自らもアディクトの関係者と気づいて 監督が描きたかった、つまずいた人を「待つこと」の大切さ
依存症をめぐる状況をリアルに描いた映画『アディクトを待ちながら』が全国で上映されています。なぜ依存症に関するドラマや映画を撮り続けるのか。ナカムラサヤカ監督に聞きました。
公開日:2024/07/11 02:00
日本で依存症の当事者やその家族が置かれた状況をリアルに描いた映画『アディクトを待ちながら』が、全国で上映され始めている。
当事者や家族が数多く出演し、アドリブで演技をさせるなど、キャスティングや演出にもこだわったこの映画。
監督・脚本を手がけたナカムラサヤカさんは何を伝えたかったのだろう。
Addiction Reportはナカムラ監督にインタビューした。(編集長・岩永直子)
※大阪 第七藝術劇場、アップリンク京都で公開中。7月12日〜池袋 シネマ・ロサ、扇町キネマなど全国で順次上映予定。
薬物依存症の仲間から打ち明けられて
——依存症をテーマとした映画をなぜ作ろうと思ったのですか?
そもそも私の昔からの撮影仲間にアディクト(依存症の当事者)がいたんですよ。彼は薬物の依存があって一度捕まって、そこから回復して、復帰して再び撮影の仕事を始めたんです。でも私はそれをずっと知らなかった。
その彼が、少し前に「実は話があります」と私のところに来て、「実は若い頃、こんなことがあったんです」と教えてくれたんです。
そして「自分は田中紀子さん(ギャンブル依存症問題を考える会代表で今作のプロデューサー)という依存症の支援者とつながっていて、彼女が依存症の啓発のためのドラマを作りたがっている。自分もこうして回復できて、もっとアディクトが住みやすい社会になればいいと思っているんです」と話してくれた。
ちょうどその頃は、ピエール瀧さんが薬物で逮捕されたり、高知東生さんが逮捕されたりして、世間でアディクトに対するバッシングが強まっている時でした。だからきっと彼はものすごく勇気を持って話してくれたと思うんです。
私は「もちろんいいですよ。私にできることがあったら協力しますよ」と答え、彼が田中さんに引き合わせてくれました。
なぜ彼が私を選んでくれたのは分かりません。何か感じるものがあったのかもしれないです。
自分のおじさんもギャンブル依存症
——実際に会ってみてどうだったのですか?
彼から田中さんと引き合わせてもらって、「依存症は脳の病気で……」と説明を受けたのですが、その時、ハッと気づきました。「それってうちのおじさんのことかもしれません」って。
私の母方の叔父は、今思うとギャンブル依存症でした。でも当時は私たち親族はそんなことを知らなかったから、おそらく間違った対応をいっぱいしてしまった。お金の問題が続々わかって親族が分断してしまって、妹である母はすごく心を病みました。病院にも通うほどでした。
——おじさんは元々賭け事が好きな人だったんですか?
いえ、急に変わってしまったんです。とても真面目でおとなしくて、自分の両親に反抗したり意見したりしている姿を見たことがないような人でした。仕事も一生懸命やる人でした。
それなのにある時、借金がわかって、パチンコが原因だとわかった。子供の頃から遊びがないような人だったのに。だからみんなびっくりしたんです。そして、私たち家族はそんな結末になってしまった。
私は彼に対する怒りと、怒りだけでは解決できない疑問が若い頃からずっと残っていました。それ自体は二十数年前の話なのですが、なぜなのだろうと思い続けてきた。
それが田中さんの話を聞いた時、「これはまさにおじさんのことだ!」と気づいた。
そういう人に対しては借金を肩代わりしてはいけないと田中さんに言われて、「私の祖父母はおじさんにしてた!」と思いました。ギャンブルで借金を作ったことが周りにバレないように囲い込んで、彼の財布の管理もしていた。
今思えば、そういう「対応」の数々はやっても意味がないことで、「イネイブリング(依存を続けやすいように周囲が手助けしてしまうこと)」だったんだと分かります。でも知らないと良かれと思ってそうしてしまうのです。
人生を懸けて依存症について伝えていく役割
——依存症が病気だと知らない当時は、そんなことをするおじさんの人格や人間性が悪いのだと思っていたのでしょうね。
思っていました。「なぜうちの母をこんな風に傷つけるの?」と怒りがものすごくありました。許せないという思いでした。
でも田中さんから依存症とはどういうものなのか事実を教わると、それは脳の病気であって、なぜそんなことが起こるのか考えると、きっとおじさんも心に大きな穴が空いていたんだなと思いました。長男で色々抱えているものも多かったでしょうから。
そして、病気だったら情での尻拭いや怒りなどの感情をぶつけることではなく、冷静に医学的に対処することが必要です。がん治療と同じです。
二十数年経って依存症について知って、私たち家族はそういうことをすれば良かったんだなと気づきました。ものすごく腑に落ちたのです。
——人のお手伝いするつもりが、自分自身も関係者だったことに気付かされたのですね。
運命のように私も田中さんとつながって、「これは私が人生を懸けて皆さんに依存症のことを伝える役割を担ったんだな」と思いました。それ以来、田中さんから色々と学ばせてもらいながら、依存症を啓発するドラマを3作作りました。
「加担したくない」当初はたくさん出演依頼を断られて
——2020年に最初に作ったのは青木さやかさん主演のTwitterドラマ『ミセス・ロスト〜インターベンショニスト・アヤメ』ですね。
高知東生さんの復帰作だったので、キャスティングが相当大変でした。
——大変というのはどういうことですか?
