「約束を守るなら子どもに会わせる」アルコール依存の父と過干渉の母に提示した3つの条件
2025年7月に1児の母となったやーはちさん。「約束を守れるなら子どもに会わせてもいい」と、両親に3つの条件を提示したという。

公開日:2025/09/25 02:00
アルコールに依存し暴言を吐き続ける父と、過干渉でスピリチュアルに傾倒する母のもとで育ったやーはちさん(31)。社会人になり両親と距離を置いてからも、彼らの非常識で配慮のない振る舞いに何度も傷つけられた。
結婚、出産に際し抱えていた葛藤を振り返ってもらった。(ライター・白石果林)
【前編はこちら】
『毒親育ちが大人になってから』作者が語る「父は犬のためには酒をやめるのに…」
パートナーにケアを押し付けていた
社会人になり、やーはちさんはパートナーと同棲を始めた。両親と距離を置き、ようやく解放されたかのように思えたが、物理的な距離ができても心の傷は簡単には癒えなかった。
話を聞いてくれるパートナーに甘えて、毎晩のように両親の愚痴をこぼした。知らず知らずのうちにケアを押し付けていた。
このままではいけない。そう思い立ち、やーはちさんはカウンセリングに通い始める。カウンセラーから、「それは精神的、社会的ネグレクトですね」と告げられた。
「暴力を振るわれていたわけではないし、大学まで行かせてもらっているから、親には感謝しなければならないと思っていました。でも第三者から虐待と認めてもらえたとき、ようやく両親を許せない自分を責めなくてもいいと思えたんです」
定期的にカウンセリングに通うことで、パートナーにケアを押し付けずにいられるようになっていった。それは、やーはちさんにとって重要な一歩だった。
結婚式に呼べない両親
2022年、パートナーとの結婚が決まり両親に報告したが、「おめでとう」の言葉はなかった。
パートナーと両親、4人で食事をした日のことを、やーはちさんは鮮明に覚えている。人前で大人しくなる父は、その日もほとんど話さなかった。酒を飲まなければ、ただの人見知りな男性。高圧的で恐ろしい父の姿はそこにはなかった。母は、そんな父の機嫌を取るように父にばかり話しかけていた。
「初めて両親と会ったパートナーは『話には聞いていたけど、やっぱり何かおかしい』と感じていたようです」
両家の顔合わせでも、父は終始無言。義両親から「お父様、静かな方なのね」と言われた。釘を刺しておいたおかげで、母がスピリチュアルの話をしないでいてくれたのがせめてもの救いだった。
結婚式を考えたとき、やーはちさんはどうしても両親を呼びたくなかった。理由は父のアルコール問題だけではない。異常な金銭感覚も、彼女を苦しめていた。
公務員の父、薬剤師のパートをする母、弟との4人家族。決して貧しくはなかったが、父は教育以外にお金をかけることを極端に嫌った。交通費は10円単位で管理される。服は従姉妹のお下がりばかりで、小学生の頃の服を高校生になっても着続けた。
「母がつけた家計簿を父がチェックしていました。靴に穴が空いても『買ってください』と言い出せなかった。今でも自分にお金を使うことに罪悪感があります」
やーはちさんは、自身のZINE『毒親育ちが大人になってから』に、こんな一節を記している。
〈頭の中で父とバージンロードを歩いてみる。チャペルとつながる扉の前で、想像の父は私のドレスを見てこう言った。「いくらしたのや?」〉
結婚式を挙げるにあたり、義両親に手紙を書いた。虐待されていたこと、結婚式に親を呼びたくないこと。義両親は「ふたりが望む形で」と尊重してくれたが、「いつか分かり合えることを願ってる」とも言っていた。
一般的に花嫁の母親の役割とされるベールダウンは、大学時代に頻繁に通っていた定食屋のおかみさんに頼んだ。事情を知っていたおかみさんは、二つ返事で引き受けてくれた。友人たちに囲まれ、思い出に残るいい結婚式になった。
両親は、やーはちさんが結婚式を挙げたことを知らない。
両親に提示した条件
2024年に妊娠がわかると、やーはちさんは「約束を守れるなら子どもに会わせてもいい」と、両親にメールで3つの条件を提示した。
条件は明確だ。
・今までの振る舞いや言動を謝罪すること
・父がアルコール依存症の治療を受けること
・母が必要以上に干渉しないこと。
母からの返信は、ある意味で予想通りだった。
「お父さんは謝りたいと言っています」
