「人生はすべて実験」 ネガティブな経験を美味しいネタにするためにしょ〜こさんがやってきたこと
ギャンブル依存症の夫と離婚し、3人の子供を連れてシングルマザーとなったしょ〜こさん。新型コロナウイルス感染症の流行中、自宅の片付けを始めたら、新たな人生が開けていきました。

公開日:2026/05/28 02:00
40歳の時、ギャンブルで借金を重ね、会社も辞めてきた夫に離婚を言い渡した人気インスタグラマーのしょ〜こさん(58)。
そこからどんな風に今の生活を掴み取っていったのでしょうか?
家が競売にかけられ、子供3人と引っ越しへ
私が助けていると、彼も私もダメになる——。そんなことに気づいて、夫に離婚を申し出たものの、なかなか了承してもらえなかった。
「納得しないなら、行動を変えてくれたらいいのに、行動は変えずに『納得できない』とひたすら言い続ける。そんな状態が1年ぐらい続きました」

家庭内別居を続けているうちに、家は競売にかけられ、出ていかなければならなくなった。子供の学区内で住めるところを探し、団地に引っ越した。それが今、京都の拠点となっている家だ。
引っ越したのは、しょ〜こさんと子供3人。夫と別れて家を出るとき、子供たちにも状況を話してどうしたいか確認した。3人とも「お母さんについていく」と言った。
フリーランスライターとして働いてはいたものの、急に始まったシングルマザーの生活。まずは生活費を工面できるかが心配だった。
「実家に相談に行くと、公務員で収入が安定していた姉が助けてくれると言ってくれたんです。それでやっと踏み切れた感じです」
思い出が詰まった家を手放したくなくて一人でローンを抱えようか迷っていた時も、姉は「次に進むと決めたんやろ。しっかりしいや。お金は貸してあげるから」と背中を押してくれた。
そんな家族の支えもあって、次の一歩に踏み出した。
別れた後、ギャンブルだけでなくアルコール依存も
離婚し、近くにアパートを借りた夫は「やり直したい」と何度も復縁を迫ってきた。子供にも毎週会いたいと言われ自由に会わせていたが、しょ〜こさんは顔を合わせることはなかった。
「家庭内別居が始まった時点で、私はもう気持ちが切り替わっていたんです。もう話したくもなかった。そうしないと私の心がたぶん保てなかったのだと思います。離婚以来、一切会っていないし、メールもしつこく送られてきていたので全部ブロックしました」
13年間、夫のギャンブルと借金に苦しみ、それでも一緒にいようと努力を続けてきたが、別れると決めたら未練はなかった。夫は別れた後も、ギャンブルを続けているようだった。子供から競馬場に連れていかれたという話は離婚後も聞いていたが、心配にもならなかった。
「私の人生もこのままでいいの?という気持ちの方が強かったのだと思います。一度決めたら気持ちが固まる性格のようです。夫のことも野垂れ死にたいならそうしたらいいと思っていました」
父親を慕っていた子供たちも、離婚後、ギャンブルだけでなくアルコール依存も悪化する姿に接しているうちに、気持ちが離れていった。
「ある日、会いにいった時からすごく酔っ払っていて、すぐ帰ろうとしたら追いかけてきたそうです。子供は怖くなって交番に駆け込んで警察沙汰になってしまって……。それ以来、子供自身がもう会わないと決めたようです」
心優しい長男だけは父親を見捨てきれず、今も会っていると聞く。でも彼がどんな様子かは一切聞いていない。
「今も定職には就かず、アルバイトのような仕事をしているようです。13年かけて自分と向き合った結果、完全に気持ちを断ち切ることができました」
離婚後は、仕事と推し活に邁進
子供3人の生活を背負って、母親の自分が頑張るしかない。インテリア雑誌の取材で日本全国を飛び周り、40代からインディーズバンドにハマって、娘を連れて全国のライブに行った。
「そういう息抜きがないとやっていられない感じでした。好きなものには没頭する気持ちがその頃からあったんですね。振り返れば、そんな時間が、自分の好きなものを追い求める今の自分を作ってきたのかもしれません」
仕事や推し活に邁進し、くたびれ果てて自宅は散らかり放題。子供たちのことは愛していたが、住まいはくつろげる空間ではなかった。
コロナ禍で片付けを始め、発信したらバズる
それが変わったのは、50歳を超えて、新型コロナウイルス感染症の流行が始まってからだ。

