教室に居場所がなく、市販薬ODの繰り返す(後編)ーー死にたい気持ちを抑えるためのOD
高校時代からODを繰り返すマナミ。死なないためのODと、死ぬためのODが繰り返されている。

公開日:2025/09/19 02:30
市販薬のODで2ヶ月入院したマナミ(仮名、26)は、8月に退院した。高校時代にリストカットと市販薬のODを覚えた。
「高校2年生になってから副担任に何かおかしいと思われたのか、トイレの前で待ち伏せされました。2年の夏、授業に戻るのが遅れてバレてからは、ずっと注意されていました。ただ、素直に話したこともありました。そのときは『バカだな』と言われるだけ。それ以上の対処はありませんでした。
『次やったら親を呼ぶよ』と言われましたが、『親には伝えないで』と頼んだためか、親には連絡がいきませんでした。最初は何かあったときにOD(オーバードーズ)していましたが、そのうち何もないときにもODするようになりました。『今日も1日乗り切れますように』という、お守りのような気持ちで」
市販薬の購入先はドラッグストアだ。
厚生労働省研究班の調査(2024年度)によると、中学生の55人に1人が市販薬を乱用目的で使用した経験があることがわかった。近年、市販薬のODは低年齢化している。乱用した市販薬の入手先は、薬局やドラッグストアなどの実店舗が64.2%で最も多い。
「日本チェーンドラッグストア協会」によると、24年度は全国で2万3723店舗あり、同年度で始めて売り上げが10兆円(前年比9.0%増)の市場規模に達した。5年前の19年度では、全国で1万7654店舗で、7兆6859億円の売り上げだった。その手軽さが、市販薬の乱用の背景にあるかもしれない。
大学時代に「死のう」とする気持ちと市販薬ODがセットに
マナミは大学生になっても、リストカットとODを繰り返した。授業が終わるごとにトイレでリストカットをしていた。この頃にODしていた市販薬は、総合かぜ薬だった。
「この風邪薬は安くて、小粒なのでODしやすい。1回に20錠くらい飲んでいました。他の薬よりも安上がりでしたね。週1くらいでしたが、ひどいときは毎日していました」
そして、大学生の頃から、「死のう」という気持ちとODがセットになっていく。
「死にたい気持ちを抑えるためにODしていたんです。ただ、2020年9月頃から『死にたい』と思ってODするようになったんです」
マナミはODした具体的な日付を覚えている。
「スマホのメモ機能に、2020年9月頃に、『咳止め薬と(精神科の)処方薬を混ぜて飲んで、自殺未遂』と記録されています。別の方法でやろうとしたのですが、失敗したんです。このときは飲み過ぎて倒れてしまいました。何か特別なきっかけがあったわけじゃないけど、『死にたかっただけ』『自殺だけが希望だった』と書いていました。でも、家でしてしまったので、親にバレて、車で病院に連れて行かれたんです」
ODの後に自殺未遂し、それを記録する
その後も何度もODをして自殺関連行動をしている。今年3月には、総合感冒薬165錠を飲んで、自殺しようとした。このときは、SNSに次のように投稿した。
〈橋から飛び降りようとして警察に保護、気分悪くなったため救急車要請、総合病院に入院〉
〈気づいたら薬の空き瓶と橋に居て、通行人がなにか話しかけてくれたら次の場面は保護されてて、パトでパニクってて気分悪くなったから救急車要請、からの救急車の中で病院になって気づいたらお昼?すぎだった、そこからまた病棟に上がるのが長くて気づいたら夕方になってた〉
酩酊状態になった後に、自殺関連行動をとることが多くなってきた。警察に保護されることもあった。ODのせいか、記憶が曖昧なことも多い。

生き延びるための出口は見つかるのか
5月にもODをした。LINEのメモには「自殺したい」「もう無理」「誰も助けてくれない」と書いている。そして入院直前にも「無理」「ODして首吊り自殺しようとして」と記録されている。
「死のうとしたODしたのは何回目ですかね?HCU(高度治療室)に運ばれたのは4回くらいで、運ばれない程度を含めると10回くらいになるかな。死にたいときと、死にたい気持ちを抑えるときとでは、飲む量が違っていますね。
でも、頑張って買わないようにします。頑張らないと買ってしまうんで...…。でも市販薬でも処方薬でもODだけで死ねるとは思っていないです。主治医からも『(ODを)だんだんなくしていこうね』とは言われています。親には荷物チェックをされるので持っていたらバレてしまいます。それがなければ、お守りして持っていたい」
高校時代に市販薬のODを知り、以来、依存し続けている。ODだけでは死ねないと思いつつ、死ぬためのODもすることがある。今でも「死にたい気持ちを乗り越えるため」にODをしている。他人から見れば、市販薬ODはリスクが高いように見えるが、本人からすれば、そうでもしない限り、辛い日常をやり過ごせない。生き延びるための出口はいつになったら見えるのだろう。
(おわり)