「あなたのために言っている」は本当? 家族も支援者も陥る〈叱る依存〉のメカニズム
家族に依存症者がいると、周囲は理解して寄り添おうとしても、つい責めるような言葉ばかり言ってしまう。または、依存症の支援者でさえ、時に説教したり、強引に治療を進めたりしたくなる。
「頭ではわかっているのに、つい」ーーじつはそれこそが、ある種の“依存”なのかもしれない。

公開日:2026/09/02 02:00
『支援・教育の場で“叱ること”は過大評価されている』ーーそう話すのは、臨床心理士・公認心理師の村中直人さん。
2022年に刊行した書籍『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)は、現在4万部を超えるベストセラーとなっている。本書が生まれたきっかけは、過去に発達障害の特性を持つ子どもと親を支援した経験にあるという。
『“この子は何度叱ってもダメ”と嘆く親御さんは多い。だったら、なぜ効果がないとわかっているのに叱り続けてしまうのか、疑問だったんです』
私たちは、無意識のうちに「厳しく叱らないと人は変わらない」と思い込んでいる。前編では、村中さんにそれがどこまで本当なのかを伺い、なぜ「つい叱ってしまう」のかをひもといていく。
(取材・文:遠山怜)
「何度言ってもわからない」のに、叱り続けてしまう
ーー村中さんが、「叱る依存」に関心を持ったきっかけを教えてください。
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村中さん:私は長らく、発達障害特性を持つ子とその親を支援してきましたが、そうしたお子さんは周囲からとにかく怒られるんです。
まず、発達障害の特性がある子は、不注意、多動、過集中などに陥りやすい。そのため、寝坊したり忘れ物をしたり、あるいは友達や先生とトラブルを起こしたりと、朝から晩まで叱られている。家でも学校でも、下手したら発達支援の場でもです。
ーー支援の場でも、ですか。
村中さん:はい。私はこの仕事をする中で、何度もそうした場面に遭遇しました。親御さんや先生方は、『この子にわからせるためには、私が厳しく叱らないと』と、半ば確信めいたものを感じているようでした。
ーー確かに公共の場で親から『だから言ったじゃん!』と叱られている子を見かけます。
村中さん:しかし、叱られている側の子どもはというと、パニックを起こして、とうてい話が聞けるような状態ではない。発達障害の特性を持つ子は、ただでさえ物事を理解するのに一定のコツが要ることが多い。キツく叱責されても、親の尋常ではない様子にただ圧倒されるだけで、何が起きたかわからずに泣いている。そんな状態では、まず親の言葉は耳に入ってきません。
なぜ叱られたのか、どうすれば良かったのかもわからない。道理がわかってないから、また同じことを繰り返す。その時、「叱るっていったい、何なんだ?」と強く思ったんです。
叱ったところで、子どもの行動は何ひとつ変わっていない。なのに、親も教育者も「叱ること」にある種の使命感を抱いている。これは何なのかと。
ーーそれでいうと、依存症者の家族・支援者も同じかもしれません。それこそ、『罰を与えて反省させろ』なんて声もいまだに聞きます。
村中さん:そうですね。教育・支援の場では、「叱ること」が相手の行動変容を促すと、信じられている節がある。
ただ、誤解の無いように言っておくと、叱ってしまう方は、激しやすくて子どもに愛情がないというわけではありません。むしろ、私が見てきた親・先生方は、子どもの将来を案じて今できることを模索し、積極的に行動してきた人たちです。子どもへの愛情も理解も、人一倍あります。後で冷静になれば、彼らも「今のやり方は良くない」とわかってくれると思うんです。
ーー厳しく言ってしまうのは、相手を思う気持ちの裏返しなんですよね。
村中さん:でも、そんな物分かりがいい人でも、ひとたび叱り始めると、もう止まらない。子どもが泣こうが叫ぼうが、さっきの失敗から日頃の生活態度、過去のしくじりまで、全部言わずにはいられない。子どもが話が聞ける状態でないのに、叱り続けてしまう。
その後、私はニューロダイバーシティという言葉と出会い、神経科学や認知科学を一から学ぶことにしました。その中に「叱る」ことの本質を理解するヒントが隠れていたんです。
