「痩せることしかできず止められなくなった」摂食障害からアルコール依存症に陥った女性
高校に入ってから摂食障害になり、35kgまで体重が落ちた佐々木さん(仮名)。さらに、大学に入ってからはアルコール依存症にも陥り、急性膵炎で膵臓の三分の二を失ってしまう。なぜ佐々木さんは摂食障害・アルコール依存症に陥ってしまったのか。
公開日:2024/12/11 08:00
自分にできることが痩せることだけだった
現在飲食店でパートとして働いている佐々木亜由美さん(仮名・32歳)は摂食障害や内蔵を壊して入院回数が10回もある女性だ。佐々木さんが摂食障害に陥ったのは高校に入ってすぐの頃だったという。
「偏差値が70を超えるハイレベルな高校に入学したんです。周りは私より勉強ができる人ばかりで、勉強の他にもスポーツ推薦で入ったり、何かのコンクールで賞を取ったとか特技があったりする人ばかりでした。家柄も良い人が多くて、顔面偏差値も高い子が多かったです。私は勉強がそこまで好きではないし、周りと比べて何もできることがなくて、世界ってこんなにすごい人がたくさんいるのだと、高校に入って初めて挫折というものを味わいました」
佐々木さんが自分に何かできることはないかとたどり着いたのがダイエットだった。人生初のダイエットだったので、どうやってやるか分からずとりあえずほとんど食べないという手法を取ったら、停滞期もなく47kgから35kgまでするすると落ちた。ちなみに身長は154cmで、BMIは14.76で低体重だ。
「食事は一日ご飯茶碗一杯程度で、でも学校のお昼には何か食べていないと周りに変に思われそうなのでゼロカロリーのゼリー飲料を飲んでいました。家では私が食べないことで親が怒り、『牛乳一杯を飲みなさい』ということだけで口論になりました。実は母親も過去に過食嘔吐の経験があり、食べることで喧嘩をすることが多くなりました」
35kgまで痩せてしまったことで、最初はクラスメイトが心配していたが、だんだん腫れ物に触れるような扱いになっていった。しかし、佐々木さんにとって一度落とした体重以上になってはいけないという思いがあり、体重計に乗って35.1kgだったとすると、この100gは何なのか、この100gは増えてはいけない数字だと自分を責めた。
「痩せることをやめられなくて、食べるのも怖くて。この体重ならもう痩せることをやめていいはずなのに自分の中でやめちゃいけないという意思が強すぎました。こんな状態になって、自分は摂食障害だという自覚がありました。カーペンターズのカレンさんが拒食症で亡くなったのを知っていたのと、他にもネットで調べたりして自分もそうだと思ったんです」
その後、佐々木さんは精神科を受診する。しかし、精神科界隈では「精神科ガチャ」という俗語があり(精神科医の当たり外れがあること)、最初にかかった精神科医はとにかく薬を処方する医師で、多いときは一日50錠も薬を処方されていた。しかし、それだけ薬を飲んでいると副作用がひどく、起き上がれなくなり、初めて精神科に入院した。しかし、入院しても薬を出されるだけだったため、夜逃げするように退院したという。
拒食から過食嘔吐、そしてアルコール依存症へ
摂食障害を抱えたまま佐々木さんは高校を卒業し、大学に進学した。大学に進学すると、今度は過食が始まった。野菜やパンやお菓子、アイスを3時間ほどダラダラ食いするようになった。パンを選んでいたのは袋から出してすぐに食べられて手軽だったからだという。母親からは「私は食べた後吐いていたけど、あなたは吐かないでね」と言われていたが、逆に「吐くという手があるのか」と、過食の後は嘔吐した。そして、大学入学と同時にアルコールに依存するようになった。
「新歓コンパでたくさんお酒を飲むとみんなが『ノリが良い!』と喜んでくれるのが嬉しかったんです。お酒を飲んだらチヤホヤされるのかと。お酒を飲むと気が大きくなるので、そのうち大学の講義前や友達に会う前にもウィスキーの小瓶をストレートで飲むようになりました。飲んでからだとグループワークでも緊張せずに発表ができたんです。私、お酒を飲むとめっちゃ饒舌になるんです。それに、お酒だけ飲んで何も食べなければ太らないことも分かって、ますますお酒に頼るようになって飲む量も増えていきました」
ある日、佐々木さんは友達に誘われてガールズバーでバイトを始めた。お酒を飲んでお客さんと話してお金がもらえるなんて、天職だと思ったという。自分がお酒を飲むとお客さんも喜ぶことが嬉しかった。また、シラフだとお客さんと話せないので、シフトに入る前にも飲んでいた。ただ、このバイトは4ヶ月ほどしか続かなかった。
「大学二年生のとき、好きだった祖父母が亡くなって、精神的に落ち込んでしまいました。ほとんど眠れず、食べられず、お酒を飲みました。それで、大学を1年間休学して総合病院の内科に入院することになりました。そこでは摂食障害の人が4人いて、みんなガリガリでナースステーションの前で食事を摂ることになっていました。体重を増やして退院してね、という感じで、特に大きな治療をすることはありませんでしたが、認知行動療法に近いことはやったような気がします」