コロナ禍で出張やライブも激減し、自宅からほとんど出られない。見晴らしのいいベランダに出てお茶を飲むのが癒しの時間になった。そうなると、ベランダを外から目隠ししたいし、デッキチェアも揃えたくなった。
まずは部屋の中を綺麗にしようと、片付けを始めた。インテリア雑誌で、住まいを自分好みにしつらえる人々を取材してきたライターだから、何をどう片付けたらいいか、自分好みのものは何かはわかる。あとは実行するだけだった。
Instagramは、仕事で取材先を見つけるためのリサーチ目的や自分の名刺代わりに使っていた。そこで自分を表現したかったが、最初は日記のような投稿しかできなかった。
初めてバズったのは、散らかり放題の自宅を、こんなふうに片付けましたと出した時だ。
「カッコつけすぎていた頃は、うまく自分を出せなかったんですが、正直にありのままの自分を出したらウケたんです。雑誌の編集も任されるようになっていた頃で、コンテを書いてデザイナーさんに送っても自分の思い通りのページにはならない。でもInstagramでは自分の好きなように写真を見せて、言葉を載せることができた。やり方がやっとわかった!と目の前が開けました」
52歳の時だった。
あっという間に人気インスタグラマーに
そんな発信のコツを掴んでから、人気インスタグラマーになるまではあっという間だった。1年も経たないうちに、ライターの仕事よりもInstagramでの発信の収入が多くなった。コロナ禍もあって、雑誌業界もどんどん仕事が減り、先行きが不安になっていた頃だ。
「もうライターの仕事が続けられないかもしれないと不安しかなくて、色々な働き先を模索していた時でした。市営住宅に引っ越せばなんとか生活できるかなと精神的に追い詰められ、部屋数が減るなら物を減らそうと片付けを加速していた頃です」
それを飾らずに発信したら、Instagramのインフルエンサーという新たな可能性が開けてきた。ピンチがチャンスに化けた。

