Addiction Report (アディクションレポート)

恵まれた家庭に育った私が摂食障害になったワケ

摂食障害は、一度発症すると、その後回復したように見えても想像以上に根強くその人の人生を蝕みます。私もその一人でした。

信頼できる医療機関や仲間に支えられつつも、なかなか負のスパイラルから抜けられなかった私にとっての転機は何だったのか…経験談をお伝えします。

恵まれた家庭に育った私が摂食障害になったワケ
現在の私

公開日:2024/05/13 10:12

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結婚し、4人の子どもに恵まれて暮らす現在の私。幸せの裏で、食べるという行為に人生の多くの時間を支配されてきた歴史がある。

決して楽しい話ではないが、私の薄暗い物語が、今苦しい想いをしている方にとって少しでも希望になったら嬉しい。(座光寺るい)

恵まれた子ども時代。気づいたら摂食障害になっていた

私は1984年、長野県の田舎に生まれた。教員をしていた両親は、不器用ながら根っからの教育者で、子どもを大切にする人たち。姉は幼い頃から器用で優秀、今は亡き祖父母は慈悲深く、いつも私たち姉妹の味方だった。豊かな自然環境の中で家族に恵まれ、私は何不自由なく育ったと言える。

赤いぶーぶー車に乗ってどこまでも行けると信じて疑わなかった幼少期

とはいえ、高度経済成長を経験した親世代とは打って変わり、物心がつく頃にはバブルが崩壊。当時急速に深刻化した環境問題は幼心に重くのしかかり、社会に漂い始めた閉塞感を感じる子ども時代だった。

男性と対等であれといわれながら同時に男を立てろと言われ、女らしくあれと言われながらもふしだらと叩かれ、キャリアを積めといわれながらも母親らしくあれと言われる。ジェンダー問題に代表されるように、あらゆるものごとが混乱し、矛盾が溢れている時代だったのかもしれない。

私は濁っていく得体の知れない水たまりのようなものから抜け出したくて、地元では当時前例がないと非難されながら、私立の中高一貫校に進学、寮生活を開始した。

「人と違うことをするということは、人の何倍もの苦労を覚悟するべきだ」

進学にあたって言われた父の言葉を丸のまま受け取った私は、真面目だったのだろう。

「他の人と違う学校に進学したからには、成果をださなければ。」(成果って何?)

「一人でもちゃんとやれるところを見せなかれば。」(見せるって誰に?)

鉛のような想いを常に抱えて、自分で自分に大きなプレッシャーを課していった。

本当に価値を認めさせるべきは自分自身であることにも気が付かないまま、私は必死で勉強した。そして同時に、食べ物をカロリーとして捉え、厳しく計算するようになったのだ。

摂食障害の始まりだった。

確かな結果が得られる安心感で自己肯定感を保っていた

きっかけは些細なことだった。

中学生になる少し前から、からかい半分で「たくましい足だね」「よく食べるなあ」と笑われたり、見た目を「顔がパンパン」「頭でっかち尻つぶし」などとと揶揄されたりすることを、深刻に受け取るようになっていた。普通なら笑ってやり過ごせる程度の言葉でも、体型や異性の目を気するのが中学生。一言一言がティラミスのスポンジケーキに染み込むコーヒーシロップのように、じわじわと私の心を茶色くした。

小学6年生の頃。まるっこい顔つきとくせのある髪をしていた

やがて「私は太っていて、太っていることは自分の価値を下げること。勉強と痩せることでしか、自分の価値を保てない」と思い詰める。

思えば、当時社会に溢れていたありとあらゆる矛盾の中で、確かな結果が生まれる数少ないものが、勉強と体重であり、カロリーだったのかもしれない。

最初は朝食と夕食を抜いた。食事を抜いた時間で勉強ができて一石二鳥だと思った。しかし欠食が問題視されるようになり、寮で摂食状況の確認が厳格化。仕方なく毎回食堂に行き、できるだけ少ない残飯に見えるようにすべての食事をお椀の中に詰め込んで捨て、また部屋に戻るということを繰り返した。

不思議なことに、まったく空腹を感じなかった。食事をとらずに、部屋では夜中の1時2時まで勉強する毎日。今考えると完全にハイの状態だ。

私はみるみる成績を上げ、そしてみるみる痩せていった。

急激に痩せた頃

杭になったわずかな病識と友人の言葉

50キロほどあった体重は1ヶ月で40キロまで減り、その後じわじわと35キロ近くまで減った。13歳、中学1年生の秋のことだ。明らかに異常だったが、私はそれでも「まだ太っている」と思い続けていたし、想定しているもの以外のカロリーを摂取してしまうことに極度の恐怖を感じた。

身体の変化が顕著になるにつれ、私は学校生活の中で孤立した。どういうわけか、あらゆる他人に対して攻撃的な感情が湧くのだ。誰かが何かを喋っていると、私に食べさせようとしているのではないかと警戒したり、何かで秀でている友人に対して、体重が減っていることで優越感を感じたり、どんどん自分だけの世界に閉じこもっていった。

