「世の中は等価交換でできている」 逸脱行動により排斥されたが、その後過激な行為へ 宗教2世と依存症(中)
宗教コミュニティから「排斥」され、家の中にも居場所がなかったMさんは、性的な逸脱行動が激しくなっていく。

公開日:2026/06/18 22:00
14歳前後で宗教コミュニティから「排斥」され、家の中にも居場所がなかったMさん(仮名)。住む家も、頼れる大人もいない少女が、東京で生き延びるために選んだのは、自身の身体と精神を切り売りする過酷な逃避行だった。なぜ性の逸脱と薬物などの依存へと沈んでいったのか。
歪んだ 「二世」コミュニティと逸脱行為
中学1年の10月でエホバの証人(JW)のバプテスマを受けたMさんは、それからあまり間を置かずに排斥された。宗教内での罪、ルールを犯したとして教団から追い出された。フリースクールで出会った友人たちと過ごしたことが一因でもあった。
「未成年排斥はショックでした。フリースクールの子と、当時流行っていた文通をしていました。両親が別居して父がおらず、生まれ育った宗教という居場所、精神的な拠り所もなく、友達にかなり依存していました。その結果、友達がやっていた行為、例えば、タバコや酒、ODもそうですが、親父狩り、窃盗、無免許運転を模倣したんですよね。そうなると悔い改めてJWでありたいと懇願してもダメでした。でも、未成年は親の保護下でなければ生きられない。それで排斥をする判断はどうかと思うんですけど…」
排斥の結果、実の母親からも、「あなたのためだ」としつつも、存在を否定された。現実の認識を歪め、Mさんの記憶や判断がおかしいとする心理的虐待の一つ、ガスライティングだった。そのため、家なき子のように生きるしかなく、公園で夜を明かすこともあった。生存戦略としてMさんは「女としての自分」を選ぶしかなかった。
「今でいう、トー横のような場所が次の居場所でした」

