Addiction Report (アディクションレポート)

「父と同じ道をたどってしまうんじゃないかと…」実家が全焼したサノさんが1年間の禁酒をしたワケ

広告代理店に勤める会社員で、インフルエンサーでもある「実家が全焼したサノさん」は、2025年1月に1年間の禁酒を達成した。サノさんはなぜ禁酒が必要なほど酒を飲むようになったのか。禁酒に至った背景には、自身の生い立ちが関係していた。

「父と同じ道をたどってしまうんじゃないかと…」実家が全焼したサノさんが1年間の禁酒をしたワケ
実家が全焼したサノさん(撮影・白石果林)

公開日:2025/03/11 02:00

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「離婚をきっかけに、飲酒量が倍に増えました」

こう話すのは、CMプランナーでインフルエンサーでもある「実家が全焼したサノさん」(以下サノさん)だ。

約1年の結婚生活が終わってしまったのを機に、飲酒量が増えたという。禁酒を決断した背景には、アルコール依存症で自死した父親の影響もあったそうだ。

 Addiction Reportはサノさんに話を聞いた。

他者から愛情を受けることに依存していた

ーー2023年の年末頃から、飲酒量が大幅に増えたと投稿されていましたね。

もともと飲酒量は多いほうで、1年のうち350日は飲み歩いていました。週末は夕方から飲み始めて、翌日の朝まで飲み続けることも珍しくなく、酔っ払って路上で寝てしまうことも。 

僕はお酒を飲むと喜怒哀楽の感情が10倍くらいになるんです。楽しい方向にいけばいいけれど、怒りや悲しみも10倍になってしまう。人を傷つけるようなことを言って、翌朝「あんなこと言わなくてよかったな」と後悔することもありました。

さらに飲酒量が増えたのは、2023年11月22日、いい夫婦の日に離婚してからですね。

ーー離婚後、飲酒量が増えたことを自覚して、すぐに禁酒をされたそうですね。禁酒に至った理由を教えてください。

アルコール依存症だった父と、同じような状況になっていると気づいたからです。

父と母は、僕が小学生の時に離婚して、父はその後、飲酒の歯止めがきかなくなりアルコール依存症になりました。僕は伯父と伯母に引き取られ、育ててもらいました。

父は、祖母の勧めで依存症の治療を始めました。「どうにか変わりたい」という気持ちだったはずです。入院治療もしていましたが、回復はできませんでした。

父は薬をお酒で流し込むこともあったそうです。亡くなる前の1年は状態が悪く、てんかんの発作で泡をふいて倒れたり、「大きな生き物がいる」と幻覚が見えていたりしていました。 

ある日父がいなくなり、捜索願を出しました。見つかったのは3日後。父は僕が中学2年生の時、飛び降り自殺をしました。34歳でした。

でも父は、計画的に自殺しようとしていたとは思えなくて。というのも、亡くなった時刻の数十分前に、父はいつも行く居酒屋に電話していたんです。

電話して、連絡がつかなかったので、「じゃあもう、今日死のうかな」くらいの軽い気持ちだったんじゃないかって。泥酔していると、死への恐怖感が麻痺して「今だったら死ねるかも」と思えてしまうことがある。たぶん父も、そんな状況だったんだろうなと。

「父はギャンブルにも依存していて、数百万円の借金を親戚に肩代わりしてもらったことも」と話すサノさん。

僕自身も離婚をはじめとする悲しい出来事があって、現実から逃げるようにお酒を飲むようになりました。そのうち「生きてても面白くないな」と考えるようになり、このままいくと父と同じような結末になる気がして、一旦酒をやめようと決めたんです。

1年やめられたら飲酒量もコントロールできるようになるのではないかと、「とりあえず1年」と目標をたてました。

ーー「生きててもおもしろくない」と思うほど、サノさんにとって離婚はつらいできごとだったのですね。 

元奥さんと別れて、他者から愛情を受けることに依存していたと気づきました。僕は自分で自分を愛せている感覚がなくて、他人が自分を愛してくれることでしか満たされない。離婚してからは、自己否定を繰り返す日々でした。 

「1年間禁酒する」という自分との約束を守れたら、自分を愛せるようになるんじゃないかという期待がありました。自分を好きになりたいという気持ちが、禁酒のモチベーションになっていたのかもしれません。

