「診療報酬がついた瞬間からプログラムが死に始める」精神科が人気の診療科になった中で失われたものとは?
『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)の出版を記念し9月18日、代官山蔦屋書店において開催された精神科医・松本俊彦さん、文学研究者・横道誠さん、公認心理士・信田さよ子さんによるトークイベント。2回目は近年の精神科医の変容や精神医療をめぐる様々な諸課題について。
公開日:2024/11/29 02:30
『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)の出版を記念し9月18日、代官山蔦屋書店において開催された精神科医・松本俊彦さん、文学研究者・横道誠さん、公認心理士・信田さよ子さんによるトークイベント。
後半では近年の精神科医の変容や精神医療をめぐる様々な諸課題について話が及んだ。
近年、「つまらない精神科医」が増えている?
信田さん(以下、敬称略):なぜ私はこんなにも長くアディクションの業界にいるのかというと、やっぱりこの業界の人ってその他の人たちとはちょっと違う雰囲気の人たちなんですよ。
松本さん(以下、敬称略):やっぱり、精神科医も変わった人が多いですから。そもそも僕の時代なんかは医学の中で精神科を選ぶという時点で、だいぶ変わっていた。
信田:なんだか今は、バランスの取れたつまらない精神科医が増えていますよ。
松本:そういう精神科医、すごい増えてますよね。まぁ、僕らも上の世代の医師からは「お前らの世代はつまらん」と言われていたのですが(笑)。人気の診療科になってしまったというのが良くないのかもしれません。
信田:なんで人気なの?
松本:分からないですね。逆に外科とかは人気がなくなっています。みんなクオリティ・オブ・「マイ」ライフを求める傾向にあるのかもしれません。「精神科医のクオリティ・オブ・マイライフが本当に高いのか?」とは思うんですけど(笑)。
横道さん(以下、敬称略):やっぱり、DSM(『精神疾患の診断・統計マニュアル』)とかICD(『国際疾病分類』)なんかによって、診断基準などが整備されていく中で、「医学」っぽくなってきたからなんでしょうか?
松本:神経系の構造や機能さらには発達といった領域を研究するニューロサイエンス(神経科学)の分野から入ってくる人の数は確実に増えていますね。「中井久夫*って一体誰ですか?」と言われてしまうことも少なくありません。
*中井久夫:鋭い観察眼にもとづいた統合失調症患者の発症過程や寛解過程を描き出し、統合失調症の精神病理やかかわり方に関して一時代を築き、阪神淡路大震災に遭遇して以降は、PTSDをはじめとするトラウマ研究に関してもわが国において重要な種蒔きをした日本の精神科医。神戸大学名誉教授。主著は「精神科治療の覚書」(日本評論社, 1982)、「分裂病と人類」(東京大学出版会, 1982)、「治療文化論: 精神医学的再構築の試み」(岩波書店, 1990)
そういう意味で、精神科医になる人々の雰囲気が変化してきたという側面は間違いなくあると思います。
僕らの先輩の精神科医なんかは動物的な勘だけは本当に鋭くて、「あの患者をいま外出させると自殺するからやめろ」とか言われたものです。
学生運動で「敗北」経験し、依存症治療の世界へ
信田:1970年代や1980年代にアルコール依存の治療にあたっていた精神科医の多くは学生運動の経験者なんですよ。例えば北海道浦河町にある精神障害などを抱えた当事者たちが暮らす「べてるの家」の川村敏明先生なんかは、もともと北海道大学水産学部に入学し、学生運動の闘いの中でロックアウトを実行した。大学側が機動隊を要請して突入したんですが、他の学生が次々と投降する中で最後まで残っていたと言われています。その経験を経て、北大を中退後に札幌医科大学に入り直し、精神医療の世界へ進みました。齋藤利和さんもそうですし、多くの精神科医が同じような道を辿っていました。
松本:依存症治療の世界では有名な久里浜病院の鈴木健二先生なんかも同様ですね。
信田:アルコール依存症の宿泊研究集会なのに、終了後は「今夜は飲み明かそうぜ」と言い合って、もう翌日はみんな二日酔い。そんなことばっかりでした。なぜ、この人たちは依存症の世界に入ったのか――。そこにはやっぱり理由があると思うんです。
私が思うのは、彼らはある種の「敗北者」だったのではないかということです。私自身、病院に勤める中で初めてアルコール依存症の男性に会った時は、すごく惹かれました。なぜなら、彼らは自分の「敗北」を敗北として受け止めているからです。これは依存症治療に取り組む精神科医に対しても言えることかもしれません。
学生運動において「敗北」を経験しながら、その「敗北」をしっかりと受け止めた上で、その後の人生を送っている。学生運動を経て一流企業や財務省に入るような人に比べて、この人たちの方がずっとまともだと思って、依存症に過剰に入れ込んでしまった節があることは否定できません。
しかも、この依存症業界で仕事をしていると、断酒会のおじさんたちにかわいがってもらえるじゃないですか。「敗北」を経験した上で這い上がっていく人たちから承認されるという行為には、独特の快感がある。この本にも出てくるけど、やっぱり自助グループって独特ですから。
