映画「生きて、生きて、生きろ。」を観て、アルコール依存症当事者の家族が考えたこと
震災と原発事故から13年後の福島を舞台にしたドキュメンタリー映画『生きて、生きて、生きろ。』
これを見た私は、アルコール依存症である母に思いを馳せた。
公開日:2024/09/03 08:00
先日、阿佐ヶ谷にあるミニシアターで映画『生きて、生きて、生きろ。』を観た。映画の舞台は、震災と原発事故から13年後の福島。精神疾患やアルコール依存、薬物依存に陥る人々と、医療従事者たちの日々を記録したドキュメンタリーだ。上映後は、島田陽磨監督のトークショーにも参加した。
私はこの映画を見て、アルコール依存症である母に思いを馳せた。(ライター・白石果林)
福島で増加するこころの病
福島では今、遅発性PTSDなどのこころの病や若者の自殺、児童虐待が増加しているという。
この映画は、こころの不調を訴える人々と、彼らと向き合う医療従事者を追ったドキュメンタリーだ。津波で夫を亡くした女性や、避難先で息子が自死してしまった父親、避難生活のなか、妻が認知症になってしまった高齢夫婦。「復興」という言葉の影で見落とされてしまった市井の人々の生活が記録されている。
特に印象に残っているのは、県外の避難先で中学3年生の息子が自死してしまった男性だ。住宅支援を打ち切られたことから単身福島に戻り、除染作業にあたっているさなかのことだった。男性は息子の死後離婚し、福島で暮らしている。アルコール依存症で、自殺未遂を繰り返していた。
「相馬広域こころのケアセンターなごみ」の看護師、米倉一磨さんが男性宅を訪問するシーンではいつも、男性は酩酊している。ろれつが回らない様子で「消えたい」と話したり、「なんでいるの?」と繰り返したりするのだった。
この男性の姿は、アルコール依存症だった私の母を思い起こさせた。絶縁してから7年経つが、酩酊しろれつが回らなくなっている母の姿は、脳裏にくっきりと焼きついている。
典型的な「依存症者とその家族」
物心ついたときから母が酒を飲まない日は1日もなかった。万年敷きっぱなしのせんべい布団に1日中横になっている母。その横には、飲み干したビールやチューハイの缶が何本も転がっている。飲むものがなくなると、母はのそのそとキッチンに行き料理酒に口をつけた。
意識のはっきりしていない母を見るのは怖かった。あるとき母は、レシートを丸めて、人差し指と中指の間に挟み、先端に火をつけた。それを本気でタバコだと思い込み、ろれつの回らない口調で「煙が出ない」と言うのだった。
またあるときは私の顔をグーで殴り、翌朝には何事もなかったかのように「その痣どうしたの?」と聞いてくる。酒と一緒に大量の市販薬を飲んで、救急車で運ばれたこともあった。
私は母に酒をやめてほしかった。「もう飲まないでほしい」と何度も伝え、ときには「なんでこれくらいやめられないの!」と怒りをぶつけた。
「わかった、もう飲まない」と言って、その数時間後に酒を飲んでる母を見ては、私たちの間にある溝が深まっていくように感じた。
振り返ると、典型的な「依存症者とその家族」の例である。
酒代を私にせびり続ける母に愛想をつかし絶縁したのは、28歳のときだ。
必要なのは「酒をやめて」ではなかった
私は映画を観ながら考えた。
男性にとって酒は、支えだった。震災や原発事故、息子の死、離婚ーー目を背けたくなる現実のなかで彼は、酒を飲むことで自分を救った。
看護師の米倉さんは「酒をやめましょう」とは一言も言わなかった。飲み捨てられた缶を拾い上げ、「アルコール9%かぁ。せめて6%にしましょう」と言うのだった。
こういった“情報”に触れるたび、私は自分の無知さを悔やむ。アルコールに依存する母に必要だったのは、「酒をやめて」という言葉ではなかった。酒を取り上げたところで、根本的な問題は解決しないのだから。母には、生きていく方法を誰かと探ることが必要だった。
「また会いにきます」
「話してくれてありがとう」
「僕もあなたに生かされてる」
こんな言葉をかけてくれる人が、母のそばにもいたら。そう思わせてくれるケアが、この映画にはあった。
積極的に踏み込む優しさ
上映後、監督の島田陽磨氏と福島県富岡町の「とみおかアンバサダー」である中久喜匠太郎氏のトークイベントにも参加した。撮影の裏話などが語られるなか、こんな話があった。
今の時代、ハラスメントなどの観点からも「踏み込みすぎない優しさ」が重要視される。しかしこの映画では、「積極的に踏み込む優しさ」が描かれていた、と。
私は、うんうんと頷いた。心に残っているシーンがあったのだ。
酩酊し、話すことすらままならない男性宅に、ジンギスカンと鍋を持って訪れる看護師の米倉さん。男性はどんな反応をするのだろうか…?と、なかばハラハラしながら観ていたのだが、男性はのそのそと立ち上がり、髪を整えてから、うれしそうにちゃぶ台の前に座ったのだった。
その後彼は、入退院を繰り返しながらも、2カ月の断酒に成功。「家族と一緒に、息子の墓に手を合わせに行きたい」と、自動車教習所に通い始めた。目標を見つけ、酒を抜いた男性は、声色、表情、受け答えの明確さなど、まるで別人のようだった。
「こんな歳にもなって自動車学校に通うなんて、お恥ずかしい」と言いながら家を出ていく彼の表情は、とても柔らかかった。
「この姿を含めて見てほしい」
島田監督の話によると、断酒した男性にこれまでの映像を見せ、本当に世に出しても良いかを確認したらしい。もちろん撮影時にも許可をとっていたが、酩酊状態だったため改めて確認したのだという。
映像を見て男性は、「自分はこんなにひどい状態だったんですね」と驚き、そして言ったそうだ。「この姿を含めて見てほしい」と。
決して人には見られたくない姿だろう。それでも、実名と顔出しをしてでも伝えたかったのではないだろうか。「復興」という言葉の裏で、自分たちのようにギリギリのところで生きている人がいることを。
この映画は、「人と向き合う」とはどういうことかを考えるきっかけをくれた。私はまだ、母との関係を簡単に割り切ることはできないけれど、依存症について考えることをやめないでいたいと思った。
コメント
自分自身、依存体質なので気をつけないといけないなと思いました。
ただやっぱり人には分かってもらえない思いをはじめ孤独を感じて生きづらい時ってあって、歳を重ねると尚更それが増します。そんな時、死にたいけど、死ねない、だから今の苦しみから逃れたいから体に悪くても早死にするって分かってても、お酒やタバコに依存してしまいます。
果林さんのお母さんがどうか幸せに暮らしていける事を切に願います。
ギャンブル依存症の息子のことが重なって涙が止まりませんでした。
「家族の会」に関わるようになって、「自分と向き合う」そして「人と向き合う」ことがどういうことか日々教えてもらっています。映画、観たいです。