Addiction Report (アディクションレポート)

つまらなくてもいいじゃないか シラフで自分を肯定できる人生を

睡眠薬とアルコールに依存したコザック前田さんは、精神科病院に入院しました。それ以来、どうやってやめ続けていられるのか、聞きました。

つまらなくてもいいじゃないか シラフで自分を肯定できる人生を
睡眠薬とアルコールをやめ続ける日々を送るコザック前田さん(撮影・岩永直子)

公開日:2024/04/20 05:30

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睡眠薬と酒に依存し、ライブ前にも薬でハイテンションを維持していたガガガSPのヴォーカル、コザック前田さん(44)。

2017年11月に精神科病院に入院して以来、酒も睡眠薬も飲んでいない。

どんな道のりだったのだろうか?(編集長・岩永直子)

フェスが終わるのを待って、精神科病院に入院

2017年のゴールデンウィークに、9月に開くフェスを終えたら精神科に入院して酒と睡眠薬を断つことを決断したコザック前田さん。

フェスまでは酒と睡眠薬に頼る毎日を続けたが、決意は揺らがなかった。

「なぜかはわかりませんが、その決断はずっと変わりませんでした。意志が強いというより、もう限界だったのでしょうね」

フェスは成功に終わり、20軒ぐらい回っていたクリニックの中で一番ウマが合っていた内科の医師に「実は僕は睡眠薬を飲み過ぎているんです」と相談した。

すると、医師は「入院したら治るかもしれないから、病院を紹介してあげるよ」と言ってくれた。紹介してもらった精神科病院に、11月に入院した。バンドメンバーには、バンドをやめることになるかもしれない覚悟も含めて、告げていなかった。

入院するとまず5日間、隔離部屋に入った。外から鍵を閉められ、スマホもなし。本は10冊ほど持ち込めた。

「これがめっちゃ楽しかったんですよ。薬なしでおれることの喜びがあったし、刑務所みたいな場所なんですが、結構快適だったんです。きっとそれまで自分が思っている以上に苦しかったんだと思います」

禁断症状も出なかった。なぜかぐっすり眠ることもできた。

楽しい精神科入院生活

隔離部屋での5日間が終わると、アルコールやギャンブルなど様々な依存症の人が30人ほど入院する閉鎖病棟に移り、相部屋に入った。

日中は薬物やアルコールの回復プログラムを受けた。依存症について学び、入院患者同士で自分のことを語り合うミーティングにも参加した。自分がコザック前田であることも明かし、自分の経験を正直に話した。

他の人の話を聞くことも面白かった。ある覚醒剤依存の暴力団組員が「覚醒剤も人を殺すこともなんでもできるけど、赤信号を渡ることだけはできへん」と語った時は、思わず吹き出してしまった。

覚醒剤依存の患者二人と夕食を食べていた時は、テレビで『警察24時』の番組が流れていて、覚醒剤で人が逮捕される場面が映し出された。一緒に食べていた二人が急にテレビに駆け寄って、画面を食い入るように見つめた。

「ああ、こういう場面を見たらまたやりたくなるんかなと思ったら、『知り合いがパクられてたわ』と言うもんでまた笑ってしまいました。そういうことばかりで楽しかったんですよ」

「入院生活は楽しかった」と話すコザック前田さん(撮影・岩永直子)

もちろん依存症について学んだし、自分や他の人の話を聞いて気づくこともあった。

「ああ周りに迷惑をかけたなと思いましたね。シラフに戻ったからだと思います」

そこで考えたのは、これからの自分の在り方だ。

「自分のやめ方を見つけなくてはいけないなと思いました。よく言われるような『仲間がいるからやめられる』という感覚は僕はなかった。今は入院しているから楽しくやめ続けられているけれど、外に出たらみんなお酒を飲む。飲み会も行くことになるだろうし、自分なりのやめ方を考えないと、やめ続けられないだろうと思いました」

自分がなぜここまで睡眠薬や酒に依存したかは、入院生活中にしっかり分析できたわけではない。

「脳が快楽を覚える方に向かってしまったのでしょうし、誰でもなり得ることなんだということはわかりました。でも詳しい自己分析までには至っていなかった。それよりも入院中は、薬を飲まずにいられることの喜びが勝っていました」

