Addiction Report (アディクションレポート)

ゲーム・ネット依存って 本当に病気?!目指すべきは 「自分が主人公の人生」!

深刻化する子どものゲーム・ネット依存。原因を探した先に浮かび上がってきたのは、「みんなと同じ」「苦手を克服」を求め、将来のために今を犠牲にする社会の歪んだ価値観だった。ネットが当たり前の社会で、周囲の大人や学校教育、医療、福祉がどうあるべきか、「ネット=悪」の図式から離れて考える。

ゲーム・ネット依存って 本当に病気?!目指すべきは 「自分が主人公の人生」!
取材先:精神科医・樋端佑樹さん

公開日:2025/05/30 09:00

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近年、子どもの長時間に渡るネット・ゲーム利用が問題視されている。AIなどのテクノロジーが急速に発展した影響に加え、子どもの発達の問題など児童精神科へのニーズが高まっていたこともあり、外来には予約が殺到し初診まで年単位を要する病院も少なくない。国際疾病分類ICD-11に「ゲーム障害」が依存症に加わって以降、ゲーム障害専門外来を標榜する児童精神科も増えつつある。

一部の病院が未成年者の長時間のネット・ゲーム利用を依存症としてみなす一方、「病気」として扱うことに異を唱える専門家もおり、議論が続いている。


こうした現状に対し、精神科医・樋端佑樹(といばな ゆうき)さんは、「現実社会から締め出された子が、ゲームやネットに居場所を求めている場合も多い」と語る。本稿は、長野県で思春期の児童を支援する精神科医・樋端佑樹さんに、「依存と社会」の関わりについて話を聞いた。


(取材・文:遠山怜)


本稿では今回の取材テーマに則り、それぞれゲームの2Dキャラクターに見立てて記事をお送りします。

問題視すべきは「今どきの子」より……?

ーーそもそも、精神科の思春期の子どもの心理相談って、どういった相談が寄せられるのでしょうか?

(ライター遠山:ノンフィクションライター。家では「目が悪くなる」ことを理由にゲームを禁止されて育ったが、結局、大学受験の勉強をしすぎて目が悪くなった。)

樋端:主には子どもの家庭内暴力、軽犯罪、引きこもりや不登校など、行動問題の相談が多いですね。相談のきっかけは、親御さんのほか、学校から紹介されることもあります。ここ数年は、長時間のゲームやネット利用の相談が持ち込まれることも増えています。

(樋端佑樹さん:精神科医。長野県の信州大学子どものこころ発達医学部、かとうクリニックで主に思春期の児童を対象に、診察室での対話を通じて発達障害や不登校、ゲーム依存、家庭内暴力などに対処する。児童青年期精神医学会所属。共著に『対話から始める 脱!強度行動障害』

注:本稿では、周囲からみて対処が必要だと思われる一連の行動を、あえて「行動問題」と表しています。「問題行動」という言葉に含まれる、「行動を起こすこと自体が問題である」というニュアンスを排除する狙いです。

ーー昔から未成年者って、「最近の子は〜」と評価されがちです。先生から見て、今の子どもたちにはどんな特徴がありますか?


樋端:昔と比べて、非行に走る子は少なくなってきていると思います。学校で物を壊して暴れるとか、無免許でバイクで爆走して警察のお世話になるとか、派手な非行に出るケースは少なくなってきていますね。

大きく変わったのは、日本の社会全体に漂う空気の方だと思います。一言で言えば、余裕がない。金銭的な意味でもそうですが、精神的な意味でも常に焦っていて、子どもは幼少期から比べられ競わされ、「あるべき基準」から脱落しないよう、周囲の大人が躍起になっている傾向が見てとれます。


あとは、「我慢が先で、遊ぶのは後」という価値観。自分のやりたいこと、面白いと思うことは、大人になってからやるべきであって、子どもの頃は我慢してやるべきことに専念すべき、と信じている大人は多い。自分が人生の主人公として、好きなように行動したり、楽しみを追求する時期がずっと後に設定されていて、それまでは「将来困らないための予防策」に徹するのが良しとされている。親の不安がそのまま子どもに向かっている。

社会も大人も矛盾だらけ。医療者は目下の問題に対処するが……

ーー樋端さんのもとにも、子どものゲーム(ネット)依存の相談が寄せられるそうですが、子どもの長期間のゲーム利用を病気として扱うべきか、専門家の中でも議論が割れていると聞きます。


WHOが定める国際疾病分類ICD-11では「ゲーム障害」が疾病として認定されましたが、成人の依存症治療メソッドを子どもにも応用できるのか、「断酒」「断薬」のように「ネット断ち」に効果があるのか、これといった結論はまだ出ていません。樋端さんは未成年者のゲーム依存に関して、どう思いますか?

