死にたいほどつらいことはわかるけど、それでも死んでほしくない 依存症の患者や家族から教えられたこと
地域での活動から、再び診療の場に戻ってきた宇佐美貴士さん。生きづらさを抱える若者が少しでも楽に生きられるよう試行錯誤を重ねる中で、見えてきたものは?

公開日:2026/04/22 01:24
自身の生い立ちも影響して依存症の診療に力を注いできた精神科医、宇佐美貴士さん(39)。
精神保健福祉センターで、地域での予防活動を続けた後、再び病院での診療に戻った。
その経験から見えてきたものは?
行政から再び病院へ
北九州市の精神保健福祉センターで学校や自宅訪問などをしていると、今度は薬物依存症の人たちを診る医療機関が少ないことを思い知った。なぜ患者さんを受け入れないのか。そう尋ねると、「依存症治療のプログラムがないので」と言われてしまう。
「そんなの断る理由にならないだろうと思いました。プログラムがなくても自助グループの参加を促したり、精神保健福祉センターや北九州マックなどで開催しているプログラムを紹介したりすればよいのですから。治療を引き受ける医療機関が十分でない以上、行政にいても患者さんと診療に近い形で関わることが増えました。薬物療法できませんし、検査もできませんが、その人がつながってくれるだけでも回復すると信じていたので、僕も受け入れていたんです」
さまざまな依存症の人が宇佐美さんのもとに来るようになった。学校や地域とのパイプができ、困ったことがあったらいつでも連絡をしてもらえる信頼関係も育った。依存症の回復支援団体とも連携することが増えた。そうなると、今度は医師として医療で働く必要性も感じ始めた。
「中には薬物療法が必要な人もいるし、入院が必要な人もいます。心理検査をして背景にある問題も探らなければならなくなった時に、やはり一人で対応するのは限界がありました。病院に戻ろうと思いました」
2024年から依存症の専門病院で再び精神科医として働くことになった。
依存症診療での試行錯誤
だが、病院に戻って診療環境が整備されたからといって、全てうまくいったわけではない。病院のスタッフの中にも依存症の患者にネガティブな感情を抱きがちな人もいた。
「単純に依存症の知識がなくて、これまで行ってきたのが医療というよりは懲罰的な関わりであることを気づいていない人もいます。もちろんスタッフの多くは安心できる人なのですが、患者さんがたまたまそういう医療者に当たると、せっかく入院してもいい経験にならない。そこは組織として解決していかなければいけない課題だと思いました」
生きづらさを抱える患者とのコミュニケーションも試行錯誤だった。
ある時、入院中に無断で外出し、外でオーバードーズしてきた患者がいた。だが、薬を使って気が済むと、家に帰るのではなく病院に戻ってきた。だが、患者も主治医の宇佐美さんも病棟スタッフにこっぴどく叱られ、結局、患者は強制退院となった。
宇佐美さんは患者に「今回も帰ってきてくれたんだから、次の診察も来てくれるよね」と声をかけた。その患者は、再び外来に来てくれた。つながり続けることができたのだ。
「それが成功体験ではないですけれども、自分がやっていることは患者さんにとってそれほど間違ってはいないのかなと感じた最初の経験でした」
患者と接するときに気をつけているのは、良い時も悪い時も態度を変えないことだ。
「『薬を飲んでいないんです。すごいでしょ』と言われたら、つられてつい『わあ、すごいね』と言ってしまいます。でも、主治医がそう言ってしまうと、今度薬を使ってしまった時に『使っちゃいました』とは言いにくくなるでしょう。『良い時も悪い時も生き延びていてくれたらいいから』という言葉を、せめて最後に伝えるようにしています。それはいつでも言えるように準備しています」
それでも時に患者は自分を試すような言動を取ることがある。
そんな時であっても、言動に戸惑い、少々巻き込まれながら、「次もまた来てね」と伝えると、また来てくれる患者がほとんどだ。そんな時、自分でも動じなくなってきたなと感じることがある。患者さんがつながってくれる限り、なんとかなるだろうと思える自分がいる。
松本俊彦さんへの相談で自信を深める
別のある時は、若い患者に生活保護を受給させるかで悩んだことがあった。