松本:初めて断酒会に足を踏み入れた時はびっくりしました。おじさんたちは確かにかわいがってくれるし、「なんだかこの業界いいな」と思ったのも事実です。
信田:今でも鮮明に覚えているのですが、まだ薬物依存の自助グループNA(ナルコティクス・アノニマス)とアルコール依存のAA(アルコホーリクス ・アノニマス)が分離していなかった時代に、日本で初めて薬物依存症者の回復施設「ダルク」を創設した近藤恒夫さんが私の職場に来て、斎藤学先生に泣きながら「AAの人たちは俺たちを差別するんだ。お前らは刑務所に入ったけど、俺らはちゃんと税金を収めて酒を飲んでいるんだと言われるんだ。それが悔しい」って言っていたのを目撃したんです。それに対して斎藤先生は「薬物の自助グループを自分で作りなよ、作らなきゃダメだよ」とアドバイスをしていました。
松本:そういう意味では僕も税金払ってタバコを吸っているんですけどね(笑)。しかし、そんな出来事があったんですね。
僕がAAよりNAに惹かれた背景には、当時は神奈川の病院(神奈川県立せりがや病院、現在の神奈川県立精神医療センター)で働いていたことも関係しているかもしれません。
同じ神奈川県内には国立久里浜病院があって、そこでは日本初のアルコール依存症専門病棟が設立されるなど、アルコール依存症治療に力を入れていました。やっぱりアルコール依存症治療の一番のエリートは久里浜だった。僕のいる病院には久里浜のプログラムから「落第した人たち」が来るという感じでした。
横道:そうなんですか。ちょっとその感覚がよく分からない(笑)。
信田:階級制なんですよ。「久里浜病院を卒業した」というのはある種のバッジなんです。そうやってスリップを何回もしているんだから。
松本:当時はお世話になっている病院によってランクのようなものがあったんですよ。自助グループの中でも、「俺は国立(病院)だ」「俺は県立(病院)だ」「俺は私立(病院)だ」みたいなね。
横道:精神科医たちが依存症の治療において自助グループが効果的だと認めたのは、いつ頃のことだったのでしょうか。
信田:1960年代はね、精神科医たちも「酒は絶対にやめられない」と思っていたんです。だから、3年間病院に閉じ込めておく、退院後1週間で再び酒に溺れて、また3年間病院に入る。それを繰り返していくうちに、死んでしまうというのがアルコール依存症者の人生でした。
そんな中で、1963年頃でしょうか、断酒会が発足して。「酒はやめられる」と当事者たちが言い始めたんです。それを応援する一部の精神科医たちが現れ、自助グループに通うことで酒をやめられるようになった人々が増えていった。このような順番です。つまり、医者が自助グループに効果があると発見したわけではないんです。
松本:医者はね、当時は匙を投げていたんです。「俺たちは関係ない」と手を引いてしまっていたところに、当事者たちが自分たちのやり方で回復への道を歩み始めた。それを医者が後から真似をしたという感じです。
「診療報酬がついた瞬間からプログラムが死に始める」
信田:最近気になるのは、心理職も精神科医も「当事者」という言葉をやたらと使いたがる。何をいまさら?と思ってしまうのは私だけでしょうか。
松本:最近だと「オープンダイアローグ」も、それは普通のことじゃないかと思ってしまいますね。
信田:私もね、オープンダイアローグについては大発見のような取り上げられ方をしているけれども、10年ほど前に斎藤環さんとシンポジウムに出た際に「全く新しいものだと感じなかった」とコメントして、顰蹙を買ってしまったんです。
松本:もちろん細かい違いはあるのかもしれない。横道さんはオープンダイアローグをやっていますよね。
横道:そうですね。結局のところ、フィンランドと日本ではそもそも制度が異なるので、単純な導入は難しいんですよね。
オープンダイアローグには、もともと精神科のピラミッド社会を突き崩すという理念が備わっていますよね。日本では自助グループ的に広がっている部分も大きいので、精神療法やカウンセリングに対するカウンター的な意味合いが、なおさら出ているかもしれません。
信田:原宿カウンセリングセンターでは長年、グループカウンセリングを行ってきていますよ。だから、いまさら「ポリフォニー*」って言われてもと思ってしまうわけですよ。
ポリフォニー:オープンダイアローグに関してミハイル・バフチンが提唱する「ポリフォニー(多声性)」理論。クライアントの主観を尊重し、さまざまな意見が共存する状態を大切にする。
松本:でも、「言いっ放し、聞きっぱなし」のグループカウンセリングをアディクション業界では「ポリフォニー」という形で表現してはいませんでしたよね。ああ、この表現は使い損ねたなと思いましたよ。
横道:実際のオープンダイアローグでは、非常にシンプルなことをやっています。まず患者とその関係者が悩み相談をして、それを聞いた医療チームが内輪話をやって、それを患者たちに聞かせる。そしてまた患者たちが応答する。基本はシンプルなのですが、フィンランドの理論的指導者たちや日本での紹介者たちが、現代思想的な意味づけをしていて、それがかっこよくて、従来からあった部分まで新しいものに見えやすいという面はあるかもしれません。