この頃は内臓もボロボロで、腸がうまく機能せず、食べても栄養を吸収できずに数時間後には水下痢として排出されていたという。
大学は「摂食障害のため」と記載して中退の手続きをした。
急性膵炎で膵臓の三分の二を失う
退院後も佐々木さんはアルコールを摂取し続けた。しかし、そのせいで佐々木さんは23歳のときに一度死にかけてしまう。
「ずっと慢性膵炎を患ったまま飲んでいたのですが、ある日急性膵炎になってしまったんです。とにかく左側の心臓付近が激痛で、これは死ぬんじゃないかと思い救急外来に駆け込みました。目を覚ますと、もうこれはヤバイわ、と思いました。膵臓から分泌される消化液で膵臓の三分の二が溶けてしまったんです。それに、一時は敗血症にもなってまさに生きるか死ぬかの瀬戸際でした」
抗菌剤と抗生剤を24時間点滴され、あとは摂食障害で体重が足りないので、ご飯を食べるという指導を受けた。腹筋を使って起き上がれないので、病院内で運動療法も受けた。溶けた膵臓はもう戻らないので、抗菌剤と抗生剤で正常な状態にするという治療だった。
膵臓の三分の二を失ってからアルコールをやめた佐々木さんだが、スリップをしてしまう。
「膵臓の一部を失ってから、大学病院の内科に入院していて、そこでは真面目に治療を受けてそこそこ元気になって退院しました。でも、退院して家で引きこもっていたとき、どうしてもこの先、漠然と不安になってしまい、そういえばお酒を飲んだら楽しかったよなと思い出して飲んでしまったんです」
しかし、すぐに酒臭いことが両親にバレ、大目玉をくらった。佐々木さんはそのスリップ以来、約6年お酒をやめ続けている。飲んだらまた寝たきりの生活になるのが怖いからと、飲まなくてもやっていけると思えるようになったからだそうだ。お酒があっても悪くなるだけで、だったら飲まなくてもいいや、という感じだという。
「私、特に趣味がないんです。することがなくて、ずっと考えすぎてどんどん勝手に不安を自分の中で膨らませて、その不安を考えたくないからお酒を飲んでいた時期もあります。何が不安なのかと聞かれても、漠然としすぎていてわかりません」
今を生きることに精一杯
現在の佐々木さんの生活だが、朝早く起きて仕事に出かけ、お昼には普通にサンドイッチやおにぎりなどを食べ、夕方帰宅して夕飯も普通の人と同じ程度に摂れている。今の体重はもう、体重計に乗っていないから具体的にはわからないそうだ。
「この6年くらいかけて徐々に8kgくらい増えています。おそらく今は42kgくらいだと思います。でもこれ以上太るのは怖いです。腸の調子も元に戻ったので、たくさん食べると太ると思います。ただ、昔のような異常な恐怖心はなくなったので、摂食障害はほぼ寛解していると思っています」
佐々木さんはAA (アルコホーリクス・アノニマス。アルコール依存症者による自助グループ)にも通っているが、不真面目な参加者だと自称する。参加者たちはグループ内の人のことを「仲間」と呼ぶが、佐々木さんには仲間意識がほぼないそうだ。棚卸しの12ステップ(依存症から回復するための12段階のプログラム)もやっていないため考え方もあまり変わっていない。ただ、苦しんでいる人を見ると、「もうお酒はいいかな」と思うという。AAに参加している理由は、異常なほどお酒を飲んでしまっていた人間だという意識を忘れないためだそうだ。職場で飲み会に誘われたときは「下戸なんで」と偽って断っている。
摂食障害もほぼ寛解し、アルコールもやめ続けている佐々木さんは今、中退してしまった大学への復学の準備を進めている。
「この年になるとまた学びたいと思うようになったんです。それに、きちんとした中退手続きを取っているので、復学できるんです。でも、自分の将来は考えられません。二十歳の頃は25歳になったらきっと死ぬと思っていたし、今は32歳ですが、35になる前に死ぬと思っているんです。大学で何をしたいかと聞かれても、今とりあえずその先を生きてしまったときに学位があったら潰しがきくかなと。今を生きることに精一杯で将来のことが考えられないんです」
高校生活での挫折から摂食障害になり、アルコール依存症に陥ってしまった佐々木さんだが、今回の取材のオファーをした際、「私なんかで一本の記事になるのか不安ですが、姫野さんのお役に立てるのならお引き受けします」と取材の承諾をいただいた。
佐々木さんがお酒を飲み始めたきっかけは新歓コンパやガールズバーでみんなが喜んでくれることだった。佐々木さんからは誰かの役に立ちたい思いが強いことが伝わってくる。依存症は孤独の病だと言われがちだ。佐々木さんは人と繋がりたいがために「誰かの役に立ちたい」と依存症になったのかもしれない。