アカデミー賞授賞式を前にやるせないマシュー・ペリーの死 薬物依存症からの回復途上で
「フレンズ」のハリウッドスターで、薬物依存症からの回復を目指していたマシュー・ペリーが亡くなったニュースは、私たちの心を重くしています。依存症からの回復を応援するハリウッドの「リカバリーカルチャー」は、社会に何をもたらしているのでしょう?
公開日:2024/02/03 02:00
今年のアカデミー賞が、1ヶ月先に迫った。どの作品が受賞するのか、誰がどんなスピーチをするのかとても楽しみだが、毎年、授賞式なかばに必ずある、この1年に亡くなった方々を追悼するコーナーを思うと、心が重い。「フレンズ」のハリウッドスター、マシュー・ペリーが、昨年10月、54歳の若さで亡くなったショックと悲しみから、人はまだ立ち直れていないのだ。
「僕が死んだらみんなショックを受けるでしょうが、驚く人は誰もいないでしょう。そんなふうに生きるのは奇妙です」と、ペリーは、死のおよそ1年前に出版された回顧録に書いていた。自分自身をそう冷静に見つめることができた彼が知らなかったのは、人々がここまで深く彼の死を悲しんだことだ。
長年、依存症に苦しみながらも、同じバトルを戦う人たちを手助けすることに尽力してきたペリーは、何度となく挫折を繰り返したが、死の直前は前向きに毎日を生きていた。解剖の結果でも、彼が依存したドラッグは検出されなかったという。長年の依存症のせいで内臓を蝕まれ、数ヶ月の入院生活を送って一時は人工肛門をつけたこともあった彼は、ようやく健康を回復し、久々に演技の仕事に戻る話もあったと言われている。
だが、再び彼が活躍する姿を見るのは、かなわなくなってしまった。それがとてつもなくやるせないのだ。【LA在住映画ジャーナリスト・猿渡由紀】
アメリカ人が大好きなカムバックストーリー
ハリウッドには、依存症のせいでキャリアを自ら棒に振ったセレブリティが、回復して以前よりもっと活躍した例がいくつかある。アメリカ人は、そんなカムバックストーリーが大好きだ。大変なことを克服しようとしているセレブのことも応援するし、実際に克服してみせたら、尊敬の拍手を送る。
最も良い例は、ロバート・ダウニー・Jr.だろう。今や最も稼ぐハリウッドスターのひとりとなった彼だが、過去にはコカイン、ヘロインに依存し、何度も警察に逮捕され、刑務所生活も送ったこともあるのだ。才能は認められていたので、出所後には当時高視聴率を誇ったテレビドラマ「アリー・myラブ」に出してもらえたが、またもやドラッグを使用したところを警察に見つかり、このドラマにも、次に決まっていた映画、舞台の関係者にも、大迷惑をかけてしまった。そんな彼も、ある時、ついに強い決意のもと回復を決意したのである。
復帰最初の作品となったのは「歌う大捜査線」(2003)。「エア★アメリカ」(1990)での共演以来、親友になっていたメル・ギブソンがかけあってくれたおかげで主演を得られたものだ。そのすぐ後に出演した「ゴシカ」(2003)では、後に妻となるプロデューサーのスーザン・レヴィンに出会った。そして2008年の「アイアンマン」では、ブロックバスター映画に出たことがなく、年齢もすでに40代だった彼が最もふさわしいと信じたジョン・ファヴロー監督が、マーベルに猛プッシュをしてくれたのだ。ダウニー・Jr.は、それらの人たちに支えられて、新たな人生を切り拓いたのだ。
「フレンズ」の共演者も応援
ペリーの「フレンズ」の共演者たちも、ずっと彼のそばにいてあげた。14歳で初めて酒の味を知り、その感覚を覚えたペリーは、18歳になると毎晩飲むようになった。「フレンズ」に出演している頃も大量に酒を飲み、毎日二日酔いで現場に向かっていた彼に、「私たちはあなたが飲んでいると知っているわよ」と共演者を代表して伝えてきたのは、ジェニファー・アニストンだったという。彼らはペリーを非難したのではなく、彼を心配したのだ。
