摂食障害、ウツ、処方薬依存……。精神科に通い続けると同時に仲間がいたという、石田月美さんの20年。
前著『ウツ婚‼』(晶文社)では、ウツ病の当事者として「死にたい私が生き延びるための婚活」実践メソッドを、ユーモアたっぷりの文章で届けてきた石田月美さん。
それから3年半が経ち、40歳となった彼女が、2024年夏に上梓したのが『まだ、うまく眠れない』(文藝春秋)。
Addiction Reportでは、本書でも語られる「依存症」との関わりを、改めてお聞きすることにした。
公開日:2024/11/27 03:00
前著『ウツ婚‼』(晶文社)では、ウツ病の当事者として「死にたい私が生き延びるための婚活」実践メソッドを、ユーモアたっぷりの文章で届けてきた石田月美さん。
それから3年半が経ち、40歳となった彼女が、2024年夏に上梓したのが『まだ、うまく眠れない』(文藝春秋)。
幼少期から遡り、「グレにグレた」という中学時代、高校を中退し家出少女となった思春期。
せっかく入学した大学にも通えなくなり引きこもりの生活から、初めて精神科でウツの診断を受けた19歳のとき。同時に抱えていた摂食障害……。
以来、20年精神科に通い続けながら、婚活、結婚、不妊治療を経て出産し、育児と文筆に励んでいる現在までをモノローグで語る本書は、「生きづらさ」を紐解いた20項目以上のテーマから綴られるエッセイでもあり、現代を生きる一人の女性の声としてずしりと届いてくる自伝文学のようでもある。
Addiction Reportでは、本書でも語られる「依存症」との関わりを、改めてお聞きすることにした。
(ライター仲間として親交があるため「月美さん」と呼ばせていただきます)
——複数の精神疾患を抱えていることが、本書にも書かれていますが、19歳のとき、最初に診断されたのが「ウツ」だったそうですね。
私が精神科にかかった最初の理由は摂食障害なんです。高校を中退して家出して、一日一日をサバイブしていた時期がありました。でもそんな生活に疲れて果ててしまって。
一念発起して高校卒業認定資格を取得して、親に頭を下げて大学に入学して、一人暮らしを始めたものの、体が動かなくなって外に出るのも怖くなって、家に引きこもるようになったんです。
外に出るのは夜中にコンビニ行くときだけ。パンとかお菓子を大量に買い込んで過食して、日中は寝込んで、また夜中に起きる。その繰り返しです。当然、ぶくぶく太っちゃう。そんな自分が嫌でますます過食しちゃうんです。
もともと身長が170センチ近くあるうえに、体重は90キロになって。自分の醜い体を脱ぎ捨てたい。でも自分の身体とはどうやっても離れることができない。
——引きこもりとか、寝込んでしまうといった心身不調より、「過食する」ことに嫌な気持ちから精神科を受診したのですね。
自分がウツであることなんて、どうでもよくて、とにかく摂食障害の、過食を治したかったんですよ。
そうしたら、先生から言われたのは、「あなたの摂食障害はウツからきているもの」ということ。摂食の前にウツがあるからこうなるのだと。
でも、摂食障害に効く薬はないんです。ただ、ウツに効くという薬はあると先生が言う。
それでわたしは、そうか、その薬を飲めばウツが治るんだ。そうしたらウツからくる摂食障害も治るんだ。治ったら、もうこんなにいっぱい食べたりしない!というふうに考えたんです。
——なるほど。ウツの薬は効いたのでしょうか。
私はウツと同時に、強迫神経症という不安が強くなる病気があったので、抗不安薬を飲み始めたらある程度、緩和しました。
※強迫神経症(強迫性障害)とは、頭の中にしつこく浮かぶ不快な考えやイメージ(強迫観念)にとらわれ、それを打ち消そうとするくり返しの行為(強迫行為)が止められず、日常生活や精神状態に大きな影響をおよぼす病気。
ウツにも効果がそれなりにはあったんです。でも、やっぱり「ある程度」ではあります。過食も少しはマシになったかもしれないけど、やめられはしなかったですね。
——摂食障害でいうと、現在はどういう状態ですか。
私が摂食障害になって20年以上になりますが、35歳までは過食と拒食を繰り返していて、35歳から今にいたるまでは過食一辺倒です。過食は毎晩行われます。昨日も大変でした。ひどかったです。
——「行う」ではなく、「行われる」。それは、自分の意志とは違うところで、行為があるというニュアンスでしょうか。
私は食べ物を味わうことができないんです。食べることが美味しいとか、気持ち良さにつながらない。
夜、家事も育児も全部終えて、あとは寝るだけとなって布団のなかに潜ると、自分のどうしようもなさが頭をぐるぐる駆け巡るんです。
みっともなくて、独りよがりで、情けない自分から逃げ出したくなる。逃げた先に冷蔵庫があって、味の濃いもの、カロリーの高いものを次々と口に投げ込まれて、ありったけ口の中に詰めこんで血糖値が上がって倒れそうになったら、布団に倒れ込んで気絶するように眠りにつく。
やめたいのに、後悔するのに、体重だってまた増えるのに。ほとんど毎晩のように過食は行われます。
——目の前にいる月美さんは、わたしには特に体重が多そうにも見えないのですが、食べたものは吐いたりしちゃうのでしょうか?
体質的に嘔吐ができないので、いわゆる過食嘔吐の食べ吐きはしたことがありません。
その代わり、例えば、こうして(インタビューのように)人と会う予定が決まった瞬間から、食事制限とジム通いが始まります。
でも体型って簡単にコントロールできないじゃないですか。すると私はドタキャンするんですよ。
誰しもそうだと思うけど、人は自己イメージと事実が乖離している。写真を見て「素敵ですね」とか言われても、こんなまん丸な顔でみっともない体の自分をゆるせない。ゾッとします。
もし、本当に顔が丸くても、会って10秒も立てば顔が丸かろうがどうでもいいわけで、そんなこと自分でもわかっている。でも、耐えられなかった。
35歳から、私は文章を書く場を与えられたんです。自分の書いたものを読んでくれる人が現れた。
すると、人が自分の見た目にそこまで関心をもっていないことを知るようになりました。
私の体とか顔が丸くても案外どうでもよくて、書いたものがどうであるか、文章の方にもっと関心を持っていると実感するようになってから、人にもこうして会えるようになり、ずいぶんと楽になりました。
——この本の「オーバードーズ」という章では、処方薬の過剰摂取の体験についても書かれていますね。
今がクリーン15年ぐらいなんです。処方薬の離脱症状に耐えきれず、薬を手にするとむさぼっていた時期があって。
オーバードーズして救急で運ばれて、胃洗浄して戻ってくる、そんなことがしょっちゅう。自殺未遂も何度もしていて、いまだ希死念慮もバンバンきます。
薬のことはまだ怖いです。もう15年もオーバードーズしてないのに、今でもものすごいリアルな夢を見るんですよ。夢のなかでODして、目が覚めた瞬間に自分がODしてないか確認するくらいリアルな夢。
正直、また自分がしちゃうんじゃないかと怖いので、自助グループで話すのでもない限り、どう話して(書いて)いいのかわからないというまま書いたんですけれど。
あるときから、私は自分の人生に対しての期待を捨てたんですよね。
薬も「処方薬を適量飲んだらそれで良し」と決めて、過剰摂取しなかった日はカレンダーにニコちゃんマークのシールを貼って、その日がどんなに最低でも、過食しても、「処方薬を適量飲んだら」その日はもう私は十分だって。
1年が経ち、2年が過ぎ、そんなふうに15年が経っていました。
——薬物の過剰摂取の怖さが、自分を止めている、という感じでしょうか。
やんちゃやってた頃の仲間とは今でもつながっているのですが、時々、いなくなってしまう人はやっぱりいて。オーバードーズで意識を失って、吐瀉物が喉に詰まって亡くなるとか。そんな話を自助グループでも聞きます。
精神科に通い始めてから20年のうち、10年は引きこもりで、精神科のデイケアにいたんです。そこにも仲間がいます。
ただ、わたしの根幹が形成されたのは、薬物依存症施設「ダルク女性ハウス」の施設長である上岡陽江さんがダルク外で行っていた、女性限定のアディクションミーティングだと思っています。
そのミーティングに、週1で10年以上参加し続けて、多くの仲間と出会いました。薬物、アルコール、買い物、摂食障害……依存症の仲間から聞く話はどれも凄絶で、私の経験なんて鼻くそみたいに思えるほど、まさに「生き延びてきた」話でした。
私はそうした仲間から聞いた話をこれまで詳しくは書かないようにしていました。守秘義務もあるし、なにより仲間の不幸を搾取するような気がするからです。
でも、この本では書いている子もいます。なぜかというと、彼女が読まれることを待っているからなんです。
——デイケアで会った摂食障害のAちゃんの話も、一瞬言葉を失ってしまうような体験が月美さんを通して語られていて、今も体の奥にAちゃんの声が響いているような気がします。
同じ章で、自助グループで行われる回復の道標「12ステップ」やスポンサー制度についても触れられていて、わたしには依存症の回復プロセスの勉強にもなりました。
ハウツーではない伝え方があるんだと、この本を読む人に対して、月美さんの親切さというのか、上からでもなくフラットに伝えようとする意図も感じました。
※12 ステップ(プログラム)とは、依存症から回復を目指すために提案された 12 の段階を一つ一つ進めるプログラム。このプログラムを先に終了した人が「スポンサー」、これからプログラムに取り組もうとしている人を「スポンシー」。12 ステップはスポンサーとスポンシーがマンツーマンとなり進められる。
前著『ウツ婚‼』ではできるだけ軽く読めて、気づけばためになるハウツー本となることを意識しましたが、この本は、軽さに逃げちゃダメだと思ったんです。深刻なことは深刻に書かなきゃいけない。でも、重たくなりすぎないように、Aちゃんのように仲間にも読んでもらえるように。
これまで書かなかった処方薬の過剰摂取について書いたのも、仲間の存在が大きいと思います。
アルコール依存症で暴力的な面があった父のこと、知人からの性被害や弟の逮捕劇なども、そこを深掘りするというより、自分からなくなるわけじゃない事実として書いた気がします。
——わたしも自助グループのような場を開いているのですが、そこで語られる話は原因究明とか問題解決とかを目指していなくて、ただ、あったことを言葉にして、そのまま眺めるようなイメージです。
そういえば、この本を読んでいるとき、そうした「安心できる場」で誰かが語る声を聞いていたような感触でした。
自分の体験じゃないけれど、その人だけの話を聞くことで、なぜか自分のなかですっと溶けるようなものがある。そんな声が届いてきたように思います。
(おわり)