Addiction Report (アディクションレポート)

安心して「死にたい」と言える場を 雨宮処凛さんが赤坂真理さんの本で救われたわけ アディクト対談(1)

赤坂真理さんの新刊『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』で救われたという雨宮処凛さん。二人の豪華アディクション対談が実現しました。5回連載で詳報します。

安心して「死にたい」と言える場を 雨宮処凛さんが赤坂真理さんの本で救われたわけ アディクト対談(1)
赤坂真理さん(左)と雨宮処凛さん(右)(撮影・後藤勝)

公開日:2024/08/24 02:00

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ある人がアディクションに苦しみながら書いた考察が、別の誰かを救うこともある。

最近、そんな経験をしたのが、作家で活動家の雨宮処凛さん。

作家の赤坂真理さんが6月に出版した『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』(医学書院)を読み、悩まされていた心の捉われから解放されたのだという。

Addiction Reportでの赤坂さんのインタビュー記事を読んで、「対談ができないか」と持ちかけてくれ、赤坂さんも快諾。豪華アディクション対談が実現した。

5回連載で、詳報する。

読んだら自分語りが止まらなくなる本

(雨宮さんが『安全に狂う方法』を読んで、ご自身が悩んでいる思考の捉われについて色々考えさせられたそうです。それについて考察した記事も発表するのだとか)

雨宮 imidasで書いている「生きづらい女子たちへ」という連載で、「『安全に狂う方法』と、『狂った世界』で壊れずに生きる策」というコラムを書きました。

赤坂 ありがとうございます。書評のような感じですか?

雨宮 書評というよりは、この本を読んでの自分語りです。これを読んだら誰もが自分語りが止まらなくなる感じがします。

赤坂 それは褒め言葉だ。

雨宮 それがすごくヤバいなと思って、自分でもついつい余計なことを話してしまいそうになる(笑)。

赤坂 やったー!

(そういう風に読んでもらうと作者としては嬉しいものなのですか?)

赤坂 感想を言うのに「個人的なことで恐縮ですが」と言う方がいるんですが、それ聞くと嬉しい。やったと思う。その人の中の何かを喚起することができたんだと。「初めて言うことですが」と打ち明け話をしてくれる方もいます。個人的なことなんてとるに足らないと、その人たちは思うのかもしれないですが、個人的なことしかリアルではないです。たとえ集合的な体験だとしても、個人が感じることしかできない。だから自分も個人的な感覚を大切にしています。そして個人的な体験たちの中に共通する何かや背景が見えてきたりします。そこをすくうのも自分の仕事だと思っています。

雨宮 私、赤坂さんの小説はずっと読んでいるのですが、赤坂さんの小説を読んでいる時にしか発動しない脳の回路があって、それが今回もすごく発動しました。途中から小説を読んでいるような気分になって、すごく不思議な、強烈な読書体験をしました。自分が追体験をしたような感じです。

赤坂 言葉の使い手としての自分の欲求に「人をそこへ連れていきたい」「体験させたい」というのがあるので、何を書いても小説的に書き起こすところはあります。自然なところと意図的なところがあります。

あと、文体やスタイルを一貫させるのって、一種の無理だと思っているんですよね。文体は、混ざるものだし主題や場面によって変わる。

文体として理想の書は、石牟礼道子の『苦海浄土』で、語りもののようなところ、ルポ的なところ、裁判記録、医療資料、エッセイ、などなどあって、それすべてあって、文学だなあと思うんです。

小説がいちばん全部を含みやすい器だと思う。その意味で小説的と言われるのはとても嬉しいです。突き詰めると、AIが上手い文章書ける時代に「人」が書いた言葉にしかできないのは「乗り物であることそのもの」のように思います。

何回も読んでいるうちに捉われから解放

雨宮 しかもこの本を何回も読んでいるうちに治療効果がありました。

赤坂 え、それは嬉しい。どんなですか?

雨宮 自分の思考の捉われは、ネットでの自分への罵倒のような言葉がすごく頭にこびりつくということだったんです。それなのにSNSを見るのをやめられない。数年レベルでずっと続いていました。そこから解放されるには死ぬしかない、とまで思い詰めていたのが、これを読んで、なぜか治ったんですよ。すごくないですか?

