「良い薬物も悪い薬物もなく、良い使い方と悪い使い方があるだけだ」 時代とともに見直される薬物の分類
アルコールやカフェイン、タバコなど、身近な薬物と人類はどう付き合ってきたのか、歴史を紐解きながら考察した『身近な薬物のはなし』。ヘビースモーカーでもある著者の松本俊彦さんに、規制のあるべき姿について聞きました。インタビュー後編です。

公開日:2025/03/16 05:44
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アルコールやカフェイン、タバコなど、身近な薬物と人類はどう付き合ってきたのか、歴史を紐解きながら考察した『身近な薬物のはなし』(岩波書店、3月17日発売)。
自身もそれらを愛用する著者、国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部長の松本俊彦さんに引き続き、聞きました。後編です。
健康影響のエビデンスは個人の心に響かない
——先生もビッグスリー(アルコール、カフェイン、タバコ)の愛用者ですよね。特に世間で白い目で見られがちなタバコについて、とても健康に悪いことを自ら様々なエビデンスに基づいて書かれていますが、ヘビースモーカーとしてどう感じましたか?
いや、なんとも思わないです(笑)。依存症の当事者ってそういうものですよね(笑)。
——笑。患者さんに健康被害を伝えたとしても、伝わらないよなと思っているんですか?
いつもそう思っています。そんなことを言って酒や薬が止まっているなら、とっくに止まっていますよ。
——先生ご自身も知識としてはわかってはいるけれど、そうと知っても酒もタバコもやめないよという感じですかね。
言葉として意識しているわけではないですが、おそらく「俺は太く、短く生きる」なんでしょうね。
——実は私も「これだけ健康に悪いとエビデンスを並べられても、酒をやめないよね」と思いながら読みました。そういう意味では医学は弱いですね。
弱いはずなんです。ただ、歴史的に見ると、ナチスドイツは最初に国家レベルで公衆衛生政策を打ち出したわけですが、ファシズムで人を支配しました。医学は弱いはずなのに、なぜそれができたのか、それは僕もよくわからないところです。もしかすると、国が富国強兵政策を掲げ、その延長線上で「国民を強くする」という目的から優生思想的な考えが蔓延すると、「健康」は国家の重大事になるのかもしれません。
——日本でも国は「健康日本21」などの健康目標を掲げ、アルコールやタバコの量を制限しようとしています。しかし、健康を理由にそれをやめられるような甘い相手なのかなとこの本を読んで思います。依存している人には響かなそうです。
響かせるようにするために、ちょっと誇張しますよね。がんや脳卒中、心筋梗塞などにかかる割合がオッズ比で何倍になると言われても、そういった数字は個人の人生の実感としては些細なことだったりする。
喫煙者の良くないところですが、「あの人肺がんになったんだって。でもタバコ吸わないそうだよ」と聞くと、「タバコは関係なかったじゃないか」とニヤリとしたりする。だから本当は依存している当事者には、あまり健康被害の疫学データは力を持たないのかもしれません。「自分だけは大丈夫」と思っていることが多いし、覚醒剤依存の方が捕まる直前まで「自分だけは大丈夫」と思っているのと同じです。
そこは人間ののんきなところですよね。
緩やかな規制に反対するわけではない
——合法な薬物も健康に悪影響を与えることがわかっているから、国も健康目標を打ち立て、摂取を減らすための働きかけをしたりします。さらに使用を禁止する合法、違法はどう線引きすべきなのか考えさせられます。先生は何も規制がないのもおかしいとは思っているわけですよね。
それはおかしいと思います。だからこそ、ストロング系チューハイの件でも、国民に安全に酒を飲ませるためには、健康被害に応じた課税率が必要なのではないかと思っています。それによって保健や福祉の財源を確保すべきだとも思っています。
タバコに関しても、値段が高くなってくるのは喫煙者としてきつかったけれども、やはり若年者の喫煙率を抑えるのには役に立っているはずなんです。僕らは一箱1000円になっても吸うと思いますが、10代の子たちは吸わないですよね。
だから僕は課税などによる緩やかな規制に関しては否定していません。
だけど、使った人が助けを求められなくなったり、コミュニティの中で一層孤立したりするような政策も良くないと思っています。基本はジョン・スチュアート・ミルの自由論のように、刑法でコントロールするのは人様に迷惑をかけた場合であって、愚行権とか自分が不健康なことをする自由というのもあるのではないかと思っているのです。
——私自身、タバコに関してはかなり厳しい記事を書いてきました。もちろん受動喫煙のリスクなどを示したエビデンスに基づいて書いているものの、自分がタバコの煙が嫌いだという感情もかなり影響したことに気付かされます。
実際、昭和の頃にタバコを吸っている団塊の世代にかなり嫌な思いをしてきた人はたくさんいるので、そことないまぜになってタバコへの怒りがあるのは理解できます。
——若い頃は職場でもモクモクでしたからね。その恨みつらみが筆の強さに影響しているかもしれません。冷静に何を規制するかを議論するのは難しいと感じます。
そうですよね。
良い薬も悪い薬もない。良い使い方、悪い使い方があるだけだ
——それにしても、社会を動かす重要なエネルギー源になってきたことはわかるのですが、なぜ人は心地よい程々のところで摂取をやめないのか。それ以上に使ってしまうのはなぜなのでしょうね?
