Addiction Report (アディクションレポート)

開いてしまった心の蓋 自分の心の傷つきに改めて向き合って

やりがいのある仕事や家族にも恵まれ、回復の道を歩んでいた平出明彦さん。ところが、過去の傷を思い起こさせる出来事が重なり、心の蓋が開いてしまいます。

開いてしまった心の蓋 自分の心の傷つきに改めて向き合って
平出明彦さん(撮影・岩永直子)

公開日:2024/07/25 02:00

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宗教二世で、アルコールやギャンブルに依存した経験がある平出明彦さん(50)。

学び、資格を取ることで、新たな人生を切り拓いていましたが、ある時期、過去のトラウマを刺激する出来事が重なって、必死に押さえつけてきた心の蓋が開いてしまいました。

自分が思っていた以上に傷ついてきたことに向き合って、どんなことを考えたのでしょうか?

受け入れてくれた妻に感謝

——今の奥様とはどこで知り合われたのですか?

職場です。離れたとはいえ、まだエホバの証人の教えが残っていて、「一般の女性とお付き合いをすると滅ぼされる」という考えが離れなかったんです。だからずっと女性とはお付き合いしていませんでした。

でも彼女に対しては色々と思うところがあって、「えいや!」と思い切りました。

——自分が受け入れてもらえるか不安ではなかったですか?

8割方ダメだろうと思っていました。自分の過去を話すと「カルトの子」と思われるだろうし、「こいつおかしい育ちだ」と思われるだろうと考えました。自分だったらそう思うでしょうしね。

でも妻は、「もうやめたんでしょ?だったらいいじゃん」と言ってくれた。

——自分の過去はすぐ話せたんですか?

自分でも結構隠していたと思っていたのですが、先日、妻に聞いてみたら、「結構早い時期に話していたよ」と言ってました。付き合って2〜3ヶ月で話したようです。

私としたら、「これを打ち明けたら、別れることになるだろうな」と思っていました。「気持ち悪い」と思われるだろうとも。だからそれについては妻に恩義を感じています。

——「だったらいいじゃん」と受け入れてもらえた時、どんな気持ちでしたか?

本当にありがたかったですね。この人をずっと大事にしなきゃと思いました。このことは、今でも最大限に感謝しています。

仕事や勉強に依存「それは違うよ」と言ってくれる存在

——それまで「自分は人並みの人生を歩めなかった」という思いがあったのでしょうか?

スタートラインから、何周も周回遅れで、自分は遊ぶ暇もないし、人が遊んでいる時に勉強しないと追いつけない、人並みにはなれないとずっと思っていました。

今考えると強迫観念ですけれどもね。考え方がちょっとずれていたのだと思います。「それは違うよ」と言ってくれる存在が周りにいなかったですから。

——奥様は「それは違うよ」と言ってくれる存在だったのですね。

最初は「向上心のある人」とみていたようです。私にないものを持っていると思ってくれたみたい。介護の仕事をしながら放送大学に通って、介護福祉士の資格も取ろうとしているなんて、どれだけ努力家なんだと優良物件に見えたらしいです(笑)。

でも27か28歳で結婚して、30歳で子供が生まれてもまだ社会福祉士の専門学校に行って、社会福祉士の資格を取ろうとガツガツ勉強しているのをみた時、これはおかしいな、やり過ぎじゃないかと思ったようです。

今思うと、自分はすがるものがなくなって、仕事や勉強に依存していたのでしょうね。

酒と勉強・仕事依存からの脱却

——その後、お酒もすっぱりやめたそうですね。

少しずつ量は減っていたのですが、9年前に仕事に穴を開けたことをきっかけにやめました。二日酔いになって風邪をひいたんです。それで反省して、1週間ぐらい飲まなかったら、その後もずっと飲まなくなった感じです。35を超えてだんだん酒に弱くなってきたことも後押ししました。

——資格や仕事への依存は変わってきましたか?

ガツガツ教科書を読んでいたのですが、43歳の時、試験の2週間前に急に教科書が開けなくなったんです。多分これが中年の危機というやつなのかなと思いました。年齢に限界が来たのかなとも思いました。

実は35歳の時に私は一度鬱になっています。施設の立ち上げの仕事をしていて、「俺が俺が」と前のめりにやっていたら、無理があった。そして、43歳の時に体がストップをかけました。その時は睡眠薬と安定剤を飲んでいました。

開いてしまった心の蓋

——宗教2世としての経験に向き合い始めたのはいつ頃からですか?