自助グループや日記を書き、少しずつ整理された自分の過去

1ヶ月の入院生活が終わり12月に退院する時、主治医から「アルコールは別にやめなくてもいいですよ」と言われた。でも入院中、アルコールで幻覚を見ている患者にも出会い、「いずれは自分もこうなるな」と考えた。薬とアルコールを一緒にやめた。

退院後は、薬をやめられた喜びでテンションが高い状態が続いた。いわゆる「ハネムーン期」だ。

やめ続けるためにさらに勉強しようと、自助グループ、『AA(アルコホーリクス・アノニマス アルコール依存症の自助グループ)』や『NA(ナルコティクス・アノニマス)薬物依存の自助グループ』にも通った。

退院後は1年間、毎日ブログを書いた。薬や酒を飲んでいたこと、精神科病院に入院してやめたこともそのまま書いた。

そういうことの積み重ねで、徐々に自分の過去を整理していった。なぜ自分は薬に頼っていったのか、なんとなくつかんでいった。

「無理して喋らなくていい」「テンションを上げなくてもいい」

それから6年以上、薬も酒も飲まない生活が今日まで続いている。妻も一緒にやめてくれた。

「周りに迷惑をかけたので、酒をやめてから5年間は打ち上げにも出ようと決めていました。周りがベロベロになるのを見て『こいつは肝臓が悪くなるだろうけど、俺は飲まないから元気やろう』と優越感に浸る(笑)。そんなやめ方をしています」

「一杯ぐらいいいじゃないか」と勧めてくる人もいる。

「自分も飲んでいる時に飲まない人がいたら、『なんで飲まへんねん』と勧めていたので気持ちはわかる。『僕は入院までしてやめたんで』と伝えたり、炭酸水にライムを入れて飲んでいるふりをしたりしていました」

酒はもともとそんなに好きではなかったので、やめるのに苦痛はなかった。シャイな自分を押し隠して人付き合いを円滑にするために飲んでいたが、今はもう「無理して喋らなくていいじゃないか」「テンション上がらないままでいいじゃないか」と割り切れるようになった。

酒と薬をやめていれば失敗はない

再び音楽活動も始めた。ライブでフロントに立つコザックさんは、一番観客に注目され、盛り上げる役割だ。シラフでステージに上がると、前のようにテンションは上がらない。

「でも自分自身のテンションを上げなくたって、観客を盛り上げることはできる。計算しているわけではありませんが、冷静に周りを見ながら、そうすることはできるようになりました」

【撮影:マッサン / SNSアカウント:@msmrk_0516】

「薬で朦朧としたり、テンションを上げたりしている方が楽しいのかもしれません。酒や薬がある方が楽しいかもしれませんし、それに代わるものはないのかもしれない。それでも僕は、飲まないと決めている」

それまで音楽活動でも自分自身に対する要求が高すぎて、全力で没頭できない自分がいると許せなかった。でも今は違う。

「高みを目指していたし、それができない時は周りを攻撃していました。パフォーマンスとしては強かったのかもしれませんが、嫌なやつだったかもしれない。昔だったらステージのコザック前田がいて、プライベートでも暴れるコザック前田でいなければいけないと思っていました。でもそれがなくなった」

「昔だったら、こっちがこれだけやっているのに、なんでこんなに盛り上がらへんねんという気持ちになった時もありました。でも今はみんなしんどい中、わざわざ休みを使って見にきてくれて、ノリたい人はのるだろうし、わけわからんなと思う人はそうだろうと思うようになった。そんな風に受け止められる今の自分が、本来の自分だったのだと思います」

破天荒であったり、暴れたりする自分を、無理やり酒や薬で作っていた。今はつまらないかもしれないけれど、穏やかな気持ちでいられる自分がいる。

「たとえば一日無駄に過ごした日があるとする。寝て起きてご飯を食べたらいつの間にか夜の9時や10時だったというような日です。なんもせんかったな、と思うようなそんな日でも、自分が酒と薬を飲んでいなければ成功だと思うようになりました。薬と酒をやめていれば、失敗はないんです」

そんな自分を好きになれているわけではない。

「でも自分のことを好きになれないところも含めて自分なのかなと思います。気持ちいいな、幸せだなと思うことは週に1回か2回あるかどうか。それでいいのだと思います」

自分を肯定できる人生を

最近、自身の依存症についてメディアでも話すことが増えた。「勇気づけられた」「元気そうでよかった」と言ってもらうことも多い。

「入院した時に依存症で悩んでいる人は多いんだなと実感しました。自分は回復の良いモデルケースになっているとは思えないのですが、表で語ることによって自分もやめ続けられる。みんなに『見届け人』になってもらうような気持ちです。歌もそうですが、自分のためにやっていることです。そこから広がって、うまくいけば人に響く、ぐらいがちょうどいい。人のためになんて言ったら押し付けがましいかなと思います」