この本の中でも繰り返し書いていますが、「良い薬物も悪い薬物もなくて、良い使い方と悪い使い方があるだけだ」と思います。悪い使い方をする人は他に困りごとを抱えている人が多いと思うのですよね。度を越した使い方をしている背景には、何かがあるのではないか。
オピオイドクライシス(※)だって、元をたどれば対中国貿易の赤字が膨らむ中、中西部で中高年男性の自殺率が上がると共に高まってきた問題です。
※アメリカで麻薬系の強力な鎮痛薬への依存が蔓延し、死亡者まで出る事態になった危機。トランプ大統領が2017年に「公衆衛生に関する緊急事態」を宣言したこともある。
ネイティブアメリカンは依存症率が高いと言われていますが、これも彼らが居留地に押し込められて、自分たちの信仰や呪術的な医療やライフスタイルまで強制的に変えられたことが影響しています。元々は狩猟で生活していたのに、小麦と油まみれのファストフードを食べさせられているうちに糖尿病と依存症が蔓延した経緯があります。
依存症まで至る摂取の仕方には、そういう背景があるような気がします。
だから単に物質へのアクセスを制限するだけではなく、社会とか生活とかまで広げてその問題を見ていった方がいいのではないかと思います。
それを一点突破で、「ダメ。ゼッタイ。」とすると、その施策自体が当事者を追い詰め、有害なものになってしまう気がするのです。
——「悪い使い方」と言っても、先生はかっこ付きにして、その人が困りごとがある今を生き延びるために使っている面を見れば、悪いとばかりも言えないとしていますね。
そういう風に僕は思っていますし、そこを表面的な施策で対処してしまうと、2014年に乱用の恐れのある市販薬の販売個数制限を導入したわけですが、その後から市販薬乱用禍の大ブレイクが始まっています。
目先のことだけ、為政者の思惑で自分の視野に入る部分だけ綺麗にしておこうと対策が取られると、そういうことになってしまうのだと思います。
処方薬や市販薬も「悪い使い方」をされる
——お医者さんが処方する薬や、ドラッグストアで売られている薬も危険な使われ方をしているのが現代ですね。
若い子は市販薬、仕事を持ったり家庭を持ったりすると処方薬の乱用が増えますね。特に女性の場合は、ワンオペ育児とか、自分のキャリアを断念して家庭に入ってモヤモヤしているとか、現代の女性の置かれている問題がそのまま辛さになっています。
それでも社会から期待される役割に過剰適応するために、医者からもらった薬を使っているという皮肉な現象です。
もちろん医者の安易な処方が良くないのはいうまでもない話です。でももっと昔は、精神科の薬は野放しでした。市販されていましたから。
ここから見えてくるのは、専門職間におけるくだらない争いなんです。つまり、処方権を堅持したい医者と、医者抜きでも薬を使えるようにしたい薬剤師とのバトルです。
やはり処方薬にしても市販薬にしても国民が医薬品へのアクセスが高まることは基本的にいいことですし、WHOもそれを推進しています。でも良くなりすぎると悲劇も起きる。そのバランスは難しいと思います。
精神科の敷居が高かった時代に比べるといい面はある。でも処方薬や市販薬の乱用、依存という悪い面もある。ドラッグストアもネットで買えるのも便利です。だからもう昔には戻れない。
しかし同時に、最近ではコンビニでも売るべきだという声もありますが、それに対してきちんと慎重な意見を言っていくことも必要なんだろうと思います。
——どうしたらいいのでしょうね。
市販薬に依存している子は自殺リスクが高い子であって、単に入手できなくするだけで対策にはなりません。処方薬も同じです。精神科の通院精神療法(精神科医の診察)に対する診療報酬は年々切り下げられ続けていますから、心理職や精神保健福祉士など多職種に関わってもらうために、僕ら精神科医は馬車馬のように短時間・高速精神療法で「数」を稼がねばならなくなっています。
本当はもっと落ち着いて患者さんの話を聞いたり、いろんな人が丁寧に関わったりすることができたらいいのですが、マンパワーはコストがかかります。でも医療費は減ることはあっても増えることはない。
要するに、国として医療費を削減し、セルフメディケーションを推進しようとした結果、こういった新たな問題が次々に生じているわけです。そういう意味では、薬物の問題は、国家や政府や企業のガリガリな欲望が作り出している健康被害であるという見方もできるでしょう。
なぜ人は体に悪いことを求めるのか?