心配した両親が土日にあちこち連れ出してくれていた

極度に体重が減った私は、当然ながらさまざまな代償を払うことになる。

まず、しょっちゅう体調を崩すようになった。大した食事をとっていないので、慢性的にひどい便秘になり、下剤も多用。肌は極度に乾燥し、栄養不足からか、体の皮膚がポロポロと剥がれ落ちた。6年生で迎えた初潮は当然のように止まったし、黒ぐろしていた髪の毛は細くなって抜け落ち、かわりに体毛は不気味なほど濃くなった。脂肪がなくなったせいで極端に寒がるようになり、体力も低下。当時入っていたバスケ部を続けられなくなり、退部した。

このままではやばい、というときに杭となってくれたのは、友人の存在だった。毎日の入浴で一緒になる友人が「ねえ、さすがに痩せすぎじゃない?」と声をかけてくれたのだ。

当時の私はとても攻撃的になっていたので、素直にその言葉を受け取るまでには時間がかかった。彼女もまた、私を太らせようとしているのではないかと感じたのだ。

でも、声をかけてくれたのは一人じゃなかった。先輩も、寮の先生も、みんな「大丈夫?」「痩せすぎだよ」と声をかけ続けてくれた。私はみんなのことを敵視していたのに、である。(人のあたたかさよ…)私は次第に「あれ、今私はおかしいのかな。」と感じるようになった。

さらに、当時の担任の先生が日記にこんなコメントをくれたことがあった。

「自分に行き詰まったときは、誰かのために何かをしてみてください。」

この言葉に、ふと我に返るような感覚があった。

「あれ?私は今、行き詰まっているのかな?先生の目には、行き詰まって見えているのかな?」

確かに私はこの時、体重を落としても成績が上がっても自分の価値に自信がもてず、常に満たされなさを抱えていた。

心配してくれた友人や先生たちの言葉はやがて、知識としてわずかに知っていた「摂食障害」という病名と徐々に結びついていく。ここから、私の気持ちは少しずつ「治療」に向かった。

自分の異常性を認めつつも、止められなかった中高時代

摂食障害を発症し、治療に意識が向いた私は、一度だけ、子どもの頃からかかっていた小児科の女医さんに自分の症状を相談しようと思った。

「しようと思った」と書いたのは、それがコミュニケーションとして成立しなかったからだ。自分の異常性を言葉にすることが怖かった私は、風邪をこじらせて受診した際、自分の状況を書き綴ったメモを女医さんに渡した。

私にとっては最大限のSOSのつもりだったが、その女医さんは「思春期にはよくあること」と真面目に取り合ってくれず、期待した支援は何もなかった。医療知識のある大人が取り合ってくれなかったことに私は絶望し、誰かに助けを求めることを諦めた。こうして、自分の異常性をわかっていながら、「治療」にむかった私の意識は行き場を失ってしまった。

母と京都・奈良に旅行した時。この頃には全食品のカロリーが頭に入っていた

高校に進学した頃から、過食が始まった。

これは異常なのだ、食べなければいけないのだ、と思えば思うほど、せっかく手にした確かな成果を手放すことへの恐怖も募る。体重が自分自身の価値基準になっていた私にとって、そのせめぎあいはまるで、自分が生きていい存在かどうかを判断するレベルの、重大で切羽詰まったものだった。

少しでも食べてしまったら、私の価値はゼロになる。少しでも食事計画が崩れてしまったら、すべてが終わり。そうやって、0か1かの厳しいルールを破ってしまうたび、マイナスな感情を掻き消すように、無心に食べ物を口に入れる。そしてその後、とんでもない後悔に襲われるのだ。それはもう、自分自身を自分で殺めたくなるほどの後悔に。この狂った行為と感覚は自分でも恐ろしく、醜く、耐え難かった。

とはいえ、辛いことばかりではなかった。友人や先生に恵まれ、一時は少なすぎた体重も常識的な数字に戻り、表面上は高校生活を謳歌していた。寮で友人たちとともに暮らしていたことが、大きく落ち込むことにブレーキをかけてくれていたのだと思う。

学校の海外研修先で

ひっそりと自分の中だけに異常性を抱え、「とにかく早く一人暮らしをしたい」「一人暮らしをすれば、自分の異常な行動を友人や先生に咎められなくなる」と考えた。今振り返るとその思考がすでに異常だが、依然として正面から相談できる人はいなかった。

高校卒業後は晴れて第一志望の大学に進学したが、それでも私は自分で自分の価値を認められなかった。地元以外の中学へ進学を決めたときからずっと、私は誰かに評価されていなければならなかった。でもそのやり方は「痩せてきれいになる」という歪んだ美意識にすり替わっていた。

