アルコール依存症の月乃光司、還暦記念に好きな人に会いにいく「依存症啓発対談」をスタート! 東ちづるさん(1)
アルコール依存症の月乃光司が還暦記念に好きな人に会いにいく「依存症啓発対談」をスタートします。初回は俳優でGet in touch 代表の東ちづるさん。父親のアルコール依存症体験を語り、治療や自助グループにつながれなかった現実を振り返ります。
公開日:2025/10/17 02:00
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還暦を迎えた月乃光司の新企画〈依存症啓発対談〉。
初回の相手は東ちづるさん。
父親の依存症体験を通じて、家族の苦悩と「依存症を病気として理解する大切さ」が浮かび上がります。
東さんとの馴れ初め
月乃 私、コロナ禍が明けてマスクを取るようになったら、微妙に対人恐怖症が出てきて、挙動不審ですが、気にしないでください。
東 大丈夫です。マスクを外すのに抵抗がある人もいますよね。
月乃 もっとも、コロナ前から常に挙動不審でしたが。挙動不審人生です(笑)。東さんとお会いするきっかけは、2010年に私と西原理恵子さんと共著で『お酒についてのマジメな話~アルコール依存症という病気~』という依存症啓発本を出版したことです。東さんが産経新聞の書評で取り上げてくれたんですよ。
東 私が書評を書きましたね。そう、勝手に(笑)。それがきっかけですね。
月乃 そうしたら出版社がビジネスとして利用して(笑)、書評の中の「この本が13年前にあったら、私の父と家族の人生は違うものになっていただろう」というところを抜粋して、本の帯に載せたんです。
他にも当時、私が女性サバイバーにインタビューするラジオ番組をコミュニティFMで細々とやっていて、出演していただいたんですよ。そのとき、私、自分の朗読CD『月乃光司の世界』をお渡ししました。一言でいうと「俺の世界」ですから、自意識過剰です。聞いていただけることはほとんど期待していなかったんです。
東 そんなことがありましたね。
月乃 私は普段、新潟市で会社員をしていて、無能社員として地味な砂を噛むような毎日を送っています。ある日、携帯電話に知らない番号から着信があって怪訝に思い出たら、「東ちづるです。CDを聞いてグッときました。一緒になにかやりたいですね」と言われて、私は「温泉若おかみから直々に電話がきたぁ!」(笑)とビックリしました。
東 そうでしたねー!(笑) もう15年くらい前ですね。
月乃 以前から、東さんの著書『〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか~「いい人、やめた!」母と娘の挑戦~』を読んでいたので、親しみを感じていました。「私には青春の記憶がない!」というインパクトのあるコピーが帯に書かれていて、スリリングな生きなおし書籍で大変参考になっていました。
東 その時から、月乃さん代表の「こわれ者の祭典」(注1)に私がゲスト出演したり、Get in touch(注2)のイベントに出演していただいたり、交流を続けていますね。先日も大きな舞台に出演していただきました。
注1 アルコール依存症・摂食障害・引きこもり等の体験者がパフォーマンスでメッセージを届けるユーモアイベント。代表:月乃光司。2025年8月31日の新宿ロフトプラスワン公演に東ちづるさんがゲスト出演。
注2 誰も排除しない"まぜこぜの社会"をめざしてエンタメを通じて可視化・体験化するプロボノ団体。代表:東ちづる。
月乃 東さんが座長の「まぜこぜ一座」(注3)の舞台に出させていただき、お客さんも600名も集まる凄いイベントでした。普段、私はお客さん数十人のメンヘライベントをやっているので、お客さんも出演者もメンヘラ同士で気持ちはつながっています。今回はどうかなと思っていたのですが、イベントが終わった後、たくさんの方々に話しかけていただいたんです。
注3 アートや音楽、映像、舞台などのエンターテインメントを通じて、だれも排除しない“まぜこぜの社会”をめざす「Get in touch」主催のマイノリティパフォーマー集団。座長:東ちづる。
東 月乃さんのパフォーマンスは大好評でした!「笑って泣いて感動しました!」という声が多かったです。お客さまはもちろん、スタッフも出演者からも大絶賛でした!本当にたくさんつながったと思います。
月乃 ありがとうございます。嬉しいです。
還暦記念に好きな人と会いたい!
月乃 そして今回の対談ですが、「還暦のアルコール依存症者が、舞い上がりながら好きな人と対談し、依存症について語る」というタイトルなんです。実は私、還暦になりました!
