Addiction Report (アディクションレポート)

父親は酒に酔いながら繰り返し暴力をふるった 〜ハルトの性依存(下)

借金を抱えながらも性風俗通いがやめられず、性依存と診断されたハルト。父親から暴力と恐怖で支配されていたことも、依存症の背景にあるのではないかとみられています。

父親は酒に酔いながら繰り返し暴力をふるった 〜ハルトの性依存(下)
ハルトは父親から暴力と恐怖で支配されていた

公開日:2026/08/26 08:00

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性依存の背景には、母親による性的な歪んだコミュニケーションがあったと思われるハルト(仮名、40歳)。

それだけではなく、問題飲酒を繰り返していた父親からは、激しい身体的虐待を受け続けてきた。一時、アダルトチルドレンの自助グループにも参加していたほどだ。これも今の性依存に関係しているのだろうか。

飲酒とセットで行われた父親の暴力

「僕に暴力を振るう時、父は常に酒を飲んでいるんです。父はいつも大量に酒を飲んでいました」

父親から暴力を受け続けた経験は、ハルトに恐怖や無力感を植え付けた。どれだけ泣き叫んでも父の暴力が止むことはない。そのうち、普段の生活でも感情を表に出すことが苦手になっていった。

「父はクラシックを愛し、リビングでCDやレコードを流していました。夜になるとアルコールが入り、『指揮者モード』になり、割り箸を指揮棒のように振って4拍子を刻むんです。父は、僕に『教えてやるよ』と言い、僕はそれに従って真似をする。すると、『ぜんぜん違う。こうやるんだ』と、僕が泣くまで追い詰められました」

暴力の内容は羽交い締めと二つ折り

はっきりと暴力があったと記憶しているのは、小学2、3年のころからだ。なにかあれば羽交い締めにされるのが常だった。

「父はいつも叱った後に羽交い締めをしてきました。理由は覚えていないです。何かしらの理由で父の不満を買ったか、ただ父が叱りたかっただけなのか。叱責されても僕が言うことを聞かないからか、二段構えで羽交い締めをされました。息が苦しく、つらかった」

クリスチャンのハルトは父親からの暴力から逃れるために、「自分は自分なりにやりました。なぜでしょうか?」と神に祈ったこともあった。しかし、父親の暴力が止むわけではない。

「『二つ折り』ってありますよね?腰を起点に前のほうに折ってくるんです。(相撲の決め技の)さば折りとは逆です。横から強制的に前屈させるってことです。あとは、単純に上からのしかかってくることもありましたね」

10代のころのハルト(本人提供)

当時、父親は80キロほど。ハルトは20キロほど。4倍もの体重差がある中で圧迫された。

「それに加え、殴る・蹴るもありました。小突かれたり、背中を蹴られたりすることもありました。ある時、何かの拍子で倒れて、僕が布団を被ったことがあったんです。父はそれに追い打ちをかけるように背中を蹴ってきました。振り返って父の顔を見ると、その状況を楽しむかのような笑みを浮かべていました」

「僕はそんな時、腹立たしいとか、悲しいという感情ではないんです。仕方がないと思っていました。異常ですが、その場をやり過ごすしかない。父からの暴力がどのように終わったのかは記憶がないです」

おねしょをしてもお風呂にいれてもらえない 

小学4年の頃には、風呂になかなか入れてもらえなかった記憶もある。

「僕は子供のころ、夜尿症があったんです。そのまま学校へ行くと臭うじゃないですか。でも、あまり風呂に入れてもらえた記憶がない。時々、お風呂に入れてもらえましたが、おしっこ臭い風呂を流している父の姿が記憶にあります。立ち尽くしていたら、父親から『見物しているんじゃない!』と叱責されました」

叱責されると、ハルトはどう振る舞えばいいのかわからなかった。

「どうすれば父の怒りを少しでも収めることができるのか、わからなかったですね。威圧されたところで、どう反省の色を示せばよいのかわからない。絞め技をかけられて、『親は正しいか?』と繰り返し聞かれて、答えないと絞め技がどんどん強くなりました」