樋端:インターネットが一般的になってから、まだ数十年しか経っていません。大人もネットとどう付き合っていくべきか明快な答えを持ってないし、「ほどよく使う」方法論もよくわかっていない。それに、これからの社会では、ますますネットリテラシーを身につける必要があるわけで、使わないわけにはいかない。


そうこうしているうちに、子どもがゲームに没頭して学校に行かなくなったり、禁止したら暴れたりして、対策を迫られて相談にやってくる、というのが今の大まかな流れですが、医療者の側もゲームの使いすぎにどう対処すべきかわかっていない。

そもそも、病気として医療化して扱うべきことなのか疑問を感じています。「病気なんだから精神科医にお任せ」とするのは、違うのではないかと。

ーーでも実際には、相談に来た大人から「この子をなんとかしてほしい」と、親御さんに促されてお子さんが診察を受けにくるんですよね。

樋端:最初から子ども同伴で来院する場合もあるし、しばらくは親御さんだけ相談しにくる場合もあります。ゲーム依存に限らず、他にもいろんな問題を抱えた子がいるけれど、共通して、子どもと周囲の大人の間で、対話が成立していないと感じます。


もちろん、親に何か言われて反論することもあるけど、子どもの側が自分の気持ちを表す言葉を持っていない。たいていの子は、言語能力には問題なく普通に会話はできるんだけど、自分の本当の本音は言葉にできない。なぜなら、周りから、自分の意見を求められたことがないから。


親や先生からは、「この年齢ならせめてこれぐらい」と、やるべきことばかり求められ、とりあえず多数派と足並みを揃えるように言われる。だから、自分を言葉で表す力が育ってないし、周囲と対話が通じるとも思っていない。そうすると、何かがうまくいかないとき、行動で示すしかない。


周囲から見て「問題行動」のように見えるものは、じつは問題提起行動なんです。子どもは言葉の代わりに、行動で今起きていることを知らせようとしている。問題とされている行動を周りとの関わりから読み解くと、その子なりの不器用な対処法なんだとよくわかります。

ーーああ、子どもが何か大きな行動に出る時って、「大人に話しても無駄だ」と諦めた後だったりします。行動に移すずっと前から、問題ははじまっていたり。

樋端:大人は、子ども本人に病理を求めがちですけどね。だからこそ、病気を治すことで行動問題をやめさせようとするんだけど、問題はその子の中にあるわけではない。なので、私はどんな相談であれ、「行動問題」はいったん横に置いて、まずはその子がどんな子で何が好きなのか、周りとどんな関わりがあるのか、子どもと一緒に探すところからはじめます。

診察室では、その子が話したいことを好きに話してもらってます。「その Tシャツの色いいね、自分で選んだの?」とか、「面白そうな本読んでるね、〇〇に興味あるの?」とか、その子の得意なことや好きなことに着眼して、話を広げたり。オープンダイアローグを取り入れて、医者と患者という立場ではなく、フラットに開かれた対話の場になるよう心がけています。特別なカウンセリングは一切しておらず、人が見たら拍子抜けするぐらい、普通の会話です。


注:オープンダイアローグ:フィンランド発祥の精神療法。患者と医療者、家族などの関係者も加わり、開かれた場で対話を行うことで、当事者と周囲が症状や困りごとを共有し、お互いの関わりのなかで症状との新たな付き合い方を模索する方法論。


というのも、だいたいの子どもは親に言われて不承不承、診察室に来るわけで、内心そんなに面白くない気持ちでいる。医者から怒られるかもしれない、と不安でもある。なので、まずは来てよかったと思えるようにする。私は君の敵じゃないよ、役に立ちたいと思っているんだと、わかってもらえるように。

対話では、「もしかしてこう思っているのかな?」と、状況や気持ちを表す言葉をこちらから色々投げかけてみる。後は、行動の裏にあるものを親御さんにも言葉で伝えたり。そうすることで、だんだん言葉にする力がついてきて、徐々に行動が変わっていく。回復って、きっと言葉にすることなんでしょうね。

ーー「病名」を告げたり、「投薬治療」はしないのですか?

