家族を捨てた日~ギャンブル依存症の家族と暮らして~
亡父が25年かけて私に遺した740万円を、元夫はFXにつぎ込み、たった半年で溶かした。嘘と借金と謝罪の繰り返しだった4年間。ギャンブル依存症が完治しないことを知った私は、引きちぎるように彼との縁を切った。
公開日:2025/02/27 08:01
ギャンブル依存症の夫と離婚してから、10年以上の月日が経過した。あの頃、別居して1年経っても踏ん切りがつかず、保管し続けていた離婚届。提出に踏み切ったのは、一人のギャンブル依存症患者を目の当たりにしたことがきっかけだった。(ライター・宮﨑まきこ)
ギャンブル依存症を知った日
ある日の朝事務所に出勤すると、カギのかかった扉の前に、小柄な男性が立っていた。朝一の来客の予定があったのだろうかと考えを巡らせる。
当時私は、法律事務所にパラリーガル(弁護士補助者)として勤務していた。法律事務所には、さまざまな事情を背負った人が来所する。離婚した人、破産した人、自殺者の遺族、ときには刑事事件の被害者・加害者まで。
男性の名前とその声には、覚えがあった。当時、私が所属する法律事務所では、生活保護受給を希望する方の申請を支援していた。データベースを調べると、数カ月前に支援した男性だと判明した。
「お金がなくなってしまって、生活できないんです」
到着した弁護士を前に、男性は事情を話し始めた。弁護士の同行により、生活保護を受給できるようになった。しかし、生活保護費が入るとすぐにパチンコへ行き、数日でほぼ使い切ってしまう。家族が差し入れてくれるわずかな食べ物も尽き、次の保護費が入ってくるまで小麦粉を水道水に溶かして飢えを凌いでいるのだとか。確かそんな内容だったと記憶している。
そのとき私は、初めて「ギャンブル依存症」という言葉を知った。仕事帰りに本屋に寄り、ギャンブル依存症の本を購入して食い入るように読んだ。
「ギャンブルのために繰り返し嘘をつく」
「家族のお金を盗む」
「消費者金融から借金を繰り返す」
ギャンブル依存症の典型症状には心当たりがあった。まさか、という思いと、やはり、という思いが交互に押し寄せ、頭が沸騰しそうだった。しかし次の文言が、急激に私を冷静な状態に引き戻した。
「病的ギャンブラーは、回復はしても完治はしない」
血の気が引いた。ギャンブル依存症の夫を家族として一生支え続けることなんて、私にはできない。自分の人生を守るために、引きちぎるように彼との縁を切った。
家計の使い込み、家賃滞納、借金の無限ループ
元夫がFX(外国為替証拠金取引)にはまったのは、レバレッジが規制される以前だった。レバレッジを大きくするほど少額で多額のリターンが期待できる一方、同じだけリスクも大きくなる。この仕組みがギャンブルと同じリスクを生むことから、2011年より25倍までと規制されたが、当時は数百倍が当たり前だった。小さく賭けて大きな利益を得た成功体験をきっかけに、彼はFXにのめり込んだ。
最初に気づいたのは、通帳を記帳したときだった。20万、30万、という金額が立て続けに出金され、残高は1万円も残っていなかった。慌てて夫に確認すると、仕事で入り用になったという。このままでは家賃や光熱水費が引き落としできない。私は貯蓄用の自分の口座から、十数万円を振り込んだ。
同じことが何度か続き、私の口座の残高も瞬く間に減っていった。そのうち家賃滞納の督促状が届くようになる。仕事柄見慣れていたはずの赤字・強調フォントが、妙に目に染みたのを覚えている。
さすがに彼も口を割り、FXにハマっていることを打ち明けた。会社の同僚から、経済の勉強になると勧められたのがきっかけだったらしい。
「やめてほしい」と言えば、「やめる」という。しかし、しばらくすると通帳の金額が減り始める。この繰り返し。そして、今度は東京から白い無機質な封書が届いた。送り主は個人名だ。嫌な予感がして彼の財布を確認すると、これまではなかったゴールドカードが一枚。仕事で嫌というほど債務整理事件を扱っていた私は、一目でそれが消費者金融P社のカードだとわかった。
借金が判明するたび、彼はひどく傷ついたような顔つきで「もう二度としない」と誓った。一度も信じたことはなかったが、毎回彼は本気で立ち直ろうとしていたのかもしれない。
あるとき、そのルーティーンがぴたりと止んだ。我が家の金銭問題は嘘のように収まり、彼は改心したかのように優しくなった。
アパートの郵便ボックスに一通の圧着ハガキが届くまでは。
誰かに相談することさえ思いつかなかった
圧着ハガキは、郵便局から積立貯金が解約されたことを知らせる通知だった。私の財布から保険証を抜き取り、ニセの委任状を作成して解約したことを、彼は白状した。他界した私の父が、25年かけて積み立ててくれた定期貯金740万円を、彼はたった半年で溶かしてしまったのだ。
末期がんで骨と皮だけになった父が、「娘を頼む」と彼に頭を下げた姿が目に浮かんだ。冷たい粘土の塊を喉元まで詰め込まれたような、湿った息苦しさを感じる。涙も出ず、眠ることもできずに一晩が過ぎていった。
彼はこたつでぐっすりと眠っていた。手には携帯電話を握ったまま。この期に及んで、まだFXをやっていたのか。怒りを覚えて携帯を取り上げると、「また〇〇ちゃんに会いたい」と、行きつけのキャバ嬢にメッセージを送ろうとしている画面が目に入った。