「アルコール依存症の治療には時間がかかるので間に合いません」
「干渉しないことはわかりました。でも母親はそういうもので、あなたも娘を産めばわかります」
「父にも同じメールを送りましたが、返信すらありませんでした。母の『父が謝りたがっている』は嘘でしょう。結局、病院に行くそぶりも見せませんでした。父は『自分は治療が必要な人間』だと認められないんだと思います。他人に助けを求めるって強さじゃないですか。でも父はそれを弱さだと履き違えているんです」
出産したことをメールで報告すると、父から「おめでとう、性別はどっち?」と返信が来た。無視すると、次のメールが届いた。
「会社に報告するので、生年月日と名前を教えてください」
「職場に報告?そんな必要があるわけない。孫の情報を聞き出すために嘘をついているんです。『あなたが知りたいだけでしょう。もう関わらないでください』と返信したら、それきり連絡はありません」
出産祝いは当然送られてこなかった。一方で、弟を通じて入院先を聞き出そうとしていたことが後で判明した。
「今のところは会わせるつもりはない」彼女はきっぱりと言う。

家庭を密室にしない
子どもを持つかどうか、やーはちさんはずっと悩んでいた。
「ストレスで子どもを虐待してしまうんじゃないか。無理心中のニュースを見るたびに、自分も子どもを殺してしまうんじゃないかと怖かったです」
実は最初、性別は男の子だと言われていた。しかしエコーで確認すると女の子であることが判明する。
「体が固まりました。男の子が欲しかったわけじゃないけれど、距離が近くなりやすい母と娘という関係が、怖かったんです。女の子を育てる自信がなかった」
結婚式でベールダウンをしてくれた定食屋のおかみさんは、やーはちさんにこんな言葉をかけたという。
「オギャーと生まれりゃ別人格よ」
母と自分は違う、自分と娘も違う。そう思えた。
やーはちさんは、「産む選択と産まない選択を天秤にかけてみた」と話す。
「たまたま、産んでも大丈夫そうな要素が多かっただけなんです。パートナーの存在、定食屋のおかみさんの言葉、良好な義両親との関係などいろいろありますが、どれか一つでも欠けていたら産まない選択をしていたかもしれません」
出産するギリギリまで「娘を可愛がれなかったらどうしよう」と怖かった。しかし、「生まれた娘を見た瞬間、可愛くてたまらなかった」と笑顔を見せる。
とはいえ今でも不安はある。過干渉になったらどうしよう、アルコールに依存して暴言を吐くようになったらどうしよう。しかし、やーはちさんには心強い味方がいる。
「夫は建設的な話し合いができる人。疲れたりしんどいときでも、自分で自分の機嫌を取れる人なんです。彼と一緒なら、子どもは大丈夫だと思えます」
もし子どもに対し過干渉になったり、酒に溺れたりしたら、縛ってでも止めてほしいと夫に伝えている。
「両親の一番の間違いは、誰にも頼らず、家庭を密室にしたこと。だから私は子育てを外に開いていきます。娘は0歳から保育園に預ける予定だし、医療、福祉、使える制度にどんどん頼る。私が道を間違えたとしても、早期に軌道修正できる環境を今から整えています」
最後にやーはちさんは、娘さんの名前を教えてくれた。そこには、親から求められ続けた「優秀であらねばならない」という価値観とは真逆の、軽やかな願いが込められていた。
「母に過干渉を指摘したとき『娘を産んだらあなたにもわかる』と言っていましたが、まったくわかりません。娘には親の顔色を伺わず、自分の意思で自分の道を決めてほしい。それだけです」
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コメント
『娘を産んだらあなたにもわかる』と言っていましたが、まったくわかりません。
めちゃくちゃ共感します!
息子しかいないけれど、それでも、なんで母はあんなこと言ったんだろ、あんなことしたんだろ?と子どもを産んでから、たびたび思いました。
もちろん、間違えたり、失敗はありましたが、やっぱり母が「子どもを産んだらあなたにもわかる」はわかりません。
母のことは、母にしかわからない。
私にはわからない、私の望むものではない愛し方で愛してくれたんだな、と今は思っています。
いろんな葛藤があったけれど、今、母のことは「助けが必要な人」と思って、家族以外のいろんな人の手を借りながら介護をしています。そうできていることが、私を救ってくれています。