直木賞が欲しくてたまらず酒を飲むように……小説家・鈴木輝一郎の回復の道のり(前編)
アルコール依存症を公表している小説家の鈴木輝一郎さん。ブラックアウトするまでお酒を飲み始めたのは日本推理作家協会賞を受賞した後だと言います。アルコール依存症に陥ってしまった経緯と回復について聞きました。

公開日:2025/12/22 02:00
「なんで書いても評価されないんだ」と酒を飲む
岐阜在住の小説家の鈴木輝一郎さん。現在は推理小説や歴史小説の執筆のかたわら、オンラインで小説講座も行っている。

鈴木さんが小説を書き始めたのは25歳のとき。当時は会社員をしながらの兼業作家だったので、執筆をするのは通勤中や営業の移動中だった。
「常習的に飲むようになったのは1994年に日本推理作家協会賞を受賞した後くらいだったかなぁ。当時は小説の世界って、賞を受賞してどかっと売れるか、そうでなければ消えるという二極化の世界だったんです。僕も推理作家協会賞を取れるなんて思っていなかったので、そうなったら『直木賞が取りたい病』になってしまった。早い話が壊れたんです。それで飲むようになりました」
依存症は「否認の病」と言われるほど、本人に自覚がないことが多い。鈴木さんもアルコール依存症だと自覚したのは後になってからだった。
「飲んでいるときは記憶が飛んでいるので自覚はありませんでした。ウイスキーのボトルを2日で1本開け、『なんで書いても評価されないんだ』と荒れて、非常にたちの悪い酒の飲み方になっていったのを家族に指摘されました。また、当時は介護も重なって眠れなくなり、寝酒もするようになっていました」
そのような飲み方をしていると体がだるくなり、かかりつけの病院を受診した鈴木さん。検査の結果、肝臓の数値も悪くなっていた。寝酒をしていることを話すと、「寝酒をするくらいなら睡眠薬を飲んだほうがいい」と睡眠薬を勧められた。そして鈴木さんは睡眠薬を酒で飲むようになった。
「睡眠薬をアルコールで流し込むのは一番いけないパターンですよね。一歩間違うと窒息死してしまいます。でも当時の僕はそんなことは知らないので、ブラックアウトもしやすく、糞尿を垂れ流していることも日常茶飯事でした」
病院を受診後、教会で受洗、ダルクにつながる
その後、家族に愛想を尽かされた鈴木さんは地元で有名な依存症のクリニックである各務原病院の門を叩く。
「最初の問診で『お仕事は何ですか?』と聞かれ、『小説家です』と答えると『いつから自分のことを小説家だと思っていますか?』と言われ、ダメだなと思いました(笑)。病院でも相手にしてもらえないのかと絶望しながら車を走らせていたらキリスト教の教会(日本副音ルーテル教会)が目に入り、礼拝に飛び込み受け入れていただきました。
今までも営業の外回りのとき、教会があるなぁとは思っていたのですが、もうこりゃ死ぬしかないなと思っていると教会が『おいでおいで』と手招きしているように見えたんです。断酒して教会に1年ほど通った後、受洗しました」
受洗から1年ほど経ったとき、牧師先生から岐阜ダルクの紹介を受けた。
「岐阜ダルクの人手が足らないから手伝ってほしいとのことでした。『鈴木さんはアル中だからシャブ中の気持ちもわかりますよね? よろしくお願いします』とのことでした。そのときはアルコール依存症と薬物依存症はずいぶん違うと思っていたのですが、アルコールは合法なだけで薬物としては同じカテゴリーだということを知ったんです。
でも、NA(ナルコティクス・アノニマス。覚醒剤などの依存症自助グループ)とAA(アルコホーリクス・アノニマス。アルコールの自助グループ)は雰囲気がかなり違いました。実感として、アルコール依存症は仕事ができるタイプの人が多く、薬物依存症は発達障害など生きてゆくのが難しいケースのうち、アルコールが飲めないタイプが多かったです。
アルコール依存症者には『たまたまアルコールが飲めたので違法薬物に手を出さなかったケース』も多く、僕自身もそのケースだと思いました。ダルクのお手伝いをしながら生活を立て直し、断酒は4〜5年続きました」

再飲酒が始まり、より依存症を自覚するように
順調だったはずの断酒だったが、再飲酒してしまう。
「あるときコンビニに入ったら、酒の棚にヘネシーのポケット瓶があったんです。それをそのまま手に取って駐車場に戻った時に我に返り、『これは持って帰ってはいかん』と思いその場で一気飲みして帰宅しました。『これは持って帰ってはいかん』と思ったときに一気飲みしてしまう時点でアウトで、全然我にかえっていません」
なぜ再飲酒をしてしまったのかについては鈴木さん自身もわからないという。
「なぜ再飲酒したのかが分からないのが依存症ですよね。ダルクともつながりがあったので、この頃に自分の依存症について明確に意識しました。酒量はハイボールのロング缶1本程度でしたが『自宅に酒を持ち込まない』『誰にも言わない』という飲み方をしていました。コンビニの駐車場で一気飲みをして『酔いが回っていないのでこれは飲酒運転ではない』という謎理論で運転して帰宅していました。
家に酒を持ち込むと飲むのが止まらないとわかっているのでNAのミーティングの帰りにコンビニに寄って飲む。でもお店で飲むと迷惑がかかるから駐車場で一気に飲む。言えば言うほど変な理論です。こういう認知のゆがみはアルコール依存症あるあるだと思います」
こうやって謎理論のもと再飲酒している時期が一番つらかったという。せっかく生活も立て直しパートナーもできたのに、飲んで事故を起こしたら全部がなくなってしまう。そう自覚があるからこそおびえていた。
「再飲酒が始まり『止めなければならない』とわかっていたのですが、断酒日を作ることができませんでした。でも2017年12月25日、ダルクの泊りがけの忘年会(アルコールは厳禁の忘年会)で一晩断酒でき、その後も完全断酒が継続できています」
依存症は最も同情されない病気であり身近な病気
今も断酒が続いているのは自助グループへの継続的な参加と岐阜ダルクのボランティアの継続があるからだという。また、アルコール依存症であることを公表したことで内密に相談を受けることも増えた。
「僕がやっている小説講座でも相談を受けることがあるので、最初のメールで事前に申告してもらうようにしています。外部に漏れる心配はないので率直に話してくださいと。詳しい話を聞いたら、そういうケースならAAに通いましょうとか、AAが合わないという人ならNAとか、他にも居心地の良いグループを探してそっちに通ってごらんという話はしていますね」
鈴木さんは依存症に悩む人にこう伝える。
「依存症は最も同情されない病気です。最も同情されにくい病気でありながら非常に身近にある病気です。ためらわずに支援を受けましょう。日本の回復施設は意外と充実しています。依存症は病気です。
病気というのは誰のせいでもないし、それを恥ずかしいと思う必要はありません。でも、窃盗症や性依存症の場合だと被害者がいるので、その償いをするのは当然で罪は消えません。ただし、病気だから治そうという意思を持つことが大事です」
(後編につづく)