原宿の神宮橋に集まるようになったのも中学の頃からだった。そこで睡眠薬などの処方薬のODをする。薬を使って意識を飛ばし、自傷行為をした。排斥されたMさんは、家にも宗教にも居場所がなかった。死ぬしかないが、死ねない。救いの手が欲しい。そこには常に絶望が隣り合わせだ。だからODをせざるをえなかった。
この頃、元JW2(いわゆる宗教二世)たちのオフ会にも参加した。SNSを通じて繋がったコミュニティだ。恋焦がれる馴染みのある環境に居場所を求めていた証拠だ。このころ書いていた日記にはこうあった。
<いろいろ考えた上で、やっぱりこっちに来たい。東京より居場所の多い神奈川に来たい>
「神奈川県」は小学校2年生になるころまで住んでいた所で、未就学児の頃から、母親と熱心に戸別訪問をしていた地域だ。JWの中でも最もよい思い出がある。そんな思いの反動から、元JW2のオフ会に繋がった。自分と同じように、鞭による虐待を受け、最終的に組織を離れた仲間だった。一見、同じ傷を持つ者同士慰め合うような自助の場だが一部では、「抑圧からの反動」が歪んだ形で爆発していた。
「私が見た現場では、処女狩りが行われていました。あの時代、あの教団から抜けてきたばかりの綺麗どころの元“姉妹”たちを狙ったオフ会にすり変わっていました。私はすでに初体験はしていたのですが、乱交状態の事もありました。男性陣は愛人探し、女性陣は傷ついた心を穴埋め、そんな印象です。
その中の主犯格のような男と私は関係が続いていました。今でいうパパ活です。『ご飯食べさせてやる』、『ホテル行こう』、など、何々してあげると言われました。それに、『それが等価交換で、世の中はこうやってできているんだ』って言われたため。納得していました。当時の私の心は「従順なる信者」のままだったと思います」
教団内では「結婚前の性交渉」は最大の罪で、厳しく処罰される。組織を出たJW2の間では、あえて禁止される行為をする「リバウンド効果」が見られた。「忘れたい」と強く願うほど、かえって頭から離れなくなる。性的逸脱行動だけでなく、過度な飲酒や喫煙、婚前交渉、自傷行為、世俗的な音楽や漫画、映画にふれることもその代表だ。
Mさんもまた巻き込まれていく。性暴力を拒絶はせず、「求められることで自分の存在を確認する」ことで適応し、性を介した人間関係に依存した。同時に、希死念慮も芽生えていく。ノートにも<本当に×2 死にたい。でも心残りがあるおかげで死ねない。だからつらくても心を捨てる>と書いていた。
死ねない現実を受け入れるため、女子中学生は処世術として自我を捨てた。以降、好きなロリータファッションなども着て外出したり、高校生の頃からはメイドマッサージ店でも働いた。「人が変わった」とよく両親からも言われるほどだ。
「あの頃は、高校生がそういう店で働けました。秋葉原の『耳かき店』の客が従業員の女性を殺害した事件(2009年)が起きる前だったこともあり、規制がグレーでした。2008年6月8日、『秋葉原無差別殺傷事件』の当日、秋葉原のメイドカフェの店内で働いていて、大騒ぎだったことを覚えています」
性産業への沈潜と「等価交換」のロジック
10代後半になると、金銭的必要性と結びついていく。
「私は、結局お付き合いしてた彼とデキ婚をしました。それまでは援助交際をしていました。(男女の出会いの場が提供されている)『出会いカフェ』や、東京のソープランドにもいました。私にとって、性的な意味での依存行為です。自傷行為がすり替わったものでした。やれることを全てやって、死ねないなら〝生活のためにやる〟。生きるしかない。「誰か私を見つけて、求めて」という切実な想いからそういった行動にでました。私は性に依存すること、性的搾取に晒されることで自傷行為をしていたんです」
Mさんにとって自傷行為は依存的行動であり、生きる手段だった。
「『生きていいんだ』という感覚を温もりと共に取り戻せました。自分の身体を貸すことでお金も手に入る。そこには心なんてない。“搾取するなら、私に生活費やご飯代を下さい”という感じでした。その人が出せる範囲で私の商品価値を提示してくれることで満足していました、生きていて私を見てくれる人がいるんだってね」
こうした生活は、まさに“等価交換”だ。自分の身体というリソースを差し出し、今日をサバイバルするための金銭と、一時的な居場所を手に入れた。
「学生の頃は『前略プロフ』を使って、援助交際もしていました。18歳からはホステスとして働いていたりもしました。出会う場所に困ることはなかったです」
「前略プロフ」は「前略プロフィール」という自己紹介サイト。2000年代に中高生を中心に使われていた。2003年に出会い系サイト規制法ができ、18歳未満の者は「出会い系サイト」が利用できなくなった。04年に開始されたサービスだ。
なんとか専門学校を卒業し、資格を持っていた。そのため、仕事として職場にも通ったが、続けられなくなった。その理由はなんだったのか。
「週3回、幼少期に通っていた集会を思い出して、職場に通えなくなりました。だからか、3ヶ月くらいで辞めてしまったんです。ですから性産業は相性良く感じました。例えばデリヘルの場合、ホテルなどに行きます。その都度、一箇所に通うのではなく、行く場所が変わるじゃないですか。ソープランドも待っていればお客さんも来る。お客さんのもとへ通う感覚ではない。水商売で働いていた頃も、派遣が中心でした。JWの頃の〝品行方正なお嬢様〟、〝なにかに従順な私″を演じていたので、お客さんには悦ばれ、仕事は楽でした」
これらはアディクションをさらに強化させる環境であり、悪循環に陥った。
パパ活相手と違法薬物
当時のMさんが、パパ活相手として関係性を持っていた男性は既婚者かつ元信者でコカインにハマっていた。性的にはSMプレイが定番だったようだ。彼自身も元信者であることと無縁ではなかった。

「その人が話していたのは、『お母さんから鞭をされて育ったのだから、鞭をするのは愛情であって、快楽なんだ。これはエホバをやめた僕たちにしかできない行為だ』というのです。納得してしまいました。こういう人もいるんだって、達観しました」
そんな中で、薬物の誘いを受けることになる。
「『キメセク(覚醒剤などの薬物を使用してからセックスをすること)をしよう』って言われました。でも、逃げていたんです。ただ、彼はコカイン中毒で、歯茎に塗っていたんです。歯磨き粉って話していました。その中でキスをしたら、彼はハイになるんですが、私はバッドになって気分が落ちる。性的快楽は嫌でもありますが、本当に楽しくない」
Mさんにとって、性産業での労働と、アルコール・薬物による麻痺は、切り離すことのできない「クロス・アディクション」となった。Mさんが結婚、妊娠するまで、このルーティンは続けられた。
(続く)
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