「私は前より良くなったのか?」回復をめぐる理想とままならない日々(後編)
自分の問題を話すことは、時に難しい。そこには、「回復に向かっている途中経過」として語らなくてはならないプレッシャーが生じるからだ。
「いろいろあったけれど、今は乗り越えている」「あの出来事がきっかけで自分は変わった」。そんな話を聞くたびに、自分はどうなのかと立ち止まってしまう人もいる。
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公開日:2026/06/08 22:40
後編では、成城大学 文芸学部マスコミュニケーション学科教授の南保輔さんに、「回復」をめぐる理想と、回復の途上にある人々の中で、何が少しずつ変わっていくのかを聞いた。
(取材・文)遠山怜
回復の物語は、なぜ“完成された話”に聞こえるのか
ーー私は自傷当事者にインタビューをすることがありますが、「いい話ができなくて申し訳ないです」と謝られることが少なくないです。自傷当事者に限らずですが、依存症者の中にも「理想的な回復ストーリー」があって、それと比べると自分の話は見劣りすると感じてしまう人がいるのかもしれません。
先生は、回復初期の人々の話を聞いてこられたと思いますが、「自分で納得できる」感覚はいつ頃持てるものでしょうか。

南さん:私は国内外で、断薬して何十年も経った人や、たくさんの回復者を支援してきた人の話を聞いたことがあります。そうした方々の話は、「なぜ自分は薬に手を出してやめられなかったのか」が非常によくまとまった、完成された自己物語になっていることが多いです。
ですが、おそらくその話は、繰り返し人に話すうちに、形作られていったのではないかと思います。そこには、その人の身に実際に起きたこと、感じたことだけでなく、話の聞き手の反応やフィードバックも含まれているのではないでしょうか。
自分の過去を振り返る中で「意味付け」が行われたり、自分の中で重要性が低い情報が削られたりして、最終的に自分と折り合いが付けられた形で落ち着いているのではないかと。
「起きた出来事」は同じでも、何度も語るうちにいろんな解釈が生まれる。いくつもの解釈の中から、自分にとって一番しっくりくるものが、やがて話として定着していく――そんな印象があります。
そこには膨大な時間とプロセスがかかっているわけで、まったく違う状況下の人が理想的なストーリーに自分を当てはめようとしても、無理がある。
大事なのは、自分の中で折り合いがついているのかという点です。まだしっくりこないなら、今まさに出来事や経験を咀嚼している最中なんだと思います。現時点で「変わっていない」「ダメだった」と感じていても、後から評価が変わることだってある。
回復は振り返った時に見えてくる
ーー回復のよくあるパターンとして、「私はこれで変わった」というターニングポイントの話や、「どん底から今は克服しました」というV字回復の型があります。そういった話を耳にすると、自分の身に“劇的な変化”や“よくなっている手応え”がないと、焦りを覚えるのかもしれません。
南さん:たしかに、『あの一言で私はNAに行こうと思った』とか『あの出来事で更生への道に踏み出した』みたいなストーリーが語られることはありますね。
しかし、いわゆるターニングポイントとは、後になって発見されるもので、渦中にいる時には案外見出せないのでは、とも感じます。
私はある調査で、ダルク入寮者で労役場留置を経験した人に、約3年間にわたり縦断的にインタビューをしたことがあります。その人は、万引きで逮捕され、罰金を支払えなかったため、40日間、労役場に入ることになった。彼は、労役場留置が決まったその日から薬物使用が止まったんです。
私はてっきり、労役場留置がきっかけになって薬の使用が止まったのかと思っていた。でも、最初のインタビューでは、本人は『労役と薬が止まったのは関係ない』『労役のことはあまり思い出さない』と話していました。

しかし、少し時間が経つと『労役はクリーンでいられたきっかけの一つになった』と解釈が変わり、その後には『仲間との出会いもあった』と言い、最終的には『周りの人のおかげでやめられた』という解釈に落ち着いた。
普通、ターニングポイントといえば「あの出来事」「この言葉」など、特定の物事を指していると考えますよね。でも、実際に回復者の話を聞いてみると、「いろんなきっかけ」が時間をかけて咀嚼され、整理され、行動や考えが変わっていくものなのだと実感したんです。
何が自分にとっての「転換点」だったのか、その出来事にどんな意味があったのかは、時間とともに変わり得る。
