退院後に再飲酒。承認欲求を身と足してくれたのはキャバクラだった 〜存在を消したくなる夜を超えて(下)
アルコール依存症で入院したのも束の間、小林さんは退院後、すぐに再飲酒をしてしまう。いかにして断酒に向かったのか。

公開日:2026/04/29 22:00
久里浜医療センターでの入院3ヶ月間は、小林さんにとって人生で最も「静かな」時間だった。入院前の二週間、お酒を飲むのを控えた。
「もう自分では何をしていいのかわからない状態だったんです。依存症のことを知らない。酒量を減らしたい。飲まないで済むなら飲まないでいいかなと思っていました。お金もかかるし。ただ、一滴も飲まないとか、お酒を断つという考えはまったくなかったです。問診で、『最後に飲んだのはいつですか?』と聞かれ、『入院のためにお酒を飲んでいません』と言いました。『あなたはお酒をやめられる人かもしれませんね』と言われたのを覚えています。頑張るぞと思いました」
退院直後に再飲酒の衝撃
しかし退院したその日にスリップ(再飲酒)した。この頃を記憶が曖昧になっているが、退院後3ヶ月後にもアルコールを口にした。

「3ヶ月、アルコールを抜いたから大丈夫なんじゃないか?と思って。コインロッカーに荷物を入れて、そのまま飲みに行って、夜、家に帰りました。翌日、荷物を取りに行こうとするんですが、そこから全然、飲酒が止まらない。そうすると、ツケの金額もすごいものになる。酔っ払っている時間のほうが長く、苦しかった」
このあたりから極端に飲酒量が増えていく。
「朝飲んで、気絶して起きると、また飲んで…...。時計の『10時』が、朝なのか夜なのかわからなくなっていたのですが、酒は買いに行けました。よく聞く話ですが、パジャマを羽織って、サンダルを履いて、夜中にコンビニ買いに行って飲んで、コンビニ前で寝ちゃったり…...。その連続でした」
小林さんは友達も多く、飲み会やイベントを企画する側でもあった。
「バーベキューやスキー旅行などの幹事をやって、会計もして、仕切るのが好きでした。酔っ払っているときも同じですが、ただ、酔っ払っていると、ちょっと寂しくなって、3軒目、4軒目になるとキャバクラに行ったりしていましたね。特に女性に興味があるわけではないんですが、まあまあのお金を使っていました。一晩で何万というくらいでしたが…」
承認欲求を求めて、酩酊状態でキャバクラへ
「キャバクラって、お金を払っているんで、ちやほやしてくれて、褒めてくれるじゃないですか。多分、それが欲しかったんだと思います。承認されたかったんだと思います。ただ、一番楽しいはずの時間なのに記憶がないです。僕、すごく女性に気を使う生き方をしてきました。母の影響だと思うのですが、好かれたい。というよりも、嫌われるのをすごく恐れていたんです。キャバクラはその反動だと思います。だからちやほやしてくれるように振る舞ったんです」

小林さんはキャバクラを「竜宮城」と呼んだ。そこはお金と交換に、承認欲求を満たせる、お酒が飲める遊戯場だったということなのだ。ただ、妻がクレジットカードを取り上げていたために、膨大な借金を作ることはなかった。返せる範囲の金額だった。酔っ払っていては消費者金融での借り方もおぼつかないでいたのも不幸中の幸いだった。
警察官に囲まれ、「自由がなくなる恐怖」を抱き、断酒へ
スリップ後の生活は、以前にも増して自暴自棄になった。しかし。断酒を決意する決定的な出来事が起こる。駅前で放置されていた自転車に足を引っ掛けた小林さんは、日頃のストレスと自分への怒りが爆発し、その自転車をなぎ倒し、投げ飛ばした。
「駅前に違法駐輪がいっぱいあったんですよ。それが気に入らなくて、『なんでこんなところに停めてんだ!』って、自転車を投げ倒したりしていたら、通報されて警察さんに囲まれたんです。そこでハッとしてすいませんって。その時本当にやばいと思ったんで、土下座してじゃあ全部戻す。『お前がやってることは本当に器物破損だ』と言われました」
小林さんは「もし、このまま逮捕されて、塀の中に入ることになったら、もう私の人生に自由はない。完全に終わる」と思った。そのため、この翌日から断酒をしている。この「自由がなくなるかもしれない」恐怖が、彼の脳に張り付いていた酒の霧を一気に吹き飛ばした。
もちろん、医療の力を借りた。
「妻に探してもらった依存症専門のクリニックに通いました。カウンセリングも2回ほど行きました。しかし、カウンセリングは値段が高いのでしょっちゅうは行けない」
アルコール依存症は、酒への依存でもあるが、飲みの場という人間関係やコミュニティへの依存の側面もある。小林さんは、そうしたコミュニティの依存はどのように対策したのか。
「飲んでいたときには一人飲み中心でしたが、あえて言えば、(自助グループの)ミーティングに参加しました。性の問題やクレプトマニア(窃盗症)とかも含めてです。そういう当事者の話を聞いたのは大きかったですね。ピーク時には、1日3箇所のミーテイングに行っていました。都内だと朝にミーティングをし、モーニングコーヒーを飲みながら、ということもありましたね」
そうしたミーティングで得た教訓を家に帰って、A4の紙に書いて貼ったたりした。
「断酒して10年が経ちますが、いまだに魔除けの札みたいになっています。このほか、『哲学がいいよ』と言われたら、中学生向けの哲学の本を読んだり、『塗り絵がいいよ』と言われたら、塗り絵をやって壁に貼ったりしました」

お酒以外の現実逃避の手段は
現在は、NPO法人の活動や興味があるイベントにはどんどん参加するようになった。
「いろんな活動の中で、依存先を増やしています。断酒会やAAにしても一箇所でガッツリ取り組むのもよいと思うんですが、僕には今は苦しいんです。いろんなことをやり気づき、情報が増えるので、『苦しいときにはこれが使える』ということが増えました。仕事にもつながっています。自分で生きるところを社会に広げると、こんなことで嫌われるかもしれないけど、嫌わない人だっていっぱいいるよと思っています」
お酒は現実逃避の手段だった小林さん。今はどんな手段を持っているのか。
「夜中に車を運転したり、頭に浮かんだものを書いたり。小説を読んで、現実じゃない空間に逃げ込んでいます。今もまだ、『生まれてこなければよかった』という存在否定がたまにあったりしますが、希死念慮はないです」
小林さんは夫婦関係も見直しつつ、断酒を続けている。
「最近、依存症のコミュニティも苦しくて離れようと思っていたんですが、取材の話をいただいた。もしかしたら、離れたら危ないぞという警告だったのかもしれません」

(おわり)