撮影・後藤勝

赤坂 それが治ったらすごいんですが! それ、いちばん離れるのがむずかしい「思考アディクション」だと思うんです。要するに「考えが頭から離れなくなること」。難しいのは、他人の考えでも、自分に入ってしまったら自分の考えのようにこびりついて増殖するということなんです。そして自分を追い詰める。だからインターネットはものすごく危険なところがあります。その危険は過小評価されているとしか思えない。

「秋葉原事件」の加藤智大もインターネット掲示板に思考を支配されたし、「黒子のバスケ脅迫事件」の渡邊博史もそうでした。しかし、インターネットは現代のインフラだしし、思考は自分そのものに見える。だから、そこから脱するのは、難しいのです! それができたんですか? わたしの本を読んで?

雨宮 そういうことを求めていたわけではないのに、そうなってびっくりしました。

赤坂 なるほど。「うっかり治っちゃうことでしか治らない」んじゃないかとこの頃思うんです。なんで治ったんだかわからないけどこれで治ったらしい、という。理由があることは、覆りうるけど、理由がわからないものは覆せない。うっかり治っちゃうと、治っちゃう。

今、精神医療や精神看護の領域で「実績」をあげている方法は、当事者研究にしろオープンダイアログにしろ、なんで治ったんだかわかんない、という方法なんです。自分の本にもそんなところがあるとしたら、嬉しいですね。 

雨宮 この本の出版告知の文章がXに載った時に、タイトルにまずびっくりしたんです。赤坂さんがこれを書いたということに。

帯の言葉(感情に執着して苦しんでいるとき、人を殺すか自殺するしかないと思った。その苦しみから、暗闇から、地の底のようなところから、出口が欲しかった。知りたかったのは、出る「方法」だった。そんなものはないと思っていた。あったのだ。)も紹介されていたので、これは今私に絶対に必要な本だなと思いました。

こわれ者の祭典との共通点

雨宮 出版される前に予約して、出版直前に「こわれ者の祭典(※)」があったんです。「死にたい人、人を殺してしまうかもしれないと悩んでいる人は来てください」と呼びかけるようなイベントで、赤坂さんもS N Sで反応していましたね。

※依存症や摂食障害など生きづらさを抱えた人が、自身の思いをトークやパフォーマンスで表現するイベント。雨宮さんは名誉会長。

赤坂 はい。しました。

雨宮 それを見て、これは絶対に赤坂さんと話したいと思いました。イベント会場にはいらっしゃってなかったですが、赤坂さんのこの本はこわれ者の祭典に通じるものがあると思いました。本で引用している「回復に殺される」という依存症当事者の言葉もそうだと思います。「こわれ者の祭典」に行ったことはありますか?

赤坂 「こわれ者」という言葉のセンスなどはさすがだと思います。大人数で公開有料イベントであると、当事者がどれほど真実を言えるかはわからないのですが、全般的に、アディクトの言葉は、20代の頃からずっと好きで、文学だと思っているんです。

雨宮 そうなんですか!私はこわれ者の祭典に20年ほど関わっているのですが、いろいろな病気や摂食障害、パニック障害、アルコール依存症などからどう回復したかを伝えるイベントです。私は2000年代はじめに東京で初めて見たのですが、その頃は練炭自殺が流行っていた時期で、「練炭で死ぬ前に俺たちを見てくれ」というのがイベントのキャッチコピーでした。イベントでは、「こわれ者」メンバーが、アルコール依存症自慢とかリストカット自慢とかの「生きづらさ自慢」トークをして、どうやって回復したかという話をするんです。

主宰者の月乃光司さんは、アルコールに依存して引きこもっていた時のパジャマを着てステージに立ち、連続飲酒状態でどんな失敗をしたか、引きこもっている時にいかに惨めな日々だったかなどを笑い話にしながら語るんです。

それを見ると、ちっとも回復していないんですよ(笑)!回復してないというか、パッと見はただのパジャマ姿の変質者のおじさんて感じで、今は女子プロの選手の推し活をしている。もう一人のメイン出演者は元バリバリのヤンキーで、摂食障害で過食症になって、閉鎖病棟に入院したことがある。Kakkoさんというんですが、回復したと言いながらロリータの服で女装しています。出演者が全員様子がおかしくて、どん底からは良くなっているけれども、ちっとも立派じゃない。そういうところがいいんです。

赤坂 ちっとも立派じゃないっていうのはいいですね。

「回復」が、「再びよき社会人に順応すること」、だとしたら、回復なんて要らんのです。そこが苦しくてアディクトにまでなったはずなんですからね。そこから外れたかったし、壊れたかった。そして、うまくない方法であったにせよ、幸せになろうとして始めた。お酒でも薬でもなんでもです。だったら、幸せに生きればいい。かたちが問題じゃない。壊れてたっていい、幸せならば。『安全に狂う方法』が本になる前、「表現の中で安全に壊れること」という題の雑誌特集(『精神看護』)がありました。それがすごく反響がありました。安全に壊れる方法、安全に狂う方法は、必要だと思いました。誰にでも。