犯罪者に加担したくないということで、たくさん出演依頼を断られましたね。
——アディクトへの世間の風あたりの強さを肌で感じたのですね。
それまでも高知さんの逮捕後は、出演ドラマが地上波では放映できなくなることなどがありました。アディクションが病気だということが知られていない時期でしたから、「そういったことに関わりたくない」という気持ちもあったのでしょう。
もしくは「頑張ってくれるのはいいのですが、私と違うところでやってください」という感じです。
——口では応援しながら遠ざける姿勢ですね。
そうです。それがすごく多かった。「頑張ってください」じゃなくて、一緒に頑張ってほしいんだけどな、と思っていました。
でもその中でも青木さやかさんや鈴木まりやさんという元AKBのメンバーが引き受けてくださって、ドラマを作ることができたんです。
そこから出演実績が作られ、高知さん自身も自身のSNSで積極的に発信を始めるようになってフォロワーもどんどん増えていきましたね。出会った頃はフォロワーは1万人もいなかったんですよ(現在は6.6万人)。
それは高知さんが正直な気持ちを飾りなく表現し続け、1日1日を大切に生きてこられたことの証だと思います。
そのおかげもあって、キャスティングはどんどん楽になってきていますし、今回の映画ではそれを理由に断る人はいませんでした。みんな「はい!はい!O Kです!」という感じでした。大きな変化だと感じています。
——ギャンブル依存症問題を考える会とはその後も2本、依存症啓発のドラマを作りましたね。
次に作ったのが、俳優の中村優一さんが元高校球児のアディクト役で、薬物依存症の回復施設でどうやって回復していくかを描いたドラマ『前略ハルカ様』です。高知東生さんが施設の所長さんとして、優一君を導いていく役です。
元高校球児のギャンブル依存症率が高いことを知りまして、描いてみたかったんです。
燃え尽き症候群があったり、指導の問題があったり、小さい時からプロ野球を目指してそれしか考えずに走ってきたのに、ちょっとした怪我などで将来がなくなってしまう。そんな人の心の穴にギャンブルが入りやすいと聞いて、撮ってみたいと思ったんですね。
3本目はギャンブル依存症を描いた『嘘つきは○○のはじまり』」です。
ワークショップから始まった映画作り
——そのドラマ3本を経て、今回は映画を作ろうと思ったのですね。
最初は短編映画を作るつもりでした。元々は俳優の養成所から演技の訓練を依頼されて、ワークショップを開いたんです。リアリティショーを演出した経験が長いので、少し変わった演出方法ができるのではないかと思われたのですね。
ワークショップ4日間の中で短編映画を撮り、プロの撮影を経験してもらう企画を立てたのです。好きなテーマで撮っていいですと言われたので、ここまで学んできたことを活かして依存症をテーマに描いてみようと思いました。
私がそういう題材でシナリオを描くことで、少なくともワークショップに参加した俳優30人には依存症のことが伝わる。草の根の啓発運動のような気持ちもありました。
ワークショップ後に、主催者が田中さんにこのことを話すと、「劇場にかけてほしい」と言われたんです。でも60分以上の作品にしないと劇場にはかからない。追加の撮影をすることになって、3日間ぐらいで映画の前半部分の脚本を書きました。
ワークショップでは、アディクトたちによるゴスペルコンサートの当日の部分だけを書いていたのです。追加では、そこに至るまでのそれぞれのアディクトの道のりを書き、翌月に追加撮影しました。
アディクトに大事なのは「待つこと」
——最初に描いたのは映画のクライマックスシーンですが、高知さん演じる薬物で逮捕された歌手の大和遼がゲスト出演するはずのコンサートの会場になかなか現れない。それを待つ当事者たちという群像劇ですね。映画のタイトルにもなっていますが、なぜ、アディクトを待つ、という設定にしたのですか?
