Addiction Report (アディクションレポート)

「問題行動がおさまれば回復?」繰り返されるリストカット、OD、拒食——「自分を傷つける生き方」を続けてきた彼女が語る、「回復しきらない回復期」のこと

依存症を語る時によく使われる言葉「回復」。なぜ「治る」「治癒」と使わず「回復」なのか。そして「回復」について、当事者はどう考えているのか。一人の女性の回復の道のりから考えてみました。

「問題行動がおさまれば回復?」繰り返されるリストカット、OD、拒食——「自分を傷つける生き方」を続けてきた彼女が語る、「回復しきらない回復期」のこと
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公開日:2024/11/12 08:26

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行動嗜癖を含む依存症を語るうえで、「回復」という言葉は外すことができない。一般的に、病気の症状がおさまることを「治癒」と表現するが、依存症の治療ではそうした語彙の使用を避けてきた。

依存状態から脱することを、「治った・治ってない」「やめた・やめてない」の二元論では捉えきれないという理由もあるだろう。依存症においてその境界線は明確なものではなく、二つの極地の間を行ったり来たりする中で、行動が変容していくものだからだ。

もしくは、こうも考えられるかもしれない。「治癒」の主語は「病気」に限られるが、「回復」であれば、その主語にはあらゆるものが含まれる。それは「人からの信頼」かもしれないし、「身体の健康」かもしれない。または「家族関係」かもしれないし「自己イメージ」かもしれない。

二元論で語り尽くせない「回復」を、当事者自身はどう受け止めているのだろうか。その言葉が持つ広がりは、自身の心のうちではどんな姿となって現れるか。「回復」がキーワードとして支援職の中でも、当事者の中でも使われるようになった今、聞いてみたかった。

筆者は自傷行為に関する書籍の取材を通じて、元当事者の方々に直接話を聞く機会があった。取材前に、対象者に事前アンケートを行ったが、その質問紙にこのように答えてくれた人がいた。

「自傷行為単体ではなく、オーバードーズや摂食障害、性的逸脱、窃盗行為など、反社会的行為も行っていました」

自傷行為とOD、摂食障害が密接につながっていることは取材者として知っていたが、ここまで話してくれる人は珍しい。しかも、十数年続いていた自傷行為は今は止まっているという。今回は、そんな「自分を傷つける生き方」を続けてきた彼女との、「回復」についての対話を取り上げたい(ライター:遠山怜)

始まりは言葉にできない

「行き場のない怒りを自分で引き受ける感じですね」

インタビューの冒頭にそう答えてくれたのは、鈴木晶さん(仮名)だ。彼女は20代の頃のリストカットに始まり、手段を変えながら自分を意図的に傷つける行為を繰り返してきた。冒頭の言葉は、その始まりとなったきっかけを聞いた時に、彼女が口にした言葉だ。

そのあと、「そこまでいうとカッコつけすぎか」とすぐに訂正が入る。「カッコつけすぎ」と修正したのは、「不快な感情を身のうちに押し込めること」が、晶さんにとっては当たり前のように行われていたことだったからかもしれない。

「ショックなことが起きたり、傷ついたり、無力感を感じた時に、人に言うのは怖いから。自分でどうにかした方が、自分も傷つかない。嫌な気持ちになった時、昔から自分の手を引っ掻いたりしていた気がするけど、いつからだろう?」

晶さんの両親は早くに離婚している。母親はすぐに再婚したが、晶さんは義父と反りが合わなかった。高校も不登校になりそのまま中退。家にも学校にも馴染めなかった彼女は、10代後半の若さで結婚し、居場所を得るが関係はすぐに破綻。それまではまだらに現れていたにすぎない「自分を傷つける行為」が、はっきりとした形で顕在化し始めたのは、その頃だったという。

「自傷行為がだんだん止まらなくなってきて、結局やっていけなくなって離婚して実家に戻ったけど、義父とは犬猿の仲。子どもの頃はいい子として我慢できていたけど、大人になってからは抑えが効かなくなってた。これまではスルーできていたこと、自分に強いていたことが、もう全部耐えられなかった」

入院で仲間と出会い、症状はエスカレート

一度きちんと休んで療養させようという話になり、両親はパーソナリティー障害専門医のいる病棟への入院を決めた。晶さんいわく、2000年代頃の当時は精神科病院にそうした治療プログラムを併設する例は多く、摂食障害や自傷行為など行動嗜癖を抱える患者の休息入院先として、広く使われていたという。

治療プログラム増加の背景には、病院の経営課題と家族の事情があったと推察される。日本の精神科医療は、特例的に患者1人あたりの配置人員数が低く定められているため、限られた医師・看護師で複数の患者を抱えることができる。収益性を求めて病床を設ける精神科が全国で増えていったが、それに反比例するように新薬やデイケアなど地域医療の登場により、長期入院患者数は年々減少。病院側は、病床を埋める新たな「長期入院パッケージ」を必要としていた。

加えて、患者を支える家族側の事情もそれに加担した。行動嗜癖の問題は今よりずっとタブー視されており、家庭の恥部として問題を抱え込んできた家族は疲弊していた。両者の思惑が合致した結果、「一家の中の困った人」は、性格や人格そのものに問題ありとされ、次々と入院プログラムに送り込まれた。晶さんは、そこで同じく病棟に追いやられてきた仲間たちに出会った。

「当時、インターネットは今ほど普及していなかったから、そこは格好の情報交換の場になってました。オーバードーズのやり方や薬のため方、食べたものを一瞬で吐ける裏技もそこで教わった。みんな妙に仲間意識がありましたね、そういう生き方をすることが共通のアイデンティティだった」