撮影・岩永直子

酒と薬をやめて作った歌がある。「やはり素晴らしきこの人生」(2022年)。「シラフに戻っていなかったら作れなかったなと思う」歌だ。

少し上がったら急降下

自分の心と運命の仕組み

それもおそらく人生の醍醐味

大人になってく人としての渋み

目に見える物だけ追っても

オモシロイことは掴めない

40代まだ旅の途中

おそらく僕は五里霧中

昔の生活を続けてたらここまで生きて来れたかな

人生の困難をシラフで全て受け止める

山もあり谷もあるこの日々

中途半端で突き進む名もなき不安

身体はある

心もある

やっぱり人生やめられない

(「やはり素晴らしきこの人生」より)

「自分を鼓舞してやろうと思って作っています。最近ライブでも『もう一度売れたい』と言うことがあるのですが、かといってまた忙しくなるのも嫌だなという気持ちがある。そういう矛盾も含めて、自分をある程度肯定できる人生を歩んでいきたい。それが一番かなと思います」

(コザックさんの妻、真奈美さんのインタビューに続く)

【コザック前田】ガガガSP唄い手

1979年生まれ。1997年、地元神戸にてガガガSPを結成。2002年1月「卒業」でメジャーデビュー。2007年、自主レーベル「俺様レコード」を設立。2008年にはガガガDX名義でのカバー「にんげんっていいな」(日産セレナTVCM)が着うた100万ダウンロードを記録し話題に。地元神戸では主催フェス「長田大行進曲」の開催や、日本最大級の音楽チャリティーフェス「COMING KOBE」で15年以上イベントの大トリを務める。

デビュー以来、地元神戸に拠点を置き、全国各地のライブハウス、大型フェスなどで圧倒的熱量のライブを繰り広げている。

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コメント

6ヶ月前
匿名

昔からガガガSPの曲に励まされ、背中を押してもらってきました。昔の尖った前田さんも好きですが、今の穏やかな笑顔の前田さんも好きです。これからも応援しています。私自身、前田さんが出会えたような医師としてひとりひとりの患者さんを支えていきたいと思います。素晴らしい記事でした。ありがとうございます。

6ヶ月前
まりえ

厚労省のイベントで、初めて間近でライブを楽しませてもらいました。すごくすごく楽しかったです!

依存症から回復し続けている方だったとは知らず、その日のイベントで初めて知りました。回復し続けている方が、自分の居場所に戻って活躍していることはとても希望だと思いました。

昔からのファンの方も近くにいらっしゃって、前田さんの病気のことを知っていて見守っていた、復帰を待っていた、とおっしゃっていました。前の前田さんも、今の前田さんもそのまま愛されているんだな、と感じました。

これからも応援しています。

6ヶ月前
匿名

『でも自分のことを好きになれないところも含めて自分なのかなと思います』

私も自分のことをなかなか好きになれません…自己肯定感低め…

でも、それでもいいですよね

6ヶ月前
匿名

素敵な笑顔ですね。

私も自分を肯定できる生き方をしたいなと思えました。

6ヶ月前
ヨーコ

厚労省イベントでも前田さんの歌声、ご自身の振り返り等お伺いできてほんとうに希望をいただきました。自分を肯定しながら生きていきたいです。

6ヶ月前
よっしー

ありのままの自分でいることって意外と難しい。やっとたどり着いた自分らしい生き方 笑顔の写真めちゃくちゃいい!  シラフで造った曲 歌詞がほんとに素晴らしい!聴いてみます

6ヶ月前
キャサリン

笑顔の写真がめちゃくちゃいい。

さすが歌を作る人、ご自身の感情を語る言葉がすごくいい。

ほんと素敵だ。

「表で語ることによって自分もやめ続けられる。みんなに『見届け人』になってもらうような気持ちです」

すごいな。見届け人、いい言葉だ。

6ヶ月前
匿名

自分のためにやっていること

そこから広がってうまくいけば人に響く

その言葉に救われた気持ちになりました

人のためにならなければ生きている意味が無い、と思っていた私でした。

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