Addiction Report (アディクションレポート)

見知らぬ男からの性被害体験と、交通事故によって人格が変わった母親からの虐待〜クロスアディクションを抱えた湯浅静香さん(上)

依存症を抱えた人の家族は、依存症を生み出す元となるような背景要因を抱えていることがある。「碧の森」の運営者で、元受刑者の湯浅静香さんはどんな環境で、どんな体験をしてきたのか。そうした経験が性依存、ギャンブル依存の入り口になっていく。

見知らぬ男からの性被害体験と、交通事故によって人格が変わった母親からの虐待〜クロスアディクションを抱えた湯浅静香さん(上)
クロスアディクションの体験を話す湯浅さん(撮影:渋井哲也)

公開日:2024/10/13 23:00

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 依存症を抱えた人の家族は、依存症を生み出す元となるような背景要因を抱えていることがある。受刑者や依存症者の家族から相談に乗る「碧の森」の運営者で、元受刑者の湯浅静香さん(44)の場合も同じことが言える。湯浅さんの場合、逆境体験もあった。

幼少期に起きたグルーミングからの性被害

 実は小学1年の頃、性被害に遭っていた。ザリガニ釣りができるという沼があり、そこで見知らぬ男がいた。その男からグルーミングされ、被害を経験した。グルーミングとは動物の毛繕いのことだが、性犯罪の文脈では、加害者が被害者に近づき、心を支配して、特別な信頼関係を結ぶこと。被害に気付かないまま、長期化する場合もある。

「全く知らないオジサンがシロツメグサでブレスレットや冠やネックレスを編んで作ってくれて、『これ、あげるよ』って言ってきたんです。『可愛いな』と思いました。そのうちオジサンは『作り方を教えてあげようか』と言いながら座って、私を抱えたんです。はじめはちゃんと教えてくれていました。嬉しかった。そのうち、『もっと作り方を教えてあげるから…。気持ちいいことしてあげるよ』って、下半身を触られました。

子どもなら誰でもよかったと思いますが、私は、オジサンに会うために同じ場所に向かいました。うまくグルーミングされたなって思います。このことは両親に言えなかった。のちに、風俗で働くことになりますが、この体験のためか、ハードルは低かった。援助交際のハードルも非常に低かったです」

 結局、見ず知らずのオジサンは、いつの日か同じ場所には現れなくなった。

  こうした性被害にあうと、トラウマとなり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になることがある。しかし、湯浅さんの場合、フラッシュバックなどはなかった。また、性に対しての振る舞いとして、嫌悪感を持つことから、性から遠ざかることがある。一方、性的な場面に近づき、性に奔放となることがある。湯浅さんの場合は後者だった。

  「結果として、性によって男性をコントロールできると思ったのでしょう。それって、高度な風俗嬢の技ですよね。そういうことを小学生のときに覚えてしまったんです」

援助交際全盛の時代の中を生き抜いた

  中学を卒業すると、商業高校へ行くが、女子が圧倒的に多くギャルになっていく。高校生もポケベルを持ち、援助交際が流行していた時代だ。湯浅さんもその流れに乗った。

「当時はまだ女子高生の価値がめちゃくちゃ高くて。1回の援交で7万とか8万円だった。安室(奈美恵)ちゃんの全盛期。アムラーが多くいました。人生にとってよかったのか悪かったのかは別として、金額的にはとてもよかった。私は定期的にあう『オッサン』、今でいう『パパ』を捕まえていました。月1回で7万円。そういう人を何人か作っていました。最終的には斡旋の方にいきましたけど」 

 なかでも、びっくりするような援助交際相手との〝出会い〟もあった。

 「高1の終わりぐらいに、電車に乗っていたら、私を値踏みしている、気持ち悪いオッサンがいました。駅で降りようとすると、『君、援交しない?』って名刺を見たら、医者でした。この頃はラブホに制服で入れなくなりつつある時代でしたので、次第に『制服ではまずいから着替えてから行こう』となりました。『バレたくないけど、女子高生を買いたいんだ。大人って汚い』って思いました。この頃はお金がすべてでしたね」

  性に奔放になっていた湯浅さんは依存的になっていく。後述するが、薬とセットになることで加速していった。

交通事故をきっかけに人格が変わった母。虐待が始まる

 そんな湯浅さんの家族関係はどうだったのだろうか。実は、母親が交通事故にあってから人格が変わってしまったという。そこから、母親は湯浅さんを虐待するようになっていく。

 「私が幼稚園に入る前ぐらいに母が結核になりました。この頃の結核は『死んじゃうんじゃないの?』と思われていました。病室には防護服のようなものを着て、ビニールの透明なカーテン越しに面会に行っていました。治療が終わって、退院をすると、母はバイクで事故を起こし、頭を打ったんです。人が変わったようになり、そこから虐待とネグレクトが始まったんです」

子どもの頃の湯浅さん(提供:湯浅静香さん)