私は田中さんや高知さんら当事者のグループをそれまで外から見てきたわけです。感覚的には3mぐらい離れて見ている気分です。
そうやって見ていると、待っているということがアディクションにはすごく大事なことだなと思ったんです。家族は強い愛をもってあえて当事者を手放すという行為をしなくちゃいけない。そして、家族たちは待っているんですよ。
アディクトそれぞれもそうです。それぞれが仲間を信じて待っている。それをみんなでしている。それを見ていて、「待つ」ということがすごく大事なことなのではないかと思いました。
実はアディクトだけでなく、子供の成長についても子供を信頼して待つことがすごく大事なのに、なかなか今の社会では待つ余裕がない。むしろ、そこを見失ってしまう。
でもやっぱり待たないと結局はうまくいかない実感もあって、そういう表現をしてみたかったのです。
また、高知さんたちの自助グループにミュージシャンの田中聖さんがいて、彼がスリップ(薬物の再使用)した時に田中さんや高知さんの様子を私は側から見ていたんです。それを描けるのはそれを客観的に見ていた私しかいないとも思いました。
映画の中でアディクトたちが待っている時に言っている言葉は、田中さんや高知さんが実際に言った言葉なんです。
「彼がスリップしたのは、私が支えきれなかったからじゃないか」などですね。仲間が一人スリップすると、全員「自分が悪いんだ」と言うのです。そう思うのかと感じて、そう言い合いながらみんなで歩んでいるんだよということを世間に伝えたかった。
むしろそうやってみんなで分かち合っていくことが回復の方法ですから、ああいう姿を皆さんに見せていきたい、見せたほうがいいと思ったのです。本人はもちろん、仲間たちも真剣に、一つひとつ懸命に生きているんだと思ったんですよね。
——依存症からの回復は一直線ではなく、行きつ戻りつですよね。今、世の中はコスパとかタイパとかいう言葉が流行って、素早い問題解決がもてはやされていますが、一筋縄では行かない。
そうなんです。一筋縄ではいかないし、そういうものなんだということを忘れちゃいけない。
臭いものにふたをしたら見えなくはなるけれど、見えない中でどんどん腐っていくだけです。そしてガスが溜まっていつか爆発してしまう。だったらみんなの中で回復を待つことが社会全体にとってもいいことなんじゃないか。
これは、依存症だけじゃなくて、色々なことにもつながっている姿勢ではないかと思います。
(続く)
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【ナカムラサヤカ】映画監督
助監督として数々の映画に参加。主に佐々部清監督に師事。『FASHION STORY-Model-』(2012年)で映画監督デビュー。五輪公式映画『東京2020オリンピックside A/side B』ではディレクターの一人として抜擢。また、Amazon『バチェラー・ジャパン』シリーズやABEMA『LOVE CATCHER japan』でクリエイティブチームに参画するなどドラマだけでなく恋リアやドキュメンタリーなど様々なジャンルの演出を手がける。
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ナカムラサヤカ監督インタビュー
コメント
離婚したこと。本当に良かったんだと思える。間違いじゃなかったんだと。ありがたい。
「待っていることがアディクションにはすごく大事。強い愛をもってあえて当事者を手放すという行為をしなくちゃいけない」
頭ではわかるようになった。ただ、そうすることが、日々一つ一つの中で難しい。
でも。今、そのことを分かち合える、同じ思いで大事な人を「待っている」仲間が、私にもいる。
この映画もその一つだ。また、観に行こう。
「家族は強い愛をもってあえて当事者を手放すという行為をしなくちゃいけない。そして、家族たちは待っているんですよ」
私も今、大切なひとを"待って"います。
いつまでなのかわからないけれど、
ギャンブル依存症者の家族として信じながら、そして自分と向き合いながら、待っています。
中村監督のおじさんもアディクトだったんですね。知識がないとだらしない人だと思い込んでしまうところ、よく聞く話だなと思いました。
そして、映画の中で「待つ」間に各々が自責の念に駆られていくシーンは特に印象に残りました。監督が伝えたかったことが伝わっていると思います。
私の夫が依存症で、何かある度に「私のあの態度が悪かったのでは…」と自分を責めました。
すべてのシーンが丁寧に描かれているから、印象に残る映画なのですねと、改めて思いました。アディクトを待ちながらは細やかな描写が多くて、1度では観きれないので、何度か映画館に通おうと思います。
「待つこと」が苦手だ。
誰かに仕事を頼んでも、信頼して待つことができなくて、自分がやった方が早い、と頼むことをやめる。
子どもが自分で服を着ようとしているのに、時間がない、と子どもの手を振り払い着せてしまう。
依存症の問題を抱えてしまった息子の将来を憂い、彼を一人の人として尊重することなく、私の思い通りに彼が生きていけるようあれこれと世話を焼いてしまう。
そんなことばかりやってきた。
「待つこと」で逃げてきた。
助けてくれる人がどこかから現れて、問題を解決してくれないか、と現実に向き合うことからずっと逃げてきた。
そんなことをつらつら思い出しながら、アディクトを待ちながらを観た。
改めてナカムラサヤカ監督のインタビューを読み、監督だからこの映画を撮れたんだな、と思った。
写真がとても素敵だ。