「もう二度とやりません」の弊害。依存症報道を当事者の手に取り戻す
本記事では、2025年2月2日に開催された国内初の依存症専門オンラインメディアであるAddiction Reportの創刊1周年記念フォーラムのレポートのうち、後編をお届けする。

公開日:2025/02/08 00:00
後編では、タレントの田代まさしさん、俳優の高知東生さん、公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会の代表理事の田中紀子さん、Addiction Report編集長である岩永直子さんを交えた、シンポジウムの様子を一部抜粋して紹介する。
(文:遠山怜、撮影:長谷川美祈)
きっかけは、世間受けのためでもいい

田中:今回、田代さんと高知さんに改めて伺いたいことがあります。正直なところ、最初に回復施設のミーティングに参加するとき、抵抗感はありませんでしたか?
田代:そりゃあもちろん。いつトンズラしようかと(笑)。俺はタレントだから、同じ薬物問題を抱えた仲間同士と言えど、他の人よりはるかに多くのバッシングを受け、仕事への影響も出てる。自分はみんなとは違うんだから、とりあえずはつながったけど、一刻も早くここからおさらばしたいと思ってた。
でも、騙し騙し通ううちに、メンバーの話を聞いて、ふと「俺にも同じところがある」と気づくようになった。仲間の体験から学ぶこともあったし、徐々にミーティングで自分の気持ちを吐き出せるようになった。

回復施設につながるきっかけとして、弁護士から世間の受けを良くするためにと勧められて、反省のポーズとして通所する例は少なくない。確かにそれは邪な考えだけど、それで施設につながれるなら、それでもいいと思う。嫌々でも、通ううちに気持ちが変わってくることはあるから。
薬物は大人の仲間入りの入場券

高知:僕は田代さんがダルクにいると聞いて、回復施設に行ってみようかと思い立ったひとりです。で、田中さんから「世の中ではあることないこと、噂が勝手に一人歩きしている。なぜ薬物を使用することになったのか、自分の言葉で言うべき」と背中を押されて。それで、自分の経験を徐々に明かすようになりましたね。
僕は二十歳の時に田舎から上京してきて、東京でなんとしても成り上がりたい強い思いがあった。当時のディスコには、成功して夜の街で豪快に遊んでいる大人がいた。自分の力で成功している姿に、心底憧れましたね。彼らと仲良くなって、仲間になりたいと夜の遊び場に足しげく通うようになった。だんだん客として認められ、VIPルームに出入りが認められた。すると、そこでは隠れて覚醒剤の回し炙りが行われていたんです。
憧れていた人に、「お前、こういうのやったことあるか?」と聞かれて、カッコつけたかった僕は「あるに決まってるんじゃん」と答えて、はじめて覚醒剤を使った。そのとき思ったのは、「なんだ、意外とたいしたことないじゃん」だった。薬物は、初使用のときがもっとも強烈な快感を感じると言われているけれど、僕の場合はそこまでではなかった。こんなもんなら、いつでもやめられると思った。
覚醒剤を使ったとき、一番強烈に感じたのは薬物がもたらす快楽よりも、むしろ成功者の仲間に入れた喜びだった。僕の場合は、薬を使いたいと思って手を出したわけではなく、憧れの人に近づく手段として薬を使ったのがはじまりだった。
薬物に依存するようになったのは、しばらくしてからのこと。夜遊びの場でときどき覚醒剤を使うことはあったけれど、あくまでご相伴に預かる程度。転機になったのは、遊び仲間から「自宅にあるんだけど、来る?」と誘われてから。そこで女性と使うことを覚えてから、あっという間にハマってしまった。
田代:最初はみんな、「いつでもやめられる」と思っちゃうんだよね。以前、講演会に呼ばれて登壇した際に、「依存症は病気であり、自分の意思だけではやめられない」と話すと、聴講者から反論されたことがある。
「普通、みんな病気になりたくない。病気にならないよう、節制する。でもあなたたちは自分で選んで病気になったんでしょう」と。
でも、誰しも病気になりたいと思ってなったわけじゃない。ストレスがきつくてリラックスしたいとか、孤独を紛らわしたいとか、そういった気持ちから始まっている。自分はやめられるつもりだったし、実際、最初はうまく付き合えていた。ハマりたくないし、ハマらないと思っていたのにやめられないからこそ、依存症は病気なんだよね。
「もう二度と絶対に使いません」の害