一人一人の痛みは確かに存在する

摂食障害や依存症など精神疾患の体験記では、目を覆いたくなるような壮絶な環境や経験が原因として語られることが多い。そしてそれが壮絶であればあるほど、注目を浴びやすい。だから摂食障害も、難しい親子関係や過酷な家庭環境などが原因だと考えられがちだ。しかし実際は、壮絶な体験が原因で発症するケースばかりではない(結果的に壮絶になることはある)。

国立精神・神経医療研究センターによると、本来治療が必要な摂食障害患者は未受診の方も含め、40万人近くいると言われる。(※1)単純計算で300人に1人程度の割合だ。コロナ禍で10代の患者数が急増したとも言われる。摂食障害は、個人を複雑にとりまく社会情勢や、一見するとなんでもないことがきっかけになって発症することも多いのだ。

中には、原因の特定が難しい場合でも、自分や家庭に原因があるのではないかと思い詰めて家族関係を悪化させたり、「私は過酷な家庭環境ではなかったから」と他人と比較して自分の苦しみをうやむやにする人もいるかもしれない。

どちらも間違っていると私は思う。

学校が大好きだった小学生時代

私は家庭環境に恵まれていたけれど、摂食障害になり、そして確かに苦しかった。どこにでもいるごくありふれた環境に育った人でも条件が整えば摂食障害にはなりうるし、その苦悩は他人と比較できるものではない。

わかりやすい原因があろうがなかろうが、心が傷つけば痛いし、自分が苦しいと思ったら苦しい。痛みや苦しみを抱えたときに、「痛い、苦しい、助けて!」と誰もが堂々と言える社会が望ましいと、私は常々考えている。

今、明日生きたいと思えない人へ。

今、朝日を見てうんざりしている人へ。

今、ご飯を食べて「おいしい」と思えなくなっている人へ。

今、自分のことが汚くて汚くてどうしようもない人へ。

自分で自分を、傷つけている人へ。

誰だって、苦しいときは苦しいって、言っていいんだよ。

(3回連載。次回は14日公開予定です)


【参照】

※1国立精神・神経医療研究センター「こころの情報サイト

※2NHKコロナ禍で摂食障害患者1.5倍



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【座光寺るいさんの摂食障害体験記】

コメント

2ヶ月前
まりえ

私も感じていた閉塞感を言語化して下さりありがとうございます。

つい苦しさの原因探しを求めたり、他人と比較したりしてしまいますが、誰しもが苦しい時に苦しい、と言える社会が、空気感がいいなと私も思いました。

「男性と対等であれといわれながら同時に男を立てろと言われ、女らしくあれと言われながらもふしだらと叩かれ、キャリアを積めといわれながらも母親らしくあれと言われる。」

2ヶ月前
田中わんたろう

病院では1日1780kcalって言われましたが、標準体重をオーバーしていることもあり、1500kcalぐらいに抑えています。運動もしていますがダメなのかなぁ?

2ヶ月前
タイム

摂食障害や依存症も壮絶な体験が原因で発症するケースばかりではないということや原因がどうあれ一人一人の痛みは確かに存在するという言葉に頷きました。確かな結果を求めて得られる安心感で自己肯定感を保っていても、その先の苦しみや痛みはその人でしかわからない、人と比較できるものではないという訴えは、助けてが言いづらい社会への力強いメッセージだと思います。

2ヶ月前
はな

座光寺るいさんの文字が心に刺さりました。

苦しい時は苦しいって言っていい。。

誰かと比べたりせずに、そう言える社会になって欲しいですね。。

2ヶ月前
ユウタロウ

初めて知る事が多く、大きな衝撃を感じました。 

生きる事を一心に頑張り自分を肯定する為に無理してまで努力する。 真面目で頑張り屋さんの人なら此の様なこともあんだねと胸が詰まる思いです。

依存症であれ、過食症摂食障害であれ、自分を肯定しようとすればするほど悪化してしまうと云う事もあるのだと認識しました。

ありがとうございました。

先ずは知る事が出来て、外見だけでは見えて無いそれぞれの悩み、苦しいを抱えながら今を生きている人たちがいると云う意識を忘れないで、社会と向き合いながら自分も虚勢を貼らずに生きて生きます。

ご自身とご家族の幸せを願っています。

2ヶ月前
ゆう

当時の写真(カメラに向かって笑顔を作っていたのでしょうか?)を見ただけでは、摂食障害に苦しんでいたとは想像ができないほどのエピソードでした。

最後のメッセージが心に残ります。

2ヶ月前
キャサリン

「どこにでもいるごくありふれた環境に育った人でも条件が整えば摂食障害にはなりうるし、その苦悩は他人と比較できるものではない。」

すごくわかる。

確かに環境は大きな要因になりうるだろうけれど、それが全てではないはず。

苦悩は目に見えるものではないし、大きさや重さを測ることはできない。

でも、他人はそれを測ったり、比べたりする。その人にとっての苦悩は真実だ。

比較されることで苦悩は行き場を失い、肥大していく。

痛い、苦しい、が堂々と言える社会だと助けたり、助けられたりができやすくなり、生きやすくなるんだと思う。

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