——先生に薬物依存症の取材をするたびに何度も聞いているのですが、ビッグスリーは体にいい作用も少しはあるけれども、基本的には悪いもので、なくても生きていけるものです。「水清ければ魚棲まず」じゃないですが、なぜ人は体によろしくないものを必要としてしまうのでしょう。
僕はいつも生き延びるためにはある程度の不健康が必要と色々なところで言っているんです。なぜ不健康が必要かはよくわからないのですが、リストカットを生きるためにやっている子がいて、それをうんと希釈されたものを多くの人が多かれ少なかれやっている気がするんですよね。
横道誠さんとの対談(『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』)の中では、カイヨワの遊びの理論を引用し、人間は遊ぶ必要があるんだとも話しています。小さく遊ぶ方法として、めまい感や酩酊感が必要だということも語りました。ただアッパー系のカフェインやタバコが、それのどこに当てはまるかはわからないのですが。
悪いとわかっていてもそれを使う必要がある人がいる。そして、それはいちいち福祉的な支援や相談が必要かというと、そこまでではないということも意外に多いわけです。こっそりとささやかに行う癒しが、少々健康に良くないこともあるという感じなんですよね。
——まあそれがマラソンとか、花を愛でるとか、健康に良さそうなことで満足する人はそれでいいわけですよね。
そうですよね。お酒もタバコも良くないかもしれませんが、深夜に公園をランニングしている人もいますよね。きっと健康のために。または気晴らしかもしれませんが。あれと俺とどっちが不健康なのかなと、せっせと走っている彼らを眺めながらタバコを吸っているんです。時々サウナスーツを着た明らかに摂食障害の子も走っている。彼らは本当に健康的なのかなと思います。
——清廉潔白に生きている方が楽なのかもしれませんが、世間の「これが良い」という価値観に侵食されているような気がするんですよね。世間の価値観に抵抗しようぜと、不摂生組としてはヤンキー座りしてしまう。
僕もそう思うし、もっとざっくりと言っちゃうと、清廉潔白な健康オタクの人と一緒に飲んでも楽しくないですよね(笑)。
——(笑)。タバコの章は肺がんで亡くなった喫煙者の小説家、ポール・オースターの言葉で締めくくっています。「僕だって喫煙が体にいいと言っているわけじゃない。けれど、日々犯されている政治的、社会的、そして生態学的な非道に比べれば、煙草なんて小さな、問題に過ぎない。人は煙草を吸う。これは事実だ。人は煙草を喫うし、たとえ体によくなくても、喫煙を楽しんでいる」と。こういうことをやって生きて死ぬのが人間なんだという、人間理解ですよね。
そんなにタバコにムキになる前に、世界各地で日々起こっている戦争や紛争をなんとかしろよって感じです。
違法とされている薬が、近い将来、医療医薬品になる可能性も
——どんな人に読んでもらいたいですか?
依存症に関心がある人もない人も、医学の外側に読まれたらいいなと思うんですよね。実は類書を書いている薬学の研究者や歴史家もいていい本が日本でもあります。でも同じような本を、薬物依存症をやっている専門家が書くとこんな感じだというのがこの本の特色なのかなと思います。
——この本を書いてみて、自分の診療に何か影響しそうですか?
