「それでも、浮き輪を投げ続ける」クレプトマニア、摂食障害、Xジェンダー…「当事者」の自分にできること
高橋悠さんは、万引きをやめられずに苦しんだ過去をもつクレプトマニア当事者です。しかし、クレプトマニアであることは自分の「一部」。さまざまな当事者性があるからこそ、できることがあると語ります。
公開日:2024/02/08 02:00
2024年1月1日、オンライン上の自助グループ「ルームK」に約30人以上が集まった。お互いの顔も住まいも本名もほとんどわからない。声を発さない人もいる。それでも、彼らは仲間だ。「窃盗の問題」で悩み、ここにたどり着いている。
2022年2月に開設されたルームKの登録者は約300人で、多い日は60人ほどがミーティングに参加する。元日に開催された100回目のミーティングでの「分かち合い」は2時間に及んだという。
運営するのは、クレプトマニア(窃盗症)である高橋悠さん(活動名:41)だ。万引きが止まって4年以上になる。「浮き輪を投げ続ける。それが当事者である自分にできること」。そう信じて、被害を減らすために活動を続けている。【ライター・吉田緑】
「被害者の痛み」がわからなかった
クレプトマニアは、盗むことをやめられない依存症のひとつだ。逮捕されるリスクがあるとわかっていても、自らの意思で止められない。万引きの「成功体験」があれば「今日もきっと捕まらない」と行為に及んでしまう。被害者の痛みを想像できない人も少なくないという。
悠さん自身も、万引きを繰り返していたころは「被害者のことを考えられなかった」と振り返る。被害者の痛みに気づいたのは、クレプトマニアと診断され、2019年に入院した病院での出来事がきっかけだった。
入院中は万引きをした店舗に謝罪文を書き、現金書留とともに送り続けた。発送先は50店舗をこえる。半数近くからは「被害事実が確認できない」などと返金されたが、回復を願う手紙が添えられていることもあった。その優しさに、こころが痛んだ。
ある日、謝罪文を書くために使っていたペンが忽然と消えた。どこを探しても、みつからない。病棟には、同じクレプトマニアがいる。もしかしたら、盗(と)られたのかもしれないーー。患者による盗難事件は何度も起きていた。
「盗まれたとしたら、なぜなのか」。怒りや悲しみが沸き起こる。これまで、自分の負の感情を人にさらけ出したことはない。つらいときは「自分が悪い」と自責して抑え込んできた。しかし、このときは意を決して、看護師や仲間に「しんどい」と打ち明けた。
「話を聞いてくれた人たちは『仕方ないよ』と言うのではなく、なんとかしようと動いてくれました。被害体験を受け止めてもらったのは、初めてでした。同時に、これまで万引きしてきた店舗の人たちをどれだけ痛めつけていたか、相手の怒り、虚しさがわかりました」
なくなったペンは、他の人にとっては「ただの消耗品」だったかもしれない。しかし、悠さんにとっては「相棒」のような存在だった。食料品を万引きしていたころの記憶が蘇る。「どうせ捨てる。たくさんある」。勝手に決めつけ、盗む自分を正当化していた。「もしかしたら、情熱をこめて仕入れたものかもしれないのに」。
結局、ペンはみつからなかった。しかし、学んだことは大きい。
「自分のこころの痛みがわからなければ、人の痛みはわかりません。仲間の中には、過去の被虐待歴やいじめなどの逆境体験から『被害者は自分のほうだ』と被害者意識が強い人もいます。私のように感情を抑え込んできたか、表に出しても誰かに受け止めてもらった経験がないのかもしれません。肯定されなかったために自分が持っている感覚は幻だと錯覚し、ほかの人も同じ痛みの感覚を持っていると認識できなくなっているのではないかと思います」
大切なのは「根っこの問題」と向き合うこと
悠さんは「恵まれた家庭に育った」という。仲間の逆境体験を聞き「自分が『苦しい』と言っていいのだろうか」と思い悩んだ時期もある。しかし「苦しさの比較はできない。苦しいものは苦しい」。
家族にあれこれ要求されたり、学校でいじめられたりしたことはない。しかし、家では、父親が些細なことで不機嫌になることがたびたびあった。顔色を伺うことも多く、怒らせたくない一心で「よい子」を演じてきた。学校では、波風を立てないように、仮面を被って過ごしてきた。「まわりに人はいるのに、常にこころは孤独でした。自分と同じ人はいないのではないか。わかってもらえるわけがない、とも思っていました」。