だから、渦中にいる時ほど本人は、「自分は変わり始めている」と感じられないのかもしれないですね。
ーー渦中にいる当事者は、「堂々巡りしているだけ」という感覚に陥りやすいのかもしれません。
南さん:当事者は、今日か明日には使うかもしれないという緊張感の中で生きている。今、止まっていてもそれがいつまで続くのかはわからない。だから、その瞬間、瞬間に『自分はやめられている』とは感じられないのかもしれない。
ただ、年月を積み重ねて振り返った時に、あれが“回復”だったのかと思える時がくる。
「今ここ」だけでは推し量れない
ーーこれは周囲の人にとっても大事な視点ですね。周りも「今、適切な接し方ができたか」「行動がどれだけ変わったか」ばかり気にしてしまう。でも、何が適切だったのかは、長い目で見ないとわからない。
南さん:たとえば、NAでは当事者をスポンシー、指導者をスポンサーと呼んで、二人三脚で回復を目指すという相互関係を結びます。当然ながら、当事者のためのアドバイスが、その場では本人には思ったようには響かないことがある。
ですが、スポンシーとスポンサーの関係は長い付き合いであることを前提としています。ですから、その時々で行動がどう変わったかより、もう少し中長期的な目線で見てアドバイスを調整しているかと思います。
ーーつい、すぐに結果が出ないとダメだと思いがちですけど、時間をかけないと成果が表れないこともある。問題は、その渦中にそれでも「回復できる」と信じられるかどうかですね。
南さん:芸能人の薬物報道が出ると、ダルクが『うちにおいでよ』と声をかけたりしますけど、自分たちの取り組みそのものが一つの手本であり、回復が確かにあることの証明だからでしょうかね。
こうしたら回復できますよ、と言葉や理屈で説明することは難しい。だから、回復者の背中を見せようとしているのだと思います。
つながり続ける場 多様化するニーズの今
ーーただ、グループワークや人前で話すことが苦手、という人も一定数います。そういう人はどうしたらいいのでしょう。
南さん:ダルクをはじめとした各施設でも、集団療法を中心とした回復共同体に馴染めない人がいることが課題になっています。そのため、一部のダルクでは作業を通じてつながれる場所を模索しはじめています。
たとえば、NPO法人茨城依存症回復支援協会(通称・IARSA)は、共同生活の場や就労継続支援B型、自立訓練の事業として、施設内の畑で野菜を育てて出荷しています。依存症と併存して何らかの精神障害がある人でも、仕事を通じて回復施設との接点を持ち続けてもらえる場づくりを目指しているそうです。
ただ、目下の問題は市販薬・処方薬の問題を抱える人にどう対応するかですね。
市販薬乱用は若年女性に多く、一方で旧来型の回復共同体の主な利用者は男性で、しかも年々高齢化が進んでいます。施設側は『市販薬・処方薬の依存症者も柔軟に受け入れる』としていますが、当事者にとって「行ってみたい」と思える場所づくりが必要になるでしょう。
ーー市販薬・処方薬は使ったところで逮捕リスクはありません。また、過剰摂取によって、気分を自分なりにコントロールしている感覚を持っている人もいる。違法薬物に比べて、自分は依存症であるという自覚も、持ちづらいかもしれません。
南さん:違法薬物と市販薬や処方薬では、同じ依存症者でも直面している問題が違ったりします。もちろん、周囲との仲が険悪になったり、健康被害を負ったりすることは同じかもしれませんが、追い込まれ方にやはり差がある。
違法薬物使用者は、何度も刑務所に入って就労先が見つからないとか、家族からも見放されて退院後に行くところがないとか、切迫した状況下にいる人が少なくない。だから、本人も心から『やめたい』と思っている。
でも市販薬や処方薬の使用者の場合、法に触れない分、やめる外的要因がそこまで揃っていなかったりする。「今やめるべきか」も、まだ自分の中でハッキリと整理がついていなかったりもするでしょう。
そのため、一部の依存症外来では、そうした方に向けて精神科病院内でグループミーティングを行っているようです。まずは、「いますぐ断薬する」前提でなくてもつながれる、外来のミーティングに参加を促してみる。どうするべきかは横に置いて、回復の場につながり続けること。
ターニングポイントの話と同じように、通ううちに気持ちが変わってくることがありますから。表向きの行動は変わらなくても、つながり続ける中で、あとから「あれが変化のきっかけだった」と思える瞬間が来るのかもしれない。