ーーアルコール依存症だったお父様の姿は、サノさんにどう影響したと思いますか。

幼少期から父が飲んでいる姿をずっと見ていたから、昔からお酒は身近なものでした。たとえば親が医者だと子どもも医者を目指すことがあるように、悪い方向でも影響を受けると思うんです。

父は僕に暴力を振るったりすることはありませんでしたが、飲むと喧嘩っぱやくなる人でした。居酒屋で周りの客と口論や殴り合いになる姿を何回も見ました。まあ父はとにかく喧嘩が弱かったので、一方的に殴られてばかりでしたが。

酔っ払っている姿がみっともなくて、父に「お酒をやめて」と何度も伝えました。家にある焼酎の酒瓶の中身を捨てて、水にすり替えたことも。酔っ払っているから気づかないだろうと思ってやったけど、バレましたね。「なんやこれ、水やんか!」と怒っていたことを覚えています。ちゃんと味はわかってたみたいです。 

でも父の姿を見ていなかったら、僕は今でもお酒を飲み続けていたかもしれません。禁酒に舵を切れたのは、父を反面教師にできたからです。

酒を飲むことが苦しみだった

禁酒して体重が6kg落ちたそう。「顔周りがシュッとしました」とサノさん。

ーーサノさんは広告代理店に勤める会社員ですが、酒をすすめられることはなかったですか?

みなさんが抱く広告代理店のイメージほど、飲み会は多くありません。それに僕はSNSで禁酒を宣言していたので、しつこく強要されることもなかったです。

ただ、「またまた〜」といじられたり、「黙っといてあげるから今日は飲もう」と友人から言われたりすることはありましたね。

でも僕は、SNSのネタのために禁酒していたわけではありません。自信を取り戻したくて始めたことです。だから「あと◯カ月で禁酒の期間が終わるので、そのときまた飲みましょう」と断われたし、そう言える自分のほうが好きでいられました。

とはいえ、最初は断ることを申し訳なく感じていました。

というのも、僕はお酒の味が好きではなくて、飲む行為そのものには苦しさもありました。「場を盛り上げたい」「みんなの期待に応えたい」という気持ちで飲んでいたところも大きかったのです。周りの人も同じだと思っていたので、自分だけ飲まないことに罪悪感がありました。だからワサビを持参して、お酒を飲むかわりにワサビを舐めたりしていたんです。

でも周りの人から「わたしたちは苦しむために飲んでないよ」「ワサビ舐めるってワケわからへん」と言われて。みんなお酒がおいしくて飲んでるんだと知ってから、気が楽になりました。

ーー禁酒するうえで大変だったことはありましたか?

やはり、自分を律し続けるのが大変でした。どれだけ禁酒を続けても、毎日「飲みに行きたい」とは思っていましたから。行きたいのに、行けない。たんたんと我慢し続けなければならないのはつらかったです。

だから僕は、ボードゲームやシーシャ、マーダーミステリー、ポーカーなど趣味のつながりから、新たなコミュニティを積極的に増やしました。「禁酒している」と発信することで声をかけてもらえることも増えたので、お酒がない場所で誰かと過ごす時間を大切にしました。

僕は飲み会という場が好きだし、お酒を介して仲が深まることもある。お酒のポジティブな面も理解しています。でも飲まない人間関係を築いてみると、それもすごく楽しくて、自分にとってプラスになりました。

1年間の禁酒を達成したので、今はお酒を解禁しているのですが、飲み会に行くのは週1〜2回です。飲酒量をコントロールできるようになったと感じます。

禁酒を経て「だれかを傷つけてしまった」と後悔することも減りました。こうしたことの積み重ねが、自分にとってポジティブに影響してると感じます。

 

実家が全焼したサノ】 CMプランナー

1989年、大阪府生まれ。学生時代にホストクラブで働き、卒業後はバーを経営。その後、事業拡大を目指し、京都大学院でMBAを取得するも、バーは潰れてしまう。幼少期に実家が全焼したこと、母の蒸発、アルコール依存症の父の自死などを綴ったエッセイ集『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』(KADOKAWA)が反響を呼ぶ。Xでは「実家が全焼したサノ」というアカウントで、切なかった出来事を投稿している。

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