性同一性障害、発達障害、うつと複数の生きづらさを抱えて 頼ったのは市販薬のオーバードーズだった
性同一性障害、うつ、発達障害など複数の生きづらさを抱えてきたFtM(女性として生まれ、性自認は男性)の男性。一瞬でもしんどさを忘れさせてくれるのは、市販薬のオーバードーズでした。
公開日:2024/11/07 01:30
性同一性障害、発達障害、うつなど、いくつもの生きづらさを抱えて生きてきた善太郎さん(仮名、31)。
しんどい毎日を生き延びるために、身近にあったのが市販薬のオーバードーズ(過量服薬)という方法でした。
何かに依存することは、時に耐えられないほどの生きづらさを和らげるための手段になることがあります。
Addction Reportは善太郎さんにこれまでの歩みを聞きました。(岩永直子)
違和感を覚えていた自分の性別
西日本の地方で育った幼い頃から、女の子として扱われることに違和感を覚えていた。
「自分は男の子だと思っているのに、女の子の列に並ばされる。制服も女の子の制服を着せられる。幼いながら『自分は女の子として振る舞わなければならないのか。この秘密は死ぬまで一人で持ち続けなければいけない』と思っていました」
小学生になる頃には、明らかに自分は男の子として女の子が好きなんだと気づいていた。
「女の子の胸を触りたいという性的な欲求も芽生え始めて、バスケットなどをやる時に偶然のように見せてこっそり胸に触れたりしていました」
高校2年生の頃、同じミュージシャンが好きだった縁で知り合った女の子のことが好きになった。初めて彼女に自分の秘密を打ち明けた。
「『自分は心は男性なんだよ』と打ち明けると、彼女は『うちのいとこにもいるよ。性同一性障害って言うんだよ』と教えてくれました。初めてそこで自分の生きづらさに名前がついて、ほっとしました」
だが、自分が何者であるかはその後もかっちりは定まらず、一時期、男性とも付き合ったりしたこともある。
「性同一性障害だと分かったけれど悩みは消えず、高校ぐらいから死にたい気持ちがずっとありました。自分は性同一性障害であることを受け入れても、これを周りに知られたらどうなるんだろうと思ってしまう。死んだ方が楽になるんじゃないかと思ったんです」
「性同一性障害」と診断され、家族や周りにカミングアウト
成績はずっとトップクラスで、地元から離れた九州の国立大学に進学した。学校の先生になりたくて、進んだのは教育学部。入学してすぐ、FtM(女性として生まれ、性自認は男性)の人と学内で知り合い、性同一性障害の診療について教えてもらった。
大学の保健センターで自分の性別に対する違和感を訴えると、大学病院を紹介してもらい、20歳の時に正式に「性同一性障害」と診断された。そこで両親にもカミングアウトした。
「父は『それは絶対に気のせいだ』と受け入れられないようでした。父の反応が強烈過ぎて、母の反応はあまり覚えていません。その後、同じ学科の十数人にも一斉にメールを送って打ち明けたのですが、『分かったよ。今まで通り接するね』とすんなり受け入れてくれました」
ずっと隠し続けてきたことを、カミングアウトする手段がメールで一斉送信だったのは驚きだが、善太郎さんはその時の心境をこう振り返る。
「それほどしんどかったのでしょうね。自分一人では抱えていられませんでした」
精神保健福祉士になりたい 将来に不安を覚え自殺未遂も
大学時代にさまざまなボランティアをして、一番力を入れていたのが精神科クリニックでの児童デイケアでの活動。小学校や特別支援学級の教員免許を取得しつつ、スクールソーシャルワーカーになりたくなって精神保健福祉士の資格にも興味を持つようになった。
ところが大学4年の終わり、精神保健福祉士の専門学校の入学試験の合格通知が届いた時、
「本当にこれでいいのか?」と強い不安が首をもたげてきた。
「教育学部なので周りはみんな先生になることが決まっている。それに比べて、自分は性同一性障害を持っているし、将来どうやって生きていくのかもわからない。教育実習は男性として行かせてもらいましたが、現実社会で配慮されるかもわからない。全てが嫌になって、死にたい気持ちが強くなったんです」
発作的に大学内で薬局で買った市販薬を一気飲みした。だが、すぐに我にかえって保健センターに助けを求め、「薬をいっぱい飲んじゃいました」と正直に打ち明けた。大学病院で手当を受けた後、精神科の主治医や大学の保健センターの医師、両親と話し、いったんは落ち着いた。
卒業後は専門学校に通い、精神保健福祉士の資格を取得。体調のことを考えて、実家に帰ることを勧められ、地元の精神科病院に就職した。
職場での人間関係で不安定に 処方薬や市販薬をO D
専門職としての仕事は充実していたが、半年も経って周囲に頼られるようになると、それがプレッシャーになって眠れなくなっていった。職場にバレないように県外の病院の精神科クリニックに通い始め、うつ病と診断された。
それでも、クリニックに通いながら仕事は続けていたが、3年目の4月に後輩が入ってくると、指導する役割を担うようになる。職場での人間関係が複雑になるに従って、他の人のようにうまく立ち回ることができず、困ることや不安が増えていった。振り返ると、これは後に診断を受けることになる発達障害の影響もあったようだ。
「自分の仕事を言語化することが苦手で、後輩をどう指導していいのか悩むようになりました。人の顔色や機嫌を読み取るのも不得意で、医師ら別のスタッフにどのタイミングでどんなふうに相談したらいいのかもズレてしまう。だんだん精神が不安定になっていきました」
処方薬、市販薬を飲んで自殺未遂
そこで手を出したのが、精神科クリニックで処方されていた薬の過量服薬(オーバードーズ)だ。
大量に飲んでふらふらになってかかりつけのクリニックに行くと、「もう仕事ができる状態じゃない。休むと職場に伝えたほうがいい」と主治医に言われた。
「職場に電話をしたのですが『仕事がなくなったら自分の全部がなくなってしまう』と落ち込んでしまいました。さらに鎮痛薬をドラッグストアで買って、手元にあった色々な薬と合わせて全て飲んでしまいました」
ふらふらになりながら街を彷徨い、酒を買って飲んだ。高いところから飛び降りて死のうと死に場所を探し歩いていると、いつの間にか警察に保護された。持っていた薬の空き箱を見られ「これ飲んだの?」と尋ねられ、「はい」と答えた。
精神科病院に連れていかれ、そのまま入院した。仕事は休職。その後も復職、休職を繰り返しながら働き続けたが、市販薬への依存は深まっていった。
(続く)
なぜ市販薬に頼りながら生きている人がいるのか、取材を続けています。楽になるため、しんどさを忘れるため、楽しむためなど、市販薬を使った体験をお話しいただける方、市販薬に依存している人の支援についてお話しいただける方を広く募集しています。ご協力いただける方は、岩永のX(https://x.com/nonbeepanda)のDMかメール([email protected])までご連絡をお願いします。岩永が必ずお返事します。秘密は守ります。
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コメント
私は自分を許せない、いつもダメダメと自分に向けて攻撃してる
他の人の話を聞くと、いいじゃん、受け入れればいいのにと軽く思うのに、自分の事になるとそれができなくて苦しい
変わりたいです
様々な方の生き様を取材されて、誰でも生きづらさやしんどさ、人には言えない悩みや苦しさがあるのだとわかる。
カミングアウトしてくださる方々に感謝しながら、毎回読ませていただきます。
偏見を少しでも取り除いていきたい。
応援しています。