45歳の時です。43歳の時に中年の危機を迎えたと思っていたのですが、少し良くなったらまた公認心理師の勉強を始めちゃったんです。

35歳で鬱になった後に働いたのは地域包括支援センターでした。そこで主任ケアマネと社会福祉士として、高齢者虐待を専門に担当していました。

高齢者虐待の中で性的虐待というものがあるのですが、10年以上やっていても私は対応したことがない。もしかして見逃しているのではないかと思って、公認心理師になってから、内閣府が主催している性暴力被害者支援の医療職の研修に通ったんです。2019年の8月のことです。

その時に「複雑性P T S D(※)」の概念を習ったのですが、その後遺症が、自分そのままだったんです。「否定的自己概念」とか「感情調整ができない」とか、まるで自分のことを言われているようでした。

※トラウマティックな経験の積み重ねで、フラッシュバックや悪夢などの通常のP T S D(心的外傷後ストレス障害)に加え、対人関係に困難があり、社会生活に支障をきたす状況。

まさか自分がそこまで酷いとは思っていなかったので、性暴力被害に遭った方と、自分を一緒にするのが申し訳ないと最初は思っていました。

でも複雑性PTSDについて調べれば調べるほど、自分の子供時代ってもしかしてすごく深く、複雑に傷ついてきたのかなと気づいた。それがわかった途端、一気に心の蓋が開いてしまいました。

それに重なるように、身内のトラブルに巻き込まれた母親から助けを求められたことがありました。今まで母親のことは許していたと思っていたんです。でもその時、怒りのフラッシュバックが強く湧き上がりました。

同じ頃に息子が16、17歳で弟が自死した年齢と近かったのですが、たまたま遺書に書いていた言葉と近い言葉をつぶやいたことがありました。それを聞いたとたん、「こいつもいなくなるのか」と弟の死が迫ってきて、混乱してしまった。ダメ押しの一撃でした。

こうしたことが2020年の1月に立て続けに起きたんです。そのダメージで対人援助職が続けられなくなったらいけないと思いました。「自分の過去と向き合わないといけない」と思い、そこから宗教2世としての過去を見つめるようになりました。

自助グループに参加 「自分は回復していなかった」

——具体的には何をしたのですか?

Xのアカウントを、宗教2世についての発信専門にしました。

元々は公認心理師のプロモーション用に作ったアカウントです。

でも誰かから助けてもらわないと自分はダメになると思ったんです。白旗をあげました。カッコつけていられないし、人様のことよりもまずは自分の傷つき体験に向き合わなきゃダメだと思いました。そこがスタートでした。

——ネットで当事者と繋がり始めたのですか?

そうです。たまたま宗教2世の文学者の横道誠さんが自助グループを始めていたんです。私がやりたかったことがすでに形にされていたので、そこに乗っかる形で交流を始めました。

——そこで自分の体験を話してみていかがでした?

自分だけじゃなかったんだ、と思いました。あとは言葉が通じる体験ができた。共通言語が通じて、孤独・孤立感がなくなりました。安心・安全な場で話せることがすごくありがたかったです。

28歳から45歳まで「自分は回復した」と思い込んでいました。立ち直っているし乗り越えているんだから、当事者同士で傷の舐め合いをすると足を引っ張られるとさえ思っていました。だからそういう場を避けていたのですが、それが間違いだったと気づきました。

自分は逃げていたとわかったのもショックでした。母を許していたと思っていたのに、怒りのフラッシュバックが起きたら、全然許していないことがわかった

——依存症についても発信していますね。

私のXのアカウントは依存症界隈の方も結構つながっています。

——A S Kの依存症予防教育アドバイザーになろうと思ったのも、自分に向き合う過程の一つですか?(平出さんと岩永はアドバイザー10期生の同期)

心の蓋が開いて、色々調べていた時に、A S Kのトラウマケアの本とスキーマ療法が自分の傷つき体験の説明書のようになっていました。そんな縁がありました。あとは本業の仕事でも依存症の方とは多く出会います。適切な対応を知るためにも、勉強する必要があると思ったのです。

困っている人にはトラウマがある可能性を踏まえたケアを

——自分と向き合ってみて、改めて気づいたことはありますか?

一言で言うと、トラウマ・インフォームド・ケア(※)の必要性ですね。

※支援者がトラウマについての知識や対応を身につけ、支援対象の人にトラウマがあるかもしれないという観点に立って接する支援のあり方。

依存症の方も含めて、トラウマ・インフォームド・ケアの観点が公衆衛生のレベルでもっと広がってほしいです。「逆境的小児期体験」のある人がケアを受けないまま大人になってしまった場合のケアも、重要です。

——それは自分にも必要だし、自分が支援する立場でも大事な観点ですね。

そうです。ただ、宗教2世の問題に関しては僕はあくまでも一当事者です。自分のできる範囲でピアサポートをして、自分の回復を最優先にする。余裕があったら他の人の回復もお手伝いするという感じです。

——よく依存症では、「誰かを助けることが自分を助けることにつながる」と言いますね。実際そういうものでしょうか?

