Addiction Report (アディクションレポート)

必要なのは、身体を使うこと、他者との関わり

誰もが持つ欠落感やある考えに囚われてしまう心の動き。そのつらさを和らげるために、赤坂真理さんはどんな方法を見つけたのでしょうか?

必要なのは、身体を使うこと、他者との関わり
撮影・黒羽政士

公開日:2024/06/30 06:30

生きていれば誰でも抱える欠落感や、ある考え方に囚われてしまう心の動き。

そのつらさを和らげるために人は何か依存するのではないかと作家の赤坂真理さんは、新刊『安全に狂う方法——アディクションから摑みとったこと』(医学書院)で問いかける。

でも、生きる手段だったはずのアディクションも行き過ぎると生活はままならなくなり、時には人を死に追いやってしまう。

安全に苦痛を和らげながら生きる方法はあるのだろうか?

愛する人を殺すか、自分が死ぬかまで追い詰められて

——ご自身が愛する相手を殺すか、自分が死ぬかまで追い詰められた経験を書かれています。どういう状況だったのですか?

私がそこまで至ったのは、ひとつには皮肉ですがアディクションの方法を持っていなかったからです。薬やアルコールなどで和らげる方法を持っていなかった。

依存症状を持っていない人がむしろ危ないというのは、そういう意味です。依存するものを持たない普通の人の方が、固着した思考から逃れることができなくて危ういんです。

——それはいくつぐらいでの経験だったのですか?

7〜8年前ぐらいのことです。私が相手を攻撃したんですよね。でも、当時は加害者である自分のことを被害者だと思っていました。言葉で相手を責めていました。

親密な相手とのあれこれが、裏返って恨みに発展することってありますよね。「自分の人生がこうなのはお前のせいだ」というようなことを相手に言っていました。

——それに対して相手は?

相手は黙って聞いていて、言い返すことはしなかった。その言葉を返さない相手に「一緒に地獄に堕ちてほしい」とまで思っていました。文学でもそんな人がよく出てきますよね。引き摺り込んで「一緒に苦しまないと嫌」という感じです。

喧嘩もしていないんです。一方的に「苦しんでいる私を見て!」という感じになっていました。

恋愛的な関係が行き詰まった時、「あいつが死ぬかわたしが死ぬか」となる心理は、文学にも本当によく出てくるんです。これがないとサスペンス劇場もたぶん成り立たない。

でも実際自分がその袋小路にハマってしまった時の出口のなさ感って半端ない。わたしが「いちばんつらいアディクションは思考アディクションだ」っていうのはこの経験からです。カッとなって殺してしまう他に、言葉で殺すっていうのもあります。これがある意味いちばん怖かったかな。

アディクトの一次症状も二次症状も行き過ぎると危険

——結局、その修羅場は、ご自身が倒れたことでいったん終わったと書かれています。食べられなくなって、体重も2割ぐらい減ったと。

このまま行くと、謎の神経病のようになるだろうというところまでいっていたんですね。元々うつはあるのですが、起き上がれなくなりました。

撮影・黒羽政士

——本の中で「思考の固着」と表現されていますが、それが行き過ぎると自他ともに殺しかねないところまで達してしまう。

私はアディクションを一次症状と二次症状とわけていて、自分に対する不足感やコンプレックスなどは一次症状だと考えています。それを和らげるための飲酒とか薬物は二次症状です。

——「あんたのせいで私の人生はこうなった」という思考の囚われは、一次症状ですね。

だから二次症状を持たない人がある意味危ないのはこういうことなんです。世間では二次症状ばかり注目して悪者に見立てるのですが、薬物や飲酒で救われることだってある。

——ただ、その二次症状も行き過ぎると死んでしまいますね。

もちろんです。「鎮痛剤のアディクト」です。

——薬物やアルコールは、生きるための手段だったはずが、それにハマり過ぎると自分でコントロールできなくなって死に向かいます。

だから、「安全に壊れる」とか「安全に狂う」方法はあるのか、と考えることになったのです。

身体に働きかけ、状態を否定しない

——赤坂さんの場合は、殺すか死ぬかまで追い詰められ、倒れた後、セラピストに出会いました。

怪しい集会で出会ったんです。スピリチュアル系が好きで、そういう場所に行って、偶然に出会いました。

——マッサージとカウンセリングを組み合わせたセラピーですね。それの何が良かったのでしょうか?

