「もっとお金があったらいいのに」 人気アナウンサー江田亮さんを追い込んだ幼い頃の心の傷
かつて人気アナウンサーとして活躍しながら、投資にハマり、労働組合の金を横領して仕事と家族を失った経験のあるフリーアナウンサーの江田亮さん。 何がそこまで彼を追い込んだのか、ロングインタビューで聞きました。3回連載の1回目。

公開日:2026/02/24 06:30
ギャンブル依存症であることを明かし、自身の経験を公の場で語り始めたフリーアナウンサーの江田亮さん(36)。
かつてCBCテレビのアナウンサーとして活躍していたが、投資にハマって労働組合の金を4000万横領し、仕事、家族を失った経験がある。
なぜ人気アナウンサーが、そこまで追い込まれたのか。
江田さんの生い立ちからじっくりと聞いた。全3回の1回目。
小学校低学年の時に父が事業に失敗 お金に気を遣う毎日に
——今はテレビ局の次に勤めた会社も辞めて、フリーになったんですね。投資はもうやっていないのですか?
昨年6月に「ギャンブル依存症問題を考える会」につながって、依存症から回復するための「12ステッププログラム」も大詰めを迎えているところです。もちろんやっていないですし、投資って元手がいるんですよね。2022年が最後で、3年以上やっていないです。
僕の場合は、お金にとらわれてきた人生なので、CBCで働いている時も、結構な金額のお給料をもらっていながら、投資以外にも飲み代とか買い物とかにかなりお金を使っていた気がします。
——どんなものを買っていたんですか?
服を買ったり、ガジェット好きなのでパソコンやiPadなどを買ったりしてしまう。たぶんずっと自分の中にある穴を埋めようとしていたのだと思います。
——そのお金への執着や、埋めようとした穴について聞きたいです。どんな家庭で育ったんですか?
ずっと川崎で暮らし、父親は途中まで、いろいろな会社の経理畑でサラリーマンとして働いていました。母はもともと学校の美術の先生。結婚を機に辞めてずっと専業主婦でした。僕は一人っ子です。
——講演で、お父さんが事業を失敗して、お金に困る生活をされていたと言っていましたね。
僕が小学校3年生ぐらいの時に事業を立ち上げ、1年ぐらいで失敗したんです。僕らは引っ越して、父親の実家に住むことになりました。
——家の中の雰囲気はどうでした?
なんで引っ越したのか当時はわかりませんでしたが、夫婦喧嘩の声が聞こえますよね。自己破産したことはわからなくても、商売がうまくいかなかったことはなんとなくわかる。何か我慢するたびに、母親は「今はお金がないからごめんね」と言い方をしていたようです。
それは自分の意識に刷り込まれていたようで、お金に関して子供なりにすごく気を遣っていました。急にお下がりを着ることが増えて、すごく嫌だったのを覚えています。惨めな気がして拒絶した記憶もあります。
転落したと思われたくない
——この経験で、お金がないのは惨めなことなんだと胸に刻まれたわけですね。
お金があった環境から落ちると、見栄を張りたいとか、落ちたと思われたくない気持ちが働くんです。父は独立するまでは給料も良かったようで、しょっちゅう海外旅行に行くような生活でした。
そんな余裕のあるところから落ちたのだと、周りに悟られたくなかった。「お金はないけれど、楽しくやっていければいいよね」という雰囲気ではなかったです。

——自覚はしていなくても、心の傷として残っていたんですね。
小学校3年生ぐらいになればなんとなくおかしいとわかるのに、両親から説明をしてもらえる機会はあまりなかったと思います。中学になれば父も再就職して、金のことはあまり気にしていなかったと思います。
お金で負担をかけられない
でもずっと野球をやっていて、高校はスポーツ推薦で野球の名門の桐蔭学園高校に入ったんです。ここは学費が高いんですよ。野球にもお金がかかるし、寮生活だったので寮費もかかって、親に負担をかけていると気にする思いはずっとありました。
しかも比較的裕福な家の子も多かったとも思います。全員ではないですが、プロ野球殿堂入りクラスの選手の息子さんとかゴロゴロいました。名門ですからね。
プロ野球に進んで今も頑張っている子が何人もいましたが、僕は野球で大学に行く気はなく、アナウンサーになろうと思っていました。
2年生の時からベンチに入れていたんですけれども、3年生の時に「イップス(※)」になったんですよ。キャッチャーだったのに、ピッチャーにボールが返せなくなった。手からボールが離れなくなったんです。僕の場合、精神的な弱さなのか、失敗したくないと思うと、失敗した経験がフラッシュバックするんです。
※スムーズにできていたスポーツの動作が、プレッシャーや不安、過度な繰り返しによる神経系の障害などから突然できなくなる運動障害。
投げる瞬間に怖くなって、手からボールが離れなくなる。つま先に投げたこともあります。
——細身だからキャッチャーという雰囲気に見えませんね。
野球をやめてから太りたくないという気持ちがあったんです。多少の増減はあれど、今は高校の時から体重が変わっていないんです。
——見た目に関しても、周りの目を気にするところがあったのでしょうかね?