そうですね。これも聖書の原則の一つかもしれませんが、「受けるより与えるほうが幸福です」といいますね。「情けは人の為ならず」という言葉もありますから、東西問わず普遍的な考え方かもしれません。

子育てからは少し逃げた

——これだけ過酷な思春期を生き延びてきて、今はその経験をもとに誰かを支える側にまわっていますね。

でも、まずは妻の機嫌をとりながら住宅ローンをなんとかするのが最優先です(笑)。20歳の息子と16歳の娘もいますからね。

——お子さんを育てる時に、自分も同じことをしたらどうしようと不安ではなかったですか?

一人目の時は向き合えなかったです。仕事に没頭して、子育てからは逃げていましたね。そこは本当に申し訳なかった。最初の10ヶ月ぐらい逃げていました。みなさん、赤ちゃんの泣き声でフラッシュバックを起こすんです。僕の場合は単に逃げていただけですけれど。

「俺はもっと頑張らないと人並みになれないのに、足を引っ張る存在だ」と思ってしまう自分がいました。「俺が稼いでいるんだから」という昭和的な発想もあったのでしょうね。

——自分が親にされたことを子供にやってしまうかもしれない、という恐れはなかったですか?

そこは大丈夫でした。

——今、アルコールやギャンブルをやりたいという気持ちが蘇ることはありますか?

今はないですね。酒は9年飲んでいないですし、競馬を見るのは好きですけれど、賭けるとかえって楽しめない。パチンコ屋も時間がもったいないという発想になりました。

——宗教2世の問題に関しては、安倍晋三元首相の暗殺でも非常によく取り上げられましたが、そうした報道で傷が疼くことはあるのでしょうか?

報道よりも当事者と話している時のほうが思い出しますし、エホバの証人の教義が変わったという話を聞いた時のほうがきついです。

アルコールやギャンブルについては、酒を飲まなくなって半年ぐらいからやめている自分の方にプライドが持てるようになりました。「やめている俺、偉いでしょ?」という単純な感情です。でもそれも、人から褒められたいという感情からなのかもしれません。

「見て見ぬ振り」が一番辛い

——ご自身の体験をこうして外で話そうと考えたのはいつ頃からですか?

名前や顔を出して話し始めたのは去年2023年の11月です。それまでは名前や顔はなしで、「ちざわりん」というハンドルネームで出ていました。

——匿名であっても自分の体験を外に向けて話すのはなぜですか?

取り上げてくれるのがありがたいですからね。私たちは見て見ぬふりをされてきたわけですから。心の蓋が開いてから、宗教2世問題に関して10年ぐらいかけて学会などで発表してきました。真剣に研究して、最終的に学会などで「宗教教育虐待」とという表現で、訴えられたらいいなと思っていたんです。

安倍元首相の事件があってからは、こちらが努力しなくても取り上げてもらえるようになりました。こういう立場に置かれてきた人間としてはかなりありがたいことです。

——社会に対して「見て見ぬ振りして誰も助けてくれない」という見捨てられた感があったのでしょうか?

それは父親に対して感じていました。それがベースでした。学習性無力感ですよね。誰に言っても無駄だという感覚でした。だから今、私たちのことを発信してくれる人に対しては感謝しかないです。

声をあげて、誰かとつながって

——ただ、信仰それ自体は否定されるものではないですし、宗教2世が必ずしもみんな困っているわけではないかもしれない。外部から「あなたは困っているはずだ」とそんな認識のない人に言うのも難しいです。もし現在進行形で困っている宗教2世がいるとして、社会はどうすればいいのでしょうね?

民事不介入ですから難しいですし、運が悪かったとしか言うしかない。しかも相手が上手すぎます。調べれば調べるほど勝てる気がしない。

難しいし、解決法はないと思います。むしろスッキリ解決法を見せるのがカルトなので、不確実性に耐えながら、善悪二元論に立ってスッキリさせようとするものに私たちは抗わないといけない。やはり対話をし続けるしかないですね。

東京都の東京OSEKKAI化計画より

最も尊重されるべきは、やはり子供の人権です。信じない自由を尊重してほしい。東京都も児童虐待のパンフレットに「宗教虐待」が入りました。厚生労働省もQ&Aを出してくれているし、失われた30年と言われていますけれども、私たちからすると子供の人権に関しては進歩していると思います。

——子供は幼い頃は親が価値観のベースを作りますから、親が「これがいい」というものに疑問を抱くことは難しそうです。自分を育ててくれる人に歯向かえば、生きていけません。どうすればいいのかと思います。

やはりサバイバーができる範囲で声を上げていくしかない。やれる範囲ですけれども。

——平出さんの発信を読んだ人が「もしかしたら自分もこれかも」と思ってくれたら、そこから抜け出すきっかけになるかもしれないですね。

気づいた後がまた大変かもしれませんが、とにかく孤独や孤立に陥らないでほしいです。今は匿名で発信できるS N Sもあります。声を上げたら誰かと繋がることもできます。

ただ、虐待を受けてきた人は自分軸がないから、簡単にずるい人の搾取の対象になってしまいます。ずっと支配とコントロールの下にいたから、そこに付け込まれてしまう。それは気をつけてほしいなと思います。

(終わり)

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