Addiction Report (アディクションレポート)

「本当は誰かにわかってほしかった」“自分は人と違う”感覚に口を閉ざす人たち(前編)

薬物依存症からの回復では、「話すこと」が重要だと言われる。けれど、自分の経験を口にすることに、高いハードルを感じる人もいる。話しても、わかってもらえないかもしれないーーその感覚はどこからやってくるのだろうか。

「本当は誰かにわかってほしかった」“自分は人と違う”感覚に口を閉ざす人たち(前編)
※画像はイメージです。

公開日:2026/06/07 22:34

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成城大学 文芸学部マスコミュニケーション学科教授の南保輔さんは、ダルクや矯正施設などで薬物依存症者の語りを聞き、コミュニケーション論の観点から研究してきたひとり。

本稿では南保輔さんに、当事者がなぜ話せなくなるのか、そして人はどのような時に「わかってもらえた」と感じるのかを聞いた。

(取材・文)遠山怜


「やめられると思います」の裏側を知りたくて


ーー先生のご専門は「コミュニケーション論」ですね。なかでも依存症者の回復のプロセスに興味を持ったきっかけを教えてください。

南保輔さん:成城大学 文芸学部マスコミュニケーション学科教授。薬物依存からの回復をテーマに、インタビューを通じて回復のターニングポイントとなった出来事の意味づけや変化を分析している。主な編著に『ダルクの日々:薬物依存者たちの生活と人生』(知玄舎、2013)など。

南さん:もともと私は、「世の中に根っからの悪人はいるのか」という漠然とした問題意識がありました。ひょっとしたら、生まれながらの悪人なんて本当はいなくて、社会が特定の行為を取り締まる過程で“犯罪者”が生まれ、問題行動を助長することになっているんじゃないかーーそう考え、大学時代はレイベリング論を学んでいました。

(脚注)レイベリング論:周囲や社会が特定の行為や人にレッテルを貼ることによって、逸脱行動が助長され、新たな犯罪が生じるという社会学・犯罪学の考え方。


そんな折、2005年に法改正があり、有罪判決を受けた薬物依存症者に、刑務所内で改善指導を行うことが義務付けられました。各施設で「薬物依存離脱指導プログラム」が導入されたため、その効果研究のために当事者インタビューをすることになったのです。

私たちはある女子刑務所の調査で、薬物依存離脱指導プログラムを終えた受講者に『今日の授業はどうでしたか?薬をやめられそうだと思いますか?』と聞きました。

そしたらみんな口を揃えて、『はい。出所したら自分はやめていけそうです』と。

その時は内心、「まあ、そう言わざるを得ないよな」と思いました。

ーーたぶん、本音は違うとは思います。でも、刑務官や研究者を前に、素直に『やめられる気がしないです』とは言いにくいですね。

南さん:そうですよね。薬物依存から抜け出すためには、いま自分がどんな思いや問題を抱えているのか、正直に話して人に援助を求め、自身への理解を深めていく必要がある。ですから、自分のことを少しずつ話せる場を持つことが、回復する上で大切になってくる。でも、その時は教科書的な回答しか得られず、あまり手応えを感じられなかった。

そう思っていた折に、研究者の平井秀幸さんに『ダルク利用者の調査をしませんか』と誘われたんです。

とあるダルクの施設に何度も足を運び、ミーティングの様子などを観察・分析させてもらいました。インタビューで話を聞いてみると、みなさん一筋縄でやめられず、非常に紆余曲折して今に至っている。

本人は薬をやめたいと思っている。でも、日々、それを実践するのがどれほど大変なことなのか。そして、どんな人でも薬を使うようになったきっかけがあって、そこには本人の性格や意思だけでなく、環境の影響が大きいと感じたんです。

調査結果の一部は、『ダルクの日々』(知玄舎)『当事者が支援する薬物依存からの回復』(春風社)などにまとまっている。

彼らの語りだけからではわからなかったのですが、当事者の手記や精神科医の先生が書かれたものなどを読んで、家庭環境や貧困、時代背景、虐待や暴力などの要因を無視して、「やめる・やめない」を考えることはできないと気づきました。そこに興味を持ったんです。

依存症者が直面する“わかってもらえなさ“


ーーなるほど。回復を考える上で「話すこと」はとても重要だと言われます。ですが、話すことに苦手意識や抵抗感を持っている当事者は少なくないと思います。

南さん:少なくとも私が見てきた限りでは、当事者は「悪い意味で自分は人と違う」と思っている気がします。自分が体験してきたことは異質すぎて、話しても他人にはわからないどころか、引かれるんじゃないかと。

彼らは、複雑な家庭環境に生まれ、あるいは虐待、暴力被害に遭ってトラウマを抱えていたりする。そうした経験の異質さも手伝って、自分のことを他人にわかってもらえた経験が少ないのかもしれない。

また、発達特性があり、知的能力は標準以上でも、短期記憶や言語能力などにバラつきがある場合には、自分の考えを言葉にすることが難しくなることもあるようです。

それに輪をかけて、依存症者は周囲に理解されない。「やめたいのにやめられない」ことが、周囲にわかってもらえない。欲求をコントロールできないのは、意思が弱いからだとか、性根の問題だと思われてしまう。