言葉だけでなく、身体にも働きかけてくれたことと、私の状態を否定しなかったことです。「それは困りますよね」とも「大変ですね」とも言わなかった。

——よく精神的に落ちている人に対しては「それはおつらいですね」と共感の言葉をかけることが必要な態度だとされていますが、それも言われたくなかったんですね。

なんであれ丸ごと受け止めてもらえたという感じがよかった。深刻にならないのもよかった。

——周りの人から諭されなかったのが良かったとも書かれていました。

諭されても何にもならないから。

——そのまま受け入れてくれ、身体にも働きかけてくれた。「アディクションについて「心が暴走して体を振り回す」と表現しています。身体の声があまり聞けていない状態なのだと思いますが、その身体をマッサージしてくれた。何が良かったのでしょう?

安心しました。私は触れられて安心するタイプだったんです。それからたぶん、言葉で言えないことは身体症状として出てくるのだと思うんですよ。変なところが凝っていたりした。そこをほぐしてもらったということは、問題をほぐしてもらったということと近いのではないかと思います。

——大変だった赤坂さんに「大変でしたね」「おつらいですね」と言わなかったことの何が良かったのでしょうね。

一緒に落ち込まなくて済んだ。今思えば。「困りましたね」と言われたら、自分は困っているんだと改めて確認することになる。あと価値判断せず丸ごと受け取ってくれたこと。

それともう一つ良かったのは、方法がある、出口があると思えたことです。

ある考えにハマっている時は、出口がないと思ってしまう。考えにハマるのが一次アディクションなのだと思います。何か欠落感があって、そこからある考えにハマってしまう。欠落感があるだけでは、たぶん症状ではないのです。

これがない自分はダメなんだ、自分がダメだからこれがないんだという考えにハマってしまうのがアディクションの一次症状です。そしてここから自分が出ていく術がないと思ってしまう。そうすると、その理由に思えるものを攻撃してしまう。こいつのせいだ、と。

——愛する人との関係はそうだったのですね。

そうです。関係性の問題なので、相手にも理由がなくはないと思いますが、相手だけを理由にはできないとは分かっていました。

瞑想でエネルギーを解放

——そのセラピストから「アクティブ瞑想」というものを紹介してもらったのですね。どういうことをやるのですか?

よく瞑想と言われているものは、自分の息を観察します。マインドフルネスはそれを西洋人がビジネス化したものです。それはそれで悪い方法ではないのですが、現代人には向いていないんです。ブッダがその瞑想法をもたらした時代には、人々は肉体労働をしていて、1日の終わりには程よく疲れていたので頭も静かになった。

でも現代人は、ずっと頭ばかり使っているから、ただ座って頭を静かにするのは無理なんです。でも無理なのにうまくやろうとして、抑圧を起こしてしまうことがある。だからストレスが多い人がやるとかえって危ないとされているんです。

それに対して、「アクティブ瞑想」は溜め込んだ頭のゴミを、まずは出さないと瞑想は起こりませんという考え方なんです。

そのゴミを出すには何をしてもいい。言葉で叫んでもいいし、言葉にすると物語に引っ張られるので、出鱈目な言語を叫ぶという方法もあります。

——その瞑想は赤坂さんに効果があったのですね。

最初にやった時は、ポカンとしてしまいました。空きなんて全然ないと思っていた頭の中に、空きができたんです。

変容を起こすにはエネルギーが必要なんです。固着して煮詰まっていてもエネルギーはなくなったわけではないのですが、何かに囚われている時はエネルギーは固まっていて動かない。それをほぐして、エネルギーを解放できるようにしたのがいいのだろうと思います。

——囚われてがんじがらめになっていた心に窓が開いたような感じでしょうか。

そうです。身体を使う方法だったのが良かったです。言葉だけで何かやり取りをしていると、そこで語られた物語にハマっていくことがあるし、言葉を操るのが上手い人は特に、問題の核心を巧妙に避けることができます。それに、言葉と感情がつながらない人もいます。

——まさに作家の赤坂さんは言葉を操り、物語を作るプロですね。

だから私はカウンセリングが向いていなかったのです。言葉で語るうちに、どんどん別の話になっていって、悩みどころが移っていくだけになってしまったからです。

パフォーマンスで解放した心

——その他にもアディクション当事者の倉田めばさんと一緒に、ステージでパフォーマンスを始めましたよね。

めばは感情を出せないし、涙も出ない人だったんです。でも初期のパフォーマンスで言葉を発するときに、小道具として豆腐を買って、床に敷き詰めて踏みながら言うと、初めて泣けたと言っていました。身体全体で言った時に、それまでと違うことが起きた。