体重は〇〇キロ以下じゃないとダメ、自傷行為はして当たり前。そうした価値観は仲間内の閉じた関係の中で反復され、晶さんの中で確固たるものになりつつあった。退院してからも行動はエスカレートし、その範囲はついに窃盗にも及んだ。一人ではできないことも、仲間もしていると思うと怖くなかった。

入院仲間の死で揺らいだ「生」と「死」の境目

「切って、オーバードーズして、また切って、食べ吐きして、入院。何年もその繰り返し。過剰服薬でICUに入ったりしているうちに、入院仲間だった子からポツポツ連絡がくるようになりました。『あの子、死んだらしいよ』って」

最初は仲間の訃報に動揺したが、次第にその衝撃は薄れていった。今度はあの子、その次はあの人と連絡がくるたびに、晶さんの中で「生」と「死」の境目は揺らいでいった。

「病棟で出会ってちょっと仲良くなった人が、その日のうちに病棟から飛び降りて亡くなっていたり。あの当時、死は本当に親しいものでいつもすぐ隣にありました。それがやたら寂しくて、声をかけてきた男性と片っ端から付き合ったりしてました。自分の体とかはどうでもよかったし、もう、死んでもいいやって」

変化のきっかけは母の死

死の気配が忍び寄っていた晶さんにとって、変化の一石になったものはなんだったのか。その答えは、意外なことに「死」そのものだった。積年の恨みの対象だった母親が亡くなったのだ。

「これまでずっと母に振り回されてきたから、恨んでました。こうなったのはあんたのせいだ、あんたが私をこんな風にしたんだと感情をぶつけていたら、母が癌になって、手術もできないまま亡くなって。なんだろう、もういいかなって」

葬式を終え、燃え尽きた晶さんは、大検を受けることを決意する。合格し、企業で働くようになると、街にはたくさんの「普通の人」たちがいた。

「出勤時に駅に行くと、いろんな体型の人がいて、あれ、なんで自分体重〇〇キロじゃなきゃって思ってたんだろう?ってふと疑問に思うようになったんです。職場で働いていても、自傷している人なんて自分以外にいないから、いつしか周りの人と一緒になって『自傷行為なんておかしいよね』って思うようになった。散々、自分だってやってたのにね」

「回復」という言葉への違和感

自分を傷つけたい衝動はあったが、「普通側」にとどまるうちに自傷行為の頻度は減っていった。劇的な変化を遂げた晶さんだが、今をもってその自覚はないという。

「父は晶は変わった、立ち直ってまともになったっていうけど、自分ではそうは感じない。あの頃の自分と変わったとは思えないし、あくまで地続きにある感じ。だから回復って言葉には違和感がある」

その言葉を聞いた時、私はあることを思い出した。薬物依存を抱える女性たちの困難と回復を描いた書籍『その後の不自由』(医学書院)にこう書いてあった。「回復とは回復し続けること」と。「どこかを区切りにして問題がなくなることはない。ある時を境に一気に病気が治るとみんな思っているけど、そうはならない。現実には、できる範囲がちょっと広がって、後戻りしてを繰り返し続けることが回復」ということを表した言葉だ。それを晶さんに伝えると、そんなもんですかね、と返してくれた。

揺れながら少しずつ変わっていく自分

取材の中で、自分を変えるきっかけになったものはあったかと聞くと、少し考えた後、大学への進学をあげてくれた。社会福祉学を専攻し、社会福祉士の資格を取るなかで、自分に対する捉え方も変わってきたという。

「私が二十歳ぐらいだった頃って、世間では自己責任って言葉がよく使われていたんですよ。『もっと厳しい環境でも逸脱せずに頑張ってる人もいる』とか『努力が足りない』とか、親からも周りからもずっと言われてた。でも社会福祉学を学んで、個人ではどうしようもできない環境があって、その影響は計り知れないってよくわかったんです。まともでない環境で、まともでいられるほうが変。私が生きるためにはそれしかなかった」

晶さんの話を聞きながら、ふと心のうちに水面を思い浮かべていた。もとあった水が風に吹かれさざなみを起こし、雨が降り、遠くの波紋に揺さぶられ、波になっては消えていく。「回復」の主語に入るものは常に変化し、ふと気がつくと目の前に見えているものが変わっている。それは「自分だと思っていたもの」「自分だと思っていたかったもの」から離れ、変容に身を任すことを意味する。人はうつろう。しかし、うつろうからこそ変わっていける。

「嬉しかったのは、前の職場の取引先の人から『あなたなら大丈夫』って言われたこと。今までずっと、人から信用されてこなかったから。もうしない、やらないって約束してもまた繰り返してたし、自分で自分を信用してなかった。だから、誰かから信じてもらえるって、こんなに嬉しいことなんだなって」。

コメント

3日前
匿名

恋愛依存体質の娘がいます。課金の問題を抱えていた時もありました。いまは落ち着いているけど、やはり外見至上主義なことには変わりはないし、危うい状況です。そんな彼女にはやはり回復という言葉はそぐわない。ただ息を潜めているだけ。状況・環境次第では別の問題に発展する可能性があるという点では何も変わっていないのだと思います。それでも生きているし彼女なりに課題に向き合っているのだと思っているので、親としてできることをサポートしていきたい。

4日前
kouji

後戻りしてを繰り返し続けることが回復ということを表した言葉だ、とあります。そうだと思いました。まっすぐ積み上げ式に、回復などはなく、いったりきたりしながら、少しずつ前に進む。たいていのことがそういう軌道をえがくと思いました。依存症という問題に対して、まっすぐな回復を求めるのは、そもそも求めていること自体が間違いだと思いました。そのことは忘れずにいようと思います。

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