Addiction Report (アディクションレポート)

意志の弱さを嘆くのは間違っている―巧妙に仕組まれた「自己責任」—

アルコール、薬物、買い物、ギャンブル、ネット——。多くの人が自分を責める依存症は、その人の意志の弱さが原因なのだろうか?営利企業が人を巧みに依存に誘い込む仕組みを解説します。

意志の弱さを嘆くのは間違っている―巧妙に仕組まれた「自己責任」—
人を依存に誘う様々な仕掛けが施されている(写真AC)

公開日:2026/01/14 08:17

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「またスマホのショート動画を見続けてしまった」「なぜ、あんな要らないものをポチってしまったのか(〈欲しいものリスト〉は、見返すとほとんど〈欲しくないリスト〉)」「一杯だけのつもりが、またハシゴ酒......」「二度とやらないと誓ったのに、またつい薬物を......」「また借金をしてギャンブルを......」。

わたしたちは日常の中で、こうした「分かっちゃいるけど、止められない」(植木等「スーダラ節」)行動、ついやってしまう行動を後悔しながらも繰り返し、そのたびに「自分は意志が弱い人間だ」と悔やみ、自己を責める。この感覚は多くの人が共有する、個人的な失敗の経験といえるかもしれない。

しかし、もしその「意志の弱さ」が、個人の性格の問題ではなく、社会のシステムそのものによって意図的に作り出されている部分があるとしたらどうだろうか。

実は、最新の脳科学や社会分析は、われわれが「個人の失敗」と信じてきたものの裏に、より大きな現代社会の構造的問題が隠されていることを次々と明らかにしているのである。

今、われわれの脳と社会の間で、一体何が起きているのだろうか。

われわれの脳は営利企業によってハッキングされている

最近、歴史学者のデヴィッド・コートライトは、現代の経済システムを「大脳辺縁系資本主義(Limbic Capitalism)」と呼んで告発している。

大脳辺縁系とは、大脳皮質の内側に位置し、情動(emotion)や動機づけ(motivation)、記憶や自律神経機能を司る脳の部分である。それはドーパミン神経系が豊富な領域にあって、進化的に古い構造をもち、苦を避け快を求める個体の生存と種の保存に不可欠な本能的行動の源泉として機能している。これらは健全な状態では理性による制御下にあるが、依存症などの病的状態では、この制御バランスが崩れ、辺縁系で生じた衝動がダイレクトに行動を支配するようになる。

そして現代の新自由主義経済は、この大脳辺縁系をターゲットに刺激し、過剰な消費や利用を意図的に作り出すことで収益を上げているというのである。言葉を替えれば、それは、(問題ある)少数の大量消費者によって業界全体が支えられるというビジネスモデルである。

ジャンクフードの止められない味、SNSの「いいね」の通知や無限スクロール、オンライン・ギャンブルやゲームの興奮など、これらが「心の底から止めたいのに止められない」のは、企業によって脳の報酬回路が巧妙にハッキングできるようにビジネスが設計されているからだという。

このことは、神経科学者であるクリンゲルバックとケント・ベリッジの研究をみれば、より理解しやすいだろう。

かれらは、脳内における「好き(liking)」という快楽の感覚と、「欲しい(wanting)」という渇望の感覚は別物だという。大脳辺縁系資本主義は後者を過剰に刺激し、もはやそれを楽しんではいない(好きではない)にもかかわらず、病的なまでに渇望し続ける(欲し続ける)状態を生み出すのである。つまり、楽しいから見ているのではないし、美味しいから味わっているのでもない。これは快楽の追求ではなく、「設計された欲求」の暴走なのである。

このような視点が重要なのは、それが問題の所在を根本的にシフトさせるからである。「止めたくても止められない」のは、「意志が弱く、誘惑に負けるから」ではなく、むしろ、人間の生物学的な脆弱性を知り尽くした者が、それを利用して経済的な利益を最大化するシステムを巧妙に設計し、われわれに提供したからなのである。

ただし、このような外部からの搾取は物語の半分に過ぎない。私たちがそれに抗うために備わっていると信じている「意志力」そのものに、このシステムが巧みに利用する脆弱性が存在したのである。

「意志力」は精神論ではなく、枯渇する「有限な資源」だった

心理学の世界に、「自我消耗(Ego Depletion)」という概念がある。意志力や自己制御能力は、鍛えることのできる無限の精神力などではなく、たとえば筋肉のように、使えば使うほど疲労し、力が弱まっていく「有限な資源」であるというのである。

意志力が枯渇するとどうなるのか。単純に誘惑に負けやすくなるだけではない。われわれの判断基準そのものが変化し、長期的には有害な選択肢であっても、これこそが合理的で最善の選択だと誤認、もしくは思い込んでしまうというのである。

自我消耗は、わたしたちの「責任」という考え方を大きく変える。つまり、「やらないと決めていたことを、ついやってしまった」とき、それは単なる「意思の弱さ」や時には「甘え」と非難されるようなことではなく、そこには消耗した状態の脳が合理的な判断をできなかった可能性があり、責任を問題にすることは、そこに生理学的な機能不全に陥っている臓器に正常な働きを要求するようなものなのである。