悠さんは、男性でも女性でもないXジェンダーで、他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かないアセクシュアルであることを公言している。しかし、学生時代はそのような概念と出会う術はなく、誰にも言えなかった。成長とともに身体が「女性」として曲線化していくことを受け入れられず、中学のころに食べ吐きを繰り返す摂食障害になった。
幼少期から負けず嫌いで「認められたい」「必要とされたい」気持ちが人一倍強かった。何もしていないと「誰にも必要とされていない」感覚に陥ってしまう白黒思考もあった。苦しみや弱さは人前で出してはならないと思い込んでいた。性別違和も「男として生まれてこなかった自分が悪い」と自責の念を抱き、その感情を封印していた。
学生時代は部活動やスポーツに没頭し、大学卒業後に進学した専門学校ではリーダーシップを発揮した。ところが、理学療法士として社会に出ると、過酷な現実が待ち受けていた。ある職場では「女性らしさ」や長時間労働を強いられ、その痛みや苦しみを過食嘔吐することで麻痺させた。別の職場では、自ら仕事を増やし、うつ病を発症した。
過食を繰り返せば、食費はかさむ。スーパーを渡り歩き、値引き品を購入して節約することで達成感を得ていた。初めてものを盗んだのは2017年の夏。「どうせ、捨てられるなら」と、売り場に残っていた賞味期限切れのパンをそのままバッグに入れた。万引きを繰り返す日々は2019年の春まで続いた。自ら病院に足を運んだが、止まらなかった。もう、どうにもならないーー。限界を感じて仕事を辞め、入院した。
「ルームKのミーティングには、衝動をおさえるための方法を知りたくて訪れる人もいます。盗む行為を止めることは、もちろん大切です。ただ、本当に向き合うべきは、根っこにある家族関係や生きづらさなどの課題。これをみつけられている人がうまくいっていると感じています。私も自分自身の生き方に課題があると気づきました」
ひとりでも「浮き輪」をつかんでくれれば…
街には誘惑があふれ、スリップ(再び万引きすること)のリスクはいつでもある。「混雑しているクリスマスや正月は『バレにくいだろう』とスリップも増えやすい」という。
悠さんも2023年12月に会社が突然倒産し、危機的な状況に追い込まれた。これまでの自分であれば「世の中に必要とされていない」とスリップしたかもしれない。しかし、ルームKの運営や大学での講演などの「当事者活動」をおこなっていたおかげで、万引きに走ることはなかった。自分の気持ちを打ち明けたときに受け止めてくれる仲間や友人もいた。
「他者からの承認はあっという間になくなっていきます。特定の誰かに認められることで一時的に承認欲求を満たすことができたとしても、それがずっと続くとは限りません。だから、人とのつながりは、複数あったほうがいい。何より大切なのは、誰かの承認に依存するのではなく、自分で自分を認められるようになることだと思います」
運営するルームKでは、スリップを機に顔を出さなくなる仲間もいるという。悠さんは「それは寂しい。『スリップしたから会わせる顔がない』ではなく、しんどいときこそ、つながってほしい」と呼びかける。
クレプトマニアであることは「一部であり、すべてではない」。摂食障害もXジェンダーも「一部」の要素に過ぎない。「被害を与えた事実は忘れてはならない」としつつ、クレプトマニアになった自分を「極悪人」ではなく「ひとりの人間」として尊重してくれる学生時代の友人などにも救われているという。
同時に「一部」であるさまざまな当事者性を活かし、人の役に立ちたいと願っている。XジェンダーであることをブログやSNSで打ち明けたときは「自分もそうだ」と複数のメッセージを受け取った。送り主の中には50・60代の人もいた。ことばの概念がない時代に同じように悩み苦しみ、今を生きている仲間がいることがわかった。
「概念に出会えたこと、同じ思いをしている人がいると知ったことで『自分は、自分でいていいんだ』と楽になりました。私も同じように悩んでいる人たちにアプローチしたい。そのために浮き輪を投げ続けたい。つかんだ後に這い上がれるかはその人次第ですが、投げなければ、つかむものもありません。もしかしたら、つかんでくれない人や届いていない人もいるかもしれません。それでも、多くの良質な浮き輪を投げれば、きっとつかんでくれる人も増える。それが、当事者である自分にできることだと考えています」