あと、アディクションの傾向そのものは、治りはしない気がします。最初の主なものがやんで、止み続けることを「回復」と世間は呼ぶのだけど、その間、当事者は症状を転々とすすることは知られていない。お酒やめて、ギャンブル、処方薬、それからたとえば女装とか。人は、何か固着先を持ちたい生き物なのかななんて思ったりします。

アディクションって、「小さく死んで(壊れて)生きのびる方法」じゃないかと思ってもいて、生きのびる方法であると同時に、死に近くもある。死にながら生きている、みたいな、両義性がある。

雨宮 死にたくなる時ないですか?

赤坂 この間、『安全に狂う方法』へのアンチコメを無防備に読んでしまって、インターネットの言葉で人が自殺しちゃうことある、っていうのが初めてわかる気がしたの。どうしてあそこまで喰らっちゃうか、説明はしがたいんだけど、インターネットの言葉って、喰らっちゃう。SNSも含めて。

わたしはすべてが地雷原みたいに思うんだけど、つい見てしまうね。地雷そのものを踏んじゃう時と、流れ弾に当たる時とがある。どんな時にどんな場所でもあるんだけど、インターネットはそれが高い。それで一日台無しになりそうだったり。自分のコンプレックスが刺激されるんじゃないかなと思ってる。

撮影・後藤勝

そのとき具体的には、「ただのエッセイ」って書かれてたんですよね。ずっと持ってた葛藤がぐるぐるした。エッセイがなぜか低く見られるのは知ってる。でも人が、なぜ小説や論文なら真実のように受け入れるのか、そっちの地位が高いのか、そこに理由はない。小説や論文のフォーマットに乗せることで死ぬものもあるし、生で書いた方がいい素材というものもある。わたしなんか小説にしようとしてどれほどの素材が死んでいるかわからないです。

なんらかのスタイルに加工しなければいけない、と思いこむのはつらい。『寂しすぎてレズ風俗に行きました』などのエッセイ漫画で知られる永田カビさんもそれで悩む様子を描いています。わたしにもそういう葛藤はあるから、批判が刺さる要因はわたしの中にもある。しかし「ただのエッセイ」だろうと、洞察はあるし、デリケートな主題において言葉を尽くす覚悟はある。その矜持が、全世界に否定されるような気分(笑)。

よく見れば、数ある中の一つでしかない。でも、否定的な言葉や攻撃的な言葉が、本当よく刺さる。自殺者がよく出るくらいだし、処凛ちゃんもインターネットの言葉が頭から離れないのがアディクション、って言ってましたよね。これは思うよりずっと大きな問題なんじゃないかな。もっと探求も研究も注意喚起もされた方がいいと思う。

雨宮 たぶん低評価な人は、インスタントに救われることを求めているんじゃないでしょうか。「こうすれば治ります」みたいなものを。

赤坂 あとは論文みたいに形式がちゃんとしていることを求めているみたい。「ただのエッセイじゃん」と言われて、「何を求めているのかな」と思いました。

「正しい人間」であることを求められるSNS

(雨宮さんが死にたくなるほど気になったS N Sの言葉ってどういうものなのですか?)

雨宮 積み重なっているから、もう何がとか特定できない。容姿や人格否定や過去の言動を発掘して切り取って罵倒とかいろいろありますが、最近の傾向としては「正しさ依存」のような、正しい人間であることを過剰に求められることがありますね。

例えば、今は吸っていないのですが、喫煙者だったことを怒られたり、ベジタリアンでないことをめちゃくちゃ怒られたり、「もっとパレスチナを救うことをやれ」と怒られたりする。あれをやれこれをやれ、と言われて、「ホームレス支援をしているなら自分の家に引き取れ」とかめちゃくちゃなものもある。それを言っている人が病んでるなとも思うんです。

今はS N Sで世界中の悲劇が瞬時にわかるようになっていますよね。その上、私たちは見て見ぬ振りをしないことや不公正に敏感であることが良いという教育を受けている。そんな価値観の中で、今、私たちは人類が経験したことのないほどの情報量をリアルタイムで浴びている。それに対してキャパオーバーしてる人が、正しげなことを言っているっぽい人に世界の不条理への憤りをぶつける。S N Sはそういう捌け口にもなっている気がします。そんな「前代未聞のゴミ箱」のような扱いをされていると、おかしくなってきます。

(雨宮さんがそうした言葉を気にしていたのが驚きでした)

雨宮 ある時期まで気にしていなかったのですが、たぶん容量がオーバーしたんじゃないですかね。

(どういうふうに気になるんですか。その言葉が頭の中で回る?)