岩永:私は新卒で読売新聞に入社した際、警察取材を担当していました。新聞記者は、訓練も兼ねて必ず警察で事件取材をするところからキャリアを始めます。そのうち、「ダメ。ゼッタイ。」のような取り締まる側の論理を内面化してしまう。メディアの報道姿勢は、こうしたところから生まれてきているのかもしれません。
田代:俺の場合、薬物の問題で家族も相当バッシングを受けている。義母に突撃取材が入ったこともあって、「あなたのせいでもう布団をベランダに干せません」と言われたこともある。
世間からのバッシングを受けて、当事者は反省の色を見せようとする。彼らが納得しそうな言葉を並べて、「本当に申し訳ありません。もう二度とこのようなことは起こしません」と言うでしょう。
でもあれ、俺は嘘だと思う。だって当事者だからこそ、「もうやらない」と自信を持って言うことなんてできない。本当の気持ちは、「また薬物に手を出さないか、自信がありません。怖い。でも自信がなくても、やめ続ける努力を日々積み重ねていこうと思います」でしょう。
薬物問題が起きるたびに、当事者は反省の言葉を述べて謝罪する。芸能人なら、たくさんのカメラの前で謝罪会見をする。これは、真実を伝える報道の形ではないよね。そこで語られていることは本人の本心でもないし、謝ることで回復につながるわけでもない。当事者は誰にも本心を言えずにひとりで抱え込むしかなくなり、再使用のリスクが高くなる。
高知:今は、少しは薬物報道の言葉使いが変わってきたなと感じることもありますけど、根本は今でも変わらないですよね。

田代:他の芸能人が薬物問題で逮捕されたとき、俺にも取材が回ってくることがある。で、色々当事者として実体験を話しても、ほとんどがカットされてしまう。「世の中は回復なんて言葉、使わないんですよ。立ち直る、が正しいでしょう」と、メディアの意向で当事者の声がかき消されてしまう。
依存症は、明日どうなるかわからない。自信はないけれど、なんとか日々を積み上げていくしかない。そのおぼつかなさを、わかってくれる場所がいる。

高知:僕も仲間とつながっていないと、今でもとても苦しい。使いたい気持ち、揺れる心を押し隠して、頑張っている姿を見せ続けることは苦しい。しんどさを共有できる人がいないと、潰れてしまう。
だからこうして、今日、仲間として応援してくれている人がこんなにもいることに、本当にあったかい気持ちになる。このあったかい気持ちを、他の当事者にも、もっと広げて行きたい。

田中:やっぱり、日本での依存症問題の風潮を変えるには、もっと大きな起爆剤がいりますね。依存症でムーブメントを起こしたい。国内からのアプローチでは限界があるから、海外から依存症当事者を呼んでくるのもいいかもしれない。
田代:特にアメリカは、人が立ち直ったりやり直す姿を讃えるカルチャーがあるけど、日本はそうではないからね。一度失敗した人は村八分にされてしまう。臭いものに蓋をする風土を、誰かが変えていかないと。
田中:私、その誰かになりますよ。日本にはうつなどのメンタルの問題がたくさん起きている。依存症に限らず、当事者が病気を恥じることなく、主体的に情報を発信していくロールモデルを作っていく必要がある。
最後に田中紀子さんが意気込みを語ると、会場からは盛大な拍手が巻き起こった。




コメント
『メディアの意向で当事者の声がかき消されてしまう』との実態に改めてマスコミの古く誤った「べき論」の罪深さを感じました。
自分なりに出来る地域のメディアへの広報活動で、正しい理解者を増やして行きたいと覚悟を強くしました。
TVでマーシーが見られないことを悲しんでいた小3の頃の自分は、まさか直接田代まさしさんに会える日が来るなんて、想像もしていませんでした。
あの頃からやっぱり田代まさしさんは、人を笑かさずにはいられない愛すべき人で、
これまでの報道では聞くことが叶わなかった、田代さんの正直な言葉にじんときました。
本当に1周年フォーラムに参加できて良かったです!
勇気を持って発信してくださる田代まさしさん、高知東生さんをはじめ、こうしてありのまま届けてくださる記者の皆さま、そして正しい依存症理解を広めるためにAddiction Reportに携わってくださる全ての人に、感謝を!