  人格が変わってしまった母親だが、湯浅さんに対する虐待はどのように始まったのか。

「今思えば、(脳機能の一部の障害である)高次脳機能障害 だったと思うんですが、当時はそんなふうに思っていませんでした。母は私を殴る、縛るという感じでした。母は着物を持っていて、着物の帯を使って、柱に縛り付けました。おしっこはそのまま垂れ流し。幼稚園の年長までされていました。それに、母は朝起きないし、食事は出来合いのものだけ。自分で(電子レンジで)チンして、母を起こさないようにしていました。起きると機嫌が悪く、母は『このクソガキ!私を起こしやがって』と暴言を吐いていました。私は逃げるように学校へ行きました」

 高次脳機能障害 になると、感情や欲求のコントロールができなくなることがある。やる気が起きなかったり、人格が変わってしまうこともある。それでも家族3人で仲良く出かけることがあった。それがパチンコ屋だった。子どもながらに、パチンコ屋で両親の機嫌を取った。それが、ある意味で、家族団欒だった。

「両親と3人で車に乗って、連れていかれました。タバコ臭い、うるさいので、行きたくなかったんですけどね。でも、パチンコの玉を拾って、台に戻すと母は喜びました。私はぶたれたくないので、玉を拾って台に入れてあげました。それに、定規を持って釘を見ていました。まっすぐだと球が入りやすい。店員さんは、子どもには咎めることはしない。この頃は、玉を拾っている子どもが他にもいっぱいいたんです。2人はパチンコで勝つと機嫌がいい。勝ったあとは、近くにあるファミレスの『バーミヤン』に行って、チャーハンを食べるのが楽しみでした」

 そんなパチンコ三昧の生活が「普通」だったが、友人の家と比較するようになり、特に母親のことで「違い」を感じ始めた。

  「小学3年の頃。友達の家に遊びに行った時、家の中が整理整頓されていたんです。その上、おやつが出てきた。このとき、『お母さんは毎日朝ごはんを作ってくれる?』と聞いたんです。『当たり前じゃん』って。うちのお母さん、おかしいのかもと思っていました。うちは1、2ヶ月に一回掃除をするくらい。ほぼ、ゴミ屋敷のような感じでした」

高校卒業後、ギャンブル依存症のドアを開く

 そんな湯浅さんのギャンブル依存がひどくなるのは高校を卒業してからだ。パチンコが幼少期から身近にあっために、入り口は自然だったのかもしれない。

「幼少期にパチンコ屋に行っているので程度知識がある。スロットに行ったら、もうあっという間にギャンブルにやられます。パチンコ全盛期の時代に私がやっていたのは、『吉宗』の初代とか『スーパービンゴ』の4号機でした。『北斗の拳』の初代とかは、いくら使ったかわかりません」

高校生の頃、街で声をかけられて、キャバクラのビラ配りをしていた(提供:湯浅静香さん)

 キャバクラで働くようになって違法ギャンブルにも手を出すようになっていく。ギャンブル中心の生活になっていく。

「キャバクラのお客さんに西川口のカジノ、裏カジノとかに連れてってもらっていました。 ギャンブル三昧でしたよ。あと『ポーカー』とか『オールフルーツ』とか、違法なところにも出入りしていました。1回行ってしまえば、顔パスで入れました。1回10万ぐらい使ったこともあります。勝っても勝たなくてもいいんですよ。やる行為が楽しい。

裏カジノには朝から夕方ぐらいまでいました。その後、一旦、家に帰って、お風呂に入り、仕事をする。それで夜中に1時ぐらいからポーカーに行く。で、朝ちょっと寝て、パチンコ屋の抽選を引き、よければ並ぶ。悪ければその日は休みます。

裏カジノはビギナーズラックに近いぐらいの感じでした。多分、初回勝たせて、後から沼にはまらせようと思ったんじゃないですかね。ポーカーはそんなに勝てないですよ。10万突っ込んで勝ったためしがない。意外と、1万円で3万円戻ってくるぐらいがいい」

  22歳の頃、父親が亡くなった。その直前、医者に「もう危ない」と言われていていた。最期の弱っている父の姿を見たくないと湯浅さんは思い、ずっとパチンコ屋にいた。携帯が鳴り、「お父さん、もう危ない」との連絡があったが、それでもパチンコを打ち続けていた。

 「当時の彼氏はスロットが好きだったんですが、その彼氏に『ちょっとまずいよ。行ってあげな』って言われて、父のところに向かいました。その彼氏には感謝しています。その言葉があったことで、父の死に目に間に合ったんです。その彼氏が何も言わなかったら、多分、すっとスロットを打っていた。

それに、通夜や告別式があってもスロットのことを考えていました。好きだった父が亡くなったので悲しい。でも、いつになったらスロットを打ちに行けるかなと思っていました。父と母を含めて、大人への不信感があったんです。父が死ぬ間際に自分から行こうとしなかったのはそのことがあったと思います」

 (つづく)

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