松本:その一面はありますよね。僕が難しいなと思うのは、オープンダイアローグについて斎藤環先生が「診療報酬をつけたい」と頑張っているタイミングがあったんです。
もちろん診療報酬は大事です。心理士の取り組みについても診療報酬がつくことによって、立場が安定するといったこともあるので、すごく大事なことであるとは理解しています。ただ一方で、診療報酬がついた瞬間からプログラムが死に始めるという面も否定できないと思うんです。
わいわい言いながら作り上げている時が一番効果があって、制度に組み込まれると風化が始まる。診療報酬外でやっていた方がこういった取り組みは寿命が長いのではないかと考えています。
信田:私は長年、医療保険の外側でカウンセリングを提供してきました。グループカウンセリングは3000円、初回の面接は1万5000円という価格設定です。
私たちのカウンセリングセンターをご利用いただいているのは必ずしも裕福な方だけではなく、生活保護の方もいらっしゃいますし、頻度次第では様々な方に利用いただくことが可能な仕組みです。我々は医療の枠の外にいる者として、できることをやる。とても自由ですし、グループカウンセリングなんかは本当に良いんですよ。
松本先生がおっしゃった制度化された途端に風化が始まるというのは、私もその通りだと思いますね。
松本:もちろん前提として、経営は非常に大事ですし、僕もこんなことを言いながら、どこかのタイミングでビルのワンフロアでクリニックを開業したいと思うかもしれません。でも、本当のセラピーや癒しというのは何なのか、これは経営とは別に考えなければいけないことだと思います。
信田:私が30年以上の実践を通じて学んだのは、絶対に手を広げすぎてはいけないということです。男性の方たちって、すぐに支店をつくりたがるじゃないですか。
でもね、そうすると一番コアにあったものの質が下がっていくことが少なくないんです。我々はとにかくできることを地道に、そして誠実にやるということだけを目標にして、何とか30年以上に渡ってカウンセリングセンターを維持することができました。
同時に私は、日本では援助を欲している人が医療に慣れすぎているという問題もあると思うんです。「患者」や「治療」という言葉以外があることを知らないし、何かにつけてすぐに病院にいくのは問題だと思うんです。
オープンダイアローグと自助グループ、何が違う?
横道:オープンダイアローグにおいて大切にされているのは、先ほども話題になった「ポリフォニー」。つまりは声がばらばらのまま併存している状態のことですよね。
信田:それって、つまりはアノニマスグループ(匿名を前提に集まる自助グループ)じゃないの?
松本:そう、僕もそう思うんですよ。もちろん僕らにはその言葉のセンスがなかったことは事実なのですが。
横道:アノニマスグループだと、誰かの発言に対して、ほかの参加者が一切応答しないというのがルールじゃないですか。いわゆる「言いっぱなし、聞きっぱなし」。でもオープンダイアローグでは、患者やその周辺人物たちの前で医療チームが意見交換をする「リフレクティング」が扇の要になっていますよね。それは一つの独自性だと思います。
松本:そのような意味でいえば、強制的に病院に連れていき、本人抜きで話すことがいかに問題かを気づかせてくれる側面は確かにありますよね。
本人のいる前で家族と困りごとについて話し合ったり、普段スタッフ同士で話している時の思考のプロセスもお伝えしたりするということ自体はとても良いことだなと思います。本人がいないところで、本人のことを話さないという形で定着すると良いなと感じます。
横道:結局のところ「オープンダイアローグ」というネーミングも優れていたのかもしれません。例えば「〇〇アノニマス」という名前は、多くの日本人にとっては「それって何?」という感じで、そのために日本社会で普及しづらい面があったのかもしれないなと。
いろいろな国でオープンダイアローグの実践は進められていますが、日本は特に盛んな国の一つのようです。背景にこれまでの日本の精神医療が抱えてきた様々な課題が存在するという点については、しっかりと直視する必要があるのかなと思います。
松本:これは自戒も込めてのコメントになりますが、日本の精神科医というのは基本的には話を短く切り上げる術をトレーニングで身につけさせられます。例えば、私の場合、精神科外来で1日診療すると、その日に会う患者さんの数は90人だったりします。
こうなると、どうやって早く話を終わらせようかという感じになってしまう側面は否定できません。
信田:私は必ず初診でお話を聞かなければいけない精神科医だからこそ鍛えられる実力というものはあると思います。
やっぱり責任重大じゃないですか。そのような環境で養われる能力というのはあるんじゃないですかね。
松本:そのように言っていただけるのはありがたいのですが、そうではない側面もあるのかなと。
信田:私もこれまで多くの精神科医と出会ってきましたが、みなさん5、6年もすると想像以上に成長されている。これはやはり1日の外来患者50人という驚異的な世界でひたすらに診療を続けることによって身に付くものな気がしますね。それによって育つ力はあるのかなと。
松本:そうですね。育つものもありますが、それによって失うものもあるということですね。
(終了)