「人はみんな“なにかの病気”」 内田樹さんが語る、ギャンブル依存症だった兄のこと
身内にギャンブル依存症を抱えている家族は、怒りや戸惑い、不安を感じることが多いでしょう。兄がギャンブル依存症だったにもかかわらず、良好な兄弟関係を持っていたという思想家の内田樹さんに、その思いをお聞きしました。
公開日:2024/04/06 02:00
大谷翔平の通訳でドジャースを解雇された水原一平氏の違法賭博報道を受け、武道家で思想家の内田樹さんが、X(旧Twitter)で「うちの兄ちゃんもギャンブル依存症でした。かなり重度でした。退職後に全財産をわずかな期間の間に失ってしまいました」と投稿。
「ええええ!!!」とわたし(取材者・青山ゆみこ)は声を上げ、スマホを手に「まさかお兄様が」と驚いてしまった。
実はわたしは個人的なご縁から、内田さんの兄・徹さん(2016年に他界)に何度かお会いしたことがあり、鷹揚な振る舞いで、いつも朗らかな笑顔を浮かべていた徹さんに、「器の大きな人格者」というイメージを持っていた。
あのお兄さまがギャンブル依存症だったなんて……。
信じられない気持ちと同時に、冷や汗が出た。
自分から湧き上がった、その「まさか」には、「ギャンブル依存症の人って、やっぱり性格にも問題があって、だらしない人なんじゃないかな」といった、偏見が満ち満ちていたことに気づいたからだ。
依存症は「病気」である。頭ではわかっていたつもりでも、偏見をもってしまっていた自分のためにも、「ギャンブル依存症」が実際にどんなふうに現れるのか、その人の「病気の有りよう」を知って理解したい。
そんな思いを強くして、内田樹さんにインタビューしました。(編集・ライター 青山ゆみこ)
勤め人になり、定額の収入を得るようになりギャンブル依存が始まった
おおらかで気前の良い、僕の大好きな「兄ちゃん」。そんな兄は生涯、ギャンブル依存症でした。
大学は早稲田に入ったんだけど、当時、1970年の学生運動の真っただ中で、授業もろくになくて。大学の水も合わなかったのか、兄は数か月で大学をやめちゃった。しばらく経って、父親が経営していた建設機械の会社で働き始めて、定額の給料をもらうようになった。最初にギャンブル依存の傾向が現れたのはそれから。24、25の頃、ちゃんとした勤め人になってからなんですよ。
単純な話、それまではお金がないから依存もできなかったんでしょうね。
給料もボーナスも、手にした当日に、競馬で全額溶かす
兄がやってたギャンブルは麻雀と競馬。麻雀はレートが低いからたかがしれてるんだけど、競馬はね、給料やボーナスをもらうと、その日のうちに全部溶かしちゃう。ボーナスだと、今の感覚で言うと30万〜40万かな。配当1.1倍なんて手堅い馬券には目もくれなくて、「これが来たら100倍!」とかそういう馬券しか買わない。
「負けたら、もらったばかりのボーナスすべて失う(一文無しになる)」
「勝ったら、100倍になるかもしれない(負けた分をすべて取り戻せるチャンスだ)」
「勝ちたいというよりも、負けたら全財産がなくなる、身の破滅をもたらすかもしれないという勝負の時に、頭の中がキーンとする。そのヒリヒリ感が生きてるって実感がするんだよ」
そんな話を聞いたことがあります。酒も飲まない兄を、最も興奮させたものが、ギャンブルだったのかもしれません。
そうやって一生懸命働いては溶かしということを繰り返していたわけで、まあ、良くはないけど、知り合いに借金するとか、家のお金に手を出すとかってこともなくて、誰にも迷惑かけてはいなかったんです。
僕も「問題」という感覚はなくて、「いつも賭け事でお金をなくしちゃって、変わった人だな」と思っていましたけれど。
兄も自分がギャンブル依存症だとか、病気で治さなきゃいけないなんて思ってなくて、ただの性癖ぐらいに自覚してたんじゃないかな。当時はまだ「ギャンブル依存症」という言葉もなかった時代ですし。
※いわゆるギャンブル依存症は、1970年代後半にWHOにおいて「病的賭博」という名称で正式に病気として認められました。2013年に改定された国際診断基準DSM-5では「ギャンブル障害」という病名が付けられています。
ビジネスを始めると、ギャンブル依存がおさまった
父親の会社で働いていた5年ほどは、いつもギャンブルですっからかんだった兄ですが、30になった頃、突然、一人で会社を立ち上げてビジネスを始めたんです。
そうしたらね、給料を全部つぎ込むなんていう、ろくでもない賭け方がおさまったんですよ。リタイアする60歳過ぎまでの30年間、ずっと。