私にも似たような経験がありました。役者を目指す人のワークショップで、平家物語を声に出して読んだのです。最初は、古ぼけたテキストだと思っていたんです。だけど、熊谷直実になりきって平敦盛の首を取った場面を語った時に、こんな悲しいことがあるかという気持ちになって、これまでこんなに泣いたことがないというぐらい泣いた。

息子ぐらいの歳の美丈夫、平敦盛を討って、首を包もうと直垂を持ち上げた時に、そこに亡き人の笛があるのに気づき、神経の糸が切れてしまったのです。

亡き人を想うきっかけって、くだらないものだったりします。

例えば私が実家に帰った時に、同居していた祖母が亡くなって、胸を衝かれるように泣いたのは、洗面所に置いてあったプリンの空き容器にヘアピンを差してあるのを見た時でした。それを見た瞬間、ウワーッと泣けてしまった。

熊谷直実も首を取るだけでは神経の糸は切れなかった。亡き人の笛という小物を見た時に、ああ自分はこの世界にいたくないと思った。人の心の動き方がよく表現されているなと思いました。

でも、それは文字を目で追っても感じられなかった。声に出して読んだから、感情が動くのを経験したのです。その人に成り切ったからかもしれません。

役者は元々そういう仕事です。誰かを自分の体に降臨させる。シャーマンと同じです。

私は、そうやって自分の身体を使って何かを感じるということをそれまであまりしてこなかったのです。でも声に出して読むことで、つながってないものがつながった。それを経験した。

その後、舞台でのパフォーマンスを始めたんです。そういうことを続けたいと思ったからです。

自分は一人では救うことはできない

——身体を使って感じることは赤坂さんにとって重要だったわけですね。

現代社会で頭ばかり使っている私たちは、言葉や情報がすべてだと思ってしまう。だけど、言葉でやり取りできる内容はものすごく少ない割合に過ぎません。他の要素で伝え合っているものが絶対に多い。

パフォーマンスをすると、肌でも感じないといけません。観客がいることでも、受け取るものが違います。一人で立っていても一人でもない。

——もう一つ、赤坂さんはこの本の中で「思い込みの一人での解除はほとんど無理」とか「自分は、決して一人では、救うことができない」と他者が必要だと繰り返し書かれています。

思い込みっていうのは、自分と同一に見える。だから自分で解除しにくい。解除できるのは、技法があるか、それを見せてくれる他者がいるか、どちらか。自分一人で、何の技法も持たずにやるのは、無理に近い。そして適切な技法も、他者が持ってくる。

それと、失敗できる小さなコミュニティがあることは、すごく大事だと思うのです。

わたしはパフォーマンスアートのグループに偶然身を置くことになったのだけど、パフォーマンスがやりたくてそれに入ったわけじゃなかった。わたしにとってそれは「言葉以外でもつながれる自助グループ」だったのです。

わたしは言葉が仕事で、言葉がうまいゆえに、言葉では、うまく逃げることができる。自分にとってうっかり出ちゃったようなことしか、本質が出せない。他者がいることの大事さは、自分がうっかり出した本質を、他者がいると、なかったことにはできないからです。自分一人なら、痛い真実は、なかったことにするかもしれない。どんなみっともなさでも受け取ってもらえるというのも大事で、それは存在の滋養になる。

撮影・黒羽政士

パフォーマンスをやっていて一番良かったのは、ただ舞台の上でゴロッと転がっていた時です。ああ存在するだけでいいんだと思えたんです。ただ在る。

頭だけでなく、身体も全部使ってやる場所があることが必要でした。それは一人ではできなかったことです。

——依存症の自助グループでの言いっぱなし、聞きっぱなしも、それに近いことをしているのかもしれませんね。

言葉でのやり取りに偏っているところはあるかもしれませんが、自助グループや当事者研究は近いかもしれません。自分の問題を安心できる場で語ることで、問題を個人から切り離して、対処できるものに変えていく。

——一般の人はなかなか瞑想やパフォーマンスもできないと思うのですが、固着した思考をほぐし楽になるために、どんなことができそうでしょうね。

自分自身、パフォーマンスアートをしようと思って始めたわけではないし、自分でもすることに「乗り越え」は要るので、パフォーマンスアートのハードルの高さはわかるのです。わたしが勧めたいのはただ、「言葉を言葉だけで言わない」「言葉以外の表現も表現である」ということ。なんであれ、本質に至れればいい。

例えば、5分音楽をかけて踊って、その後静かにするだけでもかなり違うと思います。そういう手段を考える時には、どこかに行かなければいけないとなるとハードルが上がるから、まず畳一畳からできることを考えなければいけないと思います。

だからまず、5分踊ってみようとか。そうすると少し心に隙間ができるから、もうちょっと別のことをやろうという気持ちが出てくる。固着している時は、どこにも動けないからそんなささやかなことから始めるといいかもしれません。

弱さでつながると人は強くつながれる

——「アディクションなんて自分には関係ない」と思っている人にこそ読んでもらいたいとあとがきで書かれています。なぜですか?

アディクションを持つ人は弱い者だと思われて、「ああはなりたくない」という対象になっています。でも弱さを出してつながった時に、人ってすごく強く、より良くつながれる。そういうノウハウを培ってきたアディクトを私はすごく尊敬しているんですね。

だから、アディクションに関わる偏見がなくなってくれたらいいと思うし、誰にでもあることなのだと分かったら、人に優しくできると同時に自分にも優しくできる。自分がままならない時に自分を責めなくても済む。

元々人生はままならないもので、誰もがそうなのに、みんな成功者と失敗者がいると思っている。でもそうじゃない。

撮影・黒羽政士

クイーンのブライアン・メイが、ある時、フレディ・マーキュリーと心を開いて話した時のエピソードが好きなんです。彼らはヘテロセクシュアルとゲイという違いがあったけれど、心を開いて話したら、全く同じことに悩んでいることに気づいた。

アディクションについてもそうだと思います。みんな本当は同じことで悩んでいる。でも、みんなアディクションの症状を見せた人を叩いたりする。あれは叩く人も何も得をしないし、その時間が虚しい。いわば「いじめアディクション」です。

アディクションは人類最古のトラブルだと思うのです。恋でも愛でもいいですが、何かに囚われる。だから、それを知ることが人類の心のトリセツを作ることだと思ったのです。書き終えて自分自身楽になりました。なんであんなに悩んでいたのかなと。そんな風に楽になる人が増えたらいいなと思います。

(終わり)

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赤坂真理さんインタビューシリーズ

コメント

1日前
キャサリン

とうとう最終回

どんなふうに終わるのか、と記事の配信を心待ちにしていたが、やっぱりすごかった。

コロナ禍で外出がままならず、なんとなく踊ってみようと思い立ち、今も時々踊っている。確かに何かが抜けていく感がある。記事を読みながら、なんだか赤坂さんにほんのちょっと近づいたようで、ひとりニヤニヤついている。

「いじめアディクション」の人にも踊ってみることをお勧めしたい。

またいつかAddictionReportで赤坂真理さんにお目にかかりたい。

1日前
匿名

じんわりと共感できる感じがしました。私も自分の感情が言葉にできずに、そんな自分がダメなんだと思っていました。身体にアプローチしてもらうと、心まで休まる感じがしていました。それが私には合っていたんだなと気がついてよかったです。ありがとうございます。

1日前
まりえ

赤坂さんの連載、全て心を奪われる文章で、なんというか、涙も出るし、自助グループでの分かち合いをしている気分になりました。赤坂さんの人柄をもっと知りたくなる文章で惹きつけられました。

私はすぐに泣けないタイプでひとまずは感情を無にする癖がついてます。そうすることで、周りと波風立てずに済むと自動的に思ってしまいます。プリンの容器にヘアピンと同じで、ふとしたことをきっかけに、そして1人の時に、わあああと涙が止まらない時がありました。よく分かる、、、と思いながら読んでいました。

あとは、思考のアディクションが根強く深くあって今も尚苦しんでいます。恥ずかしいけれども他者に話すことでしかそれに取り組めない。でも凝り固まった思考をほぐす手段に一つめぐらは会えた私はラッキーなんだなと思いました。楽器を弾いたり、英語を使うことでことも、思考で使っている脳とは違う部分を使っている感覚があって、少し楽になれるなという感覚があります。5分でもいいから、畳一畳で他のことをやってみる小さなチャレンジを積んで行きたいとも思いました。

以下の言葉にも救われました。ありがとうございました。

「元々人生はままならないもので、誰もがそうなのに、みんな成功者と失敗者がいると思っている。でもそうじゃない。」

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