「市販薬依存の子は薬代を賄うためとか、家を出てしまったのはよいけれど、いわゆる普通の仕事には適応が難しくて、パパ活でお金を稼いでいる子もいます。そのうちに生活が破綻してメンタルヘルスの問題も悪化し、ぐちゃぐちゃになって医療につながるわけです。そこでまたパパ活に戻ると、それがストレスになってまた薬を使って、ぐちゃぐちゃになる。このループを断ち切るには生活保護を受給して生活を落ち着かせることがいいと思ったのですが、若い子が生活保護を受給するのを批判する人は多いし、生活保護のお金で市販薬を買ったら意味がないじゃんとも言われます」
どうすべきか悩み、師匠の松本俊彦さんに相談した。松本さんは「悩ましいかもしれないけど、受けたらいいよ。だって必要なんでしょ」とさらりと答えてくれた。
「市販薬依存にもバイオ(生物学的)・サイコ(心理的)・ソーシャル(社会的)な問題があるとして、サイコソーシャルな部分を解決しない限りうまくいかないのだから、生活保護受給で解決した方がいいに決まっているという意味だと受け止めました」
また別の時には、飲み過ぎると危険な市販の総合風邪薬を飲んでいる子に、より危険性の少ない咳止めの方がいいよと勧めたことがある。これも医師としてそんなことを言っていいのか悩んだ。再び松本さんに相談すると「それはいいと思うよ。ハームリダクション的なアプローチ(※)じゃん」と言ってくれた。
※害になるものを完全に止めさせるのではなく、健康被害を減らせるように介入するアプローチ。
「そもそも、市販薬のオーバードーズは、生きづらさを抱える子が生き延びるために使ってるわけだから、生き延びる確率が上がる方法を一緒に考える必要があります。松本先生に相談に乗ってもらう中で少しずつ自信を深めていきました。患者さんにも、僕も師匠に相談しながらやっているんだよ、相談することはいいことだよとも伝えています」
こうした積み重ねの中で、「薬は飲んでもいいから、生きるのが大事だよ」という言葉が自然と出るようになった。
宇佐美さんにとって松本さんは、困った時には相談できるメンター(指導役)のような存在だ。松本さんは飲み会で自分のことを人に紹介するときに一度、「舎弟の宇佐美です」と言ってくれたことがある。それがとても嬉しかった。
「僕自身、人を信じる力が弱いので、これまで色々な先生に指導されたことを疑ってかかるところがありました。自分で必死で調べて、やっぱり違うとなった時に、この人のことは信じられないと判断してしまう。でも松本先生のお話は素直にスッと入ってくる。診療に同席させてもらった時も、絶対に相手をジャッジしないし、『それはじゃあ生き延びるためにやっているんだね。今はメリットがあるんだね』という言葉を繰り返し聞きました。そうやって学んでいくうちに、自分の言葉として言えるようになっていきました」
子育て中、浮かぶ「なぜ自分の親はああだったのか?」
家庭生活も何もかも順調に進んだかと言えば嘘になる。子供小さく、手がかかる。とはいえ愛おしくて仕方ない。
でも、それだからこそ、日々自分が子供と接していると、「なぜあの時、僕の両親は喧嘩ばかりしていたのだろう?」「なぜ僕のために我慢してくれなかったのだろう」と怒りが湧いてくることがある。すると「なんで僕はこの子に自分の時間をこれだけ割いてあげるのだろう」と疑問がわくこともあって、修行が足りないなと思うこともしばしばある。
「毎日一緒に遊んでいるし、可愛がっているし、自分はそんなに酷い親ではないだろうとは思うのです。でも、締め切りが間に合わなそうな原稿を書いていたり、当直明けで眠たい時に『なんで子供優先にしないといけないのか』と腑に落ちない時があって、そういう風に感じてしまうのは僕の生い立ちのせいなのかなと妻に話したりもしました」
実は幼い頃の家庭の問題について、妻に話せたのもごく最近のことだ。
「こんなことがあって苦しかったんだよね」と話すと、一緒になって怒ってくれた。救われた気がした。
妻も、生きづらさを抱え、市販薬のオーバードーズをしている若者が集う福岡の繁華街にある警固公園で、若者に声をかけ、困りごとの相談を受ける活動に参加している。家族が同じ問題に関心を持っているのは心強いことだ。医師として自分もこの活動と連携できればと願っている。
働く場所をクリニックに
4月から、宇佐美さんは病院を離れて、博多のうえむらメンタルサポート診療所一本で働いている。身近で頻繁に通える医療機関として、外来だけでどんな支援ができるのか、模索しているところだ。