部屋を片付けると、自分の気持ちも良い方向に変わったのも発見だった。
「元々頭の中がごちゃごちゃしがちな人間なので、部屋はそれを表しているところがあった。でも目の前が片付くと、頭の中も片付いて、自分の心の動きを言語化できていく。さらにそれをInstagramに投稿すると反響があって、フォロワーが増える。私も充実する。いい循環が生まれていきました」
最初はそれでも格好つけたくて、年齢も顔も出していなかった。耳障りのいいことばかり書いていた。
「それだと面白くないから、自分の価値観を伝えたかった。自分と向き合うと、自分の正直な気持ちを出せるようになる。そうしたらもっと楽になったし、もっと応援されるようになりました。ありのままの自分を出せばいいんだと気づいて、どんどん楽になっていきました」
初めての著書も出版、ロングセラーに
出版は、Instagramの発信を始めてすぐ、相談にいったある人に「なんで本を作らないのですか?」と言われたのがきっかけだった。
最初は、自費出版でデジタルZINE(小冊子)を作った。写真も文章もデザインもすべて自分で手がけた初めての本。そこにエッセイも入れると、それを見た出版社6社から、「うちで本にしませんか?」と連絡が来た。
最初に声をかけてくれた主婦の友社から2022年10月、初めての著書『不要なものを手放して、50代からは身軽に暮らす自分、おかえり!』を出版した。現在まで7刷を重ね、ロングセラーとなっている。
「自分が出版できるなんて本当に夢のようですよね。小学生の時にこっくりさんで、他の女の子は好きな男の子のことなどを聞いていたのに、私だけ『何歳で本を出せますか?』って聞いていたんです。その時は『30歳です』と言われて遅いなと思ったのですが、実際には53歳で本を出せた。子供の頃からの夢が叶いました」
人生は実験
しょ〜こさんはそこからまた、世界中旅行したり、京都の家の他に東京にも一軒家を借りて二拠点生活に踏み切ったり、やりたいことをなんでも実行するようになった。
今回取材した場所も、木漏れ日が美しい東京都の拠点の家だ。
「Instagramで稼げるようになって、いつか東京に暮らしたいと思っていたら、たまたま不動産屋さんのメルマガでこの物件を見かけたんです。この家、可愛いからすぐ誰かに取られちゃうと思って急いで連絡して、翌々日には京都から内見に来ていました」
一人旅も美容も、語学留学も思い立ったらすぐ実行してしまう。
「自分の気持ちを言語化しているうちに、途中から人生は実験だなと思うようになったんです。やりたいことをやらずにはいられない」
失敗もたくさんある。
京都にもう一軒、物件を借りて、オリジナルグッズを売る店を開こうと思ったことがある。1年ぐらい家賃を払い続けた後、自分がグッズ販売をする意味がわからなくなって計画は頓挫した。モロッコに旅行した時にはビンテージの絨毯に惚れ込み、5枚ほど仕入れてみた。でも計算すると相当高く売らないと利益は出ないことがわかった。結局、フリーマーケットで叩き売り、何十万も損をした。
「良い面だけ見られたら、うまくいっている人に見られるかもしれないけれど、失敗もたくさんしています。でもそれも経験できたから良かったと思うようにしています。全部実験なんだから、うまくいかなくてもそれでいい。失敗だって、後で発信すれば美味しいネタになるんですから」
自分の人生を振り返ると、元夫のギャンブル依存症に13年間振り回され、離婚して、一人で3人の子育てに奮闘した経験も、今の自分を作っている。
「転んだって、悪いことが起きたって、結局、発信のネタになる。そう考えると何も怖くないなと思うんです。もちろんその時は慌てるんですよ。それでも、後から考えれば美味しいネタになったわということになるので、それさえわかっておけば何があっても大丈夫と思えます」
この4月、「58歳 批判覚悟で話します」というタイトルで初めて夫のギャンブル依存症について本格的に発信した。
「これまで本でも書いたつもりだし、みんな知っているかなぐらいの気持ちだったんですが、全然そんなことはなかったんですよね。ネタに困って話しただけで、心境の変化があったわけではないです。これでまた新しい展開があったらなと思って話したら、取材の話がきてびっくりしました」
子供たちはみんな独立して、次男は結婚した。長女は今、再び東京で一緒に暮らしているが、自分のやりたいことはこれからも積極的に実行していくつもりだ。
「私はもうこの生き方しかできないので、もうしょうがない。子供達も自分の思うように生きてほしいですね」
依存症の家族へのメッセージ
家族の依存症に悩んだ経験から、今、同じように悩む家族にはどんなことを伝えたいだろうか?

夫のアルコールの問題について悩んでいる友達から、数年前から相談を受けている。しょ〜こさんは自分の経験を話して、「私はこうだったよ」と伝えた。しかし、すべての家族が、スパッと関係を断ち切ることはできないだろうとも思う。
「その人のタイミングや段階があると思います。私は自分の限界まで頑張ってやっと断ち切れたけど、それは一つの方法でしかありません。今悩んでいる家族には、捉え方を変えればネガティブな経験も自分にとって必要なことだったと言える時が来るから、そんなに恐れることはないよと伝えたいです。家族の依存症で落ち込むことはないし、あなたが悪いわけでもない。それは絶対に伝えたいですね」
(終わり)