こうした要因により、薬物依存症者は周囲に理解されない、受け入れられないという経験を重ねるうちに、話すことをしなくなっていくのだと思います。

ーー「話したくない」わけではなく、「話せない」か「話してもわかってもらえない」だろうと。

南さん:ダルクのスタッフは、そのことを『今はその時期じゃない』と表現したりします。けっして話せないことはないけれど、今はまだそのタイミングではないと。

実際、みんな、ダルクやNAにつながったからといって、そんなすぐペラペラ喋れるようにはなりません。最初は当たり障りのない、『使ってしまって後悔している』とか、そんな話からはじまることがほとんどかと思います。


(脚注)NA:ナルコティックス・アノニマス(Narcotics Anonymous)の略称。薬物依存症者同士からなる自助グループで、12ステッププログラムを活用して回復を目指している。

ーー話すことに困難を抱えている人に、回復施設ではどう対処しているのでしょう?

南さん:話さなくていいから、まずはミーティングや自助会に来て、他人の話を聞くことを勧めていることが多いですね。依存症外来の診察でも、帰りがけに『また来てください』と声をかけたりするようです。

誰かの話に触れるうちに、『自分にもそういう経験あるな』とか、『私はこう思う』とか、自分の気持ちが見えてくることもありますから。「他人の話を聞く」ことも、言葉にするきっかけになると思います。

ただ、最初の「話す」ハードルをなんとかクリアしたとしても、やはり彼らの一番の関心は「自分の言っていることが他人にわかるのか」にあるようです。

ーーそれは単に、話の内容を他人が理解できるかという意味ではないですよね。「なぜ私には薬が必要だったのか」、その過程も相手にわかってもらえるのか、ということですね。

南さん:そうですね。薬物依存症者にとって、使用経験の有無は、「わかってもらえるか」を判断する重要な指針になっていると思います。みんな置かれている環境も性格も違う。けれども、薬物の使用から依存に至るまで、それぞれ同じような経験をしている。依存症という共通の経験が、彼らの共感し合えるポイントになりうるんです。

実際、ミーティングやプログラム中に、他人と自分の間に類似点が見つかった時、みんな嬉しそうなんですよね。「わかってもらえる」ことが、こんなに居心地の良いものなのかと。冒頭で触れたように、依存症者は自分で欲求をコントロールできないことが、周囲にわかってもらえない。「なんで」「どうして」と責められる。

おそらく、依存症者同士で話すことで、「自分の意思だけではどうにもならなかった部分」を受け止めてもらえた、と感じたりするのでしょう。

ーー「わかってもらえる」感覚が、話すことを可能にする。しかし、逆に言えば、「使用経験がない」家族や支援者は、当事者に「どうせこの人にはわからない」と思われやすいということになりますね。

南さん:未経験者の場合、やはり当事者同士の「分かり合える」感じには、なかなか到達できないと思います。でも、未経験者は「分かり合えない」のかというと、そうじゃないと思うんです。

体験こそしていないけれど、いろいろな知識をもとに実態に近い部分を知っていることも、当事者にとって「わかってもらえる」感覚を引き起こすのではないかと思います。経験豊富な医師やカウンセラーは、まさしくこのパターンですね。

もしくは、まだ知識が足りなくても、当事者を「理解しようとしている」かどうか。


「薬に手を出す気持ち」はわからなくても


ーー当事者はどこを見て「この人は理解してくれないだろう」と判断しているのでしょうか。

南さん:自分が相手とまったく同じ境遇・状況に置かれた時に、『それでも私は薬物を使わない』と言い切れるかどうかでしょうかね。

日本の場合、違法薬物を使った人間と使っていない人間は、絶対的な違いがある。その上で、相手が「使う方向へ追い込まれていった状況」を理解していることが、大事なのではないでしょうか。

たとえば、ある人は、父親から殴る蹴るの暴力を受けていて、他の家族は見て見ぬふりをしていたとする。学校でもひどいいじめに遭い、どこにも居場所がない。そんな時に友人から薬に誘われた。

もしあなただったら、その状況でも『私は絶対に薬に手を出さない』と自信を持って言えるのか。それとも、『もしかしたら、やっていたかもしれないな』と思えるか。

それは、「薬物使用を肯定するのか」という話とは別に、そこに至るまでの過程を自分の身に置き換えて考えているのか、ということなのだろうと思います。

ーー誰もが他人の経験を「自分だったらどうするか」という目線で見ています。でも、つい自分が下駄を履いていることを忘れて、他人に「もっと何かできたはずだ」と言いがちな気がします。

南さん:回復者の中には、『薬のためなら何でもする状態だった』と振り返る人もいます。裏を返せば、彼らは親や周囲の目を逃れて、何としてでも薬を使い続けたいと思っているので、そうした他人の言動はよく見ています。

それを踏まえると、薬物使用経験のない親や家族が、ひとりで当事者を理解しようとするのは難しいかもしれません。近しい関係の人ほど、状況を理解しようとしても「こうあってほしい」とか「こんなにしてあげたじゃないか」という思いも相まって、つい非難したくなる。

近すぎると、かえって見えないことがあります。だからこそ、本人だけでなく家族にも、話せる場所や理解を得られる場が必要なのだと思います。

(後編へつづく)

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