「私の人生は全てパロディ」その真意は? 美容整形で抜け出したホスト狂い
どれだけ「ホスト通いをやめろ」と言われてもやめなかったにもかかわらず、ある出来事がきっかけでホスト狂いの生活から抜け出すことに…「私がやってきたことは、突き詰めていけば全部パロディだった」と語る中村うさぎさん、その真意とは?
公開日:2024/04/27 02:00
ホスト狂いの生活から抜け出した作家・エッセイストの中村うさぎさん。「その人を作り上げるのは、人生の快感の原体験だ」と強調する。
「私がやってきたことは、突き詰めていけば全部パロディだった」と語る、その真意とは?【ライター・千葉雄登】
ホスト狂いから脱却、何が起きた?
ーーホスト狂いから抜け出せたのは、何がきっかけだったのでしょうか。
ある日、ネットで自分の担当ホストにハマっている人々の掲示板を見ていたら、あまりに痛々しくて。みんな、色々なことを書き込んだ挙句に、最後は「でも、体の関係があるのは私だけじゃないか」「絶対嘘ついている子もいるはずだ」って言い始めてね。
「じゃあ、担当ホストが何色のコンドームを使っているのか一斉に書き込みましょうよ」と言い出したんですよ。
そしたら次の瞬間、掲示板が「黒」「黒」「黒」「黒」っていう文字でバーっと埋まるわけ。
私も担当ホストと肉体関係があったので、彼が使っているのは黒のコンドームだと知っていました。たぶん、珍しい色を使っていたから、コンドームの色を書き込むなんていう質問を思いついたんだと思うんだよね。
で、掲示板を見た瞬間に「みんな本当に体の関係があるんだ」って思ってさ。その時に、あまりにやり口がヒドいから、誰かが「中村うさぎに訴えようよ」とかって言い出したの。たぶん当時、私がホストのネタで文章を書いていたからだと思います。
私はホストクラブでの日々を文章のネタにして稼いでいたけど、ほとんどの人は売り掛けをして、払えなくなると風俗で働いたりしている。「もうこれ以上、何もできることはない」ってところまで追い詰められている人がいるのも見ていたからさ、この掲示板を見て心底腹が立ったんだよね。「お前、いい加減にしろよ」って。
心の底からうんざりした時に、さすがの私も目が覚めたんです。やっぱり何かに依存するって、自分の力だけではなかなか抜け出せないんですよね。
ーーそこで終わるかと思いきや、その後は美容整形にハマっていきます。
顔出しでモニターになるという条件でお金を払わずに整形してもらっていたので、それまでの買い物やホストとは少し事情が違いますが。やっぱり何かに依存する人って、その対象がスライドしていくんですよね。
初めて美容整形をした帰り道、タクシーの中で鏡を見ながら、「私もうハルキ(担当ホスト)いらないわ」って言ったらしいの。それにはタクシーに一緒に乗っていた、友人のくらたま(倉田真由美さん)と女性セブンの編集者も驚いていました。
だって、どれだけ「ホスト通いはやめろ」と言って聞かせたところで効果がなかったのに、整形した途端にホスト通いはすっぱりやめてしまうんですから。
ベンツの代わりにシャネル、トロフィーワイフの代わりにホスト
そんな一連の出来事を踏まえて、つくづく実感したのは「私は私のことを好きになろうとしていたんだ」ということです。結局さ、「成功した自分」というセルフイメージが喉から手が出るほどほしかったの。
私みたいな人間は、自分の中にある理想の自分像が高すぎて、現実の自分との間に常に大きなギャップが存在しているんです。それなのに、現実の自分では手打ちができない。非常に厄介ですよ。
じゃあ、どうするか。
そんな時に私が手を出したのが、ブランド品や若いホスト、あるいは豊胸だったのだと思います。
男の人だとベンツを買ったり、「トロフィーワイフ」的な誰かを横に置くといったことがあるかもしれません。私はベンツの代わりにシャネルを買って、トロフィーワイフの代わりにホストに手を出した。じゃあ、美容整形は何かと言うと男性のバイアグラですよね。つまり、自分が再び誰かの恋愛対象になりたいという欲望なんです。
