「ダメ。ゼッタイ。」広報映像、制作の裏側 ─ 26歳監督が模索した「当事者との約束」
2025年、「ダメ。ゼッタイ。」普及運動の広報映像に、不思議な温かみを持つ表現が生まれた。
もともとこのスローガンには、「強い言葉による全否定が『薬物を使う人は人間失格』『後戻りできない』という偏見を生み、当事者や家族を社会的に排除・孤立させてしまう」という課題が指摘されてきた。
しかし2025年の広報映像で見られたのは、彼らを遠ざけるような表現とは一線を画す、見る人にそっと寄り添うような変化だ。
手がけたのは、アニメーション作家・まるあかりさん(当時26歳)。
この若き表現者は、一体何者なのか。国の広報という大きな役割の中で何を考え、どのように広報映像を完成させたのだろうか。Addiction Reportは、話を聞いた。

公開日:2026/06/20 09:00
まるあかりとは何者か?——リビングにいた「お姉ちゃんたち」との幼少期

まるさんは、NHK「みんなのうた」のアニメーション制作などを手がけ、日本の「映像作家100人」にも選ばれる気鋭の若手クリエイターだ。
と同時に、実は幼少期から依存症の支援現場や当事者のリアリティに深く寄り添い続けてきた人物でもある。
彼女の母親は、10代・20代の生きづらさを抱える女性たちを支援する「BONDプロジェクト」代表の橘ジュンさん。
まだ公的なシェルターがなかった時代、まるさんの自宅のリビングには、家出をして物理的にも精神的にも傷だらけになった女の子たちが日常的に寝泊まりしていた。
彼女たちは、まるさんの両親には「死にたい」と苦しみを吐露しながらも、小学生のまるさんに対しては「ちょっと大人のお姉ちゃん」として接してくれた。そのギャップが、まるさんの心にずっと忘れられない記憶として残っている。
「問題児」「メンヘラ」といった乱雑な言葉では括れない、一人ひとりの優しいお姉ちゃんたちの姿が、確かにそこにあったのだ。
『私を見つけて find me』

まるさんは、依存症の当事者でも、当事者家族でもない。ただただ、生活の一部として女の子たちの隣にいつづけた「第三者」だ。
この原体験から、彼女は東京藝術大学大学院の修了制作として、依存症をテーマとしたドキュメンタリー・アニメーション『私を見つけて find me』を制作する。
「支援現場でも救いきれない、こぼれ落ちてしまう彼女たちのリアルな感情を描きたい」
この作品は、アジアデジタルアート大賞展FUKUOKA(2025年)で文部科学大臣賞を、第26回ニッポン・コネクション日本映画祭(2026年)でニッポン・アニメーション・ショート賞を受賞するなど高い評価を得ている。
上映後に作品を見た当事者から「見つけてくれてありがとう」と言われたことが、何よりも嬉しかったという。
ある意味、運命的なオファー
そんな彼女のもとに(公財)麻薬・覚せい剤乱用防止センターから連絡が来た。まるさんの作品『私を見つけて find me』を見て連絡をくれたのだという。
依頼内容は、2025年度の「『ダメ。ゼッタイ。』普及運動」の広報アニメーションの制作監督だった。
これまで当事者の痛みに静かに寄り添う表現を続けてきたまるさんにとって、このオファーはあまりにも対極に位置するものに思えた。
しかし、まるさんはこんな風にも感じたという。
「『ダメ。ゼッタイ。』というスローガンは今の時代に十分届いていないかもしれない、という課題感があったのでしょうか。代わりのスローガンがすぐに見つからないとしても、どうすれば本当に届く表現に転換できるのか、センターの方も懸命に模索していたように見えました」

静かに始まった挑戦
まるさんが取り組んだのは、単なる受注案件としての制作ではなかった。「ダメ。ゼッタイ。」の広報映像を、当事者の「居場所」を守りながら、本当に必要な人に届けるための、表現者としての挑戦だった。
アプローチを巡る議論の中で、関係者の考え方にもグラデーションがあることに気づいた。その中には、これまでのルールや「法秩序を守る」というそれぞれの立場ゆえに、善意ではあるだろうが当事者を追い込んでしまうように感じる意見もあったという。
関係者全員が納得する答えは、なかなか見いだせずにいた。

葛藤と対話の中で
度重なる議論の中で、まるさん自身も焦っていた。
現実の泥臭さを知るからこそ、「わかりやすい救い」や「形式的な希望」を描くことには躊躇があった。「この広報映像は完成しないかもしれない」と悩んだ時期もある。
依存症の専門家にも相談をしながら、センターや行政側と互いの「伝えたいこと」を粘り強くすり合わせていった。
対立ではなく、丁寧な対話と表現の力によってより良い伝え方を模索した。その模索に最後までつきあってくれたセンターにも感謝している。
そうして、2025年の広報映像が完成した。
守り抜いたまなざし——当事者の起用と回復の入口
「もし境界線の手前まで来てしまったとき、誰かに止められるのではない、自分の意思で戻るという選択を描くことで、戻ってこられたその場所にこそ、ほんとうの意味が宿るのではないかと考えました。明るい未来を提示するのではない。ぎりぎりのところで立ち止まり、かすかな回復の感覚のはじまりを描きたい」
まるさんは、この作品にあるひとつの演出を加えた。
「愛する自分を大切に。」というナレーションの声を、他ならぬ当事者の女の子に担当してもらったのだ。

強烈なプロ意識と切実な想いが、アニメーションに確かな温度を宿らせた。当事者のリアルな声だからこそ、上からの「説教」ではなく、優しく心に響く「呼びかけ」になった。
アニメーションに込めた想い
まるさんは当時、このアニメーションへの想いを次のように綴っている。
「『誰かと手を取り合えば救われる』といった直接的な描写ではなく『立ち止まること』や『誰かの痛みに静かに寄り添うこと』そのものにこそ小さな光があるということを、丁寧に描こうと努めてきました」
その信念のもとで作られたまるあかりさんのアニメーションは、今もどこかで境界線の上に立つ誰かの足元を、静かに、しかし確かな温もりで照らし続けている。

この話を聞いた日、筆者は自分の中にも「ダメ。ゼッタイ。」に関わる人への偏見があることに気がついた。
制度や組織の制約もあるだろう。考え方の違いも人それぞれだ。課題はある。それでも、人知れず「今できる最大限の模索」を重ねた人々がいる。
依存症のスリップのように、今後揺り戻しもあるかもしれない。だが、重ねた議論や挑戦が無価値になるわけではない。そのことは紛れもない事実であり、ここに記しておきたいと思う。
麻薬・覚せい剤乱用防止センター
「ダメ。ゼッタイ。」普及運動2025 広報映像
- Director: Akari Maru
- Compositor: Kana Fukudome(rhythmos)
- Music: Satsuki Kawamura
- Voice: she (anonymous)
- Client: (公財)麻薬・覚せい剤乱用防止センター
