯や水を飲んでも吐くようになった。ビールやハイボールでさえ体が受けつけないのに、果実風味の「ストロング系」はのどを通った。「ストロング系」ばかり1日30本前後飲むようになった。

脱水症状で体はしびれ、何かにつかまらないと歩けなくなった。何のために生きているのかわからず、「もう殺してくれ」「死んでもいい」と口癖のように言っていた。首にタオルやベルトを巻き、ソファの角にかけてみたこともあった。でも、死ぬ勇気がなかった。

新潟市を拠点に活動するラッパーのUSUさん=USUさん提供

新たに交際を始めた会社員の良実さん(42)は、最初は一緒に酒を飲んでいた。酒を買ってきてくれたり、金を貸したりしてくれた。でも、さすがに飲み方がおかしいと気づいた。20年5月、良実さんに勧められて別れた息子の誕生日に、アルコール依存症などを専門とする市内の精神科病院に初めて行った。

2週間くらい酒を絶って体調が回復すれば、また飲める。そんな軽い考えだったので、病院に行った成果はなく、すぐに連続飲酒の状態に戻った。回らない頭で思った。

「何で俺だけ、こうなったんだよ」「家族と別れたからだ。息子と会えなくなったからだ」「音楽をやめたからだ。いや違うな。音楽をやったからだ。ああ、どこで間違ったんだよ、俺の人生って」…。悔いを忘れるために、さらに飲み続けた。

同年8月、緊急搬送された病院で、医師から「このままでは死にますよ」と言われた。

良実さんはしびれを切らした。携帯電話代が払えなくなり、金を借りようとしたUSUさんに言った。「病院に行かなかったら、もう知らない。別れるよ」

本気さが伝わってきた。このまま捨てられたら生きていけないと思った。観念した。

同年10月15日、再び市内の精神科病院に行った。この日から、今も続く飲酒欲求との闘いの日々が始まった。

よみがえった音楽、挑戦は続く

最初はきつかった。実家の離れで1人で離脱症状に耐えた。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の幻覚が見え、汗が止まらず、三日三晩寝られなかった。それが過ぎると、果物の味がついたゼリーをかろうじて飲み込めるようになった。2週間ほどすると、体から酒が抜けたと感じられるようになった。すると、かれていた音楽がよみがえってきた。

音楽業界に復帰しようと決意した。迷惑をかけた仲間や先輩に謝罪し、21年1月、シングルを発表して復帰した。5月には良実さんと結婚し、10月には長男・優樹君を授かった。

魂を込めて歌うUSUさん=USUさん提供

作る音楽は変わった。以前多かった「俺はすげえぞ」などと強さを誇示する歌詞は、極端に減った。飲酒欲求に日々さいなまれ、家族や仲

間の存在があって何とか踏みとどまれている。そんな姿をありのままにさらけ出している。

「今の俺の音楽は、幸せな人には届かないと思う。アルコール依存症に苦しんでいる人に、一番届いてほしい。そして、そこから抜けられるんだということをわかってもらいたい」

今月30日には、昨年5月以来となるワンマンライブを新潟市中央区のライブスペース「NIIGATA LOTS」で開く。そのポスターを掲示してもらおうと、かつて「ストロング系」を大量に買い込んでいた実家近くのコンビニエンスストアを訪ねた。すっかり顔なじみのオーナーの女性は「立ち直ったね」と言い、喜んでポスターを受け取ってくれた。

会場はこれまでより一回り大きい。それでも通過点に過ぎない。次は、より大きな新潟県民会館をめざしている。挑戦を続けたい。多くの人に伝えたい思いがある。

「必ず人生は変わる。どこまでもはい上がれる。俺だってできたんだから」

6月30日のワンマンライブのポスター=USUさん提供

【USU(ウス)】 ラッパー

1980年1月生まれ。新潟市で音楽活動を始め、2002年にヒップホップグループ「HIGH de CREW」でデビュー。全国のラッパーが腕を競うMCバトルでも次々と結果を残した。05年、自身がリーダーとなって新たなグループ「NITE FULL MAKERS」を結成し、07年にソロデビューを果たす。アルコール依存症に陥ったことで18年9月に引退を宣言したが、21年1月にシングル「Too Late」で復帰した。以後、音楽活動のほかアルコール依存症と向き合う日々を、自身の X インスタグラムで発信している。24年6月22日、9枚目のアルバム「SPEND IT ALL」をリリース。同月30日のワンマンライブの前売り券は4000円、当日券は4500円(別途ドリンク代500円が必要)。チケットの予約はUSUさんにメール([email protected])で。

コメント

3ヶ月前
よっしー

依存症という病の苦しみやもどかしさが伝わってくる

大切な人との出会いを真剣に思えたからこそ立ち直る勇気が持てたのでしょうね

人それぞれきっかけは違えど こうやって必死で立ち直り、仲間のために発信し続ける姿は 多くの依存症で苦しむ人の希望になる

かっこいいです!

3ヶ月前
さはら

かっこいいです。

3ヶ月前
エミ

ここで捨てられたら生きていけないと思った

生きていけるかいけないかのところにならないと人間本気になれない。

私も今それを実感しています。

ありがとうUSUさん。

3ヶ月前
はな

依存症という病の苦しみ、深刻さ、一筋縄ではいかない回復への道のり…。

知れば知るほど、もどかしくて辛い。

でもその先にある希望を見える形にしてくださったのが、こうして回復し続ける方たちの姿。

リカバリーしていく方の姿が、私を生かしてくれているように感じます。

USUさん、応援してます!

3ヶ月前
みこ

USUさんのかつての苦しみが伝わってきました。

大変な苦しみを乗り越えて、今、USUさんが生きていてくださって、うれしいです!

人生って難しいこともたくさんありますけど…私も私なりにがんばってみます。ありがとう!

3ヶ月前
キャサリン

「必ず人生は変わる。どこまでもはい上がれる。俺だってできたんだから」

いろいろな分野でリカバーする姿を見せてくれる人がいることが、どんなに今苦しんでいる人の希望になることだろう。

ダイレクトに思いが伝わるラップで、同じようにアルコールの依存で苦しんでいる人を救う、いいなあ、すごいなあ。

回復のきっかけはそれぞれだけど、誰に出会うか、ほんとに大事ですね。

USUさんのXでの発信、いつも楽しみにしています。

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