(脚注)ニューロダイバーシティ/Neurodiversity:脳や神経、それに由来する認知や行動の多様性を捉える考え方。ASDやADHDといった発達障害に限らず、人間には一人ひとり異なる神経・認知の特性があるという捉え方を指す。
「言うことを聞く」のは防衛反応
ーーでも実際、人は叱られると、その場で行動が変わったりしますよね。叱られることで、人の脳内では何が起きているのでしょうか。
村中さん:一言で言えば、生物に備わっている「防御モード」にスイッチが入ります。
たとえば、猫は大きな音がすると、サッと身を隠すか、威嚇し始めます。これは、猫の脳内で「防御モード」にスイッチが入った結果、瞬時に「逃げるか戦うか」を判断しているのです。身の危険を感じた生物は、反射的にこうした防衛行動を取ります。
一方、人間の場合はそう単純ではありません。仮に身の危険を感じても、「逃げるか戦うか」のどちらも選べないことが多い。たとえば、学校で先生に怒られても、教室を飛び出したり、学校をドロップアウトしたりするわけにはいかないし、それこそ反撃したりしたら、もっと面倒な事態に発展するでしょう。
そこで人は折衷案として、“社会的逃避”を選ぶ。つまり、「相手の言うことを聞く」ことで、これ以上、自分の身に被害が及ばないようにするんです。
ーー確かに、こちらに一定の分があって、言いたいことがあっても、とりあえず大人しく従っておくことはままあります。相手の神経を逆撫でしないように、その場の行動を変える。
村中さん:はい。叱られた側が行動や態度を改めるのは、防衛反応なんです。その一方で、「何が問題で、どうすればよかったのか」は何も理解できていません。
よく『この子は何度叱ってもわからないんです』と嘆く親御さんがいますが、それは順当な結果なんですよね。叱られて身につくのは、「早くこの嫌な時間を切り上げる」方法であって、問題を回避する方法や対処法ではありません。だから、何度も同じようなことを繰り返してしまう。
ーー依存症者も再発するたびに「なんで」と周囲に責められる。でも、考えてみれば、本人にもその理由も対策もわからないから依存しているんですよね。
村中さん:そうですね。そして、叱責は学びを促さないどころか、マイナスの影響があります。本来、「防御モード」とは、身の危険を感じた時に発動するものなので、何度も危機的状況に遭っていれば、当然ストレスも溜まります。自分に嫌気がさしたり、うつ状態に陥ったりする。
叱責は叱られる側にとって、何のメリットもないのです。
ーー一般的に「叱る」と「怒る」は違う、とも言われますが。
村中さん:「叱る」と「怒る」「罰を与える」の区別は、叱る側にしかありません。じつは、叱られる側に与える影響はどれも一緒で、同様に防御モードが反応して、「逃げるか戦うか」に迫られています。
叱ってしまう理由は、「叱る側」にある
ーーつまり、「叱られる側」にはメリットがほとんどない。では、なぜ人は叱ってしまうのでしょう?
村中さん:まさにそこなんです。「叱ることの教育的効果」は、心理学や教育学の分野で度々、議論されてきました。しかし、なぜ人は叱るのかーー「叱る側にどんなメリットがあるのか」は、あまり考えられてこなかったように思います。
じつは、私が神経科学からヒントを得たのは、この「叱る側のメリット」なんです。
考えてみれば、叱責は叱られる側にデメリットしかない一方で、叱る側には明確なメリットがあります。叱ることで、叱られた側は自分が思う通りに行動してくれる。叱る側としては、非常に気分がいい。
ーー確かに、叱ることで溜飲が下がる部分もあるのかもしれません。相手の失敗を理由に、「こうして」と言える。
村中さん:そして、もう一つ重要なキーワードが、「処罰感情」とでも呼ぶべき欲求です。
ある実験では、参加者に特殊なゲームに参加してもらいます。自分の所持金を別の参加者に預けると、そこでお金が大きく増える仕組みになっていて、その増えたお金を二人で山分けする約束をするんです。しかし、相手は裏切って預けたお金を独り占めしてしまう。
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そこで実験では、参加者に「報酬を払えば相手に罰を与えられる」と持ちかけます。参加者は身銭を切って報復するか、泣き寝入りするかを迫られる。
ーーそれって罰を与えても、所持金は戻ってこないし、さらに身銭を切る羽目になるんですよね?