得体のしれないものを前にしたとき、人は怒りも悲しみも感じないのだと知った。ぬかに釘を打つような手ごたえのなさに、ただ全身の力が抜けていくのを感じた。
その日から数日友人の家に泊めてもらい、同時進行で即日入居できるアパートを見つけ、別居を始めた。
もともと私は睡眠時間が短かったが、遂にほとんど眠れなくなった。しかし、蓄えもない状態で、仕事を辞めるわけにはいかない。そこで薬局で睡眠導入剤を購入し、お酒と共に流し込んで無理やり眠った。
朝が来ると、無理やり瞼を開いて呼吸をし、仕事へ行く。仕事から帰れば一人。なにも考えなくてすむように酒を飲み、眠れない日は睡眠導入剤も流し込んだ。依存症にならないように、夜9時までは飲まないとルールを決めていたが、離婚届を提出するまで、飲まない日はなかったと思う。
ギャンブル依存症の家族と暮らした4年間、なぜか「つらい」とは感じなかった。ただただ怖かった。次の衝撃に耐えきれるだろうかと。乗り越えることに必死で、誰かに相談することさえ、思い浮かばなかった。
家族を捨てる決断は正しかったか
その後、署名捺印された離婚届が郵送で届き、私のタイミングで離婚届を提出することで話はまとまった。しかし「離婚」となると、実家にも職場にも事情を話さなければならない。それならいっそ、このまま別居状態でもいいのではないか。
すると私の気持ちを見抜いたように、再び金の無心が始まった。FXはきっぱりやめたが、今度はパチンコにハマったらしい。
それでも、離婚には抵抗があった。当時は大きな震災が起こり、孤独であることに不安を覚えていた時期でもあった。形式上でも「家族」でいることが、精神的な支えになっていたのかもしれない。
ギャンブル依存症を知ったとき、あの生活保護の男性が元夫と重なった。しかしその背後にいる家族に、自分の存在を重ねることはできなかった。正直に打ち明けると、「巻き込まれたくない」と思ったのだ。
離婚届提出直後に13万円貸してほしいと連絡があり、仕事帰りに元夫と会った。離婚届を提出したことを伝えて現金を渡し、今までの分も、全部返さなくていいと伝えた。
その代わり、二度と連絡をしないでほしい。
元夫の顔が、少しだけ緩んだように見えた。返済義務が免除されたことに安堵したのだろう。
数年後に私は再婚し、二度と元夫に会うことも、金を無心されることもなくなった。働いても働いてもお金が溶けていく、あのつかみどころのない恐怖さえ、今は忘れつつある。
答えは自分の中には見つからない
なぜ彼はギャンブル依存に陥ったのだろう。彼はもともと意思が弱く、体力もなかった。私が正面から正論を振りかざして彼を変えようとしたことが、プライドの高い彼をさらに追い詰めたのか。
会社でも家でも自分を否定される日々。彼にとってギャンブルで勝つことは、唯一自分が肯定される瞬間だったのだろう。そう考えると、仕事の愚痴も怠惰な生活も、形を変えた彼からのSOSだったのかもしれない。
当時の彼は、私とよく似ていた。彼はギャンブルに依存し、私は「結婚」と「世間体」に依存していたのだろう。どれだけ自分に問いかけても、自分の姿は自分では見えない。答えは自分の中ではなく、目の前にいる、誰かの姿にあるのかもしれない。
数年後、私は今のパートナーと出会った。彼と暮らし始めたとき、自分があの頃のままだったら、彼もまた何らかのトラブルを起こし、同じような結末を迎えるだろうと思った。10年経った今も、私たちはただ淡々と、世界の片隅で穏やかに暮らしている。
私は乗り越えられたのだろうか。自分に問いかけてみる。しかし、考えれば考えるほど、都合のいい解釈しか出てこない。
「私も乗り越えられたのだから、あなたもきっと乗り越えられる」
そう前向きに締めようとすると、ここまで正直に綴ってきた文章が、上滑りしてしまう気がした。しかし、今のパートナーや友人たちに目を向けると、少しだけ自信が持てる気がした。彼らが私の鏡であるならば、少しぐらいは変われたと思っていいはずだ。
自分を許せないときは、そばに誰かいないか探してみる。もし今、周囲に支えてくれる人が一人でもいるのなら、その人が写し鏡となり、自分もきっと変わっていける。
10年以上、深く考えることも語ることもせず、ただ毎日を繰り返すことで私は生きてきた。いま、ライターとして言葉で何かを伝える立場に立ち、言えること、できることを改めて考えてみたい。
コメント
すごく共感しました。
私も元夫がギャンブル依存症。
亡き母が残してくれたお金に手をつけられた哀しさ。
夫のスマホを見てギャンブル、借金、浮気、犯罪を知ってしまった。
そのときの力が抜けていく感じ。
震えがきて、喉の奥に何か詰まったような息苦しさを私も感じた。
今までの彼と過ごした時間は何だったのだろうと怖くなり、でも冷静さを失わないように必死だったんだなあ。
苦しかった、と今になって思えるようになった。
このように書けるようになったことは、私も少しは乗り越えられたのだろうか。
読めてよかったです。
ありがとうございます。
貯金がどんどんなくなる恐怖。
将来の幸せが見えなくなる。
病気だと分かっていても、完治はないといわれると不安になる。
得体の知れないものという言葉にすごく納得しました。
自分の幸せは自分が決めるものだと今ならわかりますが、依存症の人といる時はわからなかったです。
どれだけ自分に問いかけても、自分の姿は自分では見えない。答えは自分の中ではなく、目の前にいる、誰かの姿にあるのかもしれない。という言葉がとても沁みました。