ギャンブルそのものを完全に止めたわけではなくて、合法的な海外のカジノでやってると聞いていました。
でも、ビジネス出張のついでにカジノに寄るという感じで、道楽というか「趣味はカジノ」みたいなね。アメリカ出張が多かったので、シカゴやニューヨーク、ラスベガスあたりですね。何万ドルも勝ったなんて話は聞かなかったから、額も何千ドル単位でちまちまとやってたんじゃないかな。
兄はどこか自慢げに、「昔みたいにああいう馬鹿な賭け方はもうしない。今は生活のためのお金は置いておいて、別枠でカジノ用にストックしてあるお金のなかでやってるんだ」って。
それを聞いて、「兄ちゃんもずいぶん健全になったな。ギャンブル依存的な部分を、もうコントロールできてるんだ」と僕も理解してたんです。
実際に、常識的な範囲内でうまくおさまっていたと思います。
会社経営がギャンブル欲求のリリースになっていた
兄は非常に頭の良い人で、いつも新しいアイデアを考えている。それが社長の仕事だろってね。浮かんだアイデアを実行に移して、時代の波に乗って、いち早くビジネスモデルを切り替えて、全くノウハウのない分野にも飛び込むという優秀な起業家でもあった。
そのビジネスのやり方は、どこか博打みたいでもありましたね。
最初に始めたのは重機関係の部品の調達や修理というどちらかというと手堅い会社。だけど、いきなりデンタル関連の医療系の商社に大転換したり、アイデア一発なんです。
社運をかけて、有り金を全部ぶっ込んで、これがもしダメだったら倒産かも……とビジネスとしてはかなりきわどいやり方を繰り返して。結果としてうまく切り抜けて、会社は業績を上げて急成長して、医療系の商社としてかなり成功した。
日経新聞やビジネス系メディアからの取材のオファーが殺到するくらい、ビジネスの大博打に成功した会社経営者だった。
だけれど、ちょっと独特で、新しいビジネスモデルを考えて実行するということに集中して、うまく走り出して軌道に乗り始めた瞬間に、すっかり興味をなくしちゃう。うまくいってるビジネスモデルには、何の興味もなくなっちゃう。
もしかすると、20代の頃、ギャンブルに求めていたヒリヒリするような「生きている実感」を、ビジネスのなかで得ていたのかもしれません。
ビジネスの第一線からリタイアしたあと、破滅的な傾向が再発した
ギャンブル依存が再発したのは、60を過ぎて仕事を辞めてからでした。
もうビジネスは止めるんだって、自分で育てて大きくした会社を40億で売却して、出資額による配分から、兄の手元には10数億が入った。リタイア後を十分にゆったり過ごせる、ひと財産。あとは悠々自適で遊んで暮らせる金額ですよ。
それを元手に再びギャンブルを始めちゃったんです。カジノではなく株(かぶ)。
株の売り買いをギャンブルと言うと怒る人がいるかもしれないけれども、朝から晩までパソコンに張りついて、若い時に競馬で大穴に賭けたような非常に危険な銘柄な株を買い漁って、大金をどんどん溶かしていくことになった。兄をそうさせたのは、やっぱりギャンブル依存の病気だったように思うんです。
兄のギャンブル依存で、家族は困らなかった
母親は兄の会社に出資していたので、兄が会社を売却したときに、出資額相当の割り前として3億7千万円が母のところに振り込まれたんです。でも、その当時、母はもう80を過ぎていて、そんな年で急に大金を手にしても、欲しいものなんてないでしょう。ほとんど使わずにそのままにしてた。
そうしたらね、またある日突然、「あのお金は俺が管理するから」と自分の口座に移したことを、母から聞いて。
話を聞いて、僕も驚きはした。だけど、それは兄が会社経営に成功して、彼の才覚で作ったお金だから、兄がどう使おうが文句の付けようがないでしょう。大金が銀行の口座間をただ移動するだけで、母が困るわけでもない。
兄は自分の財務状況を一切母に話さなかったから、母は状況がよくわからないことに心配はした。高齢の母親に心配かけたという点では親不孝ですけれど、経済的な負担や迷惑はかけていないんです。僕も含めて、家族の誰にも。
もし彼が株なんてやらなかったら、兄の子どもは何億かを相続したかもしれない。でも20代やそこらで、親からそんな大金を相続したら、ろくなことない。だからよかったかもしれないっていう気もするんです。
自分が生涯かけて稼いだお金のすべてを失ったのは、兄が68で他界する1年ほど前。15億ほどを、5年くらいかけて溶かした。いや、もっとかもしれないけど、僕にもわからない。兄が自分で稼いだお金を、自分で使ってしまったというだけですからね。