その後、ペリーは処方薬オピオイドにも依存するようになり、「フレンズ」の合間に出演した映画の撮影を中断させたこともあった。10年続いた「フレンズ」の後半には、更生施設から現場に通った時期もある。その一方で、ドラッグと酒を完全にやめた状態で撮影したシーズンもあった。酒に依存していた時は太ったし、オピオイドを使っていた時は痩せたので、10年続いた「フレンズ」で、彼の体型はしょっちゅう変わった。
ペリーの葛藤を知ってはいても、共演者たちがそのことについて口外することはなかった。だが、どこまで苦しんだのかを本当に理解したのは、「フレンズ」が終わり、ペリーが公にこのことについて語るようになってからだったのだと思われる。リサ・クドローは、ペリーの回顧録に寄せた前書きに「彼は不可能な状況を生き延びてきました。もう無理だということが何度あったのか、私にはわかりません。マティ、あなたがここにいてくれて嬉しいです。良かったです。あなたのことが大好きです」と書いている。そして、その回顧録には、実に壮絶な状況が描写されていたのだ。
自分の誇らしくない過去をペリーがあえてあからさまに語ったのは、同じような状況にある人たちを勇気づけるため。ペリーのようにお金も名声もある人でも同じ問題に苦しんでいるのだとわかれば、「自分だけじゃないのだ」と思える。それに、セレブリティが発言すると人は耳を傾けてくれるので、依存症についての世間の認識も高まる。もちろん、その話をするかどうかは本人が決めること。プライベートな悩みや苦しみを語らない自由は当然ある。
回復支援施設から戻り、活躍するセレブたち
依存症で回復支援施設に入った経験を持つセレブには、ほかに、ドリュー・バリモアやリンジー・ローハンなどがいる。7歳で「E.T.」に出演し、大注目を浴びたバリモアは、9歳でアルコールやドラッグを使用するようになり、13歳で強制的に更生施設に入れられて、そこで1年半を過ごした。施設を出た後は、レストランでアルバイトをしながらオーディションを受けては少しずつ映画に主演するようになり、ロマンチックコメディ映画などで主演を獲得するようになる。プロデューサーとしても活躍した彼女は、現在は自分のトーク番組も持っているし、コスメのブランドなども展開するビジネスウーマンとなった。
2000年代のはじめ、「フォーチューン・クッキー」「ミーン・ガールズ」などに主演し、若手ナンバーワンの女優としてちやほやされたローハンは、法律上飲酒が許されない年齢であったにもかかわらず、パリス・ヒルトン、ニコール・リッチー、ブリトニー・スピアーズらとナイトクラブを徘徊し、仕事に影響を与えるようになる。酒やドラッグの影響を受けた状態で運転して警察に逮捕されたり、更生施設に入ったり出たりを繰り返す彼女はプロダクションにとって当てにできない役者となり、次第に仕事のオファーも来なくなった。そんな中でも、ローハンは、舞台やリアリティ番組などできる範囲の仕事をこなしつつ、治療やカウンセリングを受けて、少しずつ立ち直ってきた。そして2022年には、Netflixの「フォーリング・フォー・クリスマス」で、久々に映画の主演を務めたのだ。
この監督ジャニーン・ダミアンとは、今年やはりNetflixで配信予定の「Irish Wish(原題)」でも組んでいる。最近は、次に「Our Little Secret(原題)」というタイトルの映画にも主演することがわかった。つまり、彼女は、仕事における信頼を取り戻したということだ。ここにもひとつ、カムバックストーリーが生まれようとしている。
それは、依存症と闘う多くの人たちに希望を与えることになるだろう。そんな話がもっと聞かれるように、世の中として、この問題への理解を深めていきたい。