つまるところ私は、私自身を構築していきたかったということでしょう。もともとの「私」というものが気に入らなくて、違う私を構築していきたいと思っていた。そんな考えが、私が何かに依存する根っこには常に存在していました。
ーー対象を変えながら、常に何かに依存したり執着したりすることについてどのように捉えていますか。
やっぱり、自分への執着ですよね。
私の場合は何から手をつけたら良いのかわからない状態で、とりあえずお金が手元に入ってきた。それまでは「理想の自分になれないのは、お金がないからだ」と考えていた節もあったのだと思います。
だから、ブランド物を持った成功者の自分を手に入れようとしたんですよね。
だけど、欲しかったのは「それ」ではなかった。だから、次は若い男にお金を使って、その次は美容整形かなって、言いながらやってみているんです。
まぁ、でも本当の欲しい自分になんてなれませんよ。
「あなたの人生の快感の原体験は何?」
ーー著書の中でも、「買い物依存もホスト狂いも私のナルシシズムから発した愚行」と書いていました。そのルーツはどこにあると分析していますか。
よく承認欲求が満たされなかった幼少期の経験があると語る方がいますよね。でも、私の場合は一人っ子だったからチヤホヤされて、家ではお殿様みたいな状態でしたよ。
性格は父親に似て、自分のことしか考えないタイプではあったので、父親に自分のことを認めさせてやるといったライバル関係みたいなものはあったとは思います。
でもね、それもある時期に本が売れて、自分の年収が父親の年収を抜いたので満たされてしまって。ブランド品に依存したことと関係しているかどうかで言うと、たぶん関係ないと思う。
私はよく「あなたの人生の快感の原体験は何?」って聞くんですよ。その人を作り上げるのは、その快感の原体験だと私は思うんです。
じゃあ、私の場合は何だったんだろうと振り返ってみると、小学校に上がる時に親戚のおばさんに洋服を買ってもらった時の体験かもしれません。
その日は親戚のおばさんと、1歳年下の従妹と3人でデパートに買い物に行ったんです。そのデパートで洋服を買ってもらったことも嬉しかったけど、それよりも嬉しかったのはその従妹が「私も欲しい!」って言って、デパートに寝そべって、手足をバタバタさせながら悔しがっているのを見たことだったんです。
いつも一人っ子の私にとって、そんな体験は初めてだった。「この人は私のことをこんなにも羨んでいるんだ」ということを実感した時に、それはもう気持ち良くてね。
たぶん、この体験が全ての始まりだったと思います。
ブランド品だって「私はシャネルを持っているのよ」と自己アピールするのが気持ち良かった。ホストだって、「私はこんなにこの子にお金が使えるの」って見せびらかすのが気持ち良い。整形も「私、一体いくつに見える?」ってアピールするのが気持ち良いんです。
他人から自分はどう見られているのかーー。
その1点だけが、「中村うさぎ」と言う人間を突き動かしているんです。
人生のあらゆる体験を「ネタ」に、主語は三人称にした理由
ーー中村さんは、あらゆる体験を自分の言葉で書き残してきました。自分の人生を「ネタ」にし続けることについては、どのように考えていますか。
むしろ、ネタにできて良かったなと。
みんなも私みたいにネタにしてしまえば良いのに、って時々思います。
どんなに苦しいことでも、書いてしまえば良い。
昔は本当に限られた人しか自分の体験をネタにして、書くことはできなかった。でも、今はネットでいくらでも面白いことが書けるでしょう。
私の場合は自分で書くということが、セラピーのようなものになっていた。連載の中で自己分析をしたり、自分の愚かさを笑ったり、そういったことをやっていたのだと今になって思いますね。
ーーエッセイの中では、自身の体験をかなり客観的に書いてきました。
客観的であろうと努めていますし、よく見ていただくと分かるけど一人称を使っていないんです。