東 いい企画ですね。還暦さん!いらっしゃーい!(笑)
月乃 Addiction Reportの岩永編集長に「依存症啓発対談」という企画書を出して、だまくらかしたんです。本音は、ただ好きな人と会いたいというのがコンセプトなんです(笑)。今回が好評なら継続できるんです。そして、ただひたすら好きな人と会って、私の脳内にドーパミンをドバドバ出して、舞い上がりたいんです。再飲酒しない程度に……。
東 (笑)
月乃 今のは冗談です(笑)。
父親のアルコール依存症に家族も振り回されて
月乃 今日まずお伺いしたかったのは、お父さんのことです。本にも書かれていましたが、お父さんが大量飲酒の方だったそうですね。そしてアルコール依存症と気付かず62歳で体を壊して亡くなられたと……。ご家族として一番つらかった時期について、お聞きしたいんです。
東 入退院を繰り返していたときですね。父が47歳から62歳までの15年間、特に後半はつらかったです。もう出口の見えないトンネルをさまよっているようでした。その間、私も仕事でとても忙しかったし、妹は結婚や出産がありました。母も父に対して、どうしていいかわからなくて…。父には医療というよりどころがありましたが、母のよりどころを見つけるのは大変でした。
月乃 お父さんの入退院は、内科だったんでしょうか。
東 そうです。最初は生まれ育った広島・因島の病院でした。でも、私と妹は離れて暮らしていたので、母ひとりにその負担をかけるのが危なっかしくて……。
月乃 お母さんは大変でしたね。
東 母は、ストレスから自分が摂食障害になっていることにも気づいていなかったし、頑張りすぎていることにも気づいていませんでした。因島は小さな島なので、噂話に尾ひれがつくのが怖いわけです。だから、父が入退院を繰り返していることも、なるべく隠したかった。私が芸能人ということもあって、余計に…。それで、母への精神的・物理的負担を考えて、東京に呼んだんです。
月乃 因島から、お父さんとお母さんを東京に呼んだんですね。東京でも入退院は続いたんですか。
東 そうなんです。入院しても、家族も知識が浅くて、医者も「少量のアルコールならいい」と言うんですよ。当時はそういう時代でした。ストレスがあるだろうから、と。それで結局、お酒をコントロールすることができなくて、私たちは父を励ましたり、なだめたり、すかしたり、怒ったり、ときには脅したり……もう典型的なパターンです。
月乃 一番ありがちな良くないパターンですね。
東 東京に引っ越してきたことで、余計に頑張っちゃうんですよね。都会の暮らしに慣れなきゃいけないという思いもあるし、娘たちの手前もあるし。そんなこんなで、一番しんどかった時期でした。「ここからどうなるんだろう…」という状態で。
肝臓を壊して、自助グループにはつながれず
月乃 身体的には、肝臓が悪かったのですか。
東 そうですね、肝臓です。後半は肝硬変で、このままだと肝臓がんになるという状態でした。当時は、公開されているアルコール依存症から回復したモデルケースを知らなくて、「アル中」という言葉で片付けられてしまうような時代だったんです。
月乃 現実的に、アルコール依存症の専門医療は当時もあったと思うんですけれど、内科医から勧められることはなかったのですか。
東 勧められることはありませんでしたが、私がいろいろ調べて、断酒会があるとか、そういった自助グループのことは知っていたので相談はしました。ただ、断酒会には……なんというか、父に行く気になってもらえなかったんですよね。一度は行こうとしたんです、母も私も一緒に。けれども、結果的にはまた内科に入院になってしまって、心が折れて、そのチャンスを逸してしまったんですよね。
月乃 お父さんは入院しているときは、どんな感じでしたか?
東 入院していると平和なんですよ。病院に行くと、父はとても穏やかです。退院後も、別に飲酒して暴れるわけでもないし、家族に物理的な暴力を振るったこともありません。そういった迷惑はなかったんです。ただただ酩酊してしまうだけでした。
月乃 アルコール依存症の人って、私みたいに暴れたりひどい行動に出たりするパターンと、体にばかり影響が出るパターンがありますけど、お父さんは割と体の方に影響が出るタイプだったんですね。
悩まされていた幻聴や幻覚
東 健康を害して体を痛めつけるというタイプですよね。酩酊すると会話したことも覚えていないこともあって困りました。最後の方には、幻覚や幻聴もありました。自分を責める声が聞こえることもあったみたいです。
月乃 アルコール依存症の離脱症状でそういうことがありますけど、見ていてどう思いましたか?