アクセルを踏み込ませるだけ踏み込ませ、ブレーキ操作の不備は個人の責任

以上の2つのポイント、つまり企業がわれわれの脳における大脳辺縁系をターゲットにしているということと、意志力は有限の資源であるという考えを組み合わせると、現代社会が個人に課している厳しい矛盾が見えてくる。

つまり一方では、社会システム(特に企業)が、私たちの意志力(自己制御リソース)を徹底的に消耗させるような、魅力的で依存性の高い環境を意図的に作り出している。これは車で言えばアクセルであり、消費を煽り、快楽を追求させ、私たちの脳を常に刺激し続ける。このシステムは、大脳辺縁系を刺激的され突き動かされる消費者像を前提として収益をアップしようとしている。

しかし他方では、その結果として個人が制御を失い、肥満や過剰な負債、依存症といった問題に陥ると、社会システムは突如としてその個人を「合理的な選択主体」として扱い、失敗の責任をかれに帰属させるのである。これは、社会全体が個々人にアクセルを踏み込ませるだけ踏み込ませておきながら、事故が起きた時には運転手個人の「ブレーキ操作の不備」を問うようなものである。

つまり、個々の消費者は「制御リソースを枯渇させる環境」に置かれて、失敗した時のみ「自律的主体」として責任を負わされるダブルバインドに置かれているのである。

「依存症」は罪でも病気でもなく、『誤った学習』の結果か

依存症に陥った人々に対し、社会は二つの極端なレッテルを貼りがちである。一つは「道徳的に堕落した罪人(つみびと)」、もう一つは「脳が壊れた無力で哀れな病人」である。このような見方に異を唱えるのが、依存症に対する「学習障害モデル」という考え方である。

このモデルによれば、依存症とは、脳が持つ強力な学習機能が、本来は生存に必要ない特定の行動(薬物使用や飲酒など)を、「これは生存に不可欠なものだ」と誤って学習し、脳内の優先順位を書き換えてしまった状態だというのである。それはもちろん罪でもなければ、不治の病でもなく、一種の「誤った学習」の結果なのである。

このような見方は、依存症に対して大きな希望をもたらすだろう。なぜなら、依存行動が脳の可塑性に基づく誤った学習の結果であるなら、「誤った学習」は再び学習し直すことで修正が可能だからである。依存症に罰を与えるやり方は、科学的に逆効果である。処罰や恐怖はストレスを高め、脳の学習機能を司る前頭前皮質の働きを損なわせるため、修正しようとしている状態そのものをさらに悪化させてしまうからである。体罰による矯正が無意味なのはここに原因がある。

このような考え方は、依存に陥った者に対しても、無力な患者として扱うのではなく、「再学習」を安全に優しく支援する環境(例えば、すぐに依存の原因を断つことを強制せず、被害を減らすことから始めるハーム・リダクションなど)こそが、最も有効なアプローチであることを示唆しているのである。

責任の矛先

私たちの脳は、営利のためにハッキングされ、意志力は有限な資源として日々消耗させられている。私たちの「自由な選択」というものが、いかに外部環境によって巧妙にデザインされ、制約されている部分のあることか。にもかかわらず、社会はわれわれの誤った選択に対して矛盾した要求を突きつける。依存症は誰にでも起こりうる「誤った学習」の結果であるという理解は、私たちの行動が、現在の社会経済システムの中でいかに脆弱な立場に置かれているかを示すことにつながる。

誤解を避けるためにいえば、これは個人の責任を完全に否定し、誰もが無力な被害者だと主張するための議論ではない。これは人間を制約された環境の中で選択的に行動する行為者として捉える視点を提供するものであり、現代社会に生きるわれわれを、より現実的に理解するための手がかりなのである。

本来行為の制御能力を有する者が、その能力を枯渇させるよう設計された環境の中に置かれ、その能力を発揮する機会を制限され、時には奪われるような状態に陥っている。

今や「責任」という言葉は、誰に、そして何に対して問うていくべきなのだろうか。

【参考文献】

カール・エリック・フィッシャー(小田嶋・松本訳)『依存症と人類』(2023)

アンナ・レンブケ(恩蔵絢子訳)『ドーパミン中毒』(2022)

アダム・オルター(上原裕美子訳)『僕らはそれに抵抗できない―「依存症ビジネス」のつくられかた』(2019)

カンツィアン他(松本俊彦訳)『人はなぜ依存症になるのか』(2013)

David Courtwright, The Age of Addiction: How Bad Habits Became Big Business(2019)

Maia Szalavitz, Unbroken Brain(2017)

David Courtwright, Dark Paradise: A History of Opiate Addiction in America(2001)

Douglas Husak, Drugs and Rights(1992)

【拙稿】

オンラインカジノ—ひとを地獄に落とす手法— | Addiction report(20250512)

急増する現代の依存症を説明する辺縁系資本主義とは | theLetter(20250512)

アメリカでギャンブルはどのように広がり、規制されてきたのか?  | Addiction Report(20240401)

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