父親からの暴力に対して、はっきりとした感情は抱いていない。無力感を抱いていたからだろう。

「『怖い』とか『嫌だ』『止めて』という思いはあったんですが、言ったところで暴力を止めてくれません。言っても無駄だと思っていました。態度や意思を表明しても意味がないなら、感情を持つこともやめました」

暴力の後に、一度だけ父親の優しさを感じたことがあった。

「『DVあるある』みたいな話ですけど、羽交い締めなどされた後、父親から背中を撫られ、抱き寄せられたことがありました。記憶の限りだと、父に撫でられたのはその1回だけです。そのときは、やり過ぎたと思ったのかな。あるいは、屈したから撫でてもらえたのかな」

父親からの暴力、母親のケアラー、学校でのいじめで不登校に

弟も父親からは暴力を振るわれていた。ただ、ハルトと若干、捉え方が違っていたようだ。

「『お兄ちゃんは家では殴られていたけど、学校でもいじめられていた。でも僕は、家では同じように殴られていたけど、学校が楽しかったからなんとか乗り切れていた』と言っていました」

ハルトは小学4年の頃からほとんど学校へ行けていない状態だった。

父親から虐待をされていた10代の頃のハルト(本人提供)

「学校でのいじめもあり、朝、起きられませんでした。うつ状態だったのかな?わからないですが、学校へ行きたくないという自覚はありました。そんなときでさえ、父は暴力的でした」

この頃、母親が躁鬱の状態で寝込んでいた。そんな母を不登校のハルトが世話をした。今でいうヤングケアラーだった。

父親への殺意が芽生え、殴りに行ったことも

その後も父親からの暴力は続くが、母親の病状が悪化すると休戦状態となっていた。中学以降も不登校は続き、その頃から、父親の暴力は減った。

筆者とハルトが最初に出会ったのは、ハルトが高校に入った16歳の時だった。インターネットの掲示板を介したオフ会で、複数の人たちと会話をしていた。

「(オフ会に参加した人に)父から虐待されているという話をしました。そうすると、『母親は助けてくれなかったの?』と聞かれました。母が助けるという選択肢があることにそこで初めて気づきました」

高校に入ると、両親と一緒に暮らすことに限界を感じ、アパートで一人暮らしを始めた。

「この頃は、父親を殺したいという気持ちが強くなっていました。布団の中で父親をイメージして、ペンで突き刺して、『殺してやる』と言い、イメージしました。2リットルのペットボトルをフルスイングし、父の頭にぶつけたいと思うこともありました」

実際に父親を殴りにいったこともある。

「怪我はさせていません。こちら側に、怪我させるほどの体力もなければ、技術もない。そのときは、『殺さなくてよかった』と思ったのですが、過去を精算することもできませんでした」

取材をおけるハルト(撮影:渋井哲也)

今は父親に対する殺意も消えた。

「殺意を抱いていないなと思えるのはここ10年です。家に帰っていた時、父が心肺停止したことがあったんです。午前4時ごろ、母の声が聞こえて、両親の寝室に行ってみると、目は上向きで口が半開きで、死んだ魚のような状態でした。すぐに救急車を呼んで、心肺蘇生をし、救急対応を淡々としていました。少なくともその頃から殺意はないです」 

父親からの暴力で植え付けられた無力感、異常を異常と指摘できない恐怖。そして母親から受けてきた歪んだ性的なコミュニケーション。性依存の背景にあるそんな自分の家庭環境を、性依存症外来と自助グループへの参加で見つめてきた。

「僕は、圧倒的にコミュ障になってしまった。だから性風俗の女性の時間を買ってでも、対等なコミュニケーションができる場を求めていたんだと思います」

 だが、性風俗への依存は、自分の苦しかった人生の解決にはつながらなかった。幼い頃から空いてきた心の穴を埋めるために、自分はこれから何ができるのか。回復への道のりはまだ始まったばかりだ。

(おわり)

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