あるかもしれないです。そういう面でも色々と何か抱えているのかもしれませんね。
アナウンサーになりたい
それで、プロは無理だなと思ってアナウンサーになろうと思ったんです。その頃、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で松坂大輔選手と当時、日本テレビにいたアナウンサー上重聡さんが取材で再会する姿を見たんです。二人は、横浜高校とPL学園のエースとして甲子園の伝説の試合で投げ合ったこともあるのですが、選手とアナウンサーとして再会した。
僕はプロ野球選手にはなれないけれど、プロ野球選手になりそうな同級生が何人かいたし、実況アナウンサーになればまた一緒の場所に行けると思いました。

アナウンサーなら早稲田か慶応かなと思ったのですが、成績が悪かったので現役では手が届かなかったで。予備校に通うのもお金が気になっていました。追加で取るような夏期講習や冬季講習は取りませんでしたね。
受験費用も1校3万5000円ぐらいするので、かなり絞って受けて、滑り止めも受けませんでした。親に負担をかけるとか、お金のことがずっと頭の中にありました。できるだけお金がかからない方法でなんとかしたかった。そして早稲田に行くことになったんです。
——大学時代はどうでしたか?
バイトができるようになったので、ここで軽く弾けました。貯金という概念もなく、自由にできるお金を手にしたのだから全部使う、という感じでした。
やはりそれまでの反動が凄かった。それまで自分のしたいことや欲しいものは金銭的な壁によって我慢してきたので、 すごく反動が来ました。
アナウンサー志望の子が入るサークルに入り、アナウンススクールにも通い、アナウンサーになるための4年間というつもりで大学には通っていました。奨学金を借り、500万円ぐらいの借金を自分で背負ったので、大学では引け目のようなものはなかったです。
早稲田は貧乏学生でも引け目を感じるような学校ではなかったので楽でした。貧乏であることや田舎出身であることで差別はしない。奨学金も借りている学生だらけでしたから、みんな見栄を張らないし、大学時代の4年間はすごく楽しかったですね。
スポーツ実況ができるアナウンサーとして教育
——そして、就職はTBS系列の名古屋の放送局CBCに入社したわけですね。もちろんすぐにスポーツ実況できるわけではないですよね?
