「お腹が空いていないけど、食べずにはいられない」認知が歪み、自己肯定感が下がり、『ただのデブ』という感覚…摂食障害に悩んだナツミ(上)
18歳のときにストレスから家を出たナツキ(仮名、23)。大学を辞めて、シェアハウス生活を送るようになる。そこで生活上の不安から処方薬や市販薬をオーバードーズをし、救急搬送された。それをきっかけに摂食障害になる。1日500キロカロリーの生活が始まった。
公開日:2024/09/25 22:00
「大学1年生の頃、スーツケースに二泊三日分の荷物を詰めて、逃げたんです」
こう話すナツキ(仮名、23)は現在、大学を辞め、学童保育で働いている。家を出た後に見つけた仕事で、自分が変われたと思える体験だった。
「18歳の頃、家を出た後、一時期、茨城県に住んでいました。そのときにしていた仕事で、これまでのアルバイトの中で一番楽しかったんです。将来、自分がやりたい仕事でした。一番エネルギーが沸いた仕事です。義務感じゃなく、子どもに会いに行く感でした。責任とか義務感よりも、楽しいと思える仕事でした。子どものためになんとかしたい。そういう気持ちでした。すごく自分の中では大きい出来事でした」
学童保育は児童福祉法による施設で、共働きの両親やひとり親のため、放課後に親が家にいない場合、小学生に遊びを提供する。どんな仕事をしていたのか。
「放課後の前には、おやつの準備があります。子どもがきたら、宿題は絶対にやらせます。宿題が終わったのを確認できたら、遊んでもいいよ、という感じです。学童で働くと、子どもが手紙をくれたりとかします。なにか作ってくれたりします。大人になるとそういう体験はなくなるので、新鮮でした。久しぶりの感覚でした。そこに行くだけでほんわかしちゃう感じがありました。そのため、仕事に行くのが苦痛というのは一回もなかったです。そのため、来年からは保育士の資格を得るための専門学校へ行きます」
家を出る前の生活は苦しく、我慢できずに飛び出した。
学童保育の仕事は充実していた。ただ、家を出る前の生活は何が苦しかったのか。それは大学入学直後の2週目ほどで鬱っぽく、眠れなくなっていたからだ。授業を休みがちになり、当時、「メンタルがおかしいので精神科に行きたい」と母親に話したことがあった。しかし、母親は「あんたがうつ病なら世の中みんな鬱病よ」とそっけなく応えた。母親の理解のなさもあり、我慢できずに家を飛び出した。それくらい限界を迎えていた。
「大学の一般教養って授業を自由に履修します。そのため、同じ日に一緒にずっと行動する人はいないじゃないですか。その時間その時間で授業に行く人を探さなきゃいけない、私の中でそれが1番のストレスでした。相当辛かったんです。
友達がいないと授業のレポートが大変になります。だから授業ごとに友達を作らないといけない。そう思うとどんどんストレスになっていったんです。3回欠席すると単位を取るのが難しいのですが、そのとき、すでに2回休んでいる授業もあり、追い詰められた感じでした」
ストレスに潰されそうになったナツキは、大学休学も考えた。
「このままだらだらやっていても、大学に行ける日なんか、週に1日あるかどうか。意味あるのかな。自分の中では、休学して、病院で治療を受けて、体調が良くなってから大学に戻ろうと思ったんです。でも、休学するには親のサインが必要です。母親に交渉したけれどダメだったので、家から逃げるしかなかった」
飛び出した先はシェアハウスだ。4月末から9月までは茨城県、その後12月までは埼玉県で暮らした。シェルターのような場所だった。
「茨城のシェアハウスは、みんなが、何かしら(問題を)抱えている人たちが集まっていました。住んでいる人も個性的な感じで、変わり者ばかりでしたが、社会に戻れるように頑張ろうよ、みたいな雰囲気でした。私が最年少で、上は20代後半くらい。10人ぐらいで住んでいました。このとき家を出なかったら生きてなかったかもしれない」
シェアハウスでの生活で立て直し。しかし、生活の不安からオーバードーズ
このシェアハウスで、オーナーと将来の話をしているとき、ナツキは「学童保育で働いてみたい」と言った。すると、オーナーと地域の学童保育関係者が知り合いで、シェアハウスに呼んでくれたという。話をしていると、それが事実上の面接となり、その場で採用決定した。
ただ、埼玉県にある同系列のシェアハウスに移ることになった。同じ部屋の女性のいびきがうるさく、不眠気味だったナツキは余計に眠れなくなっていた。しかも、その女性は過食症で、食べているところを他人に見られたくない。そのため、部屋の中で閉じこもって飲食をしていた。食べた後の食器やペットボトルの飲みかけが部屋に置きっぱなしでゴミ屋敷のようだった、という。臭いも耐えられない。そのため、8月末に、さいたま市に移った。
埼玉に移った9月ごろ、ナツキは摂食障害になっていた。ちょうどそのとき、処方薬や市販薬をオーバードーズし、救急搬送された。
「この頃、生活上の不安があり、摂食障害になっていました。拒食症です。1ヶ月で8キロくらい減っていた時期です。食べたいけど、食べたいわけではない。食べたいけど、太りたくない、という心理でした。1日500キロカロリーで生活をしていました。太っても体重を戻せばダイエットは終わりかなと思っていたんです。だけど、自分が思うように体重って減らないんです」
睡眠をとるためのエネルギーが残っていない
ダイエットから始まった摂食障害だが、食事や生活はどうしていたのか。
「この頃の食事は3食ですが、ずっと納豆と味噌汁でした。でも、これだけだと便秘になるので、オリーブオイルをかけました。それで便通をよくしていました。それなのに、駅までウォーキングするなど、ちょっと狂った生活をしていました。当然、睡眠をとるためのエネルギーが残っていない。エネルギーがなくて眠れない。痩せこけてきて、背中は痛いので、精神的におかしくなっていきました。
眠れない。食べられない。仕事もできない。精神的な部分で限界でした。『死んでもいい』とも思いました。このときが一番死にたかったですね。太るし、服のサイズが合わない。もともとサイズはSだったんですが、Mサイズを着ると似合わない。認知が歪んでいましたし、自己肯定感が下がっていました。『ただのデブ』という感覚になっていました。これが最悪の始まり、地獄の始まりでした。その後、3年間、苦しむことになりました。
自分の怠慢で食べ続けて太ったならまだ仕方がないんですけど、美味しいものを食べているわけでもない。食べて吐いて、食べて吐いてをして、下剤を飲みまくって…、その体重です。美味しいものを食べ続けた結果、この体重なら食生活を気をつければいいだけです。それこそジムに行くとか、運動すればいい。けれど、別に努力してないわけじゃなくて、むしろ細くなりたい。そう思っていて、ダイエットをしようとしていました。
しかし、摂食障害なので、食べたくないのに、気がついたら食べている。家中の食べ物をとにかく探していました。病的でした。冷蔵庫の中を探しまくる感じです。お腹が空いていないけど、食べずにはいられない。反射的に食べている感じが辛かったです」
(つづく)
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