東 母が看病しているとき、父が「布団の中に虫がいっぱい入ってる」と言っておびえていました。何か聞こえる、とかね。
月乃 もう典型的なアルコール依存症の症状ですね。
東 ええ、今考えると典型的でした。
月乃 私も経験があります。26歳頃、母と二人暮らしだったんですが、昼夜問わずお酒を飲みっぱなしになる連続飲酒状態になっていました。酔いつぶれて眠っていて目が覚めたら、何かが首筋を噛みついている感じがしたんです。まさか母が私の首筋に噛みついていることはないので(笑)、そのとき「あ、ネズミだ」と思いました。ばっと起きて、噛みついているものを一生懸命取ろうとしました。
東 それ、本当に痛いんですか?
月乃 何かが噛みついている感覚がありました。それから次に体中に虫が這い回るような感覚に変化して、何かいると思い、パジャマを脱いで一生懸命パタパタやっていました。しばらく続けていましたが、はっと気付いたんです、これは離脱症状だと。私はアルコール依存症の専門病棟に3回入院していて、病院で教育を受けていたので気付きました。
東 知識があるから、自分のことを冷静に見ることができたんですね。
月乃 そうですね。知識がなければ、本当に小動物が家にいると思い込む人もいるでしょう。私の場合は入院中にそういう知識を得ていたので、役立ちました。
東 私たちは、それがアルコール依存症による症状だとは知らなかったんです。戸惑うしかなくて…。父が認知症になったのかと不安になったり。知らないということは、本人だけでなく家族も路頭に迷いますよね。
月乃 普通ならば、そうですよね。
情報もなく、相談先もわからない
東 どこに相談すればいいかもわからなくて。今みたいにネットで調べられたら、すぐわかったんでしょうけど…。当時はそういう情報がなかったです。うちのような家族は多かったんじゃないですかね。
月乃 今も状況としては変わらないこともありますが、いろんな活動をされている方がいて、依存症に関する知識や情報の“財産”が少しずつ増えてきています。
東 そうですね。情報が行き渡ってきたので、イベントを開いても、当事者の方はもちろん、ご家族の参加も増えました。
月乃 そうですね。
東 「もしかしたらそうじゃないかと確認しに来ました」という方もいらっしゃいます。イベント以外の場でもそういう話をすると、「気づきました。私の兄がそうです」とか「父がそうです」とか、「もしかしたら自分が予備軍かもしれません」といった声が届きますね。
月乃 モデルケースもいろいろありますね。東さんのお父さんは、残念ながら亡くなられましたけど、回復するケースもあります。ご家族が長く支えて、亡くなられた後も活動を続けている方もいらっしゃいます。そういう方の話って、「あの時、気づけばよかった」という、重要なモデルケースになるんです。そういう活動をされている方は、本当に尊敬しています。
依存症は病気、恥ずかしいことではない
東 私はね、その……父を「恥ずかしい人」にしたくないという思いもあったんです。私が無知だったから……。戦後の高度経済成長期には、優生思想が広がっていて、核家族が増える中で、親のための子育て本もたくさん出版されていたそうです。「優秀な子」「いい子」を育てるために。21歳で母となったヒデコも必死で「いい子」を育て、自分も「いい人」になろうとしていたのです。
だから、アルコール依存症という社会からドロップアウトしたような症状は、母にとって耐えがたかったのだと思います。そのため、「娘たちを傷つけてはいけない」という思いが特に強かったのでしょう。そうしたことも含めて、妹と私は、母が一番辛い、しんどいだろうとも感じていました。
私たちにも、アルコール依存症は意思が弱い人、ダメな人、恥ずかしいこと、という固定観念がありました。正しい知識がある今も、「アル中」という侮蔑した表現は嫌ですね。当事者がご自分のことを茶化してそう表現するのは笑えますが。
月乃 アルコール依存症というのは、その人の人格の一部じゃなくて、病気のひとつですよね。
東 そう、病気の人たちなんですよね。父も病気という以外にもたくさんの側面があるのに、なんだかもう“父=アルコール依存症”みたいになってしまって……。家族みんなが辛い思いをしました。父のお墓に手を合わせて「ごめんね」とか「ありがとう」と言っても、もう父には届かない。どうしてもそのことが心に引っかかって。
だから、「恥ずかしいことではない。これは回復する病気です」ということを知ってもらうために、父についてのインタビューに答えると決めたんです。父への贖罪の気持ちもありますね。でも、当分のあいだ、それは母にとってつらかったみたいです。普段は私の公演とかイベントなど、自分が参加できる範囲だったら喜んで来てくれるんですよ。