ギャンブル依存症だったとはいえ、兄の場合は金額が大きいけれど被害者がいないんですよ。
依存症は「心の病」。病を責めない。
兄はとても知的な人で、人間についての理解も深い。それでも自分の、ギャンブル依存的な性癖に関しては、本当に自己分析できてなかった。彼の中に深く根を下ろしている、ちょっと破滅的なものがある。それは意思が弱いとか、自分でコントロールできるレベルではない兄の病気。触っちゃいけない心の一部だと感じていました。
本人もよくわかっている身の破滅をもたらすかもしれない賭けに出て、崖っぷちを歩いているときにだけ、ヒリヒリするような「生きている実感」を覚える。それってギャンブル依存症の病態ですよね。あんなに物事をよく考える人が、わかっちゃいるけどやめられないんですから。
そういえば、僕は兄に「なぜギャンブルに依存するのか」と聞いたことがないんです。普通はね、質問するのを制御できないと思う。「なんでそんなバカなことするんだよ」ってね。
僕は、聞いたところではかばかしい答えは得られないと思ったんです。おそらく兄にも明確に答えられるものじゃない。ギャンブル依存症という病気だから。
ギャンブル依存症だからといって、僕の兄に対する人格評価は変わらない。人間として信頼してるし、ずっと大好きないい兄貴でした。
全財産が溶けたぐらいの時、がんが見つかって闘病生活に入ったので、株なんてできる体力もなくなっちゃったんです。がんの進行も早かったのもあるけど、生きる意欲をなくしたのは、ギャンブルの元手がなくなったことも関わってるかもしれません。
仕事を辞めて、24時間365日暇になっちゃった。そんな状況を作るべきじゃなかったという気はしています。
ビジネスに集中していた30年間は、依存症を発症させるようなギャンブルへの欲求を、小さく散らすことができていたんじゃないかな。合法的なギャンブルしかやらないというふうに、自制心も保って、いわば病気とうまく付き合えていた。
誰しも「心の病」をもっている。ほどほどに折り合いをつける。
心理学者の河合隼雄先生は、「人間はある意味では全員病人である」と述べています。病んだ部分も「その人が大切なことを表現するためのひとつの方法」である。そして「治るばかりが能じゃない」「生きることが大事なんだ」と。
病気になったとき、病人を責めないでしょう。依存症者に対しても、その人を責めることが良いこととは思えません。
シリアスな病態をとるものもあるし、外からは病気だとわからないものもあります。僕たちにできるのは、それを「受忍限度」内におさめることまでです。
河合先生が言うように、誰もがなにかの「心の病気」を持っていて、ゼロにはできない。
それなら、本人も傷つかない、周りも傷つけない、ある程度の範囲内に収めることを目指した方がいいんじゃないかな。
本人は誰よりも努力してるだろうし、周りも見守るように協力すれば、市民的常識の範囲内に収めていくことができるように思うんです。
兄は、崖っぷちのほんとにギリギリの内側を歩いたときもあったけれど、崖っぷちでとどまった。海外でのカジノ、合法的とはいえギャンブルみたいな株なんかはやらなきゃいいことかもしれないけれど、もっとひどい、崖から落ちるような深刻な病の発症を抑制していたのかもしれません。
それでいいんじゃないかな。
コメント
涙が止まりません。 いっぱい悩んでる人いるんだなぁと! 夫を責めずに いっぱい働かせて 長生きしてもらわなきゃと 思いました。 誰にも言えず 水原一平が出てくると 少し克服して来た夫が パチンコ依存症で またやってるのではと 思い 私も病んでいました。この記事を読んで 改めて 考えを 改善しなくてはと思います。
なんか泣けました。
私の元夫も、きっと崖っぷちを、ギリギリ落ちないで、今、生きているんだろう、それでいいと思えました。
私はその崖から降りた、そうして今、生きてるんだから、それでいい、とも思えました。
「人間はある意味では全員病人である」病んだ部分も「その人が大切なことを表現するためのひとつの方法」
そして「治るばかりが能じゃない」「生きることが大事なんだ」
ストンと心に落ちました。
私は夫がギャンブル依存性ですが、
夫に対して、どうしたら回復に向かうのか、どうやったら夫婦の将来が見い出せるのか、自分が安心するためのレールに夫を乗せたいと思っていつも答えを求めていたことに再度気付きました。
こんな文書は、AddictionReportだから書けるんだと思います。
心から感謝して完全保存させていただきます!