村中さん:はい。合理的に考えれば、罰を与えたら余計に損失が拡大するだけです。けれど、裏切った相手を罰することを選んだ人が少なくなかったのです。
そして、罰を与えることを選んだ人の脳活動を調べると、報酬系回路と呼ばれる部分の一部が活発化していたんです。
ーー「報酬系回路」、ですか。
村中さん:報酬系回路とは、何かをして「やってよかった」ことを学習し、行動の原動力となる機能を持っています。たとえば、期限内に課題をやり遂げてスッキリしたり、勉強したらテストでいい点が取れたりしたら、良い気分になって「またやろう」と思いますよね。
他人を罰することで、報酬系回路の活発化が起きたということは、そこに「ある種の快感」が生じていることを示唆します。しかも、高額の費用を投じて、相手の処罰を求めた人ほど、報酬系回路の顕著な活動が見られました。もしかすると、他人を処罰することに、経済的損失を上回る“快感”があるのかもしれないのです。※
ーー「報酬系回路」といえば、依存症にも関係していると聞きます。
村中さん:はい。「叱る」行為を、“依存”という観点から眺めてみると、別の側面が見えてきます。
神経科学の研究により、薬物やお酒、ギャンブルなどの物質・行為への依存は、脳の「報酬系回路」が大きく関与しているとわかっています。依存症になると、脳の報酬系回路が依存対象にハイジャックされてしまい、それ以外の物事にモチベーションが湧かなくなってしまう。
「つい叱ってしまう」ことも、この延長線上に位置付けることができます。叱る側は、「物事が思い通りになる」「自分を困らせた相手を罰したい」という快感を求めて、叱る行為を繰り返してしまう。
ーー確かに、内心は良くないと思いつつ、言い過ぎてしまうことがあります。
村中さん:もちろん、人間誰しも、誰かにイライラしたり怒ったりすることはあるでしょう。それ自体は自然な感情であり、悪いことでも、否定すべきことでもありません。しかし、「もう叱りたくない」と思いながら叱り続けてしまうなら、それは一種の「アディクション」と言えるのではないでしょうか。自分の意思では、叱ることを止められないのですから。
ーーつまり、叱責にはお酒や薬物のように依存性がある、ということですか?
村中さん:叱ること自体に、薬物などと同程度の依存性があるというより、本人が置かれている状況が似ているのだと思います。
依存症者は、しばしば、自分ではどうにもならないようなストレスを抱えていたりします。家族の問題や経済的困窮、あるいは自身の能力に関することなど、自己努力ではどうにもならないことがある。そんな時、お酒や薬物は一瞬、現実を忘れさせてくれます。つらい状況を紛らわすためにお酒や薬物の力を借りるうちに、報酬系回路が乗っ取られ、手放せなくなっていく。
一方で、「叱る依存」に陥っている人も、これと同様に、苦しい状況下にいることが多い。
たとえば、発達障害の特性の子を持つ親御さんは、子どもとは別の意味で追い詰められています。まず、周囲からその子の特性のことを理解してもらえず、親のしつけがなってないと白い目で見られる。あれこれ手を尽くしても、子どもの問題行動が収まらず、『この子は将来、大丈夫なのか』と強い不安を感じている。
そうした状況下では、叱責がある種のガス抜きになっていても、不思議ではありません。
ーー「なんとかしなきゃ」という思いと、「なんてことしてくれるんだ」という怒りが、ごっちゃになっている。
村中さん:もちろん、医学定義上の「依存症」とこうした「依存的な行為」を同一視することはできませんが、叱る行為には「アディクション的な側面」があるのは事実です。そういう理由で、私は「叱る依存」と名付けたのです。
その人が置かれている環境が、「叱る依存」のトリガーになり得るのです。
ーー相手を変えられないことへの罪悪感が、余計に叱責に向かわせてしまう。
村中さん:叱る側はよく、『あなたのためだから』と言いますよね。『私は決して怒ってるんじゃない、この人のことを思って叱っているのだ』と。しかし、叱ることで相手の行動が一向に改善せず、同じことを繰り返しているとしたら、それは相手のためになっているのでしょうか。
もし、現状がうまく行っていないなら、一度立ち止まって考えてみてもいいのかもしれません。
「なんで!」「この前約束したのに!」という言葉の裏側には、「なぜ私を困らせるのか」という叱る側の本音が隠されているのかもしれない。中編では、叱らずに問題に対処するコツを紹介する。
(中編につづく)
※de Quervain, D. J.-F., Fischbacher, U., Treyer, V., et al. (2004). The Neural Basis of Altruistic Punishment. Science, 305(5688), 1254–1258.