こういうことを勉強するようになって、変わったからこそこういう本を書いたのではないでしょうか。つまり本当に違法も合法もないよなと思っていますし、その傾向が一層強まったと思います。
——体に悪いのだから何がなんでもやっちゃダメというより、それでつらくてたまらない気持ちがコントロールできているなら、やめさせる必要はあるのかと正直思います。
そういう風に思うこともあります。しょうがないよね、と思うこともあります。もちろんコントロールを失った使い方や不健康なヘビースモーキングをずっとやっていることがいいことだとは思いません。
でも中には、歳をとっても晩酌して長生きしている人も、一日数本だけ吸って長生きしている人もいる。それを否定するつもりもありません。
——違法薬物でさえ、もしかしたら大麻を少し使ったりするぐらいなら、その人のトータルの心身の健康にとってはいいかもしれないですよね。
そういう人はたくさんいると思います。
今、精神科の薬物療法の中で最大のトピックは「サイケデリックス(幻覚剤)」です。難治性のうつ病などに、MDMAやL S D、マジックマッシュルームに含まれているサイロシビンの有効性が認められています。
世界でも名だたる権威ある雑誌の一つである「American Journal of Psychiatry」の今年1月の特集は、サイケデリックスによる薬物療法でした。オーストラリアでは一昨年の7月からM D M AがP T S D(心的外傷後ストレス障害)の正式な治療薬として認可されました。
僕の患者でも市販薬のオーバードーズ(OD)やストロング系の飲酒を繰り返していたのに、L S Dを使って友達とこれからの人生について語り合ったら、考え方が変わってODもストロング系もやめて、大学に入学した子がいます。
考えてみたら、AA(アルコホリクス・アノニマス、アルコール依存症の自助グループ)の創始者も断酒のきっかけになった山の頂に立って世界が白く輝いて見えた体験は、彼の主治医が投与したサイケデリックスのせいでした。
だからサイケデリックスは近い将来、医薬品として使われる可能性が高いんです。依存性もそれほどない。でも日本では問答無用でダメとされていますし、海外でも使われなくなっていた。それが変わり始めています。
だから将来の薬物の分類は、これまで我々が教わったものと違ってくると思います。その未来はそこまできています。
今、「違法な薬は『ダメ。ゼッタイ。』。一度でも使えば人間終わり」と言っている人が将来、とっても恥ずかしい思いをすることは間違いないと思います。
——大麻も医療用が承認されれば、世間の印象は変わるかもしれません。
神農本草経という古代中国の薬草辞典の中では、大麻は、「上品(シャンピン)」、つまり日頃から使っていても害のない、養生に役立つ薬とされていました。でも人間社会のいろいろな分断やマイノリティに対する弾圧の中で、ある種の薬は敵視されてきました。
それが今、少し視野が広がって、見直されているのだと思います。
(終わり)
【松本俊彦(まつもと・としひこ)】国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部長、薬物依存症センター センター長
1993年、佐賀医科大学卒業。2004年に国立精神・神経センター(現国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所司法精神医学研究部室長に就任。以後、自殺予防総合対策センター副センター長などを経て、2015年より現職。日本精神救急学会理事、日本社会精神医学会理事。
『薬物依存とアディクション精神医学』(金剛出版)、『アルコールとうつ・自殺』(岩波書店)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『よくわかるSMARPP——あなたにもできる薬物依存者支援』(金剛出版)、『薬物依存症』(ちくま新書)、『誰がために医師はいる』(みすず書房)など著書多数。
コメント
依存症者の多くは、回復とか止め続ける事に重点をおいているように思います。
私の重点はこれからは楽しく、穏やかに、自分に正直に、他人にも自分にも誠実に生きる事です。
依存物を断つ事も付随する物、事を断ち切り幸せを感じる生き方をする為に、依存症を回復する。
生きていて良かったと思う最後をむかえ
「悪いとわかっていてもそれを使う必要がある人がいる。そして、それはいちいち福祉的な支援や相談が必要かというと、そこまでではないということも意外に多いわけです。こっそりとささやかに行う癒しが、少々健康に良くないこともあるという感じなんですよね。」
めっちゃ腑に落ちた。
それで困ったことになったら、誰もが相談したり支援を受けることができるようになればいいなあ。
松本先生のお話はいつも視点が新しいので、自分の無知さと硬さがほぐれる感じがします。本を読んで視野を広げたいです!