樋端:ケースバイケースですが、年少者の幻覚妄想状態のように、すみやかな投薬治療を要する場合を除いて、いきなり病名を告げたり投薬をはじめたりすることはないですね。思春期外来は、児童精神科と通常の精神科のはざまにある、精神科の中でも特殊なポジションなんですよ。本人は自分の行動に責任はとりきれないけど、管理されるのも嫌う。日々の変化も大きく、親も子も様々なので形通りの治療をすることは難しい。


私の精神科医としての仕事は、こじれた周囲との関わりをほぐして、本人を中心とした新しい関係を構築できるよう、手助けをすることにある。だから、子どもの他、親御さんや先生の話も聞いたりするし、福祉サービスと連携したり学校に働きかけたりすることもある。それに、発達障害の傾向があったら、それに対する理解と支援が得られるような環境調整も必要です。

この世は多数派のためのもの

ーーASDやADHDなどの発達障害については、一般的にも知られるようになってきましたね。

樋端:一昔前は、子どもの発達障害を受け入れられない親御さんも多かったので、素直に受け入れてもらえるようになったのはよかったと思います。じつは、行動問題を起こす子は、少なからず発達に問題を抱えていたりします。特にゲーム障害は、発達特性による環境とのミスマッチ、人間関係の衝突が深く関わっています。


特に、ASD(自閉症スペクトラム)傾向のある子は、興味の範囲が狭く好きな物が広がりにくい傾向がある。その一方で嫌いなものは増えやすい。感覚の異常やこだわりの強さもあるため、多数派に合わせて暮らしているだけでストレス負荷が高く、周りから怒られてばかりで疎外感を深め、自信も失いやすい。


なのに、親も学校の先生も、「できない・苦手なこと」を克服させようとか、なんとか標準に合わせようとするし、子どもが何かしたら、「そんなことじゃ社会で通用しないぞ」と、社会とか普通とか大きな主語で語りがちです。

ASDや発達障害者に限らず、多数派になじめない子にとって、今生きている世界は居場所を得る代わりに、自分を捨ててふつうの人として生きることを強要するものとして映るでしょう。

ーー社会とひとくちに言っても、会社や組織、居住地によって、常識なんてコロコロ変わるものですけどね。でも、子どもは大人からそう言われたら信じるしかない。


樋端:少数派の子にとって、普通の社会で生きていると、「やるべきこと」に追われてばかりで、自分が選べる選択肢が少ないんです。ペンギンの子がカモメの学校に入れられて、周囲から「飛べないと将来ダメになるぞ」「飛べないのは努力が足りないから」と言われ続けて、飛ぶ練習をさせられ続けるのと一緒です。一人で過ごしたいときに、いきなりみんな仲良くを求められ、動きたいのにじっとしていろと指示される。


そういう子にとって、自由にのびのび動けるのはゲームやネットの世界だけだったりします。だらだらゲームで遊んでいるように見えても、それはそれで自分が自分でいられる大事な場所だったりする。

回復とは、失われた居場所を求めること

ーーその状態で子どもからゲームやネットを奪ったら、その子はますますこの世界で居場所を失ってしまいます。

樋端:ゲーム障害に限らずですが、大人ができることは、その子が自分の人生の主人公になれるよう、支援することです。自分の好きなこと、得意なことを活かして生きていくこと、そのために周りとの付き合い方も見直す。


なので、親御さんや周囲の大人は、その子がゲームのどこに面白みを感じているのか、ネットやゲームの世界で何をしているのか一緒に探してみてほしい。ゲームもネットも色々な種類があるわけで、子どもにとって面白みを感じるポイントは千差万別です。仲間と連携するゲームなら、そこで人と交流するのが居心地が良いのかもしれない。自分で一から世界を作る、コツコツした作業が好きだったり、または頭を使って自分を鍛えられるところに熱中しているのかもしれない。私も診察時に、その子と一緒にネットで調べ物したり、ゲームをやってみたりしています。そうすると、その子が好きなものとか、どうなりたいのかとかよくわかるんですよ。

面白さのポイントがわかれば、それをヒントにそうした楽しみが味わえる体験を勧めてみてください。ゲーム世界で自由に行き来できるのが好きなら、旅に一緒に行ってみようとか。ネットの友人との付き合いが楽しいなら、フリースクールで仲間と出会えるかもとか。


そうやって、大人がその子の好みに合わせて別の世界を見せてあげると、ネットやゲームもおもしろいけど、こっちもありかもと動けたりするんです。子どもと一緒に遊びを追求しているうちに、「俺、ゲーム飽きたわ」と別のことに取り組みはじめる子は少なくありません。依存症と聞くと、不治の病と身構える人もいますが実際にはそうではない。

