Addiction Report (アディクションレポート)

「弱みを見せると外される」“自己肯定感低い自分”を必死に隠したアナウンサー時代

違法薬物所持の疑いで逮捕された元NHKアナウンサーの塚本堅一さん。報じる側にいたはずが、気付けば報じられる側へ…当時の心境を聞いた。

「弱みを見せると外される」“自己肯定感低い自分”を必死に隠したアナウンサー時代
元NHKアナウンサーで現在は依存症啓発に取り組む塚本堅一さん(撮影・黒羽政士)

公開日:2024/09/17 01:45

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塚本堅一さんが送検される際、マスコミは当然のように護送車に乗る塚本さんの姿をカメラに収めようと待機していた。

報じる側にいたはずが、気付けば報じられる側へーー。当時、何を思っていたのだろうか。

送検時にマスコミ殺到、「白か黒か」取り調べでは攻防も

ーー湾岸警察署へ移送されてから数日、眠れない生活が続いたそうですね。

やっぱり色々な考えが頭を巡ってしまって。自分の中では家族のことよりも、仕事で関わる人々に迷惑をかけてしまうということが一番大きかったですね。

報道現場にいたからこそ、このニュースが報じられればどんな影響が生じるのかはよく分かる。すぐに仕事はクビになるだろうなと思いました。

他人に迷惑をかけることだけは何としても避けたいと考えて生きていたのに、色々な人にとても大きな迷惑をかけてしまうことを思うと全く眠れませんでした。

何てことをしてしまったのか、と後悔ばかりが募っていく。連休の中日に逮捕されて、翌日の月曜日は振替休日だったこともあり送検されず、火曜日まで丸1日を留置所の中で過ごしました。留置所の中では何もすることがないからこそ、グルグルと色々なことが頭の中をよぎりましたね。

撮影・黒羽政士

ーー送検される際には多くの報道陣が待機していた。

マスコミで仕事をしてきたのに、何をしてるんだろうと。ものすごく恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。同時に自分も報じる側にいたからこそ、送検される瞬間の映像が何度も使われるということは分かっていたので、どんな表情をしようかといったことを考えたのも事実です。

私の場合は大きな護送車に他の人と一緒に乗り込む形で、結局は無の表情で乗り切りました。

護送車にカメラをガツガツぶつけてくる人もいましたし、撮られる側になって見た光景は凄まじいものでした。

ーーその後の取り調べでは、どのようなやり取りが続いたのですか。

私は白だと思っていたから、そのキットを購入していたわけです。ただ、マトリからは繰り返し、「何割ぐらい黒だと思っていたの?」と聞かれ続けました。

でも、黒だと思っていたら購入するわけがない。ここの見解については、最後まで揉めました。

「じゃあ、何%くらい黒だと思ってた?」と聞かれれば、「数字で言えるものではないです」とお伝えして…最終的には「限りなく白に近いグレー」みたいな言い方をしたのですが、担当官はすごく真摯に向き合ってくださる方だっただけに調書をつくるのに時間を要しましたね。

ーー最終的には50万円の罰金刑が言い渡され、釈放されました。その時はどのようなお気持ちでしたか?

私の場合は製造の罪で再逮捕されたこともあり、結局は30日間ほど勾留されていました。あまりに長い時間勾留されていたので、もうその間に色々なことを考え尽くしてしまっていたというのが正直なところです。

だから、釈放された時よりも一番最初にNHKの上司と面会をした時の方が感慨深いものがありました。その時はなかなか前に進まない日々の中で、ようやく少しだけ前進したような気がして安心したんです。

アナウンサー時代、誰かに弱さを見せるのが苦手な一面も

ーー振り返ってみて、アナウンサー時代のご自身についてどのように捉えていますか。

もともと私自身、あまり自己肯定感のようなものが高い方ではありません。

NHKの東京のアナウンス室というのは、言うなれば個人商店のような環境で、「みんながライバル」と言うと語弊があるかもしれませんが、自分としては何か弱みを見せると仕事から外されるんじゃないかという感覚を覚えていたんです。

先輩には愚痴や不満は伝えていましたが、仕事に関する悩みは誰にも言えなかった。頼りになる先輩はいたし、聞けば色々とフォローもしてくれる。でも、「これができなかった」「この部分を悔やんでいる」といったことは共有できずにいました。

行くと、みんな心配して声をかけてくれるから、アナウンス室にもなるべく立ち寄りたくなかった。だって、たとえ心配の言葉をかけてもらったとしても「大丈夫です」としか言えないじゃないですか。だからこそ、そういったやり取りそのものに鬱陶しさも感じてしまっていて…

依存症の回復支援施設でのプログラムや自助グループに参加させてもらって、つくづく見えてきたのは、自分はそういう弱さのようなものを誰かに見せるのが嫌いな人間だということです。

撮影・黒羽政士

当時は入局から13年目、京都や金沢、沖縄での勤務を経てようやく東京に配属されたばかりでした。アナウンサーの仕事は求められてやっていることではあるものの、どこかに「自分がここにいていいのだろうか」といった不安がつきまとっていたのも事実です。13年間で培ってきたものが通用していないような感覚もありました。

もちろん、そのようなストレスは仕事をしていれば誰しもが抱えるようなものだと理解しています。でも、私は他の人よりもこうしたストレスの発散が上手ではなかったのかもしれません。