雨宮 気にしている自覚はないのですが、その言葉が頭の中からずっと離れない。ずっと脳にこびりつく感じだったのですよね。

赤坂 人の「全体」から発された言葉だったら、いろいろ要素があるから、言葉そのものをそんなに喰らわないと思うんです。インターネットのテキストは、純粋な、意味だから。あと、エネルギーが乗る気がしてる。悪意とか、ストレスとか。書く人もあんまり意味なしにストレスで書くものかもしれない。

それと普段のコミュニケーションでも、こじれるのはテキストベースのものなんですよね。テキストは、自分の感情をそこから剥がしにくくなるのも特徴。そのうえ証拠まで残ってるから、みんなが、こだわりやすい。

雨宮 そうですよね。「こう言ったじゃないか。証拠はあるぞ」みたいな感じになりますよね。

安全に狂ったところを見せられる場

(雨宮さんはこの本を読んで、S N Sで投げつけられた言葉への捉われがどのように解決していったのですか?)

雨宮 赤坂さんも色々苦しいんだ、ということを知ったのが一番かな。その苦しさに対して、色々試行錯誤しているんだとわかったことが大きい。普段、他の人のそういう面は見えないじゃないですか。みんなキラキラしているところしか見せない社会になっているから。そういう部分を出してくれる人がいないですよね。

私は1990年代後半に自殺願望がある人たちのイベントによく行っていたのですが、安全に狂ったところを見せられる場が90年代はたくさんあったなと思います。ロフトプラスワン界隈などです。そこでは死にたい人たちが、死にたい願望だけでなく、殺したい願望や無差別殺人願望などを人前でバンバンしゃべっていたんです。

それでお客さんも「自分もそうだ」と感じて救われる。こわれ者の祭典でも月乃さんは「新潟駅で返り血を浴びても大丈夫なように雨合羽を着て、人を殺しまくる」妄想をしていたという内容の詩を朗読しています。そんな話ができる場が、少し前はたくさんあったんです。

でも今そういう話をしたら、スマホで撮影され、文脈をぶった斬って一部分だけが切り取られてS N Sで拡散される。そして、社会的立場が終了、みたいなことになる。安心して狂ったところを見せられる場がなくなりました。それもすごく大きいのだろうなと思いました。

安全な自助グループの必要性

赤坂 私は自助グループが必要だなと思っています。完全にクローズドで、そこで何を言っても良くて、守秘義務があって、誰も動画撮影しない。

雨宮 そうですよね。そういう自助グループ的な場が昔はたくさんありましたね。

赤坂 グループの有無や数じゃなく、動画を撮って投稿するとかはリテラシーの問題なのかも? あるいは会の前提の問題。ここには守秘義務があります、それを守れる人だけ来てください、という約束を主催者側が持つ。秘密が守られることで、参加者は安心できる。人の秘密を守ることは、自分の秘密も守られること。

雨宮 そういうところに、どうやってめぐり合うかが難しくないですか?

赤坂 自分で作ってもいいですよね。

雨宮 私は2000年代初頭ぐらいに、自傷系サイトのオフ会によく行っていて、そこでは死にたい当事者が自助グループを作っていました。リストカットなどをしている人がインターネットによって初めてつながったような場だったのですが、いつからか自分の方がより苦しいとアピールする場になっていって、そこに参加した人がどんどん命を落としていく、ということがありました。自殺もあれば、自殺か事故かわからない死もありました。

その少し後にネット心中が流行ったのですが、そういう経験から、素人や当事者が自助グループを作る危険性について考えるようになりました。そもそもその自助グループが世間で言われている自助グループのあり方と同じなのか違うのかもよくわからないのですが、ニーバーの平安の祈り(※)も唱えられていました。

※アメリカの神学者ニーバーの祈り。アルコール依存症や薬物依存症の回復プログラムのベースとなっている。

平安の祈り

神さま、私にお与えください。

変えられないことを受けいれる穏やかさを。

変えられることを変える勇気を

そして両者を見極める賢さを

どういう自助グループが「正しい」のかはわからないのですが、とにかく死者が何人も出たのがショックでした。そこに参加していたのは、ネットで初めて検索するワードが「自殺」だったような人たちです。