読んだ後にとても柔らかい優しい気持ちになれました。皆何かの病人。何事もほどほどに。私もこの先ゆる~く生きること、そして周りや家族に対しても、ゆる〜く向き合っていきたいと思わせてもらえました。たくさんの気づきがありました。心からの感謝!
「人間はある意味では全員病人である」
ホントに私もそう思います。
心身ともに健康でありたいけれど、なかなかそうはいかなくて、自分の病気の部分も受け入れて、他者への理解も出来るようになる方が、生きやすいのかも?と、思います。
病気を持ちながら、より良く生きる。そんな社会がいいよな〜て、思います。
内田さんがお兄さんを責めたりしなかったって、そんなことしても明確に答えられるものじゃない、、、まさにその通りと納得しました。私にはそんなことできませんでした。問いただすことで、ギャンブラーはうそをつきます。どんどん家族は巻き込まれていきます。正しい病気の理解が大事だと記事をよむとわかります。お兄ちゃんが使い切ったことで、その子どもたちが若い時に大金を手にしなくてよかったというのが印象的でした。
青山さんの、「ギャンブル依存症の人って、やっぱり性格にも問題があって、だらしない人なんじゃないかな」といった、偏見が満ち満ちていたことに気づいたからが冷や汗がでたという部分、凄く分かります
支援者として依存症者を理解し、支援していたはずなのに、依存症者の家族になって初めて自分の中の偏見をありありと見せつけられた衝撃
誰が、いつ、なるか分からないから病気なんだなと、改めて感じました
青山さんの、「ギャンブル依存症の人って、やっぱり性格にも問題があって、だらしない人なんじゃないかな」といった、偏見が満ち満ちていたことに気づいたからが冷や汗がでたという部分、凄く分かります
支援者として依存症者を理解し、支援していたはずなのに、依存症者の家族になって初めて自分の中の偏見をありありと見せつけられた衝撃
誰が、いつ、なるか分からないから病気なんだなと、改めて感じました
内田さんはギャンブル依存症を病気と捉え「生きている実感」を追い続けたお兄さんの中にある破滅的なものに気づいていながら「病んだ部分もその人が大切なことを表現するための方法」として理解し、一度として責めなかったという温かさに感動し依存症のある家族としての姿勢をまた一つ学ばせて頂きました。
夫のギャンブル依存をきっかけに自分の共依存に気付きましたが、最近双極性障害を持っていることもわかりました。自分のあらたな病みの部分を完全に受けとめきれないなかで、以下のコメントがとても響きました。素敵な記事をありがとうございます。
病んだ部分も「その人が大切なことを表現するためのひとつの方法」である。そして「治るばかりが能じゃない」「生きることが大事なんだ」と。
お兄さまの溢れるエネルギーが伝わってきます。内田さんのお兄さまへの愛も伝わってきます。ギャンブル依存症、という病気の一面もまた、お兄さまの惹きつける魅力のひとつだったのかもしれないと、感じました。
すごく納得しました。
誰もが病気を持っていて、人に迷惑がかからないくらいに抑制しながら生きている。
なんとなく、スッとしました。
息子のギャンブルの問題に対して、私は彼のギャンブル行為に苦しんでいたのか、それともギャンブルによってもたらされる損失に苦しんでいたのかと考えた時がありました。
その答えは分かりません。
どちらにせよ、私が苦しんだ事で私自身の心の奥に持っている病に気づくことができたのです。
この記事を読んで凄く感銘しました。私の息子とリンクした、破滅寸前のヒリヒリ感はギャンブルでしか得られないと言っていました。経営者でありながら色んな事をしてみたい衝動性を抑えられず寧ろ成功より失敗するリスクを取る、周りはハラハラしています。
大好きなお兄ちゃんは見守ってくれる家族がいてとても嬉しかったでしょうね。なぜかこの記事に癒されました。