宇佐美さんは「当事者性があるからこそ、今の仕事はやりがいがある」と言う。
「子供の頃に自分が受けたかったことを僕なりに考えて、大人になったいまでも悩んでいることと向き合っています。どうやったら目の前の子や若者が今よりも楽に生きてもらえるようになるのだろうかと考えるのが原動力になっています。自分の経験があるからこそ、当事者の体験を聞いていてもわかることも多くて、そこは良かった。もちろん独りよがりになったらいけないし、患者さんが求めていないことを押しつけると、それはトラウマの再演になってしまかもしれないので自身にブレーキを踏まなきゃいけない。難しいことが多いです」
患者の家族が患者のサポートに協力的でないことがあるが、そんな時も、それ以上家族に強く求めることはない。自分も両親の面倒を見るよう病院に言われたとしたら、「自分は両親から被害を受けてきたのになぜ?」と拒絶すると思うからだ。子供なんだから当然のように親を支えるものだ、という世間一般の考え方に苦しめられている人がたくさんいることをよく知っている。
依存症や自殺対策に携わることは、自分自身を振り返るいいチャンスだと思っている。患者や家族を診療していて、自分について気付かされることはしょっちゅうある。
「アディクションやトラウマは連鎖すると言いますが、自分自身が子育てをしていて、親がしてくれたこと以上のことは結局できないのかもしれないと痛感させられることもあります。自傷を繰り返し市販薬のオーバードーズをした子供を診ていた時に、親御さんの冷たい態度が気になって『失礼ですが、なんでそんな風に言うんですか?もしや?』と聞いたら、その親御さんは自分自身が受けたトラウマのこと、自身にもオーバードーズの経験があり孤独に解決をしてきたことを話し始めたことがあります。その時は親の方にも支援者をつけました。生きづらさを抱える子の背景には同じような生き様で苦しんでいる大人もいる、患者さんから教えられることは多いです」
死ぬくらいのつらさを一緒に解決したい
今、博多で患者を診ている宇佐美さん、もしこの記事を読んでいる読者が市販薬に依存しながら生きている人だったらどんな言葉をかけたいと思うだろうか?
「自傷的な生き方をしている人は今日を生きるのにも精いっぱいで、遠い先のことなんて考えられないとは思います。でも、50歳とか60歳になった時を想像してもらった時、今の悩みが持続していないように思います。少なくとも市販薬や自傷で悩んでいたりしないと思うんです。患者さんも流石にやってないと思うって笑ってくれる人も多いです。別の悩みが増えるかもしれないけれど、少なくとも今の悩みは、もしかしたら数年のうちに良くなるかもしれない。だから、この数年のうちで良くなるかもしれないものに対して死ぬことまでは考えないでほしい。そんな風に言うようにしています」
患者から「私なんて死んでもいいじゃん」と言われることはしょっちゅうだ。でも、死んでほしくない。
「確かにその人に死にたくなる理由があるのは認めるけれども、僕が死んでほしくないのはなぜだろう......。意地かもしれないですね」と言う。
「僕自身、人が死んでほしくないから医者をやっているんです。だから自分が関わった以上、少しでも死なずに生きられるように協力したい。『死ぬな』とは絶対に言いません。死にたいくらいつらいからこそ、そのつらさを一緒に解決したいんだというのが僕のテーマです。だから結局、生きてほしいと言ってしまう」
患者から「先生、他人じゃん」ともよく言われる。「君とは1年ぐらいの付き合いになるけど、1年もきてくれたわけじゃん。死んだら悲しいよ」と正直に言う。
それでも患者が亡くなることはある。そのたびに自分もつらいし、自分よりつらい経験をしている人をたくさん見てきた。自身の診療がよくなかったこともあるかもしれないと思う。
「患者さんはずっと死にたいと言っていたかもしれないけど、死にたい中でも生きたかったり、必死に頑張っていた時があった。そこを見てきたのは僕ですから、それは絶対、残さなくちゃいけないと思っています。ただ、その子たちが頑張った証だけを残しても仕方ないと思うので、せめて僕自身がずっとそのことについて考え続けて、他の患者さんを助けるために頑張りたい。そんな風に思うと、もう少し頑張ろうと思えるんです」
(終わり)