アナウンサーは、希望を聞いてから採用するんです。スポーツ実況は少し特殊なので、新人時代からそのつもりで育てます。僕の場合はラジオ実況できるまで4年、テレビ実況するまでに7年かかりました。
それぐらいの段階を踏むし、そもそも野球の知識がかなりないと難しいものです。入った時から教育レールを敷いてもらって、その間にキューピー3分クッキングとかゴゴスマとかの仕事もさせてもらいました。
——スポーツ実況のアナウンサーって、それだけ丁寧に育てられるものなんですね。
CBCはほんとにいいテレビ局でした。野球中継も日本で3本の指に入るぐらい多いんです。ドラゴンズがあって、スポーツ中継が多いですし、競馬、ボクシングなど、サッカー以外のほとんどのプロスポーツを実況しました。
——実況しながら、過去のデータなども全部盛り込んで話さなくちゃいけないし、ゲストや解説者に的確な質問を振らないといけないし、頭フル回転なイメージですね。
野球実況は、アナウンサーの仕事の中でもかなり高度なものだと思います。あれができたらなんでも応用でできるんじゃないかと私は思っていましたから。特にテレビは、50人オーケストラの指揮者みたいな感じなんですよね。カメラワークも全部把握し、CGがどこで出てくるか、頭の中で考えながら横の解説者と喋って、かつ実況もして、CMのタイミングも全部コントロールする。日本中の実況アナウンサーは声を聞けばわかるし、特徴を言えるくらい実況を聞いて研究していました。
それぐらいこだわりを持ってやっていました。CBCの先輩たちは本当に上手かったし、色々と教えてもらいました。仕事をする上では最高の環境だったと思います。今はフリーで活躍されている石井亮次さんのように、東京でも活躍できる人たちが先輩にいたし、レベルの高い局で育ててもらったことは今でも自慢に思います。
「もっとお金があったらいいのに」
——そんなやりがいのある職場環境だったのに、投資にハマったのはなぜでしょうね?それでも満たされないものを感じていたのでしょうか?
仕事に関しては満たされていましたし、お給料も良かったんですよ。残業もそれほどないし、ノルマもない。名古屋の家賃は東京の半分で、お金は貯まるはずだったのに、全然貯まらない。とにかく後輩や同期たちとめちゃくちゃ飲んでいました。後輩や女の子だったら絶対に奢りますしね。

——マスコミって先輩が後輩に全部奢る文化がありましたね。
僕のことを最初に書いてくれたのが読売新聞の同期だったのですが、別の会社でもめちゃくちゃ一緒に遊んでいました。借金さえしていなければ、若いうちはあるだけ使っても大丈夫だろうと思っていたんです。
ところが、貯まらないのはいいとして、「もっとあったらいいのに」と思い始めてしまうわけです。もっとあったらもっと遊べるじゃないかって。
ここでギャンブルで増やそうと思う人もいるかもしれませんが、僕にはその発想はなかった。投資で増やせばいいんだと思っていました。当時はまだそれをギャンブルだと認識していなかったんです。社会人4年目ぐらいのことです。
大学時代のバイトよりも大きい収入があるし、周りもあればあるだけ使うような人ばかりだから、まぁ大丈夫かと自己正当化していく。このとき、小中高生の頃の我慢の反動が一気に来たのだと思います。
——なぜそれが投資だったのでしょうね。
誰かに教えてもらったわけではないんです。テレビ局は副業もできないし、そもそもギャンブルは儲からないと思っていました。結果的にギャンブルのようなことをしてしまうのですが、投資は勉強の仕方によっては結果が出ると思っていました。
実際に投資家もいるし、パチプロとは違うと思っていた。本やネットで調べてきっちり勉強すれば、なんとかなるのではないかと思ったのが始まりです。あとは実践あるのみだと思っていました。
(続く)
【江田亮(えだ・りょう)】フリーアナウンサー
1989年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学卒業後、2013年にCBCテレビへ入社。プロ野球、競馬、ボクシングなど200試合以上のスポーツ実況を経験し、TBS系列「アノンシスト賞」を2年連続受賞するなど、技術と実績を兼ね備えたアナウンサーとして活躍。
2022年、労働組合費の横領により同局を退社。退社後、自身の過ちの背景に「ギャンブル依存症」があったことを自ら公表した。現在は回復を続けながら、フリーアナウンサーとして再始動。自身の経験を隠すことなく共有し、ギャンブル依存症が人生に及ぼすリアルな実態や、社会的な問題について伝える活動を通し「依存症者への間違った偏見と正しい知識」を届けている。