ただその後、月乃さんとの出会いがありました。月乃さんはまさにアルコール依存症の自助グループで回復していった方なので、自助グループもそれぞれ違うんだという気づきがありました。

「死にたい」気持ちの吐露が危険に

赤坂 月野さんが通っていたのが自助グループだとすると、守秘義務と、言いっぱなし聞きっぱなし(良くも悪くも反応しない)の原則があったはずです。あとは、AA由来の自助グループであれば「12ステップ」が下敷きになっていて、その段階を踏んでよくなろうというグループだったはずです。「壊れものの祭典」は、参加者の守秘義務などには触れられていなかったので、その意味では自助グループというよりは催し物だとわたしは捉えています。

自論なのですが、自助グループには瞑想が必要と思っています。自分が持つとしたらそうします。実際、12ステップにはステップ11で「祈りと瞑想」という言葉が出てきます。日本語では「黙想」と訳されているのですが、原語にmeditationと書いてあります。12ステップはもともと霊的な次元を含んでいます。アディクションは、個人の努力ではどうにもコントロールできなかったこと。だからそれに対して無力であることを認めて、個人や人間を超える力や摂理に委ねると決める。「霊的」というと拒否反応を示す人もいるとは思うんですが、個人や人間を超えた何か大いなるものがなければ、心臓一つ、自力で動かせている人はいないです。

自分の体験から(12ステップからというより)、自助グループは瞑想とセットであるべきと思っています。体験を語り合うだけでは、体験競争みたいになってしまうおそれがある。人間には、人間が面倒を見られるところと、存在に面倒を見られなければならないところがある。そう思っています。これは本当に思っています。

「死にたい」という気持ちを安心して言える場所「死にたいアノニマス」というのを作ろうとした時期があるんですが、参加者が本当に死んでしまったらどうしようと思って、二の足を踏みました。これをするには、瞑想が絶対に組み込まれていることが必要だと思います。

あと、わたしの属する瞑想の伝統に「死を祝う」という慣習があるんです。「とはいえ死を祝ったりできない」とわたしも師に言ったのですが、師の応答が「嬉しいから祝うわけじゃない。惨めさも苦しみもすべて、祝うということだよ」というものでした。誰しも、もし自分が死んでそのように祝われると知っていたら、生きる質が変わってくるのでは。そういうふうには思います。

雨宮 死にたい気持ちがどんどん感染していくようなところがあるじゃないですか。そして一人死者が出てしまうと、そのコミュニティ自体が異常な空気になってしまうところがある。

(座間の9人殺害事件は、ネットでつぶやかれた「死にたい」という気持ちが悪用されてしまった事件でしたね)

赤坂 座間の事件ってどういうのだっけ?

雨宮 Twitterで自殺願望などをつぶやいた女性たちを自宅に招いて殺害し、結果的に9人もが犠牲になった事件です。

安全な場で「死にたい」と言うと適切な支援などにつながって助かる場合がありますが、そうでない場で「死にたい」と言うと、事件に巻き込まれる可能性もある。「死にたい」ということも言いにくくなっていますよね。

一方で、あの事件以降、Xで「死にたい」などとつぶやくと、すぐに自殺対策のサイトとかが出てくるのも、システマチックでなんだかなぁ、という気がします。

インスタントには救われないけれど

(死にたいと安全な場で言いづらい社会で、こういう本を書くことはある意味、勇気がいることだったのでは?)

赤坂 突き詰めると、自分には勇気しかないんですよ。洞察と、勇気ですね、自分にあるのは。立場もなんにもない。

雨宮 みんな感謝していると思います。だって何かある人じゃないと、このタイトルの本読まないですもの。何か抱えている人じゃないと読まない。私も藁にもすがる気持ちで読みました。

赤坂 ネットの言葉に捉われて死にたいと思ったから?

雨宮 そこから解放されないからです。まさに「思考の捉われ」です。発売されてすぐ読んで、思えば1ヶ月くらいでとらわれが消えていた。通信販売の宣伝文句みたいに「これで治った!」とか言いたいくらい(笑)。

ただ、インスタントに救われる本ではないし、万人に効くものでもない。その人なりの解釈で勝手に救われる本だと思います。

(続く)

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コメント

17日前
匿名

小さかく死んで生き延びるの言葉が刺さりました

 そして妙に納得

21日前
まり

雨宮処凛さんまで登場!

スゴいメンバーが続々出てきますね。

連載、楽しみです。

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