一緒に風呂に入っては、股間にシャワーを当てて笑っていた 性依存の背景に見える母親からの歪んだ性的コミュニケーション 〜ハルトの性依存(中)
借金が重なっても性風俗通いがやめられず、依存症専門外来で「性依存」と診断されたハルト。その背景には、母親との歪んだ性的コミュニケーションがありました。

公開日:2026/08/25 08:00
取材で話を聞いていると、ハルト(仮名、40歳)の性依存の背景には、母親との関係が深く絡み合っているように思えてくる。
母親は専業主婦で、双極症(双極性障害、躁鬱)を抱えていた。躁状態のときには、普段は考えられないような性的な言動を口にすることがあるのだ。ハルトはそんな母に違和感を覚え、なかなか甘えられないでいた。
父親からの虐待を見逃した母親
ハルトはまた、父親から暴力を受けていた。そのとき母親は近くにいたが、庇ってはくれない。唯一、ハルトの記憶にあるのは、父親から折檻されていた時、母親は背中を向けて横たわっていたことだ。常夜灯が付いている中で、眠ってはいないのに、何もしようとしなかった。
「母は手を伸ばせば父親の暴力を遮ったり、僕を守ったりできる距離にはいるんですよ。でも、ダンマリを続けていました」
母親は、この父からの理不尽な暴力から守ってくれない。しかも、ハルトに対して母は歪んだ言動を繰り返してきた。母親への愛着は十分に育ちにくかった。それでも、そんな母親をケアしなければならない状況にハルトは置かれていた。「甘えたかった」と振り返るハルトは、子どもながらにも複雑な心境だったと語る。
小学校低学年の頃、同級生の母親とは違っているようにも感じていたが、それは確信できなかった。
「友達を家に呼ぶことは禁じられていましたし、小学3年のころになると不登校になったので、他の家庭となかなか比較することができなかったのですね」
「甘えたい」と感じて、抱っこを要求することがあったが
暴力的な父親、見て見ぬふりの母親。甘えを許されない家庭環境で、小学校4年生の頃、両親に甘えてみたことを覚えている。
「両親に『抱っこして!』と言って、10分か15分くらい抱きついていた記憶があります。そういうことが頻繁にありました。不安というよりは、甘えが足りない。プラスを求めるのではなく、マイナスを増やしたくない。何かを埋めたいという気持ちでした。でもそれは、なかなか埋まるものではなかったんです」
同じ頃、母親が妄想を口にすることがあり、不安が募った。両親からの説明はなく、「病院で治療はしている」と告げられただけだった。事情がよくわからないまま、母をなだめ、ヤングケアラーのような役割を背負っていた。
ただ、母の病状が重い時には、父親からの暴力は止んだ。それが3カ月ほど続くこともあった。
小学5、6年のころにもそんな”休戦期間”があった。病気が治ったかなと思った矢先に再発し、ひたすら家で寝ている鬱状態が続いた。ハルトは、常に病気である母親の面倒をみていた。
お風呂で母親は股間にシャワーを当てた
母親が躁状態の時の性的な関わりは、特に深刻だった。小学4年生の頃、母親と一緒に風呂に入ることがあった。入浴の仕方を教わっておらず、一人では入れなかったのだ。その際、今振り返れば、性的な行為を仕掛けられていた。
「一緒に風呂に入ると、母から股にシャワーを執拗にかけられました。すると、勃起反応が現れるのですが、それを見ると母はニコっと笑い、股間を見つめていました。蔑むような表情で笑っていたのを覚えています。でもその頃は、その行為が性的な意味だとは自覚していませんでした」
性的な行為だけでなく、生死に関する話もされ、不安に翻弄された。
「お風呂に入れてもらっているときに、母が浴槽で『お母さん、死んでもいい?』と言うのです。理由がわからない。なぜなのか聞くと、『太ったから、死んでしまうんだ』と言われました。幼かった僕は『死んじゃうような病気なんだ』と怖くなりました。『お母さんの死は避けられないんだ』って、風呂から上がって自分の部屋に戻ると、布団をかぶって泣いていました」
小学生の頃から、母親に振り回される経験はハルトにとって衝撃的だった。
性的に振り回されることは、その後も続いた。
小学5年生の頃、新聞でコンドームや避妊についての記事が載っていた時のことだ。
「母から『コンドームを知っているのか?』『今は早いから、そこらの女の子とするんじゃないぞ!』と釘を刺されました。『性はタブーとして考えなければならないもの』と刷り込まれました」
母親の症状が悪化すると、父親に呼ばれて母方の祖母が手伝いに来ていた。遅くまで心配して長居する祖母に対して、母親は「どうして長居するんだ?」「男の子を育てたことがないから、私の子どものチンコを見て帰っていくのか?」と言っていた。
母がそんなことを言うと、居心地が悪くて仕方なかった。
ネットを介して女子高生と出会ったのがバレて…
さらに大きくなると、母は交際相手のことでも口を出すようになる。14歳の頃、匿名掲示板「2ちゃんねる」のスレッドで知り合った女子高生と荒川の土手で会うことになったが、そのことが両親に知られてしまった。
母はハルトがいる子ども部屋の前まで父親を連れてきて、おかしなことをし始めた。
「扉を閉じている部屋の目の前で父とイチャついているような雰囲気で音を立て始めるんですよ。昭和のポルノみたいなあえぎ声を演技っぽく出したりして......」
母親は、ハルトと女の子が会っただけで「どうせ性関係になったんでしょ?」と決めつけた。ハルトが否定すると、夫に「(ハルトは)チェリー(童貞)なんだって」とからかった。
こうした母親からの言動で、性に対する考え方が混乱した。性をタブー視する姿勢と、性に対して奔放になってしまう姿勢とが絡まり合ったまま育っていった。

この頃、ハルトは精神的に不安定になり、精神科のクリニックにも通い始めた。
自室でジャンプするのが止まらなかったり、イライラして怒鳴ったりするようになっていた。それを見た父に、病院に連れて行かれた。父もパニック障害があり、父が通っている病院だった。
父は主治医に「息子はインターネットで恋愛している」というようなことを訴えていた。主治医は「思春期の情緒不安定」と説明した。母親はなぜか、ハルトが相手の女性を無理やり襲ったと主治医に言っていた。もちろん、ハルトは女性を襲ってない。
「主治医からは『レイプしてしまったの?』と質問されました。事実じゃないので『いや、違います』って言ったんです。すると、『逆にレイプされたの?』と聞かれました。『それも違います』と答えました」
母親がなぜ、そんな嘘を主治医に言ったのかはわからない。ただ、母との関係を振り返ると、常にそんな性的なやり取りが繰り返されてきた。
甘えたいけれど、甘えられない。性的に不安になるようなコミュニケーションを強いられる——。
現在、依存症外来や自助グループで過去の家族関係を掘り下げるたびに、母親とのそんな歪んだ関係が、性風俗の女性に対する依存につながっているような気がしてならない。
(つづく)
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