月乃 いつも、よく客席でお会いします。
東 そうなんです。母は、私には何の連絡もなく客席に座っているんです。でも、アルコール依存症関連のイベントについては、やっぱり足が向かないみたいですね。
月乃 私がSNSに何か書くと、東さんのお母様がいつも「いいね!」を押してくれるんですよ。アルコール依存症当事者のことも、気にかけて下さっていますね。
東 ああ、そうなんですね。
S N Sのエゴサーチにも依存中
月乃 私はもう、これは脱却したいと思っているのですが、承認欲求の塊なので(笑)、そういう反応はめちゃくちゃ嬉しくなっちゃいます。インターネットに「月乃光司」と入れて検索するエゴサーチもよくするんです。
東 私は全くしません。興味ないわけではないけど、時間と精神力の無駄だと思っています。
月乃 そうですか。さすがですね。
東 いえいえ(笑)。エゴサをするタレントさんも、少なくないらしいです。
月乃 そうでしょうね。
東 悪く書かれていると、それで落ち込んだりするでしょ。でもそれはこちらの問題ではなく、論もなく誹謗中傷する側の問題。だからしなくていいの。
月乃 私は無能会社員なんです。人生の8割方は会社員の時間が長く、仕事でミスを連発して社内評価がすごく低いんですよ。それはそれでしょうがないと受け入れてはいます。ただし、SNSで「いいね!」を押してくれたり、私のイベント活動に対して「よかった」と書いてくれる人が一人でもいると、「自分の存在価値はここにあるんだな」と確認できて、ドーパミンが脳内にちょろっと出るんです。
東 なるほど、そっちのタイプなんですね。良いコメントや励みになるコメントを探すために、エゴサーチをしているんですね。
月乃 そうですね。だから、SNSでお母様が「いいね!」を押してくれると、お母様の「いいね!」がすごく嬉しいんです。
東 母に伝えます!(笑) でもダメージを受けるようなコメントもあるんでしょう?
月乃 たまにぐらいですかね。そんなに多くはないんですけど。
「2ちゃんねる」が全盛時代にある人がアドバイスをくれて、「2ちゃんねるは見ないほうがいいよ。メンヘライベントをやっていると陰湿な悪口を書かれて、見ると落ち込むから」と言われました。でも、どんなひどいことが書かれているか、気になって『2ちゃんねる』で「月乃光司」と検索してみたんです。そうしたら衝撃的だったんです。誰も何も書いていなかったんです!
とても寂しい気持ちになり、自分で自分の悪口をコメントしようか、と思いました(笑)。自作自演の炎上です。先日の『まぜこぜ一座』のときも「月乃光司」でエゴサーチしても、1人もヒットしなかったんです。「まぜこぜ一座」だと結構ヒットしましたが。
東 いや、すごいSNSで書かれていましたよ。アンケートでもめちゃくちゃ好評でした。月乃さんの朗読を初めて見て、うちの事務所のデスクとかも最初はずっと泣くのを我慢していたけれど、もういいと思い、最後はずっと号泣してたそうです。
月乃 ありがとうございます。私は承認されていた、賞賛されておったということですね。嬉しいです。ドーパミンが出てきました(笑)。今日は、会社で有給休暇を取ってきたかいがありました。
(続く)
【東ちづる(あずま・ちづる)】俳優・一般社団法人Get in touch代表
広島県出身。会社員生活を経て芸能界へ。
ドラマや映画、情報番組、講演、出版など幅広く活躍。プライベートでは、骨髄バンクや障がい者アートなどのボランティア活動を30年以上続ける。2012年アートや音楽、映像、舞台などのエンタメ通じて、誰も排除しない“まぜこぜの社会”をめざす、一般社団法人Get in touchを設立。代表として活動中。
自身が企画·構成·キャスティング·プロデュース·出演する映画「まぜこぜー座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり~」はAmazonプライム他で配信中。
また、自ら描いた妖怪61体を社会風刺豊かに解説した著書「妖怪魔混大百科」(ゴマブックス)を基に、漫画やマスコットを展開。
【月乃光司(つきの・こうじ)】
1965年生まれ。高校入学時より対人恐怖症・醜形恐怖症により不登校となり、通算4年間のひきこもり生活を送る。自殺未遂やアルコール依存症により、精神科病棟に3度入院。27歳で自助グループにつながり、以来、酒を飲まない生き方を続けている。現在は会社員として働くかたわら、「生きづらさ」を抱える人々に向けて、執筆・朗読・イベント運営などを通じてメッセージを発信している。著書に、西原理恵子との共著『お酒についてのマジメな話~アルコール依存症という病気~』(小学館)。心身障害者のパフォーマンス集団「こわれ者の祭典」代表。ASK依存症予防教育アドバイザー。弁護士会人権賞受賞。