「何もしない休日を過ごす」ということが昔から苦手で、いつも何をしていても仕事のことを考えてしまう。それだけ聞くとバリバリ仕事をしているイメージを持つかもしれませんが、違うんです。そこまで仕事ができるタイプではないからこそ、焦りが常にある。追い込まれて追い込まれて、結果的に仕事のことをずっと考えてしまうというサイクルに陥っていました。

逮捕後、少しずつ自分の弱い面もさらけ出すようになった中で当時を知る知人に言われて驚いたのは「こういう人だという印象は全く持っていなかった。むしろ自信家だと思っていた」という一言でした。

私からしたら、「なんで!?」という感じですよ。自己肯定感なんて、むしろ低い方なのに。必死に隠していたからだと思いますが、周囲からは全く違う見え方をしていたことに驚きました。

これまではとにかく自分で考えて、自分で解決をするのが良いことだという考えがあった。

何事も自分で解決すべきだ。それが自己対処スキルが高いということだ、とも考えていた。本当に浅はかだなと今では思います。

周囲の人に比べれば今も抱え込みがちなところは今もあります。パートナーにもこういう話は絶対にしたくないですし。でも、自助グループに通ってから、少しずつこういったことに向き合い、時には弱い部分も誰かに伝えることができるようになりました。

懲戒解雇の辞令交付、口を突いて出た“強がり”

ーーNHKからは最終的に懲戒解雇を言い渡されています。

クビになるだろうということは最初から覚悟していましたが、顛末書にはお世話になった方々に対して申し訳なく思う気持ちを含めて、かなり細かく書きました。

その顛末書を受けて、調査委員会が調査を行った上で結論を出すという形式で。2週間くらいが経過したタイミングで面談があり、そこで懲戒解雇になる旨を通知され、その後に辞令が交付されたという形です。

面談や辞令交付のタイミングでは、もう局に上がることはできないので、青山にあるNHKの宿泊施設の会議室に呼び出されて、そこで話をしました。

へこたれていない自分を見せたくて着なくてもいいスーツをわざわざ着て、先の尖った靴を履いて、表参道を歩いたことを覚えています。

当時は頭の片隅で、「もう渋谷のNHKに行くことはないんだな」などといったことをうっすらと考えていましたね。

辞令を言い渡された時に、細かい表現まではっきりと覚えているわけではありませんが、アナウンス室の上司に向かって、「この経験をいつか社会に還元する」と言ったんです。仕事を失うタイミングでこんな言葉が口を突いて出たのは、完全な強がりですよ。

撮影・黒羽政士

ーーなぜ、そんなタイミングで強がりを?

たぶん見栄を張りたかったんでしょうね。

多くの人は、懲戒解雇を言い渡されたその日が“人生のどん底”だと考えるかもしれません。私自身もそうでした。でも、ここがどん底ならば、あとは上がっていくのみとも解釈できる。

ただし、実際には懲戒解雇を言い渡された後の人生の方がよっぽど辛いものでした。

仕事見つからない現実に直面し、「どん底」に

ーーどのような面で辛さを感じましたか?

ハローワークへ行っても仕事は全く見つからない。薬物事犯の人間はここまで大変な思いをするのだと、自分で経験して初めて実感しました。

仕事を探すとなると、当然面接を受けることになる。面接になれば当たり前のように職歴を聞かれますよね。となると、嘘をつくわけにはいかないので、元NHK職員であることを言うしかない。

元NHK職員と伝えると、「何の仕事をしていたの?」となるのが自然です。となれば元アナウンサーであることを正直に伝えるしかありません。でも、そこまで情報が出揃えば多くの人はピンときますよね。「目の前にいるのは、最近ニュースになったあの人か」と。

再就職で苦戦するのは仕方ないとも思っていたし、そのうち何とかなると自分に言い聞かせ続けていました。でも、そうやって仕事が見つからない状態が続くとメンタルへのダメージは日に日に大きくなっていくんです。

ある日、東京ドームシティで開かれた合同就職面接会というものに参加したのですが、新卒採用時はマスコミ一本に絞り、就職活動もあまり手広くやってはいなかったので合同面接会のようなイベントに参加するのは、この時が初めてで…

すごく嫌な言い方をすると、心の中では「NHKのアナウンサーとして内定をもらい、13年間働いてきた自分が40歳近くになって、なんで合同就職面接会なんかに行かなきゃ行けないんだ」と思ってしまった。

思い返してみれば、どこかで誰かが助けてくれるんじゃないかという甘い考えもあったのだと思います。誰かが仕事を紹介してくれるだろう、どうにかなるだろうと。でも、そんな甘い話はどこにも転がっていない。

そんな現実に直面した時が一番辛かったですね。

(続く)

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コメント

1日前
ONCE

 今、リラックスしながら一歩一歩人生をやり直している塚本さんの姿が、なんていうか…人生で失敗をしても、そこで終わりじゃないんだな、またやり直せるんだなと励みになります。

 こういった取材やメディアに出る事もご本人にとっては辛い、勇気を必要とすることだと思うのですが、どうぞ、無理をなさらずにご自分のペースで生きて頂けたらと思います。

 塚本さんがいつも笑顔でいられます様に、そしてその笑顔が多くの人の励みになります様に、心から願っております。

1日前
匿名

つらい経験をなさっていたのですね。心の痛みが伝わってきました。

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