特に、思春期の子はものすごい可能性を秘めていて、「部屋で引きこもってネットばかり」と言われていた子が、ある時から「ゲームや音楽、動画などををつくってみた」と自分の作品を見せてくれるようになったりする。思春期の臨床は大変だけど、その分、人間の持つものすごい力や希望を目にすることができる。そこは醍醐味ですね。

「あなたのためを思って」に自立のメスを

ーー治療として一般的に思い浮かぶ内容とは、違うアプローチなんですね。でもそうすると、親御さんによっては、子どもの代わりに話そうとしたり「こうしてほしい」と希望されることもありそうです。


樋端:親御さんが変わっていくことも必要なので、そこが一番大変ではあります。親の側が、子どもを一人の個人として自他の境界線をひいて関われていないことも多い。子どもは自分の延長線上にあると思っていて、子どものためと言いつつ、親が理想とすること、親が子どもの頃にしてほしかったことを子どもにさせようとする。子どもは自立できないから、親に依存するしかない。


ーー本稿は、もっとも弱い立場にいる子どもの側に立っていますが、親の側にもそうせざるを得ない事情はありますよね。自分の親世代の人生観は真似できない。でも、自分の人生を踏襲すべきとも思えない。なおかつ、普通に生きていては普通になれないと感じていて、安定した人生を送るには何かをしなくてはと焦っている。そこに目標や基準を設けて邁進することで、不安を解消しようとする気持ちはよくわかります。


樋端:今の社会は、強いものは弱いものを従えて当然という空気感になってきている。その力関係を、今度は親が子育ての場でも再現してしまうんでしょうね。大人は現実をわかってるんだから、子どもはそれに倣うべき。でも力関係のある中で子どもは本音を言葉にできないでしょう。

ーー思春期は、親も子もまさにそうした自立の問題に向き合う時期ですよね。

樋端:行動問題を抱える子と親は、分離ができていないんだと思います。または、させてもらえない。発達の問題や多数派と違う特徴があると、親は子を守らなくてはと抱えようとするし、子もそこに依存するしかない。だから、暴れたり、引きこもったりして反抗したり、何かに依存したりしてしのいでいる。


思春期の親子を診療をしていると、家から社会への出生をたすける助産師みたいな仕事だなと思うこともあります。母体からうまく分離できない子の癒着をほぐすことで、その子の自立を促すような役割です。

診察室で子どもに話を聞く際に、「一人で話す?それともお母さん(お父さん)も一緒のほうがいい?」と、聞くのですが、その時の親と子それぞれの反応で普段の親子関係がよくわかります。


親にいてほしいけど一緒にいたら話せないことが増えるとか、本当は自分で話したいけど、親が「この子のことは私が一番わかってる」とばかりに前に出るから言い出せなかったり。あとは親に自分の言いたいことを言わせているとかね。

でも子どもと対話するうちに、だんだんその子が自分の好きや得意を見つけて、少しずつ自分で行動を決めるようになって、親に対して反抗的になったりする。

ようやく反抗期が来て自立する時期が来たわけで、医者としては「来た来た」とニヤニヤしているんだけど、今度は親御さんが不安定になる。それで、今度は親の側の気持ちや悩みを聞く。医療者の仕事は、親と子の関係がシーソーゲームのように変化するなかで、「きっと、なんとかなる」と勇気づけて信じることにあると思います。

ーーありがとうございます。子どものゲームやネット利用に悩む親御さんに、伝えたいことはありますか。

樋端:お子さんが思春期に入っていく10歳くらいからは、子育ては引き算で考えてほしいです。手や口をださず、信じて見守ること。

そして、子どもが親と一緒に遊んでくれる期間は限られています。特にネットやゲームの使い方を学ぶのは後でいいと先延ばしするうちに、子どもに大人が付いていけなくなって、一緒に遊べなくなる。使い方が気になるのなら、早めに一緒にプレイするのがいいのかと思います。

遊びの中で、子どもが何に興味があるのか、何が得意なのかに着目してください。子どもが楽しめることで他に何があるのか、一緒に探してみてほしいです。その際、ネットのリテラシーや人との交流、使い方のルールも、早いうちに話し合っておいた方がいいでしょう。


大人の役割は、子どもが主役として、人生という名の大冒険に出るための諸条件をととのえることだと思います。

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