【高橋悠(たかはし・ゆう)】「依存症オンラインルーム RoomK」運営
ASK認定依存症予防教育アドバイザー。クレプトマニア当事者として、サイト「クレプトマニアからの脱却」(https://kleptomania-dakkyaku.com/)で情報を発信するほか、当事者として大学での講演、病院等にメッセージを届けるなどの活動をおこなう。2022年2月からは「依存症オンラインルーム【クレプトマニア(窃盗症)】Room K」を運営。
コメント
『何もしていないと「誰にも必要とされていない」感覚に陥ってしまう。』
とても共感を覚えました。
共依存や仕事依存で、回復途中の私ですが、いつか高橋さんのように同じ苦しみを抱く方々に浮き輪を投げ掛けられたら、と思います。
活動を1日1日続けられている高橋さんを尊敬します。
私は、RooM Kの存在をしり参加させて頂いています。浮き輪を投げてもらい掴んだのに、溺れてしまったり
そして、また浮き輪を探してつかんで足をバタバタしています。
私は、ダメダメですが悠さんや仲間に助けられています。
親戚にクレプトの人がいて、知識のない私は何をしていいか分からないし、何で盗るんかなぁって不思議で、傍観するしかありませんでした。
『根っこの問題』という高橋さんのお話を読んで、きっと親戚のあの人は、誰にも言えない苦しい思いがあったんだと分かりました。
『苦しさの比較はできない。苦しいものは苦しい』という言葉に共感しました。
それを誰かに聞いてもらい、その人が何とかしようと動いてくれたら、何よりも嬉しいですよね。
これからは傍観者ではなく、そうありたいと思いました。
高橋さんの浮き輪で、私は気持ちが救われました。ありがとうございます。
私は依存症者の家族だけど、
家族も別の家族を助けるために浮き輪を投げる
早くつかまって
手を出してと叫ぶけどつかめない家族もいるそれが現実明らかに溺れているのにね
でも諦めずに高橋さんと一緒ですね
「何より大切なのは、誰かの承認に依存するのではなく、自分で自分を認められるようになることだと思います。」という言葉に頷く。
回復を続けるためには「当事者活動」が欠かせないと思っている私も、
悠さんみたいに浮き輪を投げ続けていただきたいと思います。
ゆうさんはかっこいいです
正に浮き輪にしがみつき、ジタバタと自分のペースでですが岸に向かおうと必死の日々を過ごして早1年数ヶ月です。35年程、窃盗を繰り返して、浮き輪の存在を知ったけれど見えない振りをして結局、悪循環...
ゆうさんの浮き輪に出会わなければ
私はきっと再度 繰り返し もっと沖に流され刑務所生活であったでしょう。
まだまだ回復途上の立場で微力ですが 同じく私なりのミーティング参加の分かち合いで 浮き輪を投げられたら誰かの元に届くかもしれない。
ゆうさんの様に良質の浮き輪を数投げられませんがマイペースなりにも私も継続して投げていきたいです。
> 運営するルームKでは、スリップを機に顔を出さなくなる仲間もいるという。悠さんは「それは寂しい。『スリップしたから会わせる顔がない』ではなく、しんどいときこそ、つながってほしい」と呼びかける。
同感です。また、それだけでなく、そのスリップしてしまった体験をこそ共有してくれたら嬉しく思います。そのつらい体験を打ち明けてくれたという絆の再確認も正直な本音としてありますし、それはその当事者である本人にしか提供(という表現では語弊があるかとは思うのですが)できない話で、他の仲間にとって有益です。
> クレプトマニアになった自分を「極悪人」ではなく「ひとりの人間」として尊重してくれ
このような体験が、自分の場合の回復のきっかけでした。
それは入院中接してくれた看護師、先行く同嗜癖の仲間、別嗜癖の仲間、そして退院後通っている別嗜癖自助の仲間たちが与えてくれた・与えてくれているものです。
嗜癖が明らかになる前から強く孤独を感じていたのだとようやく気が付き、そして、このような人との触れ合いに怯えていたものの本音では欲していたのだと、得て気が付くことができ、感謝をすることができるようになり、そして人を好きになることができるようになりました(性的な意味合いでなく、大切な人ということです)
そういった自分自身の感情や体験を再確認し重ね合わせながら拝読いたしました。
どうもありがとうございました。