逮捕されたあの日のこと 田中聖のcurtain call【1】
罪を償い、活動を再開したミュージシャン、田中聖。これまで歩んできた道のりを、自身の言葉で真っ直ぐに届けます。「田中聖のcurtain call」始動。

公開日:2026/11/03 09:00
関連するタグ
初めましての方もたくさんいると思います。
田中聖です。
あの田中聖です 笑
様々な記事やたかりこチャンネルなどでも話させていただいているので、知ってる方も多いと思いますが、僕は覚醒剤取締法違反で逮捕され、2年の服役を経て、今年の2月25日に出所して、9月23日に刑期を終えました。
毎月こうして文字として寄稿させていただける運びとなりました。
この場では事件の事や刑務所の中での生活などについて書かせていただこうと思っています。
逮捕されたあの日のこと
まずは時系列というわけではないですが、逮捕当日について書いていこう。
僕は生来の顔つきや、体に施されたTATTOOの影響もあり、とにかく職務質問される機会が多い。
都内の繁華街にいると高確率で職務質問を受ける。
1日に2度受けた事や、道を尋ねに立ち寄った交番でされた事もある程だ。
特に一度逮捕された経験のある者などは、「マエ」と言って前科前歴の記録が残っている為、ほぼ確実に尿検査までされる。
僕の場合もそうだ。
とはいえ1日に2度受けたとしても、その日であれば「尿検査を受けたがシロだった」という記録が残っている為、2度目に尿検査になる事はまずない。
都内の繁華街で職務質問を受ける経験こそ多いものの、地元で職務質問を受けた経験は皆無に等しかった。
しかし、この日は違った。
薬物を隠し持っていたタイミングで職質
その日は、僕が通っている自助グループの仲間である田中紀子さんが地元・千葉県柏市に来てくれて、回復プログラムを受けていた。
その後、友達との待ち合わせまで時間があったため、柏駅の前を通った時だった。
横断歩道を渡っている時に持っていたお菓子を落としてしまった。
それを拾い上げたのとパトカーと目が合ったのは同時だった。
経験上、目が合ってしまったら高確率で職務質問を受けることになる。
この時も案の定、声をかけられてしまった。
当然僕は焦っていた。
何故なら薬物を隠し持っていたからだ。
「何故持ち歩いていたんだ」と聞かれる事もあったのだが、その答えとしては「置いておけない」からだ。
実家に暮らしていた僕は、当然親にも使用していることなどを隠している。
そんな僕が実家に置いておけるわけがない。
特に都内の繁華街に出る予定があったわけではないのもあり、持ち歩いてしまった。
当然持ち物を見せてくれと言われても見せられるはずもなく、仕事だから行かせてくれなどと嘘をついていたのだが、そんな嘘が通るはずもない。4時間の粘りの結果、捜索差押許可状、いわゆる「フダ」が発布され、僕は惨めにも御用となったのだ。
「職務質問は任意」は建前
ここで言わせてもらえば、職務質問は任意だという前提はあるが、僕のような人間からするとそれは建前でしかない。
職務質問を断る=やましい事がある。という図式になってしまうのだ。
例え本当に生放送やライブの本番といった遅れることができない仕事があろうともだ。
警察官の方は「すぐ終わるので」などと言うが、職務質問を受けた場所にパトカーが来るまで待ち、警察官と同乗し、警察署に向かい、書類などを書いたのち説明を受けてから尿検査が始まるのだ。
僕の経験上、短くとも30分以上の時間は取られてしまう。
いけない物を持っている時ならば仕方ないかもしれないが、実際に飛ばせない仕事などがあった場合これでは死活問題となってしまう。
なので最近ではそういった繁華街に仕事で出る場合などは、それも加味した時間配分で動いている。
それでも集合時間直前に職務質問を受けてしまう可能性もゼロではないのだが。
両親や支援者の前で手錠をかけられ
閑話休題。
この逮捕のきっかけとなった職務質問は地元だったことや4時間という長丁場だったこともあり、現場に両親や田中紀子さんも来ていた。
つまり僕は、最もお世話になっている人たちの前で手錠をかけられ連行されてしまったということになる。
こんな不義理なことがあるだろうか?
親不孝なことがあるだろうか?
この時ほど死にたいと思ったことはないだろう。
隠すことなく答える
連行されてからの僕は基本的に素直に取り調べに応じると決めている。
何故か取り調べでは全てを離さないことが美徳とされている。
僕自身もXで「取り調べで全てを語ったダサいやつ」みたいなポストをされているのを目にした。
僕から言わせてもらえば、そんな状況になってまで売人を庇っている方が問題だろう。
僕自身もう関わるつもりもなければ、庇う様な関係性の相手でもない為、全てを語った。
もちろんだからといって司法取引のないこの日本で、それによって減刑されるといったこともない。
ただ恐らく心象裁判でもある日本に於いての裁判で、多少印象が良くなるかもしれない程度だろう。
要は単なる自分の中での覚悟であり、過去との決別でしかない。
別に言わなかったから偉いわけでもなければ、言ったから偉いというわけでもない。
それを言うならそもそもそんな状況になっている時点で偉いも何もない。
勘違いされていたりもするが、僕は出所後にやっている今の全ての活動に於いて、誰かを貶めたり誰かのマイナスプロモーションになることでない限りは、特に何も隠すことなく語っている。
使用に至った経緯に関してもだ。
目にした方も恐らくいるだろう。
ただ、これに関しては何も「だから仕方ないだろう」といったことや、「だから許してくれ」といったことが言いたいわけではない。
ただの僕の場合の経緯だ。
依存症に悩む人たちの背中を押すことで過去に意味を
当然同じ状況でも薬物に頼らない人がほとんどだろうし、そうあるべきだ。
だが、使用に至る経緯に一貫性など存在しないし、千差万別だという事を理解してもらう事が啓発においてとても重要だと思っているに過ぎない。
どんな理由があれ僕のしたことはいけないことだし、受け止めて背負っていくべきだと思っている。
正当化など出来ようはずもない。
ただこうして文字や言葉で僕が発信することによって、同じ様に依存症に悩む人たちの背中を押すことが出来るなら、僕が背負ってしまったこの罪や、本来する必要のなかった経験にも意味が出来る。
本当は留置所に居た時点では僕は表に立つ仕事を一切やめようと思っていた。
面会に来てくれた両親にもそう話していた。
しかし、僕が表に立ち、こうして自分が起こしてしまった事件についての経緯などを話すことで、誰かの背中が押せるのであれば、僕が表に立つ仕事を続ける意味があるというものだ。
諦めることを諦めた
まぁ要は諦めようと思っていたのだが、諦めることを諦めたということだ。
いじめられていた僕にはここしか居場所がなかったし、みっともなくも理由を付けて縋り付いているのだ。
あの頃は薬物しか頼る物がなくて、語弊があるかもしれないが薬物に救われてしまっていた僕は、全てを経て全てをかなぐり捨てた結果、この場所にいること自体が救いになっているのだ。
気付くのが遅過ぎたのだが......。
長くなってしまったが、僕の駄文に付き合っていただきありがとうございます。
このようにこの場では、あまり表でも話す機会の少ない細かい部分を掘り下げて書いていこうと思う。
興味があればまた目を通してくれると嬉しい。
次回はこの続きでもある留置所の部分から掘り下げていこうと思う。
それでは。
今日も楽に生きましょう。
田中聖
【田中聖の復帰ライブ「LIFE ~encore~」(さいたま市・大宮ソニックシティ)】
11月5日の誕生日に、復帰ライブ「LIFE ~encore~」を開きます。チケットはこちらから。
コメント
素直で、真っ直ぐな聖さんの言葉、胸に刺さります。
その姿が、依存症者の、そしてその家族の希望です!
連載楽しみにしてます!
今現在息子が同じ薬物使用で勾留中です。今度こそは断薬し続けてくれる事を願うばかりです。薬物依存症の我が子に親の無力さを実感してます。次回もお話聞かせて下さい。有難う御座います。
聖さんの正直なコメントに同じ依存症で、悩んてる人が何か気付きがあればいいなぁと思いました。
とても辛かった状況を乗り越えた事で今があるんだと思います。
これからも応援していきますので頑張ってください😊
薬物に救われていた過去と、今はこの場所にいること自体が救いになっているという言葉が印象的でした。自分の過去と向き合い、ありのままの気持ちを発信する姿に心を打たれます。これからの発信も楽しみにしています。