自分の買い物依存を書いた日々については、主語を「女王様」っていう三人称にしていたのが良かったんじゃないかなと。
ーーそこには何か狙いがあったのでしょうか。
いやいや、最初は半分冗談のつもりで始めたんですよ。「私」と言うよりも、「女王様」っていう三人称を使う方が、ちょっとバカみたいで良いかなって思ったんです。
この「女王様」っていう奴は本当にバカなんです、くらいの感覚でね(笑)。
やっぱり自分を主語に書いていると、自己正当化とか弁明とかをしたくなっちゃうから。
キャバクラとかホストも源氏名を使うでしょ。源氏名を使えば、自分ではつけない嘘をつけたり、普段は言えない歯の浮くようなお世辞が言えるんだと思うんだよ。
それにね客観的に書こうとすれば、包み隠さず全部書くのも意外に楽なんです。
だって、そこに書いてあることは私のことのようだけど私のことじゃない。私から生まれたもうひとりの私についてのことだから。
ーー「私の人生は総じてパロディだ」とも表現していますが、それはつまりどのようなことなのでしょうか。
「現実というものは味気がない」という思いを常に抱いてきました。「生きるってこんなもんじゃないでしょう」というもどかしさが、どこかにあるんです。
例えばね、私が女であろうとするときって、ことごとくパロディーなの。わざわざ女になろうとしている。恋愛でもセックスの時でも女を演じる。着ていく服だって、ものすごく女を意識しているものですよ。
それにさ、エッセイを書く時に登場する女王様みたいなキャラクターそのものがパロディーでしょ。
ブランド物も成功というもののパロディーでしょ。ホストクラブだって、そこで行われることは全てパロディーですよ。「男ごっご」「女ごっこ」をやるわけだから。整形だって美や若さのパロディーです。
つまり、私がやってきたことは、突き詰めていけば全部パロディだった。これが私の結論です。
【中村うさぎ】作家・エッセイスト
1958(昭和33)年、福岡県生まれ。同志社大学卒業。0Lやコピーライターなどを経て『ゴクドーくん漫遊記』(角川書店)で小説家デビューし、同作がベストセラーに。『ショッピングの女王』(文藝春秋)、『女という病』(新潮社)、『うさぎとマツコの往復書簡』(双葉社)など著書多数。
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【中村うさぎさんインタビュー】
コメント
ぱっと移り変わる心理、わかります。
「人生の快感の原体験」
なるほどね…と思いました
私の場合は何かと考えてみました
すると…私にも思い当たる節が見えてきました
4回連続で、豪快で面白い生き方だなあ、と読んだけれど、最後の最後にずどんとやられた。
「私がやってきたことは、突き詰めていけば全部パロディだった。これが私の結論です。」
この突き抜け方はすごい。
ここまで自分を客観視できるものなのか。
うさぎさんの新たな魅力に出会うことができたインタビュー記事でした。
私も今、共依存の問題で自分の過去を振り返っている最中で、うさぎさんの「私は私のことを好きになろうとしていたんだ」という一言で、全てが腑に落ちました。生育過程で起きた様々な事に対応している中で、自分のことを好きでいるのは当然の前提ではなくなっていたんだと気がつけました。ご著者も改めて読んでみたいと思います。ありがとうございました。
めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃ心に響きました。。
そして私はどうなんだ?と自分に問いかけずにはいられません。
もしかしたら誰もがなにかのパロディを生きてるのかもしれない
子育てというパロディ、バリキャリというパロディ、タワマンというパロディ
パロディにシラフで覚めずに生きられるかどうか
脳科学の先生と脳に関する本を出版する程、自分という存在を突き詰め、向き合って生きているうさぎさん。
ラストの写真に垣間見えるうさぎさんらしい潔さが、私は大好きだ。