トークイベント「アディクションの現在地 臨床と編集の現場から見えるもの」イベントレポート(前編)
2026年9月16日、代官山 蔦屋書店で『溺れながら生きる 依存とケアのあいだで』(文藝春秋)刊行記念トークイベントが開催された。登壇者は本書の著者・信田 さよ子氏とシリーズ「ケアをひらく」担当編集の白石 正明氏。本記事では当日のハイライトをお届けする。

公開日:2026/10/03 02:00
2026年9月16日、代官山 蔦屋書店にて『溺れながら生きる 依存とケアのあいだで』(文藝春秋)刊行記念トークイベントが開催された。
登壇者は本書の著者・信田 さよ子氏、そしてシリーズ「ケアをひらく」担当編集であり『ケアと編集』(岩波新書)著者の白石 正明氏。
来店参加は満席となり、当日は雨の中でも多くの聴衆が会場を訪れた。本記事では、当日のハイライトをお届けする。
『溺れながら生きる』の背景にある、アディクション治療の変遷

信田さよ子氏は、依存症に関して過去にも複数の著書を手がけている。白石正明氏は過去の著書と本書を比較して、依存症治療の変化について信田氏に尋ねた。
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白石 正明氏(以下、白石):
今回の著書について、『溺れながら生きる』というタイトルが素晴らしいなと思いました。
信田さんは1999年に『アディクション・アプローチ もうひとつの家族援助論』(医学書院)という本も書かれています。
当時は底付き理論がベースにあったと思います。 つまりアルコールなどによって徹底的にダメになり、底についてから浮き上がってくる。
一度底にしっかり沈んで立ち直る、V字型のイメージを描いていました。
でも、今度の本は『溺れながら生きる』だから沈まない。「溺れたままどうにか生き延びればいい」、という風にだいぶ変わったように思います。
信田 さよ子氏(以下、信田):
本書の帯には「自分と似た他者と集うことで、初めて少しは楽に生きられる」と書いています。
溺れている人はどうしたらいいかというと、一人で泳ぐのではなく同じように溺れている人とつながる。
隣を見れば、同じように溺れている人がいる。一緒に泳げば岸まで辿りつくでしょう、という意味を込めています。
『アディクション・アプローチ』を書いた当時は底付き理論が主流でしたが、21世紀に入ってからアディクションの治療は大きく変わりました。
2001年ごろ、カナダでアディクションやDV加害者の治療を行っているオフィスを視察したときに底付きの話をしたら、「あなた、まだ『底を打つ(ヒット・ザ・ボトム)』なんて言葉を使っているの?底を打つまでになんとかするのがプロではないの?」と言われました。
それではどうするのかと言うと、動機付け面接※を行っている。動機付け面接では依存から抜け出すために、まず動機(変わろうとする意思)を8段階に分けるんですよ。
動機付けの場面にいるなら、どんな人にもすでに動機があるんです。だから「僕には動機がないんです」と否定する人も、その場にいる以上は既に動機を(8段階のうち)「1」として考える。
※動機づけ面接:米国のミラー(Miller,W. R.)と英国のロルニック(Rollnick, S.)によって開発された対人援助理論。変化に対するその人自身への動機づけと、コミットメント(約束)を強めるための協働的な会話スタイル。「変わりたい/変わりたくない」という相談者の気持ちや状況を丁寧に引き出し、標的とする行動(禁煙、節酒など)や変化に関する発言を強化することで、相談者自らが気づき行動に繋がるプロセスを支える。(参照:日本保険医療行動科学会「動機づけ面接法」)
白石:
それは東海林(しょうじ)さだおがマンガで書いていた「銀座のママ話法」みたいですね。
「もう俺飲めないよ」と言ったら、ママに「飲みたくないから飲むんでしょ!」と言われた。それが妙に説得力があって飲んでしまった、という話です。
信田:
確かに似ていますね。
そして動機付け面接の特徴は、抵抗とともに転がるということ。
例えば依存症患者が「俺は依存症じゃないよ」と言う。それに対して「いや、あなたは依存症でしょ」と返すのではなく、「あなたは自分が依存症じゃないって思っているのね。うん、わかるわ!」と一度受け止める。カウンセラーがクライエントと、その言葉を否定せずに一緒に転がる。
白石:
抵抗か、転がるかではなくて、抵抗とともに転がるのですね。
アディクションに対するケアを、どう捉えるか
信田:
私がケアという言葉に初めて触れたのは1980年代で、「イネーブル※」という言葉と同時でした。
※ イネーブル/イネーブラー:依存症患者が依存し続けることを手助けするような行動。イネーブルをする人をイネーブラーという。責任の肩代わりをすると、本人が感じるべき後悔や痛みを軽減してしまうため、嫌な思いをせず依存を続けてしまう。(参照:アルコール依存症ナビ.jp「イネイブリング~依存症問題では、よかれと思ってしたことが裏目に出る~」)
底付き理論では、依存症患者は放っておけば自分で勝手に酒をやめて生きるか、飲んで死ぬかの局面に至る。当時は「元々生きるために飲んでるんだから、生きるために『やめないといけない』と思ったらやめるだろう」という楽観的な考え方があった。
ところが周りの家族、例えば妻が「お父さん、ウイスキーはこのボトルの半分しか飲んじゃいけないのよ」などと言ってしまう。夫がやっぱり飲んでしまうと、妻は「どうして約束を守れないの?」と嘆く。責められると夫はもっと飲みたくなる。良かれと思いながら結果的に飲酒に加担している人たちのことを「イネーブラー」と呼んでいました。
だけど、妻たちにしてみれば夫をケアしているんですよね。 妻たちは少しでも、飲酒量を減らして夫の肝硬変の進行を遅らせたい。 主観的にはケアである一方で、結果的には夫の依存症を悪化させている。
『アディクション・アプローチ』の中でも、ケアの有害性というのは一つの柱でした。
白石:
底付きという言葉を前提とすれば、中途半端に助けるのは共依存であり、良くないとされていましたね。ケアが有害になるという考えは当時は非常に画期的な視点で、援助業界の多くは「それは考えていなかった」という反応でした。
でも、最近は「ハームリダクション※」という、例えば薬を使いながらも死なないようにするなど、害を減らす方に変わりました。この観点から見ると、共依存の家族による行動にも、当事者を生かす意味が十分にあったという解釈もできませんか?
※ ハームリダクション(Harm Reduction):
特定の行動が原因で健康被害が起きている場合に、健康被害を予防、または軽減させるためのアプローチ。たとえば薬物依存の対策であれば行政が安全な注射針を用意して感染を防いだり、医療用の代替品による維持療法をすすめたりすること。アルコール依存症の対策であれば、完全禁酒ではなくまず節酒を目指す。(参照:白石 正明著『ケアと編集』(岩波新書)、国際保健用語集「ハーム・リダクション」(一般社団法人 日本国際保健医療学会))
従来の底付きは、一番厳しい状態まで落ちてから上昇するように回復する治療モデルでした。だから、共依存は底付きを妨げてしまうものとして扱われてきた。
でもそれはハームリダクションの一つであって、そうしたケアを長期的に続けるうちにうまくいった、という発想もできそうですよね。
それを自分のフィールドに置き換えると、「アディクションのケア論的転回」ではないかと僕は思っています。
信田:
なるほど。それでもケアに大したことはできないんですよ。ボトルに線を書く、怒る……ケアは何も意味がないように思えることをやっているんですよね。
でもやっぱり、そのようなケアが無意味とは言えないと思う。
白石:
意味がないように見えるけれど、無意味ではない。
信田:
ただし、ケアでも有害なものはあるんですよ。ケアが暴力になることもある。
デヴィッド・グレーバーが書いた『万物の黎明』(光文社)では、ケアと暴力を一緒に論じています。
例えば、摂食障害の娘を持つお母さんがいる。娘が食べたり吐いたりして、なかなか大学に登校できない。
そういうときにお母さんが「そのままのあなたでいいのよ。お母さんはあなたの言うこと全部わかってるから、大丈夫」と言う。そういうケアに満ちた母親、怖くないですか?
そして痩せ衰えた娘を連れて私の講演会に来て、「先生、私こういう仕事始めました」と保護司の名刺を見せてくる。
私が「素晴らしいお仕事ですね。 頑張ってください」と返すと、お母さんが「はい、先生。 私、保護司の心に燃えてますの」のように言う。
そういうのがケアの暴力だと私は思ってます。
白石:
なるほど。 ケアも暴力も、人の生存にとってかなり核心的なところにある。だからある意味、両方同じだとも言えると思うんですよね。
僕はケアイコール共依存だとも思っているんですよ。 つまりケアするってことは、常に相手からの依存を引き出してしまう。
でもそれは共依存先が一つしかないから問題なのであって、「ケアイコール共依存」自体が問題ではないと僕は思っています。
さっきの例えで言うと、お母さんが共依存先を増やせば、物事は解決するのではないでしょうか。
信田:
ケアと暴力っていうのは、言い換えるとケアと支配っていうことですよね。
ケアすれば必ずそこにはある種の依存関係が生まれる。ケアするときの快楽、つまり他者に没入する時ってやっぱ気持ちいいんですよね。
本にも書きましたけど、ある人が「自分がお母さんを手厚くケアしていたら、私がケアされているような気分になった」と言っていました。
主客の転倒が起こるという、面白い現象ですね。
白石:
する側とされる側が一緒になってしまうのがケア。一対一で向き合うと、必ず作用反作用が生まれる。
だからケアをみんなが続けられるのは、そういうご褒美があるからではないかと思います。でも、そういった天国体験は継続が難しいですね。
ケアを継続するには、外部からもケアを継続させるための要素が必要ではないかと思います。
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前編では、ケアという概念に対して両者それぞれの立場からの意見をうかがうことができた。
後編では依存症に先立って起こるトラウマや、依存症の治療に深く関わる自助グループ、カウンセリングについて